影の暗躍者
委員会対抗オリエンテーション、という学園長の突然の思いつきから、忍たまの委員会が全てそちらに注ぎ込まれ、あまつさえその商品に食堂のお手伝いさんが選ばれてしまったものだから食堂もちょっと予定が狂ってしまう。突然の思いつきは突然故に随所に面倒を起こすものだ。対処に困るというべきか・・・まぁとにかく、そんなこんなでくの一教室の一部が(さすがに全員が来ると逆に邪魔)お手伝いに乗り出して、ちゃくちゃくと夕食の準備を進めて行く中、ふと台所の勝手口から安藤先生が何やら急ぎ気味に移動しているのを見かけ、釜戸の火加減を調節する手を止めて、首を傾げた。
私は一応性別柄くの一教室に所属しているが、人数の問題でい組に参入させてもらっている。無論くの一教室の担任は主に山本シナ先生ではあるが(他にも一応いるけどさ)、同時に安藤先生の生徒でもあるのである。
その先生が何やら慌しく移動しているとなると、ちょっと、まぁ気になるわけで。何より安藤先生は会計委員会の顧問であるから、当然オリエンテーションの方に向かっていると思っていたのだけれど。
・・・なんで食堂の前通るの?オリエンテーションで何かあったのだろうか。ふと疑問が湧き上がると、手を止めている私に気がついた先輩が、ひょい、と腰を曲げて顔を覗きこんできた。
「どうしたの、」
「先輩。いえ、さっきそこを安藤先生が通ったものですから、気になって」
「安藤先生が?そりゃ可笑しいわね」
今頃忍たまの面倒見ているはずだけど?と私を同じように首を傾げた先輩に、ですよね、と頷いてちらちらと外を見る。・・・まさか本当になんか大変なことになっていないよね?もしもはないと思いたいが、人生何が起こるかわからないし・・・皆無事だよね?不安にきゅっと眉を寄せると、しばらく無言だった先輩は、小さく嘆息してぽん、と私の頭に手を置いた。頭巾越しに、優しく頭を撫でられる。
「気になるなら行ってくれば?」
「え、でも」
「いいっていいって。人手は十分足りてるし、もうほとんどすることないし。行っておいで」
迷うように顔を曇らせると、にこにこと軽い調子で先輩はそう背中を押す。確かに、人手は足りてはいるし、大体仕込みは終えているので、もうあまり手がいらないといえばそうなんだけど。でも手伝いにきたのに途中でいなくなるとか・・・ちょっと気後れする。いいのかなぁ、と戸惑っている私に、先輩は真面目ねぇ、と零してから後ろを向いて途中から加わった忍たまの人に声をかけた。男の子というよりは女の子めいた顔立ちの、三年生だ。確か途中から編入してきた人じゃなかったっけ?委員会がまだ決まってないから対抗戦に参加しなくてよかったとかなんとかで、こっちに手伝いにきたんだ。
「ちょっとそこの忍たま。こっちきて釜戸の火を見ててよ」
「え、はぁ、わかりました」
別の作業をしていた三年生の忍たまの人が、呼ばれてきょとんとしながら先輩から竹筒を受け取る。視線があってなんとなく会釈をすると、あちらもつられたように頭を下げた。・・・なんだろう、なんだかこの人に親近感を感じる。内心で首を傾げると、先輩は満足そうに頷いて腕を組んだ。
「ん。ほら、これでいいでしょ。全くあんたって子はもっと融通利かせなさいよね」
「先輩・・・ありがとうございます。そちらの方も、すみません。ありがとうございます」
あぁ、そういうことか。意図を掴んではにかむと、先輩は私の頭をもう一つなでてそれから奥へと引っ込んでしまった。その背中を見送って、すでに釜戸の火に向かって息を吹きかけている三年生の人にもう一度ありがとうございます、と声をかけてから勝手口から外に出る。なんとなく視線を背中に感じたが、ひとまず安藤先生を優先させることにして、向かった方向に行ってみることにした。本当に、なにがあったのだろうか。
駆け出してみれば、向かう先は忍たまの校舎だ。うーん。い組の教室に行くのがいいのか、職員室に向かうのがいいのか。安藤先生どこいったんだろう、ときょろきょろと辺りを見回していると、丁度木立の間に今度は木下先生を見かけてあ、と声をあげた。その声に気がついたのか、木下先生も怖い顔でこちらを振り向く。あれが標準で普通の顔だとか、なんか・・・うん。損しているような気がする。最初に見ると私何かしたっけか!?と不必要にびくびくしちゃうよねー。今も結構びびっていますが。
「お前は、くのたまの」
「はい。と申します。あの、木下先生。安藤先生を見かけませんでしたか?」
顔は怖いし声も低くてなんか尻込みしてしまうが、別に悪い人なわけでも本当に怖い人でもないし。いや怒ると怖いけどさ。ともかくも、先生を顔を見上げて問いかければ、木下先生は安藤先生?と声をあげてから人差し指を向けた。
「安藤先生なら会計委員会の部屋にいらっしゃるはずだ」
「会計委員会の?・・・あの、先生。つかぬことをお尋ねしますが、オリエンテーションで何かありましたか?」
「は?いや、とくに何もないが。至っていつも通りだ」
はて。そのいつも通りとはつまり「いつも通りしっちゃかめっちゃかだ」ということでいいのだろうか。
なんでそんなことを聞く、とばかりに眉間に皺を寄せられ、余計に迫力の増した顔にびくびくしながら、いえ、・・・とか細く呟いた。
「その、安藤先生は会計委員会の顧問ですから、オリエンテーションのお手伝いをしていると思っていたので、こちらで見かけたことに驚きまして・・・」
