夏祭り英雄譚―い組編―
今日も今日とて、食堂のお姉さんの周囲は大層賑やかなことである。
それもその筈、なにせ今日は夏祭りの日だ。日常の中の非日常。浮き足立つ夏の祭典に、逸る心を隠せないのは若い証拠か。あわよくば競争率の激しい(しかも濃いメンバーばかりに愛された)彼女と夜の約束を取り付けるのは至難の業だろう。タイミングと度胸と知能と運が物を言う。ていうかほぼ運の問題な気がする。
きっと二人っきりなんて夢の又夢なんだろうなぁ。必ず誰かしらの邪魔が入るといっても過言ではないのだろう。よしんば上手いこと誘えても、恐らく祭りに向かう段階で計画はパァのはずである。待ち合わせ場所に誘った覚えのないメンバーが勢ぞろい、だなんてよくあるシチュエーションだ。そしてお姉さんはそんな周りの苦労なぞ知らぬように、にこにこ笑顔で「皆で行こうよ!」と誘った側の苦労など素知らぬフリで台無しにするのだ。あぁ、なんて不毛な蹴落としあい。
今正に、一人っきりになったお姉さんを頬を染めて誘いかける竹谷八左ヱ門先輩を目撃しながら、生温い微笑を浮かべて頑張れ、と届かない応援なんぞをしてみる。会話は聞こえないが、竹谷先輩の顔が明るくなったので、多分OKを貰えたのだろうな、と予測を立てた。
うん。その太陽のような笑顔が曇らないことを遠くからささやかに祈らせていただきますよ、先輩。多分届かないだろうけど。ちらり、と遠くだからこそ見えた屋根の上の人影に視線を向けて、ふふ、すでにフラグぶち折られてる、と喉奥で笑いを噛み殺した。
あの人影はきっと鉢屋三郎先輩だ。もさもさと不破雷蔵先輩を模した茶色い髪が揺れて、屋根の下の竹谷先輩と食堂のお姉さんを見つめている。
きっとあそこから五年生に話が伝わり、不破先輩たちと共に突撃をかます算段が立てられるのだろう・・・憐れだ。この予想が覆されるならそれもそれで良いが、外れなかった場合はベタだな、と思うしかない。さて、どうなることやら。お姉さんとの話が終わったのか、去っていく竹谷先輩を見届けてから、屋根の上の鉢屋先輩もすぐさま姿を消した。
何も知らないお姉さんは、そのままどこかに行ってしまって、私は一人離れた場所でぽつんと残りながら、夏祭りは一部で荒れそうだなぁ、とまだまだ明るい空を見上げてぼやいた。
「暑いなぁ」
白い入道雲が、もくもく青空に広がってくっきりと形を見せていた。
※
どこかから聞こえる笛や太鼓のお囃子の音。威勢の良い呼び込みの声や、煌々と明るく光るいくつも頭上に並んだ提灯。真っ赤な林檎飴に小粒の飴、わたわめやイカ焼き、焼きトウモロコシに金魚すくい、射的に輪投げ、ひょっとこのお面が橙の光に照らされてちょっと不気味だ。ちょいちょい時代的にあっていいものか迷うものもあったが、今更だ。
左手に綿飴、右手に佐吉の手を握り、ぽつねんとやや祭りの大通りから外れた隅、店の影に身を寄せて行きかう人の流れを観察するように目を走らせた。うーむ。
「見事にはぐれたね」
「だな」
この場合迷子になったのは私たちか彦四郎たちか。多数決でいうなら三対二でこちらが迷子だろう。いや、もしかしてあちらも更にばらけて一体二とか一人ぽっちになっているのかもしれない。そうなると誰が迷子かなどどうでもよくなってくるなぁ。
そもそもそんなことの論争など誰一人としてしていないのだが。調子の良いお囃子を聞き流しながら、はむりとわたあめを食んで砂糖の味を堪能する。
「大通りの入り口で集合だったね」
「集合場所決めてて正解だったな」
「こういう場じゃぁ迷子なんてお約束だからねぇ。備えあれば憂いなしってところかな」
勿論はぐれなければそれに越したことはないが、もしものこと考えて対処をしておくことは悪いことじゃない。むしろこうやって今まさに役に立っているのだから、備えておいてよかったということだろう。備えといっても、はぐれた場合の集合場所を決めておくという程度の簡単なものであるが、効果は抜群だ。佐吉にわたあめ食べる?と差し出しながら手を握りなおして煌々を中に火を湛える提灯を見上げる。濃く映る影の色がゆらりと揺らめいて、歪な形を作り出した。
「もイカ焼き食べるか?」
「ん。貰う」
