芸能事務所の社畜から政府の社畜になりました。
軽く握った拳でコンコン、と軽く二度ほど重圧な木製の扉をノックする。静かにしていなければきっと聞こえないだろうな、というぐらいあまり大きくはない音が届いたことを確認できたのは「ハイッテマース」とかいうふざけた調子の返事が返ってきてからだ。
入ってますって、ここはトイレか。内心で突っ込みながらガチャリと音をたててノブを回し、失礼します、と一声かけながら扉の隙間から中へと体をすべり込ませれば、正面に構える大きなデスクと革張りの立派な椅子に座った社長の姿が目に入る。
さっきの軽い調子とは裏腹に、デスクの上に両肘をついて組んだ手で口元を隠している姿はまさに大会社の社長といった風情で、そうしていればまともそうなのになぁ、と思わず目を細めた。まぁしかし先ほどのふざけた調子を聞いていればいきなりどういうスタンスなんだこれ、と思うばかりだが、まぁあえて言及はすまい。
偶にはこの人だって真面目なフリの一つぐらいしてみたくなる時もあるだろう。
こちらとしてはさくさく仕事が進めばそれに越したことはないので、私は手に持っていた報告書や企画書、稟議書などの諸々の書類を社長に手渡すために近寄った。
「社長、こちらが先日の報告書と、次のイベントの企画書です。あと機材購入の稟議書と要望書がこちらになります。目を通して判をお願いします」
「んーんーんー今日もたっくさんデースネー。ミナサン本当に頑張り屋サン!」
言いながら受け取った書類をバラバラバラ、と捲りあげて、早乙女社長はニッカリと白い歯を見せて流れるような動作で、ほぼ目にも止まらぬといってもいい速度で判を押していく。ポポポーン、と実にリズミカルで小気味よい音が響くと、普段もこれぐらい素直に受け取って仕事やってくれたらなぁ、と思わずにはいられなかった。仕事をやるにはやるのだが、なんというか、渡すまでが一苦労というか。なにせそれを渡す前に何かしらやらかすことが多いしどっかに出ていることも多いし・・・あれこれ事務仕事から逃げてるのか?一つ所に中々留まってくれないのが問題なんだよなぁ。あと仕事増やしてくれるのが面倒なんだよなぁ、と思いながら片付いていく書類にはまぁとりあえずこれで今日の仕事は終わりだな、なんて考えていると不意に視界に、奇妙なものを見つけて小首を傾げた。
「あれ、社長。随分と可愛らしいぬいぐるみ置いてますね」
この社長のデスクの上に置くには不釣り合いな、ふんわりとした白面に隈取を施したデフォルメをされた狐の人形。人形というよりもぬいぐるみというニュアンスの方が近いかもしれない。尻尾や胴体の方が金色がかっているので、これが所謂金毛白面か、と思いつつそのデザイン的に何かアニメやゲームのマスコット的な印象を受ける。
はて、早乙女社長の趣味ではなさそうだが、何故こんなものがここに?どこぞの会社のイベントついでに貰ったものなのだろうか。そう思いながらマジマジと狐のぬいぐるみを見つめて、うん?と思わず眉を寄せる。
「社長、このぬいぐるみ・・・」
「素晴らしい!このこんのすけめが見えるのですね!」
覚えた違和感に、不信感を覚えたまま視線を逸らしつつ早乙女社長に問いかけを投げかけた瞬間、近くから弾んだ声が聞こえて、びたり、と動きを止めた。
少し高めのやっぱりマスコットっぽい声がこれで幾人目か!ようやく会えましたぞ!などとテンションをあげながら聞こえてくるのに、一気に背筋が寒くなるのを感じながら強張った顔で早乙女社長を見やり、そこに見えたものに目を丸くした。
「社長・・・?」
「サーンはーとってもとっても、とーーーーーっても、間が悪いデース・・・」
そこにあるのは、いつもの愉快犯のごとく笑みを浮かべた早乙女社長ではなく、酷く苦々しく、顔を顰めて渋面を作る社長の顔で、その声すらも軽い言いぐさながら苦みを帯びていた。あまりにもらしくない態度に、喋る不審物よりもそちらの方に思わず注目してしまったが、ふわりと視界の下の方で金色の尾が揺れたのでそちらに視線を落とす。
そうすると、案の定、先ほどまでデスクの端でお座りポーズをしていたはずの狐のぬいぐるみが、四足歩行でとことことと私と社長の間を遮るように割って入ってきたので、あぁ、やっぱり普通の人形ではなかったなぁ、と思わず目を細めた。
人形の割にはやけに毛艶がリアルだったし、何より存在感が違ったのだ。そこにある物質というよりも、もっとこう、ふわっと曖昧で質量のないもののような・・・ともあれ、私は自分が軽く地雷を踏み抜いたことを察して、ひくり、と口角を引き攣らせた。
「もうここにはいないものかと思いましたが、いやぁよかった!ではでは早乙女殿、お話した通り、このお方の身柄は我々が預かりまする!」
一週間ほど粘った甲斐がありましたぞ!とふりふり尻尾を振りながら上機嫌の狐のぬいぐるみ・・・最早もどきと言うしかないその謎物体(ロボットという路線も無理そうだ)の発言に、私は首を傾げることしかできない。なにせ狐の言ってることもこれがなんなのかの事情もよく呑み込めていないのだ。とりあえずわが身に降りかかることがかなりよくないことのような気はひしひしと感じていて、答えを求めるように縋る目でむっつりと黙り込んでしまっている・・・それこそこんな出来事に率先して飛び込んでいきそうな、むしろ仕込む側ではないのかと問いただしたい早乙女社長を見やれば、彼はやっぱり顔を顰めて、深く溜息を吐いた。あぁ、なんてらしくない。溜息を吐く社長なんて超レア、なんて余裕があったのは、彼らの口から語られる内容を聞き取るまでであったことなど、その時の私は考えもせず。
いや、おおよそ物凄く厄介なことに巻き込まれ始めてるんだろうなぁ、という予感が渦巻いていたことは理解はしていたのだけれど。
なにせ、普段やらかす人が不本意とばかりにノリ気じゃないし、それとは対照的に狐だけはテンション高いし。なんだろう。今回ばかりは、いつものベクトルとは違うものだと、思わずにはいられなかった。