セーラー服と日本刀



  ピッピッピッ、と、規則正しい電子音が耳に届く。その機械的な音を認識した瞬間、私の瞼はそれが行うべき当たり前のことなのだと言わんばかりに持ちあがる。なんだか、久しく動かしていなかったかのようにどこか重たく感じたけれど、多分それは体感的に感じるだけで、傍から見れば普段の動きと変わらないのだろうな、と思う。開けた視界の向こう側に、見慣れない白い天井が映る。あれ、と思ったら、次の瞬間に鮮烈な赤い色が両目に映り込み、ひゅっと軽く息を呑んだ。
 目を丸く見開くと、赤いそれは蕩けるように細くなり、うるうると水の膜を帯び始める。あ、泣きそう。そう思ったら、ほろりと零れ落ちた透明な雫がぽたた、と頬に当たって滑り落ちていく。一瞬の冷たい感触にビックリしていると、薄い唇が極まったように戦慄いた。

「あるじさま・・・!」

 少年の少し高めの声が、聞きなれない呼称で誰かを呼ぶ。その間もぽたぽたと雨のように落ちてくるものが涙なのだと認識すると、天井の代わりに視界の全てを埋め尽くしているのは人の顔なのだとようやく脳が認識した。
 あっれ、こんなに鈍かったっけ、と思いながらまじまじと眺めれば、それは大層整った顔をした少年であることがわかり、目が覚めて早々眼福なことだなぁ、と呑気なことを考える。
 ただ、何故か少年がひっくひっくと嗚咽混じりに泣き顔を晒していることが気にかかるが。えっと、なんで泣いてるんだろう?よくわからないが、美少年の泣き顔は心臓によろしくないなぁ。てか目が覚めて見るのが泣き顔というのもどうなのか。未だ鈍い思考でぼんやりと考え、ピクリと腕を動かす。・・・ん。なんか腕も重たい。あとなんか関節部分に違和感。でもまぁ、動かせないわけでもなさそうだ。そう考えるとぎこちなく腕を動かし、少年の白い頬に手を伸ばし、目尻に指先を触れさせる。つんと突けば、丸い球のような水滴が指先にくっついた。暖かくて、ちょっと冷たい。

「ど、・・・した、の?」

 うっわ、なんだこれ。口の中に舌が張り付いて全然回らない。しかもカスカスの声で、まるで長いこと喋ってなかったみたいにしわがれている。口の中が完全に乾き切っているみたいだ、と自分で自分の発した声に驚いていると、少年はビックリしたように目をまぁるく見開いて、それからぶわぁ、と先ほどの比ではない量の涙を溢れさせた。えぇ!?

「あ、ある、あるじ、・・・っあるじさまぁぁぁぁぁ・・・っ!!」

 ぎゃん泣きである。泣き止ますつもりがものっそ逆効果だったっぽい。頬に触れた手をとって、すりすりと自分の頬に擦り付けながら、うえぇぇぇ、と泣き続ける少年にこちらとしては言葉もない。
 うん?あれ?何事??ていうかなんかさっきからピンク色の何かがちらちら舞ってない?視界を少年の泣き顔で埋め尽くされながらもその端で何かピンク色のものが横切っているような気がしてならず、思わずちらちら視線をずらしてみるものの、その正体が明確に掴めない。なんか花弁っぽいけど、室内で花弁・・・?ないよなぁ、と思って硬直していると、やれやれ、とばかりに溜息が聞こえた。

「今剣、それでは主も困るだろう?そこを退いて、少し落ち着きたまえ」
「う、うぅ・・うぇっ・・だって、歌仙・・・、ある、あるじさまが、やっとっ、めがさめて・・・!」
「わかっているよ。でも、主は今目が覚めたばかりなんだ。君がそんな調子では、主もどうしたらいいかわからないよ」