「・・あぁ。なるほど」
それで何かあったんじゃないかなーと思ったんですよ、はい。しどろもどろに答えれば、得心した、とばかり木下先生が頷く。ほっとしていると、木下先生は別に特に目立った問題は起こってはいないんだが、と一言口にしてがしがしと頭巾越しに頭を掻いた。
「なに、学園長の思いつきで委員が出払っているからな。仕事が溜まっているだけだ」
「仕事、ですか?・・・委員会の?」
「あぁ。まぁ潮江のことだからオリエンテーションが終われば取り掛かるだろうが、それでも期限というものがあるからなぁ。片付けるものも多いし、こんなことがあれば仕事もさほど捗らん。それを考慮していくらか片付けていらっしゃるのだろう。・・・真っ先に睡眠を会計は削るからな」
「あぁ・・・なるほど」
つまり生徒の負担を減らし、尚且つ期限までに事を終えるには先生もちょっとは手伝わないと無理だということだろう。実際、こんなオリエンテーションがあった日は疲れて委員会の仕事どころではないと思うし。上級生はともかく下級生なんて即行ばたんきゅーだ。
そりゃぁ捗るまい。・・・この学園って、委員会は教師の放任主義かと思えば裏で色々気を遣っているんだな。まぁ今回のは学園長の思いつきなので、ちょっと勝手は違うかもしれないが。感心していると、各言う私も生物の世話でちょっとな、と木下先生が笑って見せた。しかし八重歯が鋭すぎて和めない。あー・・・木下先生は生物委員会の顧問だったのかー。そっかー。・・・知らなかったー。そうなんですか、と愛想笑いを浮かべながら覚えておこう、とひっそりと胸に刻み、私は頭を下げて木下先生に別れを告げる。おう、と片手をあげてどこか・・・恐らく飼育小屋に向かうのだろう木下先生を見送ってから、さて、と顎に指を添えた。
「うーむ。オリエンテーションで何も起こってないことはわかったけど・・・」
当初の目的は果たしたので、食堂に戻るべきか否か。しかし安藤先生・・・は組やろ組に嫌味はよく言うけれど、い組の生徒には優しいしあれはあれでいい先生なんだよねぇ。ただちょっと自分のところの生徒贔屓がすぎるだけで、うん。あれさえなけりゃ本当いい先生なんだけどなぁ。油ぎっているとこはこの際目を瞑るとしても。
私も一応い組の人間なので安藤先生にはよくしてもらっている。決して嫌いな先生ではないので、悩み所だ。・・・ふむ。
「行ってみようかな」
できることがあるのならばお手伝いすることもやぶさかではないし。なにせやることがないからな。少なからず面倒なことではあるけれど、しかし一人でこなすのは大変だ。・・・あれだなぁ、案外私、人に必要とされたがっているのかもしれない。打算的?上等上等。情けは人のためならずという言葉があるぐらいなんだし!
あ、でも会計って結構極秘の内容あるよね。全部の書類が結構重要だし。あれ私見てもいいのかな?・・・まぁ、別にいいか。やばければきっと先生からお断りの言葉がかけられるはずだし。決めれば早く、会計室に向かうとそっとその部屋の障子の前に立った。白く薄い和紙に、くっきりと黒い陰がかかる。声をかけようと息を吸うと、その間に中から誰何の声がかけられた。
「誰ですか?」
「・・安藤先生。私です、です」
「あぁ、ですか。どうぞ、お入りなさい」
「失礼します」
許可を貰ってそっと障子戸を開けると、机の上に帳簿らしき冊子をいくつかのせて、筆を握る安藤先生が顔をあげてにこりと笑った。
「どうかしましたか?」
「いえ、何かあったわけではないのですが・・・木下先生から事情をお聞きしまして、何かお手伝いすることがあれば、と参上致しました」
部屋の中に入り、安藤先生の正面に腰を落ち着けてそろばんと帳簿に記入されている数字の羅列にこりゃ骨が折れるぞ、と思えば、きょとんと目を丸くさせた安藤先生は木下先生から?を声をあげた。
「はい。学園長の思いつきで委員会の仕事が遅れている、と。木下先生も生物の世話に向かわれました」
「あぁ、生物委員会も忙しいですからねぇ。そうですか、手伝いに」
「はい。・・・私がお手伝いしても差し支えはありませんでしょうか」
「えぇ、えぇ。大丈夫ですよ、いや、助かりました。正直一人でこなすには限界がありますからね。さすが私の組の子は、気遣いが違いますねぇ」
そういって嬉しそうに安藤先生が言うので、ちょっと胸がほっこりと温かくなった。そう、こうやってい組のことを自慢に思って、本当に我が事のように喜んでくれるから、い組の皆は安藤先生のこと好きなんだよなぁ。
誰だって、大切にされているとわかっている相手に嫌悪感など持つことは少ないはずだ。にこり、と笑うと、さくさくと筆と墨、そろばんを用意して安藤先生から託された帳簿に手をつける。恐らく一番見てもあまり支障のない、且つさほど難しくないものが渡されているはずだ。実際開いた帳簿の数字は、安藤先生が広げているものよりも桁数が少ない。気遣われているというよりも、一年生ならばこれぐらいが妥当なのだ。
生憎と中身が一年生ではないので、どことなく騙しているような気がしないでもないけど・・・まぁ、ここは打算的にその気遣いに甘えておくべし。あんまり複雑なのやると、ミスが目立つかもしれないし。
パチ、と親指で駒を一つ弾く。それから静かな部屋にパチパチと、二つそろばんを弾く音が響きだした。