社畜社会にも程がある



 情けは人の為ならず。情けをかけるとその人の為にならないよ、なんて意味ではなく、巡り巡って自分に還ってくるものだよ、という意味の諺である。
 どんなことでさえいずれは自分に戻ってくることを運命と呼ぶのなら、今この瞬間を見逃すということはいずれ大なり小なり自分に跳ね返ってくるのだろうか。むしろ小さい芽を見逃した分、還ってくる時はそれはそれは鮮やかな大輪の花を咲かせているのかもしれない・・・毒花か薬花かは、その時の行いによるのだろう。できれば毒を持って毒を制すじゃなくて毒にはきちんと処方された安全なお薬で対抗したいところ。僅かな逡巡の内、小さく溜息を零して私は帰宅に向けていた足先を公園へと向け直した。
 滑り台、ぶらんこ、ジャングルジム、鉄棒、地面に半分埋め込まれたタイヤ。遊び慣れた遊具が点在している公園をずんずんと進み、はた、と気づく。私丸腰じゃね?いや、丸腰でもいけるけどちょっと心許ないよね、と思い至って今の自分の装備を眺める。
 背中には教科書の詰まったランドセル。それなりに物理攻撃力は有り。今日使用した体操服の入った袋はランドセルの側面にある金具に紐を引っ掻けて、ランドセルの蓋に挟んでぎゅうぎゅうに詰めている。ランドセルの脇には突き立てられたリコーダーがぴょこんと覗いて、これは明日の音楽の課題の練習用。リコーダーも割と攻撃力はあるよね。壊れたら嫌だからあんまり使いたくはないけど。それから、支給されたビニール袋に詰め込まれた今日の自由課題(外から講師を呼んで色々教わる系の授業)で使用した紙の花弁色とりどり。完成系の紙の花のコサージュは花弁と一緒に詰め込んでいる。ちなみにこの花弁は余った物で、家でお母さんたちと一緒に作ってみてね、ということでクラス中に配られたものだ。まずは花弁から作りましょうだったからな。作りすぎた結果余るという。いいけどね、花だけ作って造花の花束っぽいのでも作ってみようかと思ってたし。
 一通り見渡して、いけるか、と頷いた。うん。これなら負担はそうなさそうだ。多分。上手くできるかはわからないが、やらないよりはマシかなーと思いながらとりあえずコサージュだけ取り出してスカートのポケットに突っ込む。私服じゃなくてちゃんと支給された制服のボックススカートですよ。準備を整え、がさがさと花の入ったビニール袋を揺らして目的地まで近づいていく。見えるのは鬱々としたオーラをまき散らしているなんだか疲れた空気を漂わせている男だ。ぼんやりと公園のベンチに腰掛け、項垂れている姿は社会に疲れたサラリーマンのよう。哀愁ささえ感じるが、正直彼が纏っているものはそんな物寂しい表現で足りるようなものではない。黒々と蜷局を巻くように彼の肩に纏わりつく影は、有体に言えば穢れとでも呼ぼうか。最近どこぞの廃ビルで似たようなの見たわ。あそこ取り壊しになるそうだよ。まぁあんなことあったしね。色々ヤバいものも集まってたしね。うーん。できるなら当たり障りなく無視しておきたいところなんだが、ご近所でこんなもの撒き散らされても私が困る。
 主に体調不良の原因になりかねないし、ただでさえこの辺不審者が多いのに更に増えても困るのだ。ああいうのが増えるとよくないものを招き呼びやすい。そもそも穢れだとか邪念だとか陰気というのは人間の負の感情を増幅させやすい、ていうか人間の負の感情が凝り固まったものでもあるし。自然発生したなにがしのこともあるが、まぁ色々世界にはあるんだろう。犯罪者にそういうのが多く憑りついてるのは仕方ないことだよね。大なり小なりは皆あるにしても、度を越せば害でしかないものだ。
 やな感じ、と嘯きながらざっ、と足音をたてて陰気な男の正面に立つ。その気配に気が付いたのかゆるゆると上がる顔。それが完全に上がりきる前に、えいや、とばかりに手に持っていたビニール袋の中身を引っ繰り返してぶちまけた。ばさっと男の頭の上に降りかかる色とりどりの紙細工。赤白黄色青紫ピンク。カラフルなそこに男の薄い金茶も混ざって、あら結構綺麗じゃない?じゅわっと紙細工が触れる度に不吉な音が聞こえるのが難点だけど。

「・・・・は?」
「だーいせーいこーう」

 某天才トラパー穴掘り名人を真似して笑いながら言えば、いきなり紙細工をぶっかけられた男――あまりに背中が疲れたサラリーマンだったからそれなりに年食ってる年代かとおもったら、思った以上に若いお兄さんだった――は状況が呑み込めないようなポカンと呆けた顔を晒して目を丸くした。垂れ目気味の青い瞳がまぁるくなって、子供からみてもイケメンだけど可愛い系の顔をした童顔フェイスが益々幼さを演出している。褐色の肌がエキゾチックで、純日本人には見えないけど彫りはさほど深くはないんだよな。ハーフというよりはクオータ?隔世遺伝なのかもしれない。
 見た目だけなら十代後半?もうちょっといって新成人ぐらいのイケメンさんだ。まぁどっちにしろ若いのにこんな陰気なもの背負ってるなんて、お兄さん人生はもっと薔薇色にしてこうよ!

