セーラー服と日本刀
「それで?君達は何が言いたいのかな」
冷ややかに、一片の興味もありません、とでも言わんばかりの情の籠らない声色で睥睨する翡翠色の双眸。言葉一つ一つが鋭利な刃物のごとき切れ味で、彼が口を開くたびにザクザクと身を斬られているような気になってくる。向けられているのは自分ではないのだが、空気が半端なく怖いので、非常に居心地が悪い。これ、直接向けられる相手は堪ったものじゃないだろうなぁ、と思いながら、ごくりと口の中のものを飲み込んだ。
当の向けられている張本人は、病室の床に額を擦りつけながら土下座をして表情の一切は見えない有様なのだが、カタカタと三つ指ついた指先が震えているので、多分顔面蒼白で脂汗でも浮かんでるんじゃないだろうか。
まぁ、普通に人間が激怒するだけでも結構怖いのに目の前の相手は帯刀した人外だ。人間の尺度で測れる存在ではないので、何が逆鱗に触れるかわからない緊張感と、すでに逆鱗の一端を握っている状況ではそれも仕方ないことなのだろう。
多分、まだ生きてるというか真っ当に会話をさせて貰えているだけでかなり破格の対応だと思われる。あれだよ、加護も何もない取引も契約も何も交わしていない人間が人間じゃないものをちょっとでも不快にさせた時点で色々終わること請け合いである。
そう思えば彼らは慈悲深いというか、さすが人間よりの付喪神、といったところである。まぁ病室を血染めにされても嫌ですが。断固阻止ですが。私人が死ぬところなんてみたくないでござる。そんなちょっと間違えれば危ない方向に糸が引き千切れそうな空気の中、ぶち壊す勢いでひょい、と目の前に黄色い桃が差し出される。
「あるじさま、はい、あ~ん」
私が全部飲み込んだのを確認して、すかさずフォークに刺した黄桃を差し出してきたのはこの場に似つかわしくない満面の笑顔を纏った今剣である。
整った貌から表情を消してリノリウムの床に這いつくばって土下座している役人を見下ろしている・・・見下している?歌仙さんとは裏腹に、その顔は花のように明るく溌剌としていた。可愛らしく浮かべられた無邪気な笑顔はこの痛いほどに凍った病室の空気などまるで察していないかのような無神経さだ。・・・いや、わかっていてあえて無視しているというか、多分彼の中で私のベッドの横で行われている一切は気に掛けることもないほどにどうでもいいことなのだろう。
でもごめん君らの主はあれを無視できるほど神経図太くないんだ。でもとりあえず桃は食べる。久しぶりに野性じゃない甘みを伴った瑞々しい果物の誘惑は抗いきれんのです。
自分で食べれないわけではないのだが、どうもずっと顕現していなかった反動なのか、やけに私に構いたがる今剣(歌仙さんもだが)に根負けして雛鳥のごとく餌付けをされておりますよ・・・。まぁいいんだけど。
口をあけて一口サイズに切られた黄桃を頬張ると、今剣は嬉しそうにニコニコと笑って次は何が食べたいですか?と問いかけてくる。病室のテーブルの上には、お見舞い品の定番と言わんばかりのフルーツ盛り合わせの籠が乗っており、そこから林檎やらメロンやらを取り出しながら首を傾げる今剣に、今はもういいよ、と軽く手を振っておいた。
諸々のせいで胃袋がちょっと小さくなっているのか、あんまりたくさんは入らないんだ。
そんなやり取りをしている私の傍らで、くるくると前髪を弄りながら、歌仙さんはことりと小首を傾げた。どこかあどけない仕草は今剣に通じるものがあったが、彼の場合明らかに見せつけるためのわざとらしい動作だったので脅迫感を感じる。幸いにも土下座している役人の目には入らなかったようだが、少し動いた空気にびくぅ!と肩が跳ねたのがわかった。彼のエアリーディング能力はかなりのものと見た。
「つまり、君達は、まだ完治もしていない怪我人の身である主を十分な療養も取らせないで本丸に戻し、あまつさえそのまま審神者としての仕事を続けろ、と。そう言いたいのかな?」
「ひっ・・あ、その、それは・・・!」
「しかも本丸は新しいものを用意するどころか、歴史修正主義者に特定されているあの本丸をそのまま継続して使用しろと。・・なるほど、よほどその首いらないと見える」
そこまでいって、にっこりと役人がきてから初めて笑みを浮かべた歌仙さんはここでは主に迷惑がかかるねぇ、とのんびりとした口調で刀の柄に手をかけた。
