怪我をするにも程がある
目が覚めたら体中包帯塗れで横に号泣する父親がいてその理由も原因もわかりすぎるほどにわかっているからどう言葉をかけていいか迷っている転生者ですこんにちは。
・・・いや、こんな気軽な自己紹介をしている場合ではない。大の大人が人目も憚らず鼻水を垂らす勢いで号泣しているのだ。その内過呼吸になるんじゃ、と不安を覚えるぐらいには私の手を握っておいおいと泣く父はどれほど生きた心地がしなかっただろう。
心配と安堵と安心と不安と恐怖と怒りと、色んな感情をごっちゃごちゃに混ぜたのにちっとも混ざらなくてマーブル模様のまま調和もしない情緒不安定な状態とはこういうことを言うのかもしれない。人間の心って複雑怪奇だよね。どんな高名な心理学者であろうと解明することができないもっとも不思議なミステリーである。とりあえず心配をかけまくった娘ができることはひたすらに父親の手を握り返して父親の支離滅裂な言葉に返事を返すことである。
でもとりあえずお医者様呼ばなくていいのかな?患者が目が覚めたら呼ぶものなんじゃないのかな?そう思うけど明らかにそれどころじゃない父親に冷静に指摘するのはなんだかちょっと気が引けて、どうしようもないまま過ごすこと数分。コンコン、という軽いノック音と共に返事をする間もなく開いたドアから現れたのはサングラスをした若い男性だった。
白衣ではなくスーツを着ているので、病院関係者ではないようだが・・・一体誰だろう?しかしこれでようやく泣く父親から解放される、と薄情ながらもほっとした私は、おんおんと泣く父親に一瞬ぎょっとしたのか立ち止まったお兄さんに苦笑を浮かべる。ビビるよね、部屋に入ったらまさかの成人男性大号泣とか。だがその後、目があった私をみて状況を理解したのか、お兄さんは足早にこちらに近寄ると泣く父親の肩にぽんと手を置いた。
「娘さん、目が覚めたんですね」
「ひぐぅっ・・・うぐ、ごほっ・・・君は・・・」
「この少女に助けて貰った男の同僚です。医者は呼びましたか?まだなら俺が・・・」
「そうだ!医者!!君待っていてくれ、すぐに呼んでくるからね!!」
父親を落ち着かせる為だろうか、丁寧な口調で泣きすぎて咳き込む父親の背中を摩りつつ、ゆっくりと話しかけたお兄さんを切り捨てるかのように、父親はぐっちゃぐちゃの顔をあげて病室をすごい勢いで飛び出した。果たしてお兄さんを正しく認識していたのかも疑わしい。帰ってきたら「君は誰だ!?」ってなりそう。不審者扱いされたら庇わないと。置いて行かれたお兄さんの右手の所在がなんだか空しくなるぐらいに、置いてけぼり感が半端ない暴走具合に娘の一大事だったとはいえ、なんだか居た堪れなくて私はポカンとしているお兄さんからそっと視線を外した。
「なんか、すみません・・・」
「いや、それだけ君が大事だってことだろ。娘の一大事なんだ、心配するのは当然だ」
「そう言ってもらえると助かります・・・」
でもここにナースコールという文明の利器があるんだけどね?お父さんどこまでお医者様を呼びに行く気だろう、と遠い目をしながら私は改めて部屋に入ってきたお兄さんを見上げた。
癖のついた黒髪に、室内だというのにかけているサングラス。しかし見える鼻筋や口元、輪郭から想像するによほど目元が可笑しくなければイケメンと言える顔立ちをしていることに気づく。なんだこれフラグか?そう疑った私は経験上仕方ないが、そういえばお兄さんは「私が助けた男の同僚」と言っていた。私が助けた男っていうとどっちだ?助けてっていうか一緒に階段下に落ちて行っただけだけど・・あぁそうだそんなことより。
「お兄さん、愛ちゃん・・・私と一緒にいた子はどうなりましたか?」
