夏祭り英雄譚―傍観編―
しゃくしゃくしゃく。シロップのたくさんかかった一番甘い氷の山の天辺にスプーンを差し込み、氷を一掬い口に運ぶ。冷たくて甘い味が舌の上に広がると、瞳を細めて嚥下した。
「冷たいねぇ」
「頭がキーンってなりそうだよ」
そういって、ぐしゃぐしゃに山を崩して掻き混ぜた真っ黄色のカキ氷をもって、彦ちゃんがとんとん、と米神を叩く。あぁ、ちょっと急いで食べるとそうなるよねぇ。同意しながら、横から伸びてきたスプーンに気づいておや?と眉を動かした。
「一平?」
「あ、見つかっちゃった?」
「こら、一平。黙って食べようとするなよ」
ぺろ、と舌を出して悪戯が見つかった子供のように肩を竦める一平ちゃんに、佐吉がきゅっと眉を吊り上げる。それに一平は忍たまだもの、気づかれない練習だよ、なんて嘯いて自分のカキ氷の中にスプーンを突っ込んでぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。緑色の氷が少し溶けて真緑の色が濃くなっている。ちらりと見えた舌も緑がかっていて、あぁこれがカキ氷の醍醐味だよねぇ、と宇治金時を掬い取った。
「じゃぁ失敗した一平ちゃんに一口あげよう」
「わぁい!」
はい、とスプーンごと差し出せばぱくりと頬張ってもぐもぐと顎を動かす。あ、ずるい、と伝七が言うので、同じようにスプーンに掬って食べさせてみた。・・・雛に餌付けしているような気になってくる。あーん、と大きな口をあけて食べる様にそう感じながら、同じように差し出された苺の氷を抵抗なく食べる。・・・これは私も傍から見たら鳥の雛のようなものなのかしら?
もぐもぐ食べながらやっぱ苺も美味しいなぁ、と思いつつ宇治金時を頬張る。
「そういえば佐吉はなに味だっけ?」
「空味、だって」
「どんな味だよ?」
「・・・さあ?」
問われてどう言えばいいのかあぐねたように首を傾げる佐吉に、それぞれが遠慮なくカキ氷の山にスプーンを突っ込んでいく。ぼこぼこと欠ける、真っ青な氷の山。いっそ毒々しいぐらい青いなぁ、と思いながらどんどん低くなっていく山に、佐吉が慌てたように氷を引いた。
「ちょ、皆食べすぎだ!」
「えー、だって空味なんて気になるし」
「うんうん。空味だし」
「結構美味しいんだな、それ」
「全く・・・あ、も食べるか?」
「ありがとー」
なくなるって言った直後に差し出すのかさきっちゃん。何か言いたかった気もするが、言葉が出てこなかったので大人しく差し出されたカキ氷にスプーンを突っ込んだ。
それにしても空味、か。青い色だからそう名づけられたのだろうが・・・要するに現代で言う所のブルーハワイである。変なところで時代を考慮してるよなぁ、と思いつつ私も佐吉に宇治金時を差し出しながら、スプーンを歯で挟んでかじり、と噛んだ。
くるりと目を動かして、今だ波の引きを見せない通りの人ごみにはふ、と嘆息し―――ちらり、と垣間見えた人影に眉宇を潜めた。・・・あれ、は。
じっと目を凝らすように瞳を細めて、道から逸れた暗がりで蠢くそれに首を傾げ、それからあらまぁ、とばかりにざくっとカキ氷にスプーンを突っ込んだ。ざくざくざく、と山を崩してさくりと口に運ぶ。
「どうした?」
「何か見つけたのか?」
じっと一点を凝視する私に気づいたのか、伝七と彦四郎がひょい、と両脇から顔を出してくる。こてり、を傾げた首でくるくると瞳を動かし、疑問を浮かべるそれに面白いもんじゃないけど、と一言置いて右に首を倒した。
「食堂のお姉さんらしき人影を見つけたものだから」
「食堂の?」
「ふぅん、来てたんだ、あの人」
「先輩達の誰かが誘ったんじゃないか?」
「確かに。一人では来そうにないな」