そこだけ局地的な地震でも起きてるんじゃねぇの、と言わんばかりにガタガタブルブルと震えている役人の姿が憐れみを誘うほどに歌仙さんの空気は穏やかだ。いっそまだ張りつめた空気の方がマシなんじゃねぇの?と思う。だって、最早役人の首を落とすことは歌仙さんの中で決定事項になってしまっているようだから。
「そ、その件については誠に申し訳なく・・・!ですが、ほ、本丸も限りがあり、新規のものを用意することはすぐには無理で・・・!」
「言い訳は不要。御託を並べても君達が出した答えがそれだということならば、多少痛い目を見なければ変わらない、ということだろう?」
「歌仙、きるならそとできってくださいね」
「わかっているよ。主の前でそんな雅じゃないことはしたくないからね」
くるくるとフォークを回しながら、ひどく詰まらないものを見る目で役人を一瞥した今剣は、余った黄桃にぶすりと刺してぱくりと頬張った。
蜜漬けの黄桃を咀嚼し、濡れた唇を赤い舌先を伸ばしてちろりと舐め取ると、いやに艶めかしく口角が持ち上がる。
「そもそも、したっぱをここによこすそのこんじょうがきにいりません。げんせではこういうとき、うえのにんげんをだすものではないのですか、ねぇ?」
「ひぃっ」
舌足らずな物言いで、どこか甘ったるく語尾を伸ばす今剣は、幼気な少年の容姿に見合わず、どこか妖艶だ。細くなった赤目が流され、気だるく組まれた足の金環がちゃらりと音を立てる。・・・九郎さんの懐刀の割に色気がすげぇな今剣。いや九郎さんも健康的な色気はあったけどね?妖しい色気は弁慶さんの専売特許のような・・・さておき。
「二人とも、ひとまず話を聞こう?そんなに脅したら大事なことも聞けないよ」
役人さんの恐怖メーターが振り切れそうになっているので、そろそろその殺気を押さえてほしい。あと普通に私も息がし辛い程度には怖い。怪我人に殺意満々の空気は毒でしかないよ。例え自分に向けられてたものではないとしても、基本的に平和主義且つ事勿れ主義の人間に彼らの憤りの念はちときつい。そこまで思ってくれるのはありがたいのだが、個人的に重たいな?とも思うわけでして。
苦笑交じりに二人を諌めると、今剣は不満そうに唇をつんと尖らせ、歌仙さんは器用に片眉だけを動かして左右非対称の顔を作ると、小さく溜息を零した。
「・・主がそういうのなら」
渋々、という形容がこれほど似合う場面もそうないだろう、と思うぐらいに渋々と体を一歩後ろに引いて役人の正面を明け渡した歌仙さんは、しかし相変わらず刀の柄に手はかけたままだ。今剣は少し考えた素振りをみせてから、ぴょんとベッドの縁から飛び降り、軽い足取りで反対側に回る。私の背後を守るように陣取ると、かつーん、と高下駄を鳴らした。
それを合図にするように、私は今だ土下座したままの役人をベッドの上から見下ろして声をかける。
「顔をあげてください。それから、どうしてそうなったのか、説明をお願いします」
できるだけ穏やかさを心がけて柔らかく声をかけたつもりだったのだが、役人は一層びくんっと肩を震わせて、恐る恐ると顔をあげた。見事に血の気の失せた顔をしていたのだが、まぁこの顔色はこの病室から無事に出るまで戻ることはないのだろうなぁ、と思う。
なにせ睨みを利かせている付喪神様が二口も傍に控えているので、致し方なし、と私は苦笑いを浮かべる他ない。まぁとりあえず詳しい説明を求める。
私、今だに人からまともな説明何も受けてないんだよねぇ。いや本当に、自分を取り巻く現状がここまで不透明なのも珍しい。歌仙さん達から「病室にいる経緯」は聞いたけれど、「病院にまで行く羽目になった原因」を知っているのは、目の前にいる役人のみ。
あ、助けてくれたあの男の人にもちゃんとお礼をしないとな。不特定多数にすぎるネット上の方々には言葉で贈るしかないが、彼だけは面識があるので、せめてもうちょっとマシな状況になったらきちんとお礼をしたいところである。閑話休題。
「私は何も知りません。何故私があんな場所に拉致されなければならなかったのか、どうして家に戻れないのか、仮に貴方の・・いえ、政府の言うように審神者とやらをするにしても、何故あんな危険な場所に戻らなければならないのか。詳しい説明と、理由を、聞く権利が私にはあるはずです」
基本的人権の尊重を主張するよ私は。説明責任は果たしてもらわなくてはならない。そもそも、審神者だの歴史修正主義者だのと聞いたこともない。あの板の住民曰く、浸透はしておらずともそれなりに情報開示はされているような事柄らしいのに、だ。
こんな特殊にすぎる話を、ちらとも聞いた記憶がないのは可笑しい。何かしら、都市伝説程度の噂でも昇るものではないだろうか?