「ん?あぁ、あの子なら大丈夫だ。幸いあの子に大きな怪我はねぇよ。安心しな」
ぶっちゃけ出会って数分の警官よりも幼馴染の身の安全の方が重要だ。あの状況だから無傷とはいかないにしても、大きな怪我をしていないことを切実に望む。
不安そうに瞳を揺らめかせて問いかけると、お兄さんはふっと口元を緩めて幼馴染の無事を告げる。そうか、大きな怪我はなかったか・・いやどの程度で大きな怪我になるかな?命に別状はないとかいう判断だったらそれはそれでちょっと。
「あの子はうまいこと部下が庇ったからな。せいぜいちょっとした火傷と打ち身程度で骨にも筋にも異常はねぇよ」
「そうですか・・・よかった」
火傷はあれかな。爆発のせいかな。まぁでも口ぶりからして本当に大した怪我ではなさそうだ。よかったよかった。彼女の方が肉体年齢は年上とはいえ、精神年齢で年上をいってる身としては幼い子供が将来に響くような怪我を負わなかったことは安心したの一言に尽きる。
トラウマに関しては今後カウンセリングを専門家に任せつつもこちらも鋭意努力していくとして、私は深く息を吐き出して少しばかり体から力を抜いた。いや本当、誘拐された上に爆弾事件とか、あの子の周り物騒すぎ。私がいなかったらあの子どうなってたのか・・あ、やだ。想像だけで胃がキリキリしてきた。アカン。せめて真っ当に自分の身が守れる程度には鍛えないとおちおち別行動もできない・・・。おばさんたちにお願いして護身術とサバイバル術学ばせよう。そうしよう。ついでに私も学び直そう。いくら前世アドヴァンテージがあっても知識は多いに越したことは無い。まさか現代でそんな技術を学び直そうと思う日がくるとは思わなかった。可笑しいな、平穏な一般人生活遠ざかってる?そんなことないよね??
「・・・お嬢ちゃんは友達思いだな」
「そうですか?普通のことじゃないですか?あ、今更ですけどこんな状態ですみません。起きたいんですけど、体が今動かせなくって」
体中が痛いというか動かそうとすると脳内で「駄目です・・・いまは動かしてはいけません・・・動かしてはいけないのです・・・」って危険信号が流れてくるから寝たままなんだ大目にみてくださいお兄さん。まぁ気にしてなさそうだけど。
そういって枕の上で首を傾げた私に、お兄さんは当然だな、と頷いてからくっと眉間に皺を寄せた。
「重症度で言えばあの中じゃお嬢ちゃんが一番なんだ。・・・悪かったな、守ってやれなくて」
そういって申し訳なさように語尾を弱めて、労わるように頭を撫でられて・・・撫でられて、というかこの人誰だ?きっと不審者ではないだろうと思って普通に会話していたが、名乗りもされていない状況にはたと気づいて思わずすっと目を細めた。まぁ会話から察するに警察関係者には違いないんだろうが・・・部下とか言ってたし。
「・・・ところで、お兄さんは誰ですか?警察の方で間違いないですか?」
「ん?あぁ、悪い。そうだな、警察だよ。松田っていうんだ」
言いながら警察手帳も一緒に見せて貰ったので納得して、ほっと息を吐いた。いや、私のところに来る不審者など早々いないだろうが、よくよく考えて病院内でサングラスしたスーツの男とか怪しいよね?イケメンだからって許されるものじゃないよね?知らない人だしね?
まぁ警察なら安心だなーと思っていると、お兄さんは本当は本人が言うのが筋なんだが、と一言わけのわからない前置きを口にした。そして表情を改めると背筋をピンと伸ばす。その雰囲気の代わりようになんぞ?とばかりに瞬きをするとゆっくりとお兄さんの頭が前倒しに傾き、くせ毛に隠れた旋毛が覗いた。・・・なんぞ?
