出刃亀?いいえ、偶然です。



 学園一無口な男と言われる図書室のフェア、・・・もとい中在家先輩は、無口と同じぐらい表情の変化に乏しいお方だ。決して機嫌が悪いというわけではないのだけれども、パッと見て怖い人だなぁという印象を受けさせるには顔の傷も相俟って十分な無愛想さである。
 まぁあとは図書室内での行動如何によっては、言葉よりも先に手が出てしまうので、やっぱりちょっと怖いかなぁとか、思っちゃうわけですが。問題行動さえ起こさなければいいのだから、個人的被害を被ったことはまだないのが救いか。それでも図書室の中で困っていれば手助けしてくれるいい人だと思う。中在家先輩に笑顔さえ出させなければいいのだ、要するに。ていうか普通にしてればまず何も起きないはずなのに、笑顔と縄標を出させてしまう周りが問題だ、というのが一個人としても見方である。
 さて、とりあえずそんな中在家先輩には、笑顔を出させないように、というのが基本的共通認識であるはずなのだが・・・どうにもこうにも、あれはきっとそのお約束には引っかからないのだろうなぁ、と本棚の向こう側、本がなくなってできた隙間から垣間見た光景に、ほうと吐息を吐いた。
 中在家先輩と向き合って、何か一生懸命本のページを捲っている女の人。茶色に染められ、パーマのかかった髪をした食堂のお姉さんその人は、至って真剣に本を読んでいる・・・というよりも読む練習をしている、といったほうがいいのか。まぁ読み書きはできて損はしないからな。しかし習字でも習ってない限り、あの年で草書体を読み解くのは骨が折れるだろうなー。頑張れお姉さん。私も経験したよ、遙かで。今はここで一から学んでいるところですけどね。
 横で多分これはどう読むのか、ということを教えているだろう中在家先輩の全く聞こえない声を想像しつつ、本を戻して隣の本を抜き出す。図書室の中だから、遠いから、ということを差し置いてもあの人の声は聞こえないんだよねぇ、本当。時折彼女の耳近くに顔を寄せているに動きが見えるだけで、多分そのときお姉さんの顔もぱっと明るくなるから教えているんだろうなぁ、というのがわかるぐらいで、私はその微笑ましい光景を隙間から伺いつつ、また本を元の場所に戻した。
 すると隙間もなくなるので二人の姿は見えなくなるが、特に問題はない。目的は出刃亀ではないのだから。背の高い本棚を見上げて、適当に本を引っこ抜くのだ。この時代の製本方法じゃ、背表紙で判断することはできないから、一々取り出してみないとわからない。
 そこが面倒だよねぇ、と思いながら、ぱらぱらと捲ったページに溜息を零した。

「・・・これでもないか」

 借りられてるのかなぁ?探し方が甘いだけか・・・うーん。眉間に皺を寄せて、とんとんとんとん、と指先で頬を軽く叩く。とりあえずこの一角にあるだろうから、地道に探すしかないよねぇ。再び本を抜き取ると、今度はその隙間から斜めにあの二人が見えた。
 丁度、お姉さんが中在家先輩の方に向いて何かを言っているところだ。読唇術なんてものはできないので、なんて言っているかはわからないけど・・・にこ、と笑った彼女に答えるように、あの中在家先輩が小さく口角を持ち上げた。あの傷が痛いだとかどうとかで笑わない、笑うとしたら怒っているとき、という中在家先輩が、わかりにくいけどほんのちょっとだけ口角を持ち上げて、微笑んでいる!・・・珍しい光景なのだろうが、多分あの人が関わっている場合特に珍しくもないものなんだろうなぁ、とそんなことを思ってしまう私って・・・。
 まぁいいや、少なくとも中在家先輩、造作はそう悪いものじゃないし(ただ無愛想なだけで)、微笑む姿はかっこいい。いい目の保養になった、と本を戻した。・・・出刃亀だよねぇ、これって明らかに。でも別に故意にしてるわけじゃないし・・・でも状況を見れば申し開きもできない。まぁ実際見てて楽しいけどさあのほのぼの空間!見てわかる好意って新鮮だ。

