芸能事務所の社畜から政府の社畜になりました。
「あぁ、そうそう様。事情をお話する前に、どうぞこちらをお飲みくださいませ」
そう言って差し出された丸薬に首を傾げつつ、笑いながら「此度の任務に必要故」と言われてしまっては、断ることはできない。なんの薬なのかと問うても、とりあえずお飲みくださいとしか言わない辺り物凄く不安だが。ぶっちゃけ効能不明の薬、というか飲食物など決して口にしたくはないのだが、多分飲まないと話が進まないのだろうな、と思う。知らぬ内に一服盛られるのもなんだか怖いので、訝りながらも、まぁさすがに毒とかではないだろうと信じて水を用意して黒い丸薬を口に含んだ。
まぁ、おおよそ説明のない薬なんぞ決して良いものではないのだろうが、死にさえしなければこの際それらは無視しよう。悪びれもしない狐に、私が腹の内で諦めてることなんて知りもしないのだろうなぁ、と(覚悟もなしにこんな怪しげなブツを飲み込む阿呆などそうそういないっての)目を眇めながらコップの水を口に含む。
ほんのり漢方のような独特の苦みと香りが口の中から鼻に抜けて行ったが、喉元を通り過ぎればなんてことはない。ごくり、と喉を鳴らして、胃の中に丸薬を落としこんでから、私は狐の事情説明とやらに耳を傾けた。
※
しゃなり。衣擦れの音が鼓膜を掠め、踏みしめる草の感触が柔らかく靴底を跳ね返す。見上げれば、静かに佇む赤鳥居が聳えたっており、何時の間に学園の敷地内にこんなものができたんだろうなぁ、と感嘆の息を零した。
「一週間ほど前に、こちらに来た際の通用門として作りまして。何、用が済めば消えます故気になさらずともよろしいかと」
わぁ、なにその不思議仕様。未来の技術ってすごいね!さも普通のことです、と言わんばかりにさらっと告げられて、空笑いしか浮かばない。この口ぶりから察するに、この赤鳥居も多分一夜の内に忽然と現れたのだろう。学園の未踏の森でよかったな。でなければ大騒ぎになっていたところだ。
ともすれば何年も前に建てられた鳥居かのように森の緑に馴染んだ赤鳥居ではあるが、限りなくこの場所、時代にとっては異物でしかないのだろう。
都内にあるにしてはあまりに広大な早乙女学園の、更に広い森の中だからこそ目立たないだけなのである。なにせここは早乙女学園。シャイニング早乙女の御膝元。ぶっちゃけ何が起きても「あぁ学園長が」の一言で終わる治外法権だ。
・・・正直、赤鳥居の出現自体にはさほど驚きはない。あの人なら普通に一晩ぐらいでこんなもの出現させそうだし。すごいと思うのは、明らかに赤鳥居の向こう側の空間がねじ曲がっているような違和感を感じるからだ。あぁなるほどゲートですねわかります。
向こう側がこんのすけが言っていた「本丸」とかいう基地なのだろう。昨日の話曰く、本丸は時間と時間の狭間、異空間とも呼べる場所に存在するのだという。
なんでそんなけったいな場所に本陣を構えるかというと、審神者の安全を守るためなんだとか。そこは異空間であるが故、限られた者しか踏み入ることができない。審神者の心一つで出入りが決まるため、敵が入り込むことはまず不可能だという話だ。そう思えば結構安全管理がしっかりしてるんだなぁ、と少しほっとした。
まぁ後の理由でいえばどう足掻いても人の身である審神者は過去に飛べないので、未来から命令を出したりするよりもよほど効率的なのだとか。あと異空間なだけあって色々融通が利くので、大所帯にも対応できるだとか。まぁ、利便性も兼ねてといったところだろう。未来の科学力は時間こそ跳べないものの、その一歩手前まではどうにかできるまでの力を得ているのか。本当、半端ねぇな。
そしてそんな、ある意味で絶対安全な城であり、裏を返せば逃げ道を閉ざした檻のような場所に続く赤鳥居を眺め、あそこをくぐったらマジで逃げられないんだなぁ、と肩を落とした。決まったこととはいえ、うだうだと後ろ髪を引かれる思いである。
「ささ、本丸に行きましょうぞ。そこで刀剣が待っております故」
「・・・その前に、一ついいですか?」
「はい?なんでございましょう?」
「私が幼児化させられた理由、全然聞いてないんですけど」
言いながら、神社でよく見かける白衣と緋袴に着替えさせられた自分の体を見下ろし、白い小袖から覗くふくふくと短い手指を眺めて、足元の狐をねめつけた。
緋袴を少し捲れば、白足袋に包まれたやはり小さな足と、子供特有の関節の差異の少ない肉付きのいい足が見える。胸部に手をあてれば、元々そんな大きいわけではなかったが、それでもまぁ、それなりにあったはずのそれもすとんと消えていて、ちょっとした空しさを覚えたのは久しぶりだ。いや、生まれ直したときはそんなものだと気にもしないが、元々の体からこのサイズにされると、非常に心情的には複雑ですよ。
「これから一応、戦いに行くのに、なんでわざわざ子供にするんですか。というか子供になる薬ってなんですか。未来ではこれが当たり前なんですか?!」
「様が飲んだ薬は元は細胞の若返りが目的の、ちゃんとした医療目的の薬です。細胞の若返りと主に活性化を狙い、尚且つ細胞が生まれ直すことで再生医療の発展にも貢献しているという素晴らしい薬なのですよ。きちんと臨床実験等は済ませて害はないと判断されておりますのでご心配なく。実用化もしておりますし」
「そういう問題じゃないですよね?いやすごいですけどね?素晴らしい研究ですけどね?な・ん・で!子供になる必要があったのかということと、そういう効能だという説明がなかったかについて私は聞きたいのであって・・・」
別にこの際薬の効果とか某頭脳は大人、体は子供な名探偵かよ!とか突っ込みどころが満載なところは置いといて、どうしてそんな奇行を行わなくてはならなかったのかが気になるわけで!情報開示してよ本当!!