「俺の友人を助けてくれて、ありがとう」
すごく、色々が籠った声だった、と思う。感謝と、安堵と、罪悪感と。なんかそういうのを混ぜ込んでそれでも言わずにはいられなかったというような。
きっとお兄さんがここにきたのはそれが言いたかったからなんだろうなぁとおのずと察せられて、よっぽどその友人さんが好きなんだなぁ、と私はほう、と感心の吐息を零した。
「大怪我してるお嬢ちゃんに言うことじゃないけどな・・・仕事場で防護服もきないような馬鹿な奴だけど、お嬢ちゃんには感謝しかねぇよ」
「偶々階段に落ちただけですよ?まぁでも、皆さん生きててよかったと思います」
下手したら階段から落ちてジ・エンドの可能性もあったわけだし。まぁ結果は私以外大した怪我もなく、ってところらしいが。仕方ないね。お兄さんの頭部だけは守らんとって思って抱え込んだからね。手足は多少折れようがどうしようが治るけど頭部への損傷は命に係わるからしょうがないね。私?お兄さんの頭を守りがてら背中を丸めてなんとか打たないように頑張りましたけど?まぁゴロゴロ転がったのでお兄さんと入れ替わりぶつけまくった感じ?あぁでも、そうだ。これだけは伝えておくべきだろうか。
「お兄さん、お兄さん」
「うん?なんだ?」
「あの長髪のチャラそうな?お兄さんなんですけどね」
「チャラ・・・あぁいや、そうだな。で?」
「爆弾処理の現場にいて、他の人が重装備な中結構な軽装備だったんですよ」
「・・・あぁ」
「詳しいことはよくわかりませんし知らないですけど、危険な現場であぁいう危機感のない恰好は普通に危ないと思うので、よくよく注意していた方がいいですよ?」
「・・・そうだな。よく、よぉおおく、言い聞かせとくよ」
お兄さんは微笑んでいるが、眉間にすごい皺が寄っているので私が庇ったお兄さんはきっと所在がなくなるほど怒られるんだろうな、というのがわかったけれど同情するだけの理由がないので私も笑っておく。このお兄さんの反応から見る限り再三の注意も意味をなさなかった系の人物とみた。いやでも真面目な話、どんな主義主張があれども命には代えられないと思うので保険はいくらでもあった方がいいと思う。むしろ現場舐めてんのか?って思う。
「命を預かるって、他人だけじゃなくて、自分の命もだと思うんですよね。自分の命は、自分で守らないといけないんですよ。あのお兄さんは、自分に万が一があったら周囲がどう思うかっていう想像力に欠けてると思います」
「その言葉、あいつに聞かせてやりたい」
「言ってあげれば良いんじゃないですか?あと普通に上司の人怒られるしお兄さんの家族も警察に対して裁判起こしかねませんしマスコミも騒ぎますし・・・自分の利益と周囲の不利益のバランスが取れてないですよね」
監督不行き届きとか教育の甘さだとかそりゃもうあることないこと上げ連ねられて批判されると思うよ。生きてるからまだ誤魔化せるけど、死んだら誤魔化せないからね。
ぶっちゃけお兄さん自身のせいなのにそれがまるっと警察組織のせいにされるの警察が可哀そうだと思う。注意しても聞かないとかもうどうしようもないよね。いっそ防護服着なかったら減給するとかペナルティつけた方が良いのでは?人命には変えられないよね。
「いやマジで、その台詞まるっとあいつに聞かせてやりたい。俺の代わりに説教してやってくれねぇか?」
「それはお兄さんの友人であるお兄さんと警察の方とご家族の役目だと思います」
ほぼほぼ見知らぬ人相手に説教やらかすほど博愛精神は持っていないので。首を横に振って丁寧にオコトワリー!を入れてから、そっと目を閉じた。あぁ、ばたばたと廊下を走る音が聞こえる・・・お父さん、廊下は走っちゃいけないんだよ。
あと数秒できっと病室に突撃してくる父親と、引きずられるようにして連れてこられただろうお医者様を想像して、くふっと笑みを浮かべた。