「お兄さん、こんなところで1人でいたら職質されちゃうよ」
「いや、公園で休んでるだけじゃ職質はされないと思うよ?」
「それがこの近辺割かし物騒だから、見慣れない人はまず職質っていう地域性なんだよね。お兄さん見かけたことないから、多分職質されるよ。イケメンは免罪符にならないから」
「ならないんだ・・・」
「ならないねぇ」

 残念ながら、イケメンでも犯罪者予備軍の可能性が高い地域性なのです。なので知らない人や見かけない人に関してこの辺って警戒心半端ないんだよね。
 あと子供がよくいる公園に1人で薄暗い雰囲気でベンチに座ってるのも怪しさ倍増だから危険度高し。疾しいことがないなら早々に出ていくことをおススメするよ。あるいはもうちょっと爽やかな空気を振りまくといいよ。引っ繰り返した紙細工の花弁が入っていたビニール袋をがさがさと折りたたんで小さくしながら言うと、お兄さんは困ったようなどう反応したらいいのか戸惑うような複雑さを乗せて笑顔を作った。口角が少しだけ持ちあがって、下がった眉は人への警戒心を薄くさせるようなちょっと頼りない風情を漂わせている。

「ここ、そんなに危ない地域性なんですか」
「最近は減ってるけど、昔は結構ね」
「じゃぁ君はどうして僕に声をかけたんです?危ない人かもしれないんでしょう?」

 くす、と笑って、お兄さんは小首を傾げた。さらさらと艶のある金茶の髪が頬を滑って、細くなった瞳が子供の好奇心に付き合ってあげているような大人の余裕を漂わせている。・・ふむ。あんな空気纏っておきながら、存外に切り替えの速い男だ。大抵ああいう無防備且つ闇抱えてそうな人間ってこういう不意を突かれると取り繕う気もなく素を出してくるパターンが多いと思ったんだが・・・思ったよりこの人弁慶さん属性の人なのかもしれない。頭の回転が速くて自分を殺すのが上手くて状況把握が抜群に早い人。腹黒ともいうが、年齢の読みを上げるべきか?考察しつつ、にこぉ!と顔一杯に笑顔を浮かべた。

「お兄さんが疲れてそうだったから、つい。花弁、綺麗だったでしょう?」
「あぁ、これ・・・紙細工?」
「学校で作ったの。本当はこれでお花を作るんだよ」
「そうなんですか」

 ベンチに落ちている花弁を一枚抓んで目の前に持っていき、くるくると回してお兄さんがでも人の頭に落とすのはいけないよ、と窘めてきた。そうだね、私もそう思う。
 ごめんなさい、と殊勝に謝りながらえいや、とお兄さんの横に座り、ベンチに落ちた花弁を集めてお兄さんの膝に落とした。ひらひら、ひらり。言った傍から、とお兄さんは苦笑して、お返し、とばかりに私の頭に花弁を落としてくる。

「不審人物の横に座って、何かあったらどうするんですか?」
「不審人物は自分を不審人物とは言わないから、多分お兄さんは大丈夫だよ」

 大体ターゲットに対して自分を隠そうとするからね、そういう人間は。そうじゃないならとりあえず私にとってはお兄さんは安全な部類に入る。他の人にとっては知らないが、とりあえず近距離被害を被りそうなのは現状私だけなので問題はないだろう。

「そういって油断させる手口だったら?」
「その時はその時。そこまでの可能性を一々考えてたら行き詰っちゃうよ」

 ある程度楽観視しないと精神的にきつい。日常でそんなずっと気を張り詰めてたら普通に鬱になるからね?