外見相応に地団駄でも踏んでやろうか、と座った目でこんのすけ睨みつけるものの、こんのすけは「此度の件では必要な処置でしたので」としか答えない。曖昧すぎる!もっとはっきりとした理由を言え理由を!なんでそんなに濁してんの本当。絶対裏があるだろ!この胡散臭い狐もどきめぇっ。
ぎゅっと袖の下で拳を握りしめて、そのもふもふの毛を毟り取ってやりたい、と思いながらも実行に移すこともなく、私は諸々をぐっと口を引き結ぶことで押し込めると、それから深い深い溜息を吐き出した。
「・・・もう、いいです。本丸についたら説明してください」
「心得まして。では、参ります」
どうにもこんのすけはこの場での説明をあまり良く思っていないらしい。いや、こんのすけがというよりも、時の政府が、だろうか。ともあれ、多分行かないと話が進まない程度には頑固そうなので、こちらが折れることで話を進めることにした。
向こうにつけばもうちょっとこう、深いところまで説明してくれるだろう多分。いやきっと。そもそも、審神者だとか歴史修正主義者だとかの説明は事細かかったくせに、本題についてはなんだか表面だけを滑るような説明だったのだ。
そう、まるでこれ話しちゃうとこいつ絶対依頼受けねぇよな、とばかりの濁しっぷりだったのだ。臭いものには蓋をせよ、ではないが、なんかそんな思惑が透けて見えそうなぐらいには胡散臭かった。
「絶対なんかあるよなぁ、これ」
そう半ば確信しながらも、こんのすけが私の呟きにちら、とこちらを見上げてきたのを横目で見返して、半目でねめつけた。
「逃げないでくださいね」
「このこんのすけ、説明責任は果たしまする」
今言わない奴が堂々と言う台詞じゃないよねそれ!白々しい台詞にこの狐め、と罵ったが、実際狐なのでなんの罵りにもなっていなかった。狸め、といった方がよかったかな。
溜息を吐きながら、とことこと足元もなく草の上を行く狐の後ろについていき、見た目だけ見慣れた赤鳥居の下を、ゆっくりと潜り抜ける。見える向こう側は決して異空間ではなかったのに、足先が門を越えた瞬間、ぐにゃり、と何かが歪んだのがわかった。
あ、気持ち悪い。そう判じた瞬間、全身を何か膜が覆ったかのような、例えるならシャボン玉の膜に突撃したかのような、薄皮一枚隔てたそれを突き抜けた感覚が全身を覆った。そうして歪む何か。一瞬足元から崩れていくような、穴がぽっかりと口を開けたような、地から離れた足元は、けれどもう一歩踏み出せばまた地面を踏みしめる。
その瞬間あぁ越えたのだな、と思うと、視界は一つ瞬きする間に早変わりを果たしていた。鳥居の向こう側に見えていたのはただの森の緑だったはずなのに、今の目の前にあるのは広い敷地に中にぽつんとある純和風の武家屋敷だ。しかもかなり大きい。こりゃ大地主の家だなと思うぐらい大きな屋敷を見上げ・・・る前に、酸っぱいものが込み上げるような不快感に思わず口元を手で覆った。おいおいおいおい・・・!
「ささ、様。刀剣の元に・・・様?」
立ち止まり、顔を真っ青にする私に気が付いたのか意気揚々と進もうとしたこんのすけが振り返り、心配そうな声をあげる。いかがされたのですか?と足元に寄って、そっと前足をぺたりと足にくっつけてきたこんのすけを見下ろすように俯いて、必死に込み上げてくるものを押し殺しながら、なんだここ、とうえ、と餌付いた。
「み、水・・・っ」
「水?水でございますか!?しょ、少々お待ちを!」
「あと塩」
「塩!?了解にございます!」
言いながら、その場に蹲って抱え込んだ膝に顔を埋める。血相を変えて屋敷へと駆け込んでいくこんのすけを見送る気力もないまま、ガンガンと痛みまで訴え始めた頭を抱え込んだ。
気持ち悪い気持ち悪いなんだここやばいこれちょっとまずいありえないこれが本丸?審神者の本拠地?付喪神がおわす地だと?―――冗談だろう、こんな場所が?
