芸能事務所の社畜から政府の社畜になりました。



 紅の鞘に柄の黒。全長でいえば約70センチ近くはあるだろうか。
 恭しく刀台の上に据え置かれた刀を見下ろし、一度意識的に瞬きをすると、小さく息を吐き出した。
 それからそっと指先を伸ばし、触れるか触れないかという位置で軽く鞘に指を滑らせる。一度、二度。撫でるように触れてからパッと手をひっこめると、今か今かと待っているこんのすけを振り返った。

「ごめん、これすぐには無理だわ」
「なんと!?」

 何故でございますか!?場の清めは終わりましたでしょう、と詰め寄るこんのすけをまぁまぁと宥めつつ、ちら、と後ろの刀を見やって、眉を下げた。
 ひょいっと騒ぐ狐を抱き上げて、そのもふ毛を撫でつけるように掌を滑らせる。そうするとちょっと黙るから、多分気持ちいいのだろうな、なんて思いつつ、うーん、と一声唸り声をあげてみる。

「あれだね。うん。思った以上に根が深いってことだよ」
「はぁ?」

 意味が掴めなかったのか、わかっていても理解が及ばないのか。怪訝な子狐の頭にぽふっと掌を置いて視線を遮り、さもありなん、と小さく呟く。
 そりゃまぁ、又聞きをするにも結構な大惨事。誰も彼をも大なり小なり傷ついていて。
 目覚めたくないと拒絶するものを、どうして無理矢理起こせようか。
 付喪神様のトラウマは、やっぱりかなり根が深かった模様です。





 とりあえずこればかりは時間をかけるしかない。早く刀剣男士を、と急くこんのすけを説き伏せて、というよりもほぼ無視をして、私は彼を起こすことを止めた。
 なんと悠長な、と言われても、応える気のない者を起こすのは大層骨が折れる作業だし、嫌がる相手に無理を強いるのは好むところではない。拒絶するならその意思を尊重したいのだ。何分、わが身も大概どうしようもない目にあってきたので、出来うる限りの意思の選択は優先したい。それがなんであれ、だ。いやさすがに世界滅亡とか人類大虐殺とかちょっと待てぇいというような意思は優先しないけども。
 さておき、特に今回は神の位に位置する付喪神である。どうも政府側はそこのところをいまいち理解していないようだが、彼らは無理に使役できるものではなく、ほぼ彼らの善意と好意によって成り立っている関係だということを理解していただきたい。ここ重要ね。テストに出るから。
 この時代のこの審神者が付喪神を従えることができるのは、特に彼らが刀という人の手で生み出され人の手で振るわれることを好む性質だからだ。更に言えば、刀なんてもの最早振るってくれる人間が未来にいるはずもない。嗜む程度はあれども本気の本気で「刀」を扱う人間がいるだろうか?答えは否。彼ら長い時間、真の意味で使われることなく生き続けてきたのだ。そんな彼らが、今回、その本来の意味の使用を求められ人に請われているのだ。
 そりゃもう喜び勇んでやってくるだろうよ。元々人に好意を持ちやすい性質だから、審神者の声に応えて権現し、その力を貸しているのだ。誰だって好いたものからのお願いなら叶えたいと思うものだ。言うなれば神様の好意を利用して人間は力を振るっているに過ぎず、彼らが拒めばそれを扱うことなど叶わない。牙を剥かれたら一貫の終わりということをわかっていないのだろうなぁ。無理矢理言うことをきかせるって、そんなことマジでできると思ってんのかね、政府は。
 まぁ、呼び出した刀剣男士が基本的に審神者に絶対服従の姿勢を取っていることがその風潮を増長させているのだろうが。これはあれだな、刀の性質というか主従の根が強いんだろうな。神様としての一面よりも刀としての面が強く出ているせいで、人に逆らい切れないんだろう。これで神側の本質を表に出されたら、軽く一面血の海である。うん。怖い。
 そんなわけで、目覚めたくない、人に関わりたくない、と悲しみと失望を抱えた付喪神を、無理に起こすなんて罰当たりなことをできるわけもなく。
 ついでにそれを起こしても私の胃痛の種になりそうなので、もうちょい緩和されてから試みたいと考えているのだ。
 幸い、現状はそこまで切羽詰ってはないようだし(他にも審神者はいるし)、そもそも私の役目は歴史修正主義者と戦うことよりもこの本丸の復活と刀剣男士の維持である。
 次の審神者に渡すまでの中継ぎなので、無理にやる必要もないんだよねぇ。
 というわけで、現在私はのんびりと本丸の気脈を整えたり(そんな短時間で元に戻るほど簡単なものじゃない)、家事をしたり畑仕事をしたりしながら、刀との一方的なコミュニケーションを図っているところである。とりあえず誰か心理カウンセラーの人呼んできて。
 今日も今日とて、朝から屋敷の掃除をして畑の水やりや草取りを行い、洗濯物を干してご飯を作り、お浄め作業を行いがてら本丸を散歩して気脈の流れを確認して偶に作曲作業をして、と実に充実した日常を過ごしている。
 場所が異空間なのと人がいないだけで結構のんびりとした生活してんな私。本丸も日に日に本来の清浄な気に戻りつつあるので、ここにきてそろそろ二週間程度になるが、そこそこ居心地のいい空間にはなってきたと思う。話し相手が子狐一匹というのが寂しいところだが。私このまま引きこもりになるんじゃないかな・・・。
 そんな今は、傍らに刀・・・こんのすけ曰く、「加州清光」という新撰組の沖田総司の愛刀だったと言われるそれを置いて、縁側でお茶をしばいているところだ。
 お茶のお供は自作の饅頭である。蒸かし饅頭と並べて刀を置いている姿はシュールだが、気にしたら負けである。