へぇ、とあまり興味関心をそそられなかったのか、おなざりな返答に珍しい子達、と思いながら(あるいは周りをよく見ているのか)まぁ祭りに一人で来るのは寂しかろう、と内心で呟いた。さすがにこの賑やかさの中一人は寂しいよ。溶けて固体から液体に変わり始めたカキ氷にちょっと食べるペースを上げると、私が見ていた方向につい、と視線を向けた佐吉が、あれ?とばかりに眉を潜めた。
「・・・なんか様子が可笑しくないか?」
「え、そう?」
「ほら、なんかあの人の他にも人影がある」
「先輩達の誰かじゃないのか?」
「いや、・・・あれは先輩達じゃないぞ」
そういって、瞳を細めた伝七が、「知らない男達だ、」と低く呟いた。その言葉に揃って顔を見合わせ、なんとも言えない雰囲気をかもし出す。
「・・・とりあえず、近くに行ってみる?」
「この距離と人ごみじゃどうなってるかわかりにくいし」
一平ちゃんの眉を下げつつな台詞にそれもそうだな、と頷いて、じゃぁ行こうか、と彦四郎が声をかけて動き出す。正直私は気乗りがしないんだけどなぁ・・・嫌な予感するし。
むぅ、とスプーンを加えながらなんとも言えない顔を浮かべつつ、人ごみをじょろじょろとすり抜けて食堂のお姉さんの様子がわかる程度まで近づいてみる。一定の距離を置いて、彼女達の死角で足を止めたのは状況を把握するためだ。まぁ、薄々勘付いてはいたけれども・・・その様子はまず間違いなく。
「絡まれてるね」
「うわぁ、お祭りにきて絡まれるなんて可哀想」
「先輩達はどこ行ったんだ?」
「はぐれたんじゃないかな?この人ごみだし。あの人たちが故意にあの人を置いていくとは思えないよ」
日頃の行動から省みて。佐吉が冷静にそういうので、一同揃って確かに、と頷いた。
日頃から「真由美さん真由美さん」と暇があれば群がってるからなぁ・・・。そんな人気者の彼女をこの状況で置いていくなんてことはしそうにない。まぁ二人っきりで来ていたところ、片割れが何かを買いに走って一人にした、という線もなくはないだろうが・・・どの道この状況、歓迎できたものじゃない。それにきっと連れは五年生だ。竹谷先輩だけか四人揃ってかは知らないが、ともかくもお姉さんはあまりよろしくない形で絡まれている。
焦った様子で何か口論をしている様子に酒に酔った男かはたまた素面のならず者か・・・どちらにしろ関わるには面倒この上ない相手には違いない。
なんでヒロインってこうもベタに絡まれるんだろう。頭の中に、昔よく見た、いやむしろ読んだことのあるベタな展開と状況を浮かべつつ、助けたものかどうしたものか、と溜息を吐いた。
「どうする?」
「どうするって・・・見ちゃったんだから助けるべきじゃ」
「でも、僕達であれに勝てるかな?」
「真っ向からじゃ無理だよ。策を立てないと。それに早く助けないとそろそろ危なそう」
そういって心配そうにちらり、と視線を向けた一平ちゃんに、確かに、そろそろ焦れた男側か何かしでかしそうな雰囲気を醸し出している、と眉宇を寄せた。しかしながら、私は事なかれ主義というか我が身が無事ならそれでいい、というタイプであって・・・実を言うと助けたいな、と思う気持ちはあれど実行する気はあまりないんだよね。怖いし。助けられるとは思えないし・・・可哀想、という同情心はあれども実行する勇気がないとは、全く我ながら情けない。しかし長年培ってきた性質はそうそう覆せないし、手を出した結果が目も当てられないようなことになったらどうしよう、という不安がちらつく。
あぁでもないこうでもない、と彼女を助ける算段を立てている彦四郎たちを見つめ、そっと瞼を伏せるように視線を下げた。・・・は組ほど実戦経験はないとは言うが、それでも彼らはちゃんと他人のために自分を動かす勇気があるのだ。優しい優しい良い子達。私にはできそうもない、と思うとしくりと何かが胸を刺した。そっと胸元に手をやり、ぎゅっと拳を握る。
あぁ、本当に私という人間は。自嘲を浮かべ、視線を彼らから外してお姉さんを見やる。
男の一人に腕を捕まれ、何か手荒く連れて行かれようとしている。あれ、本格的にやばくね?