差し出したわたあめに齧りついてもぐもぐと美味しそうに頬張る佐吉がぺろりと唇を舐めあげて、たれのかかったイカ焼きを差し出される。両手は塞がっているので(佐吉の手を放せばいいのだが、何故か放してくれない)仕方なく顔を寄せてイカに齧り付いた。
肉厚のイカは噛み切るのがちょっと大変だが、一欠けら齧りきるともぐもぐと口の中でその弾力を楽しんで磯とたれの味を楽しむ。あ、これ結構美味しい。
「彦ちゃんはたこ焼き持ってたよねー」
「伝七は林檎飴を持ってたぞ」
「一平ちゃんは焼きそば持ってたなぁ。まだ貰ってないのに」
「早く集合場所に行こうか」
「全員揃ったらカキ氷でも買おっか」
「全味制覇?」
「五人もいればできそうだね。一口頂戴ね」
「もくれるなら」
ふふ、と笑ってから外れていた大通りに戻るために一歩を進める。同時に人ごみの中にも戻るはめになるのだが、この際気にしてなどいられない。ざりざりと砂を蹴散らしながら、人ごみの中を二人手を繋いでするするとすり抜けた。
片手は互いの手で塞がり、もう片手はまだ完食できていないわたあめとイカ焼きで塞がっている。その状態で人ごみの中を抜けるは少々苦労したが、特に問題も起こらずに無事に大通りの入り口近くまで戻ることに成功した。わたあめもそうだが、佐吉の手にあるイカ焼きなんてたれが誰かの衣服についてしまったら大事だ。優しい人ならいいが、こういう浮かれた場にはゴロツキというものも多く存在する。運悪くそんな人に絡まれてしまったら折角のお祭り気分も台無しというものだ。ほっと胸を撫で下ろしつつ、入り口近くをぐるりと見渡す。はてさて、彼らはまだここに到着していないのだろうか?
「伝七たちいないな」
「しょうがないね。ちょっと近くの屋台でも覗く?」
確か籤とか金魚すくいとかがあったはずだ。でも金魚は飼うところがないからやらない方がいいだろう。金魚鉢の用意だって何もない。なら籤か射的か。まぁやらなくてもいいのだが、ただ待っているだけなのもどことなく勿体無い。佐吉に問いかけると、しばし考えるように屋台に目を走らせ、それから人ごみへと目を向ける。きょろきょろと眼球を動かしてから、にっと笑みを浮かべた。
「まだ来そうもないし、二人で遊ぼうか」
「じゃぁどれするー?」
ちなみに私は見てるだけのつもりである。嬉々として手を取った佐吉が、射的!と言うので射的の所まで行った。この辺りなら伝七たちも見つけやすいに違いない。ぐるりと見回してから正面に向き直ると、佐吉は店番のおじさんに金子を払って、銃を受け取っていた。
「、何が欲しい?」
「佐吉が欲しいものでいいよ」
銃身を肩に担ぎながら問われ、小さく笑んでからそう返す。するとつん、と佐吉は唇を尖らせた。なんとなくこう、尖った唇と抓んでみたい衝動に駆られた。本当になんとなく。
「が欲しいものを最初にとるって決めてるんだ」
「えー・・・そう言われても・・・」
いつ決めてたのそんなこと。早く言って!と期待した眼差しで急かされ、うんうんと唸りながら射的台の商品に視線を向ける。いやー特にこれと言って欲しいものはないのだけれど・・・。佐吉が自分で欲しいものを取ればいいのにねぇ。
どうしたもんかなぁ、と首を傾げていれば、にやにやと露店のおじさんがこちらを見て笑っているので、こりゃぁ何か初々しい勘違いされてるなぁ、と漠然と悟った。
別にチビっ子カップルじゃないですよ私達は。口に出して言うことはないが、そう内心で言ってから、箱入りの水あめを発見し、あぁあれでいいか、と佐吉を振り返った。
練って割り箸をわければ佐吉も食べられるし。うん、あれにしよう。
「あの水あめ食べたい」
「水あめだな。任せろ」
ついっと指指せば、佐吉はにっこりと自信満々の笑顔で銃を構える。そういえば銃といえば、人ごみで見えなかったけれど奥のほうの射的台で「火器にかけては学園No.1のこの田村三木ヱ門にかかればこのぐらい朝飯前さ!」とか「何おう!?この学園一成績優秀かつ眉目秀麗、才色兼備であるこの私!!平滝夜叉丸が負けることなどありえーん!!」とかなんとかかんとかいう騒がしい声が聞こえたものだが・・・さくっと無視をしておいてよかったと本当に思う。