「この段にはないのかな・・じゃぁ上?」

 近くに観察対象を置きながら、しかしそれでも当初の目的を忘れず肩を落として上を仰ぎ見た。あと残るはちょっと探すには骨が折れる上の一列なのだが、はて。高さ的に・・・手、届くのか?無理そう、と思いながらも試しに爪先立ちになって、腕を目一杯伸ばしてみる。
 ・・・一応届くといえば届くと言えるのかもしれないが、うん。本の下の方に指先が引っかかる程度じゃ意味ないよね!しかも足とかぷるぷるしてるし!これで本と本の間に隙間さえあれば、なんとかなったものをぴっちりと詰め込まれていたらどうにもならないじゃないか!
 この野郎、と憤りを覚えつつ一旦足の裏をべた、と床につけて一息いれてから、無理かぁ、と溜息を吐いた。下手をして何冊も抜け落ちたら頭の上に降ってくることになる。
 そうなったら中在家先輩のお怒りが・・・!それは御免被るので、安全策で行こうと思う。
 となると踏み台がいるわけだが、一々踏み台移動させて動くのって面倒なんだよね・・・仕方ないけど。きょろ、と周囲を見渡して、近くに踏み台がないことに気がつくと、ひょいっと本棚の影からを顔を出した。まだあの二人は仲良く談笑・・・談笑?しているが、生憎と邪魔をする気はないので踏み台を探すことに専念する。どこにあるかなー?

「・・・きりちゃん」
「あれ、

 首を巡らして丁度反対側を見たとき、探していた踏み台に乗ってきり丸が返却された本を棚に戻している姿が目に飛び込んでくる。声を潜めながらも名前を呼べば、両手に本を抱えた状態できり丸がこっちを振り返った。きょとん、とした顔できりちゃんが首を傾げる。

「どうした?」
「うん、ちょっと踏み台探してて。それ後で貸してくれる?」
「いいけど・・・なに、高いとこにあんの?」
「いや、あるかどうかの確証はないんだけどね・・・あー、そうだ。ねぇきり丸。大内桔梗のあやかしや忌憚っていう本知らない?」

 授業に使う本ではなく全くの趣味である。とことこときり丸に近づき問いかければ、きり丸はうーん、と手を動かしながら本を一冊戻し、そういえば、と振り向いた。

「そんな本返ってきてた気がする」
「本当?ならここにあるんだね」
「多分。ちょっと待ってろ、これ片付けたら今確認すっから」
「うん。ありがとう」

 そういって、急いで(ゆっくりでもいいんだけど、別に)本を片付けたきり丸が、仲睦まじい様子で本の文字を追っている中在家先輩とお姉さんの横を、一瞥して通り過ぎるとカウンターでぺらぺらと貸し出し一覧表らしきものをめくり始めた。それから案外早く目的のものを見つけたのか、きり丸は一覧表を仕舞うとやっぱりそっと音を立てないように二人の横を通って、私の前までやってくる。大変だね、気を遣うのも。