「言っておくけれど、主はまだ絶対安静の身なんだ。あまり長々と時間は割いていられないよ」
「くだらないいいわけやごたくをならべるじかんがあるなら、かんけつに、せいかくに、あらいざらいはなしてくださいね!」
横からそういってでっかい釘をぶっさす二口の刀剣に、私はちょっと黙って、と言うべきか否かを少し迷って、間違いじゃないからいいか、と黙認した。
確かに、不思議なことに大抵の怪我は思った以上の治りを見せているのだが、それでも体力が追い付いていないのか、完治しているわけではないせいか、あまり長く体を起こしているのは辛いものがある。多分、私の限界が来る前に強制的にあの人追い出されるだろうなぁ。その時どういう追い出され方をされるかは、これからの彼の言動一つにかかっているといっても過言ではない。いや、できるだけ穏便にはしたいのだが、諸々を加味して私に彼らを抑えるだけの余裕があるかどうかの問題なんだよね・・・。
そのことに彼も思い至ったのか、一層顔から血の気を引かせつつ、きょどきょどと視線をあっちこっちに走らせて、やがて彼は重たい口を開いた。
「ま、まず、最初に話しておくべきことがございます」
「なんでしょうか」
未だ床に正座状態で話しはじめた役人に、とりあえず立ち上がるか椅子に座るか促そうかと思ったが、多分横の二人が許さないような気がしたので、居た堪れないが見ないふりをする。歌仙さんと今剣はこの中でこの役人を最底辺に置いている。多分、同じ土俵に立たせることを良しとはしないだろう。それはこちらを優位に立たせるための一種のパフォーマンスに近いのだろうが、しかしそれが交渉の場では重要な役目を担っていることもわかっているつもりだ。
こと、権力を相手にするにはこれぐらいの圧力は必要なのかもしれない。幸いにして相手下っ端らしいし。これが上役だとちょっとやり辛かっただろうな。
そんなことを考えていると、役人はやけに真剣な面持ちで、その毅然とした態度に似合わない爆弾を投下した。
「貴女は、本来、この時代にいるべき人間ではないのです」
「・・・はぁ?」
ごめん。ちょっといきなり何を言い出すのかな?思わず素が飛び出るぐらい突拍子もないことを言った役人に顔を顰めると、彼は極々真面目な顔で、疑われるのも無理はありませんが、と前置いた。
「で、ですが、こ、これは事実、なんです。今は西暦2205年。貴女が過ごされていた時代から、ゆうに200年が経った未来なのです」
「・・・つまり、私はタイムトリップをした、と?」
何を馬鹿げたことを。そう言って癇癪を起すことはとても簡単ではあったが、真面目な顔をした役人に一つ息を止めて、確認するようにゆっくりと問いかける。
そも、自分の身に起こった数々のことを思い浮かべると、さもありなん、といったところか。まぁスタート時点で異空間的なところで怨霊とガチバトルである。今更タイムトリップしちゃいました☆と言われてもそういうこともあるかとしか思えない。
異世界でないだけマシなのか、やっぱり変なことに巻き込まれてる、と嘆くべきなのか。200年とかすごい未来なのかそうでもないのかよくわかんねぇや。異世界とはいえ飛んだ世界が過去すぎたというのが原因かもしれない。
私がさして動揺も見せずにひとまずの納得を見せたことに彼はいささか目を見張ったようだが、しかし横で睨みをきかせる歌仙さんに、慌てて説明を続けた。
「あ、貴女を連れてきた男は、本丸の浄化装置の代わりとして貴女を過去から拉致し、いずれ浄化された本丸に、高官の子供を審神者として置こうとしていたそうなのです・・・!なんでもそれを行うことで出世だとかお金だとか諸々優遇を約束していそうで・・・!」
必死に、ちょっと早口になりながらつっかえ気味に話しはじめた役人に、開いた口が塞がらない。ポカン、と口を開けて、瞬きをパチパチと繰り返す。お、おぉ・・・思った以上に私利私欲だった・・・!