 たおやかな美声が少年を軽く宥め、その耳に心地の良い低めの声に少年以外の第三者の存在を初めて知る。他にも誰かいるのか・・・?少年に手を取られ横たわったまま首を傾げれば、視界を遮っていた少年が遠ざかり、代わりに覗き込んだのは翡翠色の宝石のような瞳だった。
 顔面偏差値は言わずもがなというべきか、ちょっと見ないぐらいのイッケメーンである。まぁ美形には見慣れているので今更この程度で動揺するほど可愛い神経はしていないが。しかしこれはまたなんというか・・・纏うオーラが異質な美形なことだ、と思わず目を眇める。さきほどの少年もそうだが、どうも彼らから人の気配が薄いというか・・・人ならざるものの気配がする。
 あぁでも何故だろうか。彼の宝石のように透き通った翡翠色の瞳には、どこか見覚えがあるような気もするのだ。彼の眼差しを見返せば、意思の強そうな太めの眉尻が下がり、翡翠色が細く笑みを浮かべる。よく見ればその目尻が僅かに潤んだように濡れていたので、彼も泣いたのだろうか。

「・・ぁ、の・・・」
「あぁ、無理をしなくていいよ。今水を持ってくるから」

 色々と疑問は尽きないが、ともかく今がどういう状況なのか知りたい。自分の体調含め、一体全体何がどうなっているのか・・・そういえば私は何故寝ているのだったか。
 問いかけようとして、やはり思うように出ない声に眉を寄せると、気遣うようにそっと止められて、青年は一瞬視界から消えると、すぐに戻ってきた。

「ゆっくりでいいから、口の中に含むようにして飲むんだよ」
「・・・ん」

 そう言いながら、唇にちょんと触れた吸い飲みに薄く口を開いて吸い口を含むと、タイミングを合わせてゆっくりと少し温い水が口内に流れ込んでくる。決して多すぎないその量を、言われた通りに一旦口の中全体に染みわたらせるように留めてから、ゆっくりと喉を通していく。
 こくり、こくり、と喉が上下すると、スポンジが水を吸い込むように体全体に染みわたる心地がして、随分を水を求めていたんだなぁ、とほっと息を零した。それから数度にわけて水を飲ませて貰って、もういい、という意味をこめてありがとう、と小さく囁いた。ん。水を飲んだおかげか、さっきよりもスムーズに声が出る。青年は、私の言葉ににっこりと満面の笑みを浮かべると吸い飲みを脇において、一歩下がった。代わりに、まだボロボロと泣いている少年が覗き込んできて、ほにゃりと相好を崩した。

「あるじさま、だいじょうぶですか?どこかいたいところとか、くるしいところはありませんか?」
「・・・とりあえず、は。あの、君たちは・・・?」

 問われて、そういえばと思って自分の体を探ってみるが、思いのほか痛みが少ない。確かまだ真新しい傷をこさえていたはずなんだけどなぁ、と思ったところで、はっと目を見開いた。

「私、あのあと・・・っ。ここは、っ怨霊は・・・!」

 反射的に、倒していた体を起こそうと腹筋に力を籠めると、それを押しとどめるように少年の手が肩に添えられる。それはそれほど力が入っているようには感じられなかったのに、いとも容易く私を布団の上に縫いとめた。少し押されて沈んだ枕の上で、目を丸くすれば濡れた赤い瞳が落ち着かせるようにやんわりと細くなる。拍子に目尻に残っていた涙が零れ落ちたが、どうやらそれが最後の一滴だったのか、それ以上彼の目から涙が落ちることは無かった。

「だいじょうぶです、あるじさま。あるじさまをおびやかすものは、ここにはもうおりませんよ」
「居たとしても、君に指一本触れさせるつもりはないから、安心したまえ」
「は・・・?え・・・?」

 そういって、にっこりと笑う彼らの頼もしいこと。むしろ薄ら寒いほど迫力があるなぁ、と明後日の方向に思考を飛ばしながら状況が呑み込めずにいると、青年がこてり、と小首を傾げた。あら、可愛い。

「ふむ・・・記憶が混乱しているのかな?無理もないかもしれないが・・・」
「あれほどのけがをおったのです。とうぜんのことでしょう。でもさすがはげんせのいじゅつですね、たんじかんでこれほどかいふくするとはおどろきました!」
「それは確かに。喜ばしいことだね」

 ふふ、と花を飛ばして・・・え?いや、文字通り?うん?青年の周囲をはらり、と散った薄紅の花弁にぎょっと目を剥くとそれは地面に辿り着くことなくすぅ、と消えていくことに言葉を失くす。なに・・これ・・・?

