生き様すらも、仕組まれる
「失礼いたします。土井先生、今お時間よろしいでしょうか」
軽く戸を叩いて自分の存在をアピールしつつ、覗き込むように室内を見れば丁度テストか何かの採点だろうか、朱色の筆を握っている土井先生がぴしっと伸びた背筋でこちらを振り返った。
それから爽やかな笑みを、その元祖イケメンといえる顔に浮かべて朗らかに歯切れよく中に誘う。
「あぁ、か。大丈夫だよ、こちらにきなさい」
「失礼いたします」
軽く入り口で頭を下げ、座っている土井先生の横まで来ると土井先生は点数つけを一旦止めて、筆を硯に置くとこちらに向き直る。座っている土井先生と立っている私とではさすがに私の方が視点は高かったが、そんなに大きく差が開くわけでないのがなんともいえない・・・。
「どうした?」
「はい、小松田さんからこちらの書類を預かってまいりました」
「小松田君から?ありがとう」
まぁ中身が正しいかは与り知らぬところではあるけれど。さすがに職員の書類を盗み見るわけにも行かないし、みたところでわからないし。まぁ、重要書類を生徒、ひいては小松田さんに預けるとは思わないけどね。何やらかすかわからないから。
土井先生がしっかり受け取ったのを確認してその場から去ろうと頭を下げかけたが、あぁそうだ、と呼び止められて動きを止める。パチリと瞬きをして土井先生の顔を見ると、何やら手を文机の折り重なっているノートの上に伸ばしている。
「ちょっと山本シナ先生に渡して欲しいものがあるんだが・・・あぁ、すまないちょっと待って、うわ!」
「あっ」
色々と処理するものが溜まっているのだろう、少々乱雑に折り重なっていたノートやらプリントやらが、ばさばさと雪崩を引き起こしたように机から滑り落ちてしまう。慌てる土井先生に、僅かに苦笑を零しながらしゃがみこんで散らばったプリントを拾い上げる。・・・あ、これ日記だ。絵日記・・・宿題か何かかな。
丁度落ちてページが開いているノートに視線を落とすと、上下に子供らしい絵と少し曲がりくねった字で埋まったものが見えて、拾い上げてなんとなくさらっと目を通した。
「宿題ですか?は組の」
「あぁ、この前集めた奴なんだがな」
「絵日記ですか・・・これ団蔵君ですかね・・・」
「ん?・・・団蔵だな」
広げたページを覗き込んで、二人してなんとも言えない表情を作った。ある意味、とても芸術的な字である。
自由奔放という言葉がこれほど似合う字もないだろう、というほど自由な字面に、読めねぇ、と低く唸ると土井先生は苦笑を零してなんとかさせないといけないんだがなぁ、と頬を掻いた。
そうだね、ある意味天然の暗号文ではあるけれど人並には書けるようにならないとちょっと困るだろうね。
というか土井先生はこれを解読できるんだよね・・・。ある意味、先生達もは組の担任となったことで色んなスキルがレベルアップしてるのかもしれない、と思いながら他に落ちたノートも拾う。しかし・・・。
「・・・なんか、絵に女の人が多いですね」
内容まではさすがに日記なので目を通すのも憚られ、さらっと目に入った日記の絵の感想をぽつりと零せば、土井先生はうん?と別の書類を纏めながら私が差し出したノートを受け取った。
乱ちゃんなんか絵が上手なのでよくわかるというものだが・・・女の人とは組が描かれているものが多くてこれは、と眉を潜める。
「あぁ、ここ最近は真由美さんのことがよく書いてあるからな」
「真由美さん、ですか」
「あぁ。全く、すっかり懐いてしまって・・これなんか細かに書いてあるからなぁ」
そういって笑う土井先生の顔こそ、穏やかに綻んでいて私は目を細めるとそうですか、と微笑みを返した。
ざっと開かれたページに思わず目が滑ると、僅かに頬が引き攣る。おいおい、こりゃすごいな。ぱらぱらと見える内容に戦慄を覚え、床を見渡して大体拾ったことを確認するとふぅ、と吐息を零した。しかしは組のテストは・・・視力検査とは聞いていたが、本気で小数点ってテストの点数につくものなんだ、と思わずさっと目を伏せた。庄ちゃんの点数は普通のものなんだけど、な・・・。むしろ高得点ではあるのだが。まぁいっか、と内心で切り上げるとやっと目的のものを見つけた土井先生が照れながら書類を手渡してきて、それを受け取りさっと立ち上がった。
「じゃぁこれを」
「はい。山本シナ先生に渡せばよろしいのですね」
「あぁ。よろしく頼むよ、」
にこり、と浮かぶ笑みは優しい。画面越しに見ていたそれと相違ないな、と思いながら私も了承の返事を返して部屋から出ると、ひらり、と書類を揺らしてなんだかなぁ、と小さくぼやいた。そのまま土井先生の部屋から離れて廊下をきしきしと鳴らしながら、あの絵日記のことを思い浮かべる。は組だから、というのは容易いけれども・・・あれは、なぁ。
「影響力が半端ないな・・・」
ほぼお姉さん観察日記のごとく埋められていた内容に、改めてヒロインの影響力の強さに戦慄を覚える。
確実にこの学園、ひいては卵たちの中にあの存在が染みこんで行っている。別に悪いことじゃないし、それはそれでいいけれども、このまるでウイルスのように確実に広がっている様子はそういう物語とはいえ、空恐ろしさすら覚えた。まるでインフルエンザの大流行。主役とはかくもここまで影響を及ぼすものなのか。
「多分ろ組の方でも似たような現象が起こってる気がする・・・」
ていうか今この学園全体で日記でも書かせたら大半があの人のことで埋まってしまうんじゃないか?
自分もうっかりお姉さん観察日記の観察日記を書いてしまいそうなぐらいには、そう、溶け込んでいるのだ。
「なんとも恐ろしいね」
彼女は異分子であるはずなのに、この確かな組み込まれよう。まるで定められた物語であるかのように。
そう思うと、ひやりと冷たい手で首筋を撫でられた心地がして、どきりと心臓が跳ねた。
「・・・作り物、か」
生きているのに、作られた世界。現実であるのに、虚構のような。この世界の中心は確実に彼女になっている。それは構わない。遠慮なく彼女は彼女の物語を作ればいい。それで誰が悲しもうが喜ぼうが、救われようがなかろうが、そんなもの私には最早関係などないのだから。けれども。
「作り物、なら」
吐息を零すと、頭を振って背筋を伸ばした。歩く足を速めて、拳を握り締める。