「まずい。皆そろそろ本気連れて行かれそうだよ」
「え、あ、本当だ!」
「ど、どうしよう?」
「こうなったら後ろからあいつらに突撃して怯んだところでお姉さんと一緒に逃げるしか」
「大丈夫かなそんなので」
まぁ何か問題が起こりそうだが、人ごみに紛れてしまえばこっちのもんじゃなかろうか。あわあわと慌てている彦四郎たちを見やり、暗がりに連れ込まれそうになっているお姉さんにすっと瞳を細める。・・・まぁしかし、私らが何かせんでもどうにかなりそうな気がせんでもない、と思うのは果たして慢心か確信か。四人がいっせーのせ、で行くぞ!と声かけをしている間、じっとお姉さんを凝視し―――それから、ほっと息を吐いた。
「よし、行くぞ、いっせーの、」
「佐吉、行かなくていいよ」
号令をかけようとした佐吉に待ったの声をかけ、手をすっと横に出すと、えぇ?とばかりに視線が向けられる。どうして、という問いを向けられる前に、くいっと指を曲げて前方を指差した。
「ヒーローのお出ましだ」
そういって、本当に王道だな、といっそ感嘆の溜息を吐いて肩を落とした。きょと、と目を丸くした佐吉達が揃って振り向けば、あ、と声を出して胸を撫で下ろした。
今にもどこかに連れ込まれそうになっていたお姉さんを庇うように、その後ろから忍び寄った先輩―――五年生の竹谷先輩が、彼女の手首を掴む男の手を逆に掴んで捻りあげる。痛がるように声をあげた男達をぞんざいな仕草で放り捨て、お姉さんを背後に庇った竹谷先輩は、今まで見たこともないような鋭い眼光で静かに男達を睥睨した。
その瞳はまるで、縄張りを荒らされた狼のように鋭い怒気と殺気に満ちている。離れているというのに、思わず背筋がぞくりを粟立つような気迫を感じてぎゅっとカキ氷の器を持つ手に力を入れた。
「・・・竹谷先輩、怖い」
横で同じように彼から感じるものに恐怖を覚えたのか、いつも朗らかで明るい彼を日常に感じている分、まるでショックを受けたように一平の顔が青褪めた。彦四郎たちもごくりと喉を鳴らして指先を震わせ、きゅっと唇を引き結ぶ。あれは、私達には見せることのない、「忍者」としての竹谷先輩だ。いや、あるいは「男」としての、と言ったほうがこの場合適切であるのかもしれない。遠くからでもこれほど怖いと思うのだ。間近で受けた男共が平気でいられるはずがない。予想通り、一言二言何か彼に向かって言ったようだが、まるで蜘蛛の子を散らすように足早に去っていく様子に、なんとも鮮やかなことだろう、とかくりを肩から力を抜いた。それにしてもまぁ、なんてベタな展開。天晴れ、と書いた扇子でも広げて賞賛の言葉をかけたいぐらいだ。まだ余韻から抜け出せてない彦四郎たちを尻目に一人内心で苦笑を零した。生憎と、ああいった手合いの気配には慣れている。怖いと思う心はどうにも消えはしないが、けれど恐怖に支配されるほど耐性がないわけでもなく。
あぁでもやっぱり怖いなぁ。嫌だなぁ。見たくなかったなぁ。・・・思い出したく、ないなぁ。
細めた視界で、ほっとしたように向き合って会話している彼と彼女を見やり、それからゆっくりと視線を外した。彼がああして気迫と目だけで人を追い払えるのは、それができるだけの修羅場を潜ってきたということだ。つまりそれは、彼が、彼らが、それだけのことをしてきた、というわけで。行き詰るような心地に、知らず胸元の服を握り締めた。あぁ――ただ陽だまりだけを見ていれば、考えずともすんだことを。
「す、ごいね・・・竹谷先輩」
「うん。手を出さずに追い払っちゃった」
「あれが上級生なんだな・・・」
「ちょっと、怖い、な」
そういってぼそぼそと会話する声を聞き流しながら、瞬きを意識的にこなして嘆息した。全く、嫌になる。ぐしゃりを前髪をかきあげ、じんわりと額に浮かんだ汗を手の甲で拭き取ると、竹谷先輩に笑顔を見せる彼女を見てなんというか、と首を右に倒した。
「見事だねぇ」
「竹谷先輩が?」
「まぁ、うん。そんなとこ。さ、行こうか、もう心配いらないだろうし」
「そうだね」
「はーなんかすごい緊張しちゃったよ」
「僕も。ほら見て、手に汗握っちゃってる」
そういって掌の見せ合いっこをしている姿を後ろから眺め、ヒロインとヒーローに背を向けた。これで竹谷先輩のフラグは無事立ったのだろうか、ネオロマ風なら星が上がるイベント消化?見事だ。それは竹谷先輩の手際もそうだが、まるで仕組まれた劇を見ているかのような展開の仕方が。悪漢に絡まれるヒロイン。ピンチのところでそれを救いにくるヒーロー。
予想通りの展開過ぎていっそ笑いが込み上げてくる。なんでそんないいタイミングで出てこれるの竹谷先輩。なんでそう都合よくことが運ぶのお姉さん。あぁきっと、彼女はどんなことがあっても彼らに護られ無事でいられるに違いない。それは彼女が選ばれた存在だから。それを本当に喜ばしいとは――生憎と私は思えないけれど。
「まぁ関係ないけどね」
とにかく巻き込むのは上級生、ひいては一年は組までにしといて欲しい。どうかとばっちりはこっちにきませんように、と南無南無と提灯に向けて手を合わせた。もう、巻き込まれるのは懲り懲りだ。これぐらいの距離感で眺めていられれば一番平和なのになぁ、とカキ氷にスプーンを突っ込み・・・手ごたえのなさに、ありゃ、と眉を潜めた。
「溶けちゃった・・・」
器の中には、抹茶色をした液体がたぷたぷと揺れていた。