それでいいのだろうかと、問いかけは飲み込んで



「今日、鉢屋先輩が話していたんだけど」

 明日の小テストのための勉強をしている手を止め、正面で教科書を開いている彦四郎君の顔を見る。同じように手をとめた一平君もきょとりと瞬きをして、ふわふわの髪を揺らすと首を傾げた。

「何を?」
「食堂のお姉さん、鉢屋先輩と不破先輩の見分けがつくんだって」
「え、マジで?」

 あの鉢屋先輩と不破先輩を?ぎょっと目を丸くして驚くと、彦四郎君は神妙な顔をしてこくりと頷いた。思わず、一平君と顔を見合わせる。その横であまり興味がない、とばかりにテスト勉強を進めていた佐吉君を伝七君が、さすがに聞き逃せなかったのか、眉を潜めると難しい顔で唸った。

「食堂のお姉さんって、一応一般人、なんだろ?」
「異世界からきた人がただの人なのかわからないけど、忍びでもないのに見分けがつくものなのか?」
「僕に言わないでくれよ。鉢屋先輩がそう言ってたんだから」

 そういって肩を竦める彦四郎君に、それもそうか、と納得して教科書のページをぱらぱらと手持ち無沙汰に捲った。乾いた音が静かな室内に小さく浸透する。

「それで?見分けられて鉢屋先輩悔しそうだったの?」
「あぁ、うん。まぁ、確かに悔しそうではあったんだけど」

 常日頃から誰かの顔を模して悪戯に心血を注ぐ、学園が誇る変装名人だ。上級生か級友、それこそ不破先輩のような身近な人間でなければ早々わからない完璧な変装技術を持つ彼のことだから、さぞかし悔しいことではないだろうか。そもそもあの変装、プロ忍でさえも見分けがつかないかもしれないというのに、一応ただの一般人が見分けつくとかすごいなおい。感心交じりに問いかければ、彦四郎君はそれがねぇ、とばかりに首を傾げた。

「悔しそうなんだけど嬉しそうなんだよね」
「ただの人にばれてるのに嬉しそうなのか?」
「悔しいならわかるけど・・・鉢屋先輩ってよくわからないな」

 そういって眉間に皺を寄せる佐吉君と伝七君。まぁ確かに、あの先輩はよくわからん。一平君も謎だよねぇ、とのほほんと笑うので、彦四郎君は苦笑を返すしかない。一応委員会の先輩だから一番彼が接触してるわけだし、そりゃ反応にも困るだろう。私は筆を持って先を墨に浸らせながら、なんとなくわかるけど、と心中で呟いた。

「好きな人に自分を見つけてもらえるってことが嬉しいんじゃない?」
「そういうものなの?」
「私もよくわからないけど、そういうものなんだと思う」

 恋愛経験はあんまりないのではっきりとは言えないが、少なくとも好意を持っている相手に「あんた誰?」とばかりの反応されたら切なすぎるだろう。紙に計算式を書き込みながら(しかし算数なんていつぶりだろう)、さらさらと解いていくと、手を止めていた周りも筆を持って動かし始めた。

「鉢屋先輩、あの人のことが好きだもんなぁ」
「鉢屋先輩だけじゃないでしょ?竹谷先輩も好きみたいだし」
「こっちもそうだよ。あの立花先輩があんなに柔らかい笑顔してるのなんて初めてみた」
「潮江先輩も、そういえばそんな感じだったなぁ・・・委員会は相変わらずだけど」
「「「「ファイト、佐吉」」」」

 会計委員会の地獄っぷりは耳に入っているので(実際、あの潮江先輩が委員長というだけで結構な問題だ)揃って佐吉君にエールを送ると恨めしげな目を向けられた。他人事だと思って、というところだろうか。実際他人事ではあるが、可哀想なので頭を撫でておく。よしよし。