「いい天気だねぇ。日向ぼっこには最適だよ」

 完全なる独り言状態だが、とりあえずこれでも会話しているつもりなのだ。ただ相手が一切答えない刀だというだけで。今日はこんのすけも未来に帰っているので、本格的にぼっちなわけだが気にしたら(以下略)。
 ずず、と熱い緑茶を啜り、饅頭を手に取ってはむり、と頬張る。蒸かした柔らかい生地とまだ少し温かい餡の甘みが緑茶の渋みと合わさって絶妙に上手い。自画自賛だが美味しい。あ、これ上手くできたわ、とほくほくとしながら、傍らの刀を撫でた。

「今日はね、畑で大根が取れたから煮物をしようと思ってね。冷蔵庫にブリもあるし、ブリ大根なんかいいよね。あとお味噌汁にも大根いれて、ニンジンと玉ねぎとじゃがいもなんかもいれて、ちょっと具だくさんにしたいねぇ。加州さんはどんな具材があったら嬉しいかな。私はサトイモなんか入ってるとちょっとテンションあがるんだよねぇ」

 でもそれだと豚汁とかのほうがいいかな。豆腐やわかめも美味しいんだけどねー。
 晩御飯の献立を語りつつ、そういえば今日はこんなことがあった、昨日の夜こうだった、変な夢を見ただとか、そんな他愛もない雑談ばかりを語りかける。
 ・・・いやもう、完全に寂しい人になっちゃってるが、これ独り言が癖にならなければいいと思う。人がいてもぶつぶつぼやく人になったら変な目で見られるよなぁ。
 先の心配をしつつ、湯呑みを茶卓に置いて、おしぼりで手を軽くふき取ってから、よっこいせ、と加州さんを手に取り持ち上げる。うん。重い。この重み、懐かしいわぁ、と思いながら膝の上に乗せて、柄に手をかけ、ゆっくりと鞘から半分ほど引き抜いた。すらりと反りの入った綺麗な刀身に自分の顔を映して、本当は、と小さくぼやく。

「ちゃんと刀として、扱ってくれる人がいたらいいのにねぇ」

 付喪神なんて形じゃなくて、ちゃんと刀として、こうやって柄を握って、鞘から出して、そうして使われるのが、一番正しい扱い方なのにね。
 歪な使い方しかしてやれない。そうとしか使ってあげられない。人のエゴばかりを押し付けて、結果傷つける。どうせ傷つくなら、もっとましな使い方をすればいいのに。

「このままこうしてる方が、幸せなんだろうね」

 まぁ、切れないのはつまらないかもしれないけど?最後に少しだけ笑い含みに茶化してみせて、カチン、と音をたてて刀身を鞘に納める。そして脇に置いたところで、タタタ、と軽い足音が聞こえたので視線をそちらに向けた。

様、こんなところにいらっしゃったのですか」
「おかえり、こんのすけ。お饅頭食べる?」
「全く。そんなのんきな・・・上からどれだけせっつかれてると思っているのですか」
「あはは、やっぱりお小言だったか」
「わかっておいでなら、もう少し急いでくださりませ!こんのすけも耳が痛とうございます」

 そういって、ぺたりと耳を伏せて渋面を作ったこんのすけに、器用だなぁと思いながら、一つ残しておいた饅頭を目前に置いた。

「まぁ、食べなさいな」
「誤魔化そうとして!」

 もう!とぷりぷりと怒りながら、それでも饅頭を頬張りだすこんのすけに、式も餌付けってできるんだな、と感心しながら、ぶらり、と縁側から降ろしている足を揺らした。
 後ろに両手をついて、体重をかけて少し背中を反りながら青く澄んだ空を見上げる。
 瞼を閉じれば、太陽に透かされた赤い瞼の裏が見える。耳をすませば風の音。ざわめく植木の葉が擦れあう音が鼓膜を震わせ、しばらくの後、目を開ける。

「顔、まだ見れないか」

 薄い陽炎のその先で。朧に見えるその背中。振り向くことは、ただの一度もなかった。