セーラー服と日本刀
少しの物音で目が覚める。木々のざわめき、風の走り抜ける音、微かな虫の声。
嵐の夜でもない、静かなはずの眠り深い時間帯にも関わらず、寝ていれば気にもならないだろうその物音がするだけで浮かび上がる意識は一体何度目だろうか。
寝ぼけ眼でぼんやりする間もない。脳は覚醒し、開けた眼には障子越しの月明かりを写し克明に周囲の様子を映しこむ。時折踊る影は庭の樹木だろうか。昔のように、異形の影が泳ぐ姿はない。柔らかな綿の詰められた布団は以前の黴臭い煎餅蒲団とは比べ物にならないぐらいに寝心地は良いはずなのに、横を向いた状態で数度瞬きをこなして溜息を零した。敷布団の上に置かれている手がわけもなく彷徨い、心許なさそうににぎにぎと指を動かして最後にぎゅっと強く握りしめる。それからゆるゆると握りしめを解いて、もぞりと寝返りを打った。障子とは反対側をむいて、壁に仕切られた隣の部屋を考える。近侍部屋となっているそこでは人型となった刀剣が寝ているはずである。
まぁ本当に寝ているのか起きているのかはわからないが、きっとこれは我儘だよなぁ、と思って仕方なく目を閉じた。とろとろと落ちるはずの意識は、しかしすぐにまた浮かび上がるのだろうと思うと・・・習慣とは中々直らないもんだ、と嘆息した。
※
ふわぁ、と欠伸が零れた瞬間を見逃さず、今剣がその赤い瞳をきょとん、と瞬かせてずりずりと膝で這いながらにじり寄ってきた。今日はいつも近侍を任せている歌仙さんを出陣組に割り振っているので、代わりに今剣が今日の私の近侍である。
基本的にどの刀も一通りの仕事や流れがわかるように一度は近侍を任せるのだが、慣れてくれば大体歌仙さんに戻している。固定、というやつだろう。中にはローテーションで任せているというところもあるらしいが、あまりコロコロと変えてしまうと流れややり方といったものの調子が崩れてしまうので、私は基本的に固定派だ。かといって1人しか要領がわからないというのは問題なので皆一度は経験させている。
政府から寄越された書類・・・主に合戦での戦果だの歴史修正者の動向、刀剣の様子や鍛刀、ドロップ、刀剣破壊等々の報告が主である。何もなければさして特筆して書き記すこともない単調作業でもあるのだが、戦であるので戦場での報告は細かに本陣に伝えなければならない。少しでも普段と違うと思うことがあれば細かく記していく・・・あまりに面倒且つやる気にもならない作業ではあるが、やらなければならないことなので面倒でもやる気がなくても終わらせなければならない。そんな仕事中に出た程度の欠伸である。さして珍しくもない、と思うのだが、今剣はキーボードを叩く私の横にくると、無遠慮に顔を覗き込んできた。いやまぁ別にこの程度のこと無礼ともなんとも思わないが、人外独特の整いすぎた儚げでもある少年の危うい美貌を眼前に晒されて咄嗟に背中を反って距離を取る。すると、今剣は僅かに眉を潜め、どこか舌足らずな物言いで淡い桃色の唇を動かした。
「あるじさま、おかおのいろがあまりよろしくないですね。ねれていないのではありませんか?」
心配そうに眉を下げ、一旦姿勢を正して正座した今剣に、ぎくり、と肩を揺らすが私は困ったようにうーん、と唸り声をあげた。報告書を仕上げるためにキーボードを叩いていた指先を止めて、前田に入れて貰ったお茶の入った湯呑みを手に取り、底を支えるように片手を添えてくいっと傾ける。ほどよく冷めた緑茶が喉を通り胃袋に落ちたところで、真っ直ぐにこちらの一挙一動を見逃すまい、とでもいうかのように見つめる今剣に視線を合わせた。
「眠れてない、ってわけじゃないよ。今まで通り、変わらない」
「ほんとうですか?」
疑わしい、とばかりに目を細められて苦笑する。私の刀達は思いのほか私に過保護で敏感で、そして政府をほぼ敵認定している。味方なのに敵とはこれ如何に。彼ら曰く「ちゃんと仕事をしていれば問題ないが、主に害為すなら叩っ切る」らしい。あらやだうちの子物騒、と思わなくもないが諸々やらかされた後なので止む無し、といったところか。