「全くだぜ。仕事はしてくれるけど、やっぱりああいうのは別のところでして欲しいよなぁ」
「まぁ中在家先輩はともかく、お姉さんのほうは何も感じてないだろうけどね」

 もし全部わかっててやってる確信犯だったら、私ビックリ通り越して恐ろしいよ。鈍感すぎても怖いけど。しみじみと、お互い声を潜めながらそういって、きり丸が踏み台を持って棚を移動する。その後を追いかけながら、覗き見たきり丸の横顔は、文句も言いながらもちょっと羨ましそうだったので、きっとこの子もお姉さんと話したいんだろうなぁ、と密やかに笑んだ。
 きり丸だけでなく、他の子もあの人に大層懐いていることは知っている。大好きなお姉さんと一緒にいたいのは誰もが思う独占欲で、だけどきり丸はその生い立ちからか空気を読む能力に長けている。中在家先輩がどういう意味合いであの人を「好き」か、なんとなくでも察しているからこそ、こうしてぐっと堪えているのだろう。いい子だなぁ。
 最初に私が居た戸棚の前に踏み台を置き、その上に乗って本を物色するきり丸の背中を見上げながら、その小さな傷だらけの指先を追いかける。
 学費や生活費のために、死に物狂いで働く手は同年代のそれに比べてボロボロにささくれだっている。この時代、子供が生きていく日銭を稼ぐには、本当に血反吐を吐くような労力が必要なのだ。土井先生はきり丸に、「あまりアルバイトをかけもつな」と言うが(まぁそりゃ自分の手に負えないぐらい請け負って先生が手伝っているから、というのもあるんだろけど)、そうしなければ生きていけないのだ、彼は。勿論、学園にだって学費が払えなければ置いてもらえないのだから、無理をするしかないのである。大の大人だって、その日を生きることが難しいことなんてざらにある。ましてや子供が生きていくのは・・・・本当に、難しいし、大変なのだ。
 何年かに訪れる日照りや飢饉などでは、そこらに飢えて死んだ人が転がることもよくあることだった。幸い私の生まれていたところはあまりその被害にここ数年あっていなかったし、私の家自体が学園に通わせることができるぐらいそこそこ余裕もあった。
 けれども、そうでない家も、やはりこの目にいくらか映してきたのも確かだった。
 現代でいうホームレスとよく似ている。けれど、もしかしたらそれらよりも過酷かもしれない。生憎と私にはどっちがどっち、とはわからないが、それでも。
 そっと片目を掌で覆うと、きり丸があったあった、と声をあげて一冊の本を棚から抜き出す。ぱっと手を離し、きり丸が差し出した本をにっこりと笑って受け取った。

「これだろ?あやかしや忌憚」
「ありがとう、きり丸」
「礼ならこっちで・・・」
「こらこら図書委員」

 そういってにやにや笑いつつ親指と人差し指で丸を作るきり丸に、肩を竦めてぺしっと額を叩く。きり丸はちぇーっなんて言いながら、叩かれた額を擦ってむくれた。
 それが本気と冗談の半々だということがわかっているから、こっちもなんとも言い難いのだけれど・・・ふーむ?

「・・んじゃ、今日の夕飯のおかず一品あげるね」
「マジ?!」
「今回だけだよー?」
、大好き!」
「はいはい、きりちゃんは単純だねぇ」

 目をきっらきらさせて満面の笑顔で飛びついてくるきり丸を宥めつつ、貸し出し手続きをよろしく、と背中を叩いた。まっかせろ!と意気揚々ときり丸は本棚の陰から飛び出して、ようやく離れた中在家先輩とお姉さんの間をさっさと擦り抜ける。
 そのとき、お姉さんがいやに上機嫌なきり丸に向かって、暢気にもどうしたの?と声をかけていた。

「夕飯のおかず一品もらうことになったんです!」
「そうなの?よかったね。きり丸君」
「はい!」

 そういってにっこり笑うお姉さんを見ていたらきり丸に手招きで早く来いよ、と呼ばれたので、はいはい、と答えて歩き出す。
 お姉さんの視線は、すでに一冊の本に落とされていた。・・・あ、それ一年生用のかなで書かれた本だ。通りかかるときちら、と見えた本に、まぁそこから入るのが妥当だよねぇ、ときっとその本を選んだだろう中在家先輩を思いながら、きり丸の前に本を差し出した。
 うきうきと上機嫌なきり丸に約束な!と念を押されて、わかってるよ、なんて答えて。
 今日のご飯はきりちゃんと違うものにしないとなぁ、と考えて、図書室を後にした。
 廊下の空気は、図書室とは違う匂いを漂わせていた。