「まぁ、まずは最初に自己紹介といこうか。あの状況では碌なことができなかったことだし・・全く、嘆かわしいことだよ」
「さんせいです!ぼく、あるじさまになまえをよんでもらうこと、ずううぅぅぅぅぅぅっとまってたんです!」
「それは僕も同じさ。さて・・・主。今更、だけど、ずっと言いたくて仕方なかったんだ。聞いてくれるよね?」
「え?あ、はい」

 むしろそれ有無を言わさずじゃね?と思ったが、懸命にも口には出さずにぐっと飲み込んだ。
 よくわからないが、彼らはなんだかずっと待っていた?みたいだし?うん。よくわからないが。ていうか主って私のことで間違いない感じ?頭の中パニックです、と言いたいのに言えないこのもどかしさ。
 私が承諾の返事を返すと、青年は笑顔でぶわっと背後に桜の花を咲かせた。お、おう・・・花を文字通り背負ってやがる・・・!

「僕は歌仙兼定。風流を愛する文系名刀さ。どうぞよろしく、主」

 そういって、布団の上に投げされたままの私の手を取り、軽くぎゅっと握った青年・・歌仙さん・・・歌仙?うん?と眉を動かして彼をみれば、にこにこと笑みを絶やすに浮かべている。ついでに背後と頭上の桜も絶えず咲いては散っていくのだが、ともかくもあれだ。うん。歌仙、って・・・。
 問いを口にしようと開きかけると、それを遮るように、ずいっと歌仙さんを押しのけて、白い少年が前にずずい、と出てくる。むっとしたように歌仙さんが眉間に皺を寄せたが、しょうがない、とばかりに溜息を落とすと場所を譲るように体を横にずらす。手は握られたままですけどね!
 少年は私の正面を陣取ると、むん、と大きく胸を張り、きらきらと目を輝かせて、満面の笑みを浮かべた。

「ぼくは、今剣!よしつねこうのまもりがたななんですよ!どうだ、すごいでしょう!」

 エッヘン、と胸を張り、それからゆるゆると口元を緩めると、きゃー!と歓声をあげるように少年・・・今剣は私の腰に抱きつくように飛び込んできた。それでも勢いよく、というよりは、いくらか遠慮がちではあったけれど。

「えへへ~やぁっといえました!ずっとずぅっといいたくてしょうがなかったんですよ、あるじさま!」
「ここまで来るのに、半年近くもかかるとはねぇ・・・。全く、政府の愚かさにはほとほと呆れ果てるよ」

 そういって、ごろごろと猫のように腹部に顔を押し付けて嬉しくて堪らない!とばかりに、やっぱり桜を咲かせては散らしている今剣少年に、私はいささか呆気に取られつつ、やはり、とばかりに息を呑んだ。
 歌仙兼定。今剣。聞き間違うはずもない。覚えがないはずがない。その名前は、そうだ、彼らは。

「歌仙、今剣・・・」
「なんだい?主」
「なんですか?あるじさま」

 ぼけっと呟いただけのそれに、間髪入れずに返事を返す彼らを見やり、無意識にその腰に視線を落とす。そうしてごくりと喉を鳴らすと、私は震える手で、彼らの腰に手を伸ばした。正確に言うと、彼らの腰に下げている、あまりにも見慣れた刀に、だ。嗚呼。

「・・・・まさか、本当に、付喪神を顕現するとは・・・」

 思い出す。私を救った、二口のヒーローの姿を。
 吐息に乗せるように囁きを零すと、彼らは苦笑めいた微笑みを浮かべて、そっと腰から刀を・・・恐らくは、自分を抜き取って、私の前に置いた。柄に触れれば、しっくりと手に馴染む。労わるように鞘越しに刀身を撫でて、きゅっと眉根を寄せた。
 あぁ、泣きそうだ。

「・・・あり、が、とう・・・っ」

 落とせない涙の代わりに、ひどくブサイクな笑顔を、私は浮かべるしかなかった。
 それなのに、彼らは嫌味かというぐらいに嬉しそうな綺麗な笑顔を見せるものだから、あぁもう本当に、なんてことになったのだろうと、ぐしゃりと益々ぶっさいくな顔を晒すしか、私にできることはなかった。