さてもとにかく、経緯が経緯なせいか私の体調諸々に敏感且つ過保護な刀剣達は、少しでも体調を崩せば上へ下への大騒ぎ・・・というよりも即座に私を休ませようと動き出すので迂闊な発言も行動もできない有様である。ありがたいっちゃありがたいが、もうちょっと雑に扱ってくれても大丈夫だよ?これはあれだな、サバイバル生活で満足に治療もできずに放置するしかなかった弊害なのかもしれない。
刀を通して見ていた彼らは、だからこそ過敏に反応しているのだろうと思いつつ、私は淡く微笑みを浮かべた。
「本当だよ。今まで通りで、変わらないんだけど・・・」
「けど?」
こてん、と今剣が首を傾げる。さらりと揺れる白銀の髪を見つめ、それから私は彼の腰に下げられている刀に目を落とした。・・・嘘じゃない。今まで通り、私の睡眠のとり方は変わっていない。半年間のサイクルを崩してはいない・・・ただ、しいていうならば。
腰に下げられた今剣を見つめ、口元に手をあてて考える。それからそろりと顔をあげればじっと次の私の言葉を待つ赤い双眸と目があい、悩ましく口元から頬へと手を滑らせ首を捻った。うーん・・・まぁ、なんだ、うん。ちょっとぐらい、いい、かな?嫌なら嫌なりにやんわりと言ってくるだろう。うん。彼らは私に多少盲目的な部分があるが、かといってダメなものをダメと言えないほど依存的な関係を築いているわけではない、はずだ。うん。そう信じて、私はそろそろと口を開いた。
「・・・今剣、お願いがあるんだけど」
「はい。なんですか?」
「実はね、その・・・夜、一緒に寝て欲しいんだけど・・その、刀の姿で」
人型でもいいのかもしれないが、個人的にそっちの方が落ち着くというか。胸の前で手を重ね、もじもじと動かしながらダメかな?と問いかけると、今剣はきょとん、と目を丸くして刀の姿で?と復唱した。
「ふしんばんということですね。もちろんかまいませんよ!ですが、ひとがたではだめなのですか?」
いや不寝番というほどでもないんだけどね?にこぉ!と笑顔でハラハラと桜を舞わせながら快諾する今剣に、まぁ懐刀だしそういうのは慣れているんだろうなぁと思いつつ当然のごとく疑問を投げかけられて、私はなんといったものか、と視線を泳がせた。
「ダメってわけじゃないんだろうけど・・・あー・・なんというか、こう、・・・習慣で?」
「しゅうかん」
「隣には歌仙さんも寝てるし、まぁ、今の本丸で危険はね、ほぼないってことも頭ではわかってるんだけど・・・」
そう、結局はそういうことなのである。半年間余り、気の抜けないサバイバル生活をしていた弊害か。どうにも、手元に武器がないと落ち着いて休めない体になってしまっているようなのだ。いや持っていたところで落ち着ける状況ではなかったのだが、あるとないとじゃ安心感が全く違う。手元に武器があるということは何かあってもとりあえず対処の幅が広がるが、なにもないとあ、これ詰んだってことになるので、やっぱり武器はないよりある方がいい。これもある意味訓練次第で直るとは思うのだが、今までずっと肌身離さず持っていたものがね、一振りもないって・・・結構落ち着かないものなんだなぁとしみじみ実感しているのですよ。常に襲撃に備えていたので、しょうがないっちゃしょうがない。
勿論これが普通であり当たり前のことなのはわかっている。普通の審神者さんは自分で刀を持って戦うことはないし、そもそも武器など握ったこともない人がほとんどだと聞く。元々警官だの自衛官だのでない限り、武器、といえる武器を持つことは今後の人生においてもそうそう無いだろう。
本丸は基本的に平和だし、まぁこの本丸はちょっと色々あれだが、セキュリティもしっかりしてる方なので安全なのだ。だから別に手元になくってもいいといえばいい。いいのだが、・・・日中はまだいいんだけど、夜とか風呂場とかの無防備になる瞬間がねぇ、すごく心許ないんだよねぇぇぇぇぇ・・・!!