「お兄さんも会社でそうやって気を使っちゃうからこんなところで疲れたサラリーマンみたいになってたんじゃない?」
「サラリー・・いや、あながち間違いでもないか・・・」

 え?そんなアルバイトか何かで生活してそうな見た目でサラリーマンなのか。随分自由な社風なんだね?いやまぁお兄さんの髪が地毛なら何も言わないが、中々ないよねその金茶の髪。・・・いやペパーミントグリーンな髪が地毛の子がおったわ。あれに比べたら普通に地毛で通用する髪色だねごめんねお兄さん!その子私の幼馴染なんだけどね!色味がすでにワンダフルだった。でも誰も突っ込まないからこの世界では普通のことなんだなって理解したよ私。
 さておきこの辺はデリケートな問題な気もするので、あえて言わずにベンチの下でぶらぶらと足を揺らすに留めた。容姿に関してはね、プライベートな問題なので突っ込まないのが吉だよ。

「そんなに疲れてる様子に見えました?」
「哀愁漂ってるなぁとは。思わずそのまま道路に飛び出していきそうな感じ」
「・・・」

 一歩間違えたらそういう道を選びそうなぐらいには、肩に背負っていたものはやばかった。あるいは、もっと違う何かに道を踏み外しかねない程度には。
 なんでもないようにさらっと言えば、お兄さんはぐっと眉間に皺を寄せて、無理矢理に笑顔を作ったように苦笑いを浮かべた。どうしようもない、吐き出せもできない何かをぐっと堪えて、飲み込んだようなきつそうな顔だ。・・・よっぽどなんか抱えてるんだな、とは思ったがさすがにそこまで突っ込む気にはなれなかったし、初対面の子供が言うことでも聞くことでもないな、と気づきませんでした風を装って視線を前に向ける。
 人気のない公園の遊具が風に揺られてギコギコ動いて、さび付いた鎖の音に耳をすませる。

「お兄さんの好きな食べ物は?」
「え?」
「だからぁ、好きな食べ物!ちなみに私は卵料理が好きだよ。親子丼とか」
「え、えぇと・・・和食、かな?」
「和食って幅広いね。日本人結構魔改造してるからどれも日本食っていったら日本食になってる気がするんだけど、お兄さんはどう思う?」
「言われてみると確かに。日本人の舌に合うように作られてるからかもしれませんね」
「食へのこだわりはすごい民族だよねー。おかげで美味しいもの食べれるけど」

 唐突に質問をぶっこめば、え?この流れで?とばかりに動揺を露わにしたお兄さんは、しかし律儀にも子供の質問に答えてくる。スルーしてもいいのに付き合うとはなんというお人好し。まぁそんな大人の優しさに全力で突っ込んでいくわけですが。

「出汁文化最高だよね。イギリスなんか煮物をしても出た美味しい出汁を捨ててもう一回煮て野菜とかくったくたのどっろどろにするって話どこかで聞いたことあるんだけどすごい勿体ないよね。その捨てた汁こそ宝なんやで!って思う」
「一部の話だとは思うけど、まぁ聞いた時には確かに何故そうなるとは思いますね」
「お鍋のあとの雑炊とかうどんとか締めの素晴らしさは具材が出した出汁のおかげなんだよって言いたい。ちなみに私は締めは雑炊派なんだけどお兄さんはどっち?」
「僕も雑炊かな。うどんも捨てがたいですけど、そういえば最近はパスタやリゾットなんかもあるらしいですね」
「あーうちは基本的に寄せ鍋系が多いからそういうハイカラなのは中々しないや」

 してもいいけどぶっちゃけ家に2人じゃそこまでするのもどうなん?とは思う。でも冬場は鍋物が多くなるからバリエーションは増えるに越したことはないか。今度作ろうっと。

「和食だとード定番はやっぱり白米味噌汁焼き魚?」
「美味しいですよね。煮魚も好きですよ、僕」
「カレイの煮つけとか柔らかくていいよね。肉厚のカレイが中々ないけど。私は焼き魚派。秋の秋刀魚は最強だよね。滴る油、ふっくらと肉厚の身に乗る塩気・・・あ、ダメだ食べたい」
「あれは間違いがない味ですね」
「鮭もいいけど鰆の西京焼きとかーブリの照り焼きとかー和食じゃないけど出来立てのアジフライも最高だよね」
「あのふっくらとした白身加減が堪らないですね」
「わかるー!下味ちゃんとつけてーソースがなくても食べれる味付けが好きー」
「タルタルソースとの組み合わせも美味しいですよ」
「それも好き。あとはー滅多にできないけど鮪のフライも美味しいよ!」
「鮪のフライ?」
「そうそう、鮪のフライは魚!っていうよりお肉!みたいな感じでこれも超美味しいの。食べごたえがあるし、おすすめ!下味はしっかりめにつけてもいいし、ソースと一緒でもいいし。それと白米とーお味噌汁!味噌汁は白だし?赤だし?合わせ味噌?」
「合わせ味噌かな」
「うちもー」