声を聞きつけた瞬間、佐吉達と一斉に視線をその一角から外して談笑しながらそそくさと遠ざかったものだ。あの人たち縁日でなにやってんの。
その後も聞きなれた声で「焼きそばとお好み焼き、いかがっすか~」という商売をしている呼びかけも聞こえたのだが、これも見つからない内に、というか佐吉達がさっさとそこから遠ざかってしまったのだ。今頃彼はきらきらと仕事の汗を輝かせながら生き生きとしていることだろう。お祭りは、一部の少年達をそれはそれは輝かせているものだ。
そんなことを考えながらまぐまぐとわたあめを食べると、佐吉が狙いを定めて、ぽんっと小気味良い音をたてて銃を撃った。小さな玉は逸れることなく的に向かい、ぽんっとやはりいい音を立てて当たった。しかし重みがある程度あるせいか、一発で的が落ちることがなく、あぁ、と残念そうな声が上がった。
「中ったのに・・・」
「商品がちょっと重かったね。でも少し動いたし、もう何発かで落とせそうだよ」
「もうちょっと上の方を狙ったほうがよさそうだな」
そういって、中る角度を計算して銃身を構える佐吉に、さすがい組、とぼやきながらその後ろでじぃっと見守る。そして再び引金を引いたとき、計算どおりに当たった弾は商品を揺らし、端の方にずらした。けれどやはりもう一歩のところで中々倒れてくれない。うーん、惜しい!
「あ、また!」
「もうちょっと、上手くいけばあと一発!」
「残り三つか・・・絶対取ってやる」
そういってプライドを刺激されたのか、佐吉の目に炎がめらり、と燃え盛ったような気がした。しかし、このままもしも三つ全部使い果たしたら佐吉の欲しいものが取れなくなると思うんだが・・・いいのか、水あめなんかで弾全部使って。そう言おうと思ったが、やたら真剣に的に狙いを定めている佐吉に口出しをするのは憚られ、肩を竦めると黙秘することにした。
まぁ取れても二人で分けるつもりだし(場合によっては他の子とも)、別にいっか。そうして後ろで見守っていると、ぽん、と肩に誰かの手が置かれた。その重みに一瞬肩を揺らすと、くるりと後ろを向く。・・・おや。
「彦四郎」
「見つけた、」
「佐吉はなにしてるんだ?」
「射的?何が欲しいのさ、佐吉は」
じょろじょろと待っていた人物達が集まってきてわらわらと佐吉の後ろに陣取る。一平ちゃんがわたあめちょーだい、と言ってきたのであげながら、全く後ろの様子に気づかず集中している佐吉の背中を眺めながら、こてりと首を傾げた。
「私が水あめ欲しいって言ったから頑張って取ってくれようとしてるの」
「水あめ欲しかったのか?」
「いや、佐吉と分けて食べれるかなと思って」
「僕達にはくれないの?」
「欲しいならあげるよ」
二人占めには別にしないけど。くるくると丸い円らな瞳を動かしてもごもごわたあめを頬張っていた一平に言えば、にこぉ、と嬉しそうな顔をする。その横で佐吉に声をかけていた伝七が、何故か射的に参加していた。
「佐吉、二人で一斉撃てば落ちる可能性が上がるよ」
「・・・そうだな。二人で一緒に撃ってみるか」
「二人とも頑張ってー」
「待ってるからなー」
「水あめ取ってね!」
後ろで彦ちゃんと一平ちゃんと3人で応援組に回ってみながら、ぱたぱたと手を振った。それにしても暑いなぁ。熱気が凄まじい。じっとりと額に浮かぶ汗を手の甲で拭い、はふ、と吐息を零す。そうして二人で一斉射撃の元、揺らいだ商品がごとっと重たい音をてて棚から落ちたのに、カランカランと鐘が鳴り響いた。ごつん、とやったな!と声をかけあう二人は正に青春の光景だ。微笑ましい。その後は残り少ない弾数、適当に彦四郎やら一平やらの注文に的を絞ったりしながら、二人合わせて五つの商品をゲットすることに成功した。
なんだかんだ、それなりにいい買い物してるような気がする。
「ほら、。水あめ」
「ありがとう、佐吉、伝七。皆で分けて食べようね」
水あめの箱を受け取り、にこにこ上機嫌で小首を傾げる。まぁ今食べるのはあれだから、これは後日のおやつということにしておいて。さぁ、皆で今度はカキ氷でも食べに行こうか?
今度は五人揃って、大通りの喧騒に溶け込んでいった。