「も、勿論そのようなことは犯罪です!そもそも我々は過去を改変するテロリストと戦っているわけで、その我々が過去からいくら審神者の才があろうとも人間を浚ってくるなど、本末転倒!言語道断!ブラックなんて消えちまえ!!」
「お、おう」
「大体自分で過去改変してどうする!?偉人ばっかりが重要じゃないんだよそこらにいる平凡な一般庶民だってどこでどう繋がってるかわからないんだぞ犬猫一匹の行動でさえもどんな影響を及ぼすかわかんないんですよバタフライ効果って知ってる!?ちょっとしたことが後々大きな影響を及ぼすんですよだから過去に手を出しちゃいけないって細心の注意を払ってこっちは戦争やってるのにこれだから現場を知らない私利私欲にばかり走る脳みそも根性も魂も腐ってる連中はよぉ!!」
「うるさいですよ、したっぱ。しじょうのうっぷんをあるじさまにぶつけないでくれませんか。そのしたきりおとしますよ」
「すいませんでしたぁ!!!」
華麗なる土下座である。途中から完全に愚痴が入り始めた役人が、今剣の舌打ち混じりの屑を見るような目に一瞬の内に五体投地の体勢で床に額を擦りつける。
いきなりのマシンガントークにポカンと口を開けていた私は、雅じゃないよ、主。という歌仙さんの言葉にはっと意識を戻して口を閉じた。
なんだかよくわからないけれど、彼らも色々溜まってるんだなぁ、と思いながら、局地的地震再び、とばかりにガクブルし始めた役人に、私はえーと、となんともいえない気持ちで言葉を濁した。
「・・・大変ですね?」
「すみません・・・」
五体投地の体勢のまま、くぐもった声で謝罪が聞こえる。今剣は溜息を零し、歌仙さんに目配せすると、彼も肩を竦めて心底呆れた目を向けた。
「主は説明を求めたのであって、君達の愚痴やら不満を聞いたわけではないのだけど?まともな説明もできないようなら、とっとと帰ってもう少しマシな人間を連れてきてくれるかい?」
むしろお前どっか行けや。副音声でそんな声が聞こえた気がしたが、役人は平謝りに平謝りで平身低頭、今度はちゃんとします、しますから何卒首だけはご容赦を・・・!と懇願を口にする。うーん。どこの世界も、下っ端って大変なのね。
多分色々押し付けられてるんだろうなぁ、と役人の後頭部を見下ろして、私はうんうん、と頷いた。
「とりあえず、もうちょっと私情抜きで説明をお願いできますか?」
「誠に申し訳ございませんでした・・・」
穴があったら入りたい。そんな心情が透けて見えるようだが、あんまりそういうことは考えない方がいいと思う。墓穴どころか、首桶に首が収まる事態になりかねないんで。
だって、ほら、横の人達がさ、未だ柄から手を放さない辺り、チャンスはもう何回もないと思うんだよね。うん。
ラストチャンスの可能性に、果たして役人は気が付いているのだろうか?
殺傷事件にだけはならないで欲しいなぁ、と思いながら、改めてぽつぽつと話しはじめた役人に、私はそっと耳を傾けた。