青色トンボと紅色ちょうちょ



 教科書とかは学園の支給品だけど、墨とか筆とか草履とか、いわゆる消耗品まで支給されるわけではない。つまり自腹を切って購入し揃えるしかないわけで、今日は偶々そういう日だったに過ぎない。賑やかしい昼間の町中を歩き、必要なものを指折り数えて確認する。今日は筆が馬鹿になったから筆の調達と、墨もそろそろストックもなくなりそうだからその調達、墨汁ではなく墨を研いで墨汁をつくるスタイルなのがなんだか面倒だ。
 とりあえず今必要なのはそれだけである。先輩達から筆や墨を買うならあそこがいい、ここがいい、という情報はしっかり貰っているのでそこを目指して進んでいる。良質なものが欲しいけれど、かといって高いものには手は出せない。基本的に親の仕送りで金銭面は賄っているからだ。偶にバイトをしないわけではないけれど、やはりそれが特別必要な生活ではない限りは、あまりすることはない。ざりざりと砂を蹴る音を立てながら、目的の暖簾がかかった店を探してぐるりと視線を一巡り。きょろ、と動いた目が度々見かける後姿を見つけて、私はおやぁ?と瞬きをした。

「不破先輩?」

 ・・・かな?多分、うん、自信ないけど。見えたのは後姿だけで、ふわふわとしたちょっと色素の薄い髪と面長な横顔が見えたぐらいで確証はない。もしかしたら変装した鉢屋先輩かもしれないが、店先で佇んでうんうん悩んでいるようなので、不破先輩の確立が高いのではないだろうか。もっともそれすら違って全くの別人という可能性もないわけではない。
 位置的に見えたものだけで完全に彼だと判断するには材料が少なすぎた。生憎とそこまで先輩と親しいわけでも注意深く見ていたこともないので、ちょっと見ただけで彼だとわかるような目は持ち合わせていない。そしてわざわざ交流も少ない相手に声を掛けに行くような性格でもないので、私は不破先輩ならしばらくあのままあそこから動かないかもな、と気楽な気持ちでその場は立ち去った。いや、特別親しくもないのに声かけても気まずくなるだけだと思うんで。それよりも自分の目的を達成したかったし。一端先輩のことは忘れて、私は自分の目的を達成するために再び暖簾探しに周囲を見渡した。





「ありがとうございました」

 やんわりと穏やかな声が背中を追いかける中、暖簾の下を潜って(生憎と暖簾を腕でどけるほどの背の高さはなかった)ほくほくと頬を緩ませて店の外に出る。やっぱり先輩のおススメって聞いておくものだね!安いし店の人親切だし結構質いいし、ここ御用達にする理由がよくわかる。後で先輩にお礼いっておこー。いい買い物をした、と買ったものを両腕に抱えてぐるりと思考を一周させる。さて、必要なものは買ったけどこの後はどうしようか。
 このまま真っ直ぐに学園に帰ってまったりするのもいいが、しかし折角出てきたのにどこにも寄らないというのはいささかつまらない気もする。まぁ金銭にさほどの余裕があるわけではないので何かを買うということはできないけれども、冷やかし程度に見て回るのもいいかなぁ。どうしようかな、と軽い気持ちで道の端を通り過ぎ、ちらちらと目に入る店の暖簾を確認する。今の所特に欲しいものはないのだけれど・・・あぁでも結い紐とかはちょっと気になるかな。簪まではあまり興味そそられないけれど、見る分には楽しいし。
 それとも食事処でもチェックしておこうか。先輩からは甘味屋とか、しんべヱ君からは美味しい蕎麦屋があると聞いたことがある。場所を調べて今度皆で行くのもいいかもしれないなぁ。浮かれた気分でそうしようかな、と進路を定めると雑踏の中をするすると抜けていく。
 今日はさほど人もいないようで、のんびりと動くことが出来そうだ。肌を撫でる風に心地よさを覚えながらするりと人の横をすり抜けると、刹那、あ、と驚いたような声が聞こえてくるりと後ろを振り返った。なんだろう?私と同様に声が聞こえた何人かが振り返ったようだが、振り返った先の人物に、私はあら?と瞬きをして足を止めた。

「・・・不破先輩?」
「こんにちは、ちゃん」

 にこり、と柔和な笑みをその面長な顔に浮かべる姿に、こちらもこんにちは、と言い返して体ごと振り返る。立ち止まった幾人かは、自分達には関係ないことだとわかったからか、さっさと歩き出してしまいそこに立ち止まるのは私だけになってしまった。
 ・・・すっかり忘れていたが、そういえば不破先輩をこの辺で見かけていたな。少し前の記憶を思い返しつつ、がっちりと目が合った今挨拶だけして帰るというのも気が引けるので、成り行きで先輩の方まで歩み寄りつつ、そこでやっと先輩がどの店の前にいるのかを把握した。・・・簪屋?というか結い紐屋?まぁ要するに女性物の品を扱う店だ。ふぅん、と興味なく頷きながらこてりと首を傾げると、不破先輩は照れ笑いをするように眉をへにょん、と下げていきなり呼び止めてごめんね、と誤ってきた。それに首を横に振ることで否の返答を返し、微笑みを浮かべたまま口を開いた。

「先輩は何かお探し中ですか?」
「あー、うん。ちょっと授業で使う簪の物色にね」
「女装ですか」
「はは、もうこの年になると女装も難しいと思うのだけれどねぇ」

 立花先輩や兵助ほど顔が整っていればまだマシなのだろうけれど、と己の顔に触れながら困った、と言う先輩に、まぁ体つきもしっかりした方だから線を隠すのも一苦労だろうな、と適当に頷いておく。正直この年で女装するのは大変だよね。あぁでもあれだよ。元がいいに越したことはないけれど、顔があれでも化粧でどうとでもなる範囲だろうし、先輩愛嬌があるからイケルイケル。