 最近減塩味噌とかあるけど、やっぱり慣れたメーカーの慣れた味じゃないと違和感あるというか。ていうか減塩になるとやっぱり味薄いんだよね・・・まぁこれも慣れだろうしあんまり濃い味付けは塩分過多だというしなぁ。

「具はどうしようか。お豆腐、茸、油揚げ、大根わかめ!」
「そうですね。お豆腐なんかはどうですか?」
「なるほど。でも残念うちの冷蔵庫にあるのは今は大根なので大根の味噌汁です!」
「聞いた意味とは」
「家庭料理なんてそんなもんですよ。リクエストがあっても最終的にその日のスーパーの安売りと冷蔵庫の中身で決まるんです」
「あー・・・」

 すごい納得の返事を貰った。いやリクエストも聞くときはききますよ?ただまぁ、ほら、懐事情も色々あるじゃん?賞味期限がヤバいものとかもあるじゃん?そしたら、ねぇ?視線を逸らしつつてへ、と小首を傾げればお兄さんはしょうがないなぁ、とばかりに目を細める。穏やかな表情にほっと胸を撫で下ろすと、突然くぅ、と小さく可愛らしい音が聞こえた。お?瞬きをしてお兄さんを見上げると、お兄さんはほんのりと頬を染めて、気まずそうに視線をさっと逸らした。ついでに抑えられたお腹が音の発信地を伝えている。ふむふむ。・・・成人男性の割に可愛い腹の音だなお兄さんよ。

「こ、これは、その、最近ちゃんと食べてなくてですね」
「それは駄目だね、ご飯はしっかり食べないと力が出ないよ。まぁ時間帯的にも小腹が空く時間だよね」

 でもごめんよ、学校帰りだからあげられるものは何もないんだ。そう眉を下げて言うと、子供に集る気はありませんよ!と食い気味で否定された。お兄さんの性格的にそういうのは許し難いのかもしれない。まぁそろそろいい時間な感じもするし、もういいかな。

「まぁでも、お腹が空くのはいいことだよ。生きて行こうって思ってることだから」
「え、」
「お兄さん今日は何が食べたい?和食?洋食?中華?お肉かな?お魚かな?麺類?丼もの?なんでもいいよね、美味しいものなら」
「・・・ぁ」
「明日は何がいいかな。我が家の明日の朝食はホットケーキの予定。バターとメープルシロップもいいけど、軽食風にするのもいいなぁ。楽しみだよね」

 にっこりと笑って、ベンチから下りるとくるっと右足を支点に反転してお兄さんに向き直る。泣きそうな、苦しそうな、それでもどこか救われたような。なんとも言えない、表せない顔で、ゆらりと揺れた瞳は迷子のようだ。まぁ、その道の先を私が教えてあげることはできないけれど。お兄さんがどこに行きたいかは知らないからね。頑張れお兄さん。

「そうだ、ご飯を食べる暇もない社畜なお兄さんにこれをあげよう!」
「社畜って」
「公園のベンチで黄昏てるとか完全に社会に疲れた社畜みたいなものだよ。まぁとりあえずこれどうぞ」

 言いながら、ポケットに突っ込んでいた造花のコサージュをお兄さんの膝の上にぽんと置いて、一歩離れる。お兄さんは膝に置かれたコサージュを手に取って、くるりと引っ繰り返しながら小首を傾げた。

「それね、一応蓮の花なんだよ」
「蓮」
「見えなくても蓮なの。まぁお守り代わりにでもしてみて。蓮の花って仏教では神聖な花って言われてるし、きっとお兄さんのこと守ってくれるよ」

 あと蓮って泥水から咲く花だから、困難の中でも頑張るってイメージもあるらしいし。今人生に迷ってそうなお兄さんにはお似合いではなかろうか。一応それなりに念も込めたので、変なもの寄せ付けない感じでお守りにしてくれると有難い。

「じゃあね、お兄さん」
「あ、ちょっと」

 やることはやった。これ以上いても何もできないので、早々に離脱することにする・・・というのは建前で、そろそろ帰って夕飯の買い物に行かなければならぬ。タイムセールがあるんだよ!忘れてた!!なので引き止めようとするお兄さんをガンスルーして、さっさと踵を返して駆け足でその場を去っていく。
 まぁ、見る限り穢れも粗方浄化できたみたいだし、お守りも渡したから早々変なものを呼び寄せることもないだろう。黒いものに囚われたら、きっとあの花が身代わりになってくれるはず。
 ―――あの青年は知らないだろう。最初に頭から被った花弁が、その半分も残ってやしなかっただなんて。穢れを含んで消える花弁の様子に、私が目を細めて見つめていたなんて。手元に残った花弁の量と、降り注いだ花弁の量が吊り合ってないだなんて。



 きっと一生、知る由もないこと。