だが彼らは最早肉体を持った付喪神。肉体を持っている以上人間よりは融通が利くとは言え肉体の休息が必要ではあるだろう。しかも折角人型になることができたというのに「刀になって」とはちょっとこう、アレなのかな?と思ったり思わなかったり・・・。
そんな不安からか、どうだろう?と上目使いに今剣を見つめると、今剣はゆるゆると口角を持ち上げ、華やぐようにうっとりとした微笑みを浮かべた。その顔に嫌味はなく、ただただ優しげに、あるいは誇らしげに細くしなった双眸がとろりと蕩ける。
「このいまのつるぎ、あるじさまのゆめじのともをまかせていただけるとは、こうえいのいたりにございます」
「大袈裟だよ、今剣」
「そんなことありませんよ!ふふ、あるじさま。ぼくにおまかせください。あるじさまのゆめじはぼくがおまもりしますね!」
そういって、今剣は頬を紅潮させて嬉しさが隠し切れない、とばかりの様子で桜吹雪をぶわぁぶわぁ、と吹雪かせた。いや、桜すごいわ・・・。ちょっと床が埋まりそうなぐらいに吹雪く誉れ桜に、そろそろ八つ時ですよ、と声をかけにきた堀川さんがあぁまたか、という顔をしたのがなんだか妙に瞼にこびりついて離れそうもなかった。
またかって思われるほどこれ、日常茶飯事なんだよなぁ・・・ついでにいうと、またかという顔をした堀川さんも大概なのだが、まぁ、あえて口にはするまい。
まぁしかし審神者と一緒に寝るとか、相手もゆっくり休めないだろうしなぁ。刀だけならまだしも、すでに肉体を持って顕現しているのでそこら辺りの感覚がいまいちわからないんだよね。要するに夜中までお仕事させてるわけだし、それじゃやっぱり疲れるだろうし。寝れていないわけではないので、とりあえず一時、安心感が欲しいだけなのである。眠りが浅いともいうが。しょうがないよね、うん。
ないしょね、と言われた今剣は、にっこりと笑って勿論です、と頷いてくれた。その笑顔があまりに輝いているので、とりあえず今剣に不満はなさそうだな、と思っておく。堀川さんがなんの話ですか?と聞いてきたが、ないしょなので、2人で口元に人差し指をあて、ないしょ、と微笑み付きで言い返しておいた、ら、突然堀川さんがんぐぅ、と胸元を抑えて下唇を噛み締めたのだが、どうした。おいどうした。
「・・・いえっなんでもありません・・・っ」
「そ、そう?えっと、おやつだっけ?」
いきなり心臓発作でも起きたのかと思ったが、堀川さんは僅かに頬を紅潮させたまま爽やかな笑顔を浮かべたので大丈夫なのかな?と思いつつ、お呼ばれした内容を思い出して、よっこらしょ、と立ち上がった。これが大概いつものことである。この子達私に対するハードルが色々と低すぎる気がする・・・刀剣男士ってこんなちょろくていいのだろうか?大概人間よりいい見目してる癖に十把一絡げの人間相手に盲目すぎるよー。
「ほら、2人とも行くよ」
「はぁい!」
「はい」
数歩進んでついてきていない2人を振り返れば、にっこり満面の笑顔が向けられる。うちの子たち、ほんといっつも笑顔だなぁ、と私もなんだか微笑みが零れた。
※
その夜、寝る頃になって短刀の隠蔽スキルをフル活用で忍んできた今剣の顕現を解き、一振りの刀の姿に戻った今剣を手に取ってするすると鞘越しに刀身を撫でる。見慣れた姿に柄を握りしめるとしっくりと馴染んで、あぁそうそうこれこれ、と思いながらほっと息を吐いて布団の中に潜り込んだ。いつもしていたように今剣を胸元に抱き抱え、横向きになって瞼を閉じる。ほんのりと今剣を暖かく感じるのは、今剣自身が今この中に入っているからだろうか。うぅん、やっぱり寝るときは短刀が一番寝やすいよな・・・。
歌仙さんとかだとちょっと大きいから、横になるよりも座って寝てた方が動きやすかったりしたし・・・。まぁその彼は今隣の部屋にいるわけなのだが。
横に歌仙さん(人)と手元に今剣(刀)という布陣。そして本丸には私の強い味方の刀剣たち。完璧じゃない?確かな重みと慣れた感触にとろとろと意識を落としながら、これなら何がきても安心だねぇ、とふふ、と笑みを零した。桜がはらはらと舞ったが、明日の朝には消えているだろうから問題はないだろう。あぁ、今日はきっと安心して眠れる。
うっとりと刀に擦り寄って、偶になら刀抱えて寝てもいいよね、と意識を夢に連れて行った。最近稀に見る安眠具合に、味を占めるのはしょうがないと思うんだ・・・。でも毎日じゃないよ!毎日はさすがに悪いから偶にね、お願いするだけで。今剣は毎日でも構いませんよ!!って言ってくれるけど、さすがに申し訳ないので。
しかし、よもや、この添い寝(刀バージョン)があんな騒動を巻き起こすことになろうとは、さすがの私も全然思いもつかなかった、とは・・・言い訳になるだろうか?
「主君の夢路の共ならば、この前田とて立派に務めてみせます!!!」
「今剣ばっかりずりぃぞ!!俺だって今剣に負けないぐらい主さんを守ってやれるぜ!」
「僕は確かに復讐の刀だけど、あなたの夢の共には相応しくない?・・・僕だって、あなたを守ってみせるよ」
今剣との件がばれた瞬間、怒涛の勢いで猛アピール合戦が始まり、それが本丸中に飛び火するなんて、考えたこともなかったのである。
あ、でもとりあえず太刀は夜戦に不向きなのでご遠慮願います。