「子ども扱いしないでくれ」
「ごめんごめん。んー、それはそうと、彦ちゃん」
「なに?」
「あの人はどうやって鉢屋先輩見分けてるの?」
「あ、それ僕も聞きたい」

 一年は組や他の学年ほど鉢屋先輩の被害にあっているわけではないけれど、偶に引っかかる身としては大層気になる事柄である。上級生ともなれば細かいところで気がつくのだろうが、さすがにそこまでの観察眼はまだ身に着けてないし・・・。一般人がわかる程度のことだったら私達でもわかるんじゃないだろうか。
 視線が集まると、彦四郎君はそれが、と溜息交じりに口を開いた。

「なんとなく、だそうだよ」
「なんとなく?」
「なんだそれ」
「理由なんてないんだって。なんとなく、雰囲気みたいなものなのかな。鉢屋先輩だってわかるんだって」
「へー」

 それは・・・うん、予想してたけどマジであるんだそういうこと。素直に感心というか、驚いている一平君たちを尻目に、さすがはヒロインだ。と違うところで感心を覚える。なんとなくって、そんな感覚的なものでわかるものなのかあの変装が。すごいなぁ。トリップ主人公の特権とでもいうべきものなのか、そういうもんだと納得するしかない中々の問答無用さである。ちなみに一応同じくトリップしてる身ですが、私は今まで話すまで不破先輩と鉢屋先輩を見分けられた試しがない。話せばね、さすがにわかるんだけどね。あーでも、鉢屋先輩がなりきってしまうともう本人が出てくるまでわからないな。気づかないままいたことだってあるぐらいだ。
 いやだって。あれはわからないよ。鉢屋先輩、日頃の行動があれだが実力だけは折り紙付きだしなぁ。それにしても、だ。

「・・・なんとなくで見分けられちゃたまったものじゃない気がするんだけど、私」
「へ、なんで?」
「いや、だってさ。まぁこれは私個人の考えだけど」
「うん」

 相槌にどう話したものかな、と頭の中で考えながら、顎に手をあててまず、と切り出した。

「忍びの技術を一般人に簡単に見透かされるって時点でなんかもう問題だと思う」
「・・・あー」
「しかも理由がなんとなくって・・・そんな曖昧なものでバレちゃうとか、結構切ない気がするなぁ」

 もっと正当な、例えば骨格だとか髪質だとか癖とか表情の作り方とか、そういうはっきりとした理由があるのならば己の腕が未熟というだけで努力もできるというものだろう。しかしなんとなく。夢ではありがちなことだが、真面目に考えるとそれって由々しき問題だ。なんとなくで全くの一般人に見破られる。今まで磨いてきた技術が、そんなもので覆されてしまうのだ。しかもここにきてまだ日が浅いというのに、だ。付き合いが長いならわかるけれどこの短期間でそうもあっさり見破られるのは・・・変装名人としていかがなものかと。
 確かになんとなくだなんてその人限定の特別なことかもしれない。他の人はそうではないかもしれない。しかし、なんとなくだなんて理由じゃぁ、もう本当にどうしようもないではないか。
 骨格ならば確かにこれもどうしようもないことかもしれない。しかしこれはどうにかできる要素も、少なからずあるだろう。しかしこんな感覚の問題ともなれば対処のしようもないわけで。

「今までしてきたことの自信なくなっちゃうよね」
「確かに」
「はっきりとした理由もなければ改善もできやしないし」
「鉢屋先輩このままでいいのかな」
「本人はあんまり気にしてないみたいだからいいと思うけど・・・」

 うっかり微妙な空気になったが、まぁあくまで個人的な考えでもあるのでどうでもいいといえばどうでもいいんんだけどね!だって本人がそれでなんとも思ってないなら、外野が口出すことじゃないし。
 むしろ見分けられて嬉しいらしいし、別に敵に回る人なわけでもないんだから問題もさほどないだろう。

 食堂のお姉さん侮りがたし。

 ひっそりと胸に刻みつつ、すっかり溶け込んでるなあの人、と紙面に筆を滑らした。