押し寄せる負の感情。気配。どろどろと濁った空気が肺の中まで入りこんで内側から腐らせていくようだ。溜まりに溜まった歪んだ土地の気脈。乱れて犯されて惑って嘆く。
穢れに満ちた土地。陰の気が、行き場所もなく滞って溜まりきった淀みのような空間に、これ耐えられないかも、と一瞬遠のきそうになる意識を必死に手繰り寄せて踏ん張った。ここで気絶したら私多分やってけない。つーか、本当にどうしたんだこの屋敷の、この土地の有様は!!!
うえっと餌付きながら、どくどくと忙しなく動く心臓の音が耳の奥で鳴り響く。血潮の巡る音も嫌に大きく聞こえるほど、今の私の体は熱くて寒い。
ぞくぞくぞく、と背筋を駆ける悪寒に眉を寄せながら、付喪神って、と必死に意識を逸らそうと頭を回した。
付喪神って、確か広くは妖怪と同義とみなされあまりよくないものと思われているが、陰気が凝ってできる邪まなものとは、若干その性質は異なる。
そもそも、媒体があるのだ。長く年月・・・九十九を経たものに神霊や霊魂が宿り意識を為すそれらは、いわばその物に籠った存在によって善と悪を為すものだ。八百万という言葉があるように、付喪神もまたその内の一つと数えてもいい。
宿った物が陰気であればそれは妖怪となり万物に仇為すものとなり、逆にそこに陽気が宿れば神聖なるものとして加護と守護をもたらす。
まぁ、大半こんのすけの話を聞いてネット検索して得た知識に独自解釈と経験を踏まえてこういうものかなって憶測を立てたにすぎないので実際とは異なれど、当たらずとも遠からずだと思っている。
何より今回、いや政府が推進しているのは「刀剣」の付喪神だ。見方を変えれば多くの血を浴び肉を断ち命を屠ってきた道具ではあるが、そのもの自体はひどく神聖視されるものが多い。命を絶つ物騒なものであると同時に、人は刃物を敬い崇めてきた。
刃は邪気を切り祓う。神の武器ともなるそれらに宿る者が、悪しきものであることは極まれだろう。そりゃよっぽどなんかやべぇもん吸い尽くした剣ならともかくとして。
そんな、神の一部といってもいいものを降ろす場所が、これほどに穢れることがあるというのだろうか?むしろ何をしたらこうなるの?
こんなところで神降ろしなんぞやったら反転して襲い掛かってくるぞ。ていうか降ろせないだろうけども。きっと神聖な場所なんだろうなぁ、という予想を大いに裏切る「有りえない」状態にすでにギブアップしそう、と死んだ目をしていると、屋敷から金色のふさふさしたものが弾丸のように飛び出してきたので、私はのろのろと顔をあげた。
「様、水と塩でございます!!」
「あり、がと・・・」
そういって口に咥えた「伯○の塩」と「ペットボトル」に予想外に現代風だな!と思いつつ震える手で受け取り、ペットボトルの蓋をきゅっと捻って開ける。それから一口口に含み、ゆっくりと嚥下しながら、自分の周囲に水を撒いた。瞬間、淀みが途切れて呼吸が楽になる。思わずふうぅぅ、と深く息を吐いて、続いて使いかけの塩の袋に手を突っ込んで、適当にばさばさと周囲に撒いた。じゅわっと、黒い淀みが音をたてて蒸発するかのように霧散していく様が見えて、なんとかなるもんだなぁ、と思った。
あ、どうせならお酒持ってきてもらえばよかった。お神酒の方が利いたかも、と思いつつ私、日々霊能力的なものが鍛えられてる、と泣きそうになる。
別に陰陽術やらを修行したわけでもないのだが、最低限防衛としてこうすればいいよーと教えてくれた景時さんマジリスペクト。ありがとう。あなたの簡易結界術、世界を隔てたところですげぇ活用しています。・・・うん。ありがたいけど微妙な心境。
そうして粗方自分の周りを清めてから、体力を使い果たしたかのようにぐったりと両手で地面について、一体どうされたのですか、と周りをふんふん鼻を鳴らしながらくるくると廻るこんのすけに、この数分で確実に疲労の溜まった顔つきで問いかけた。
「こんのすけ」
「はい」
「ここで、一体何があったんですか?」
今度は話を濁させない。その決意で、静かに重く、少しばかり低くなった幼子の声が狐を縛る。見据える先の子狐の、面によく似た表が動揺も露わに堅く強張った。
小さな体に震えが走ると、ピンと張りつめた空気を逆撫でるように、そよ風が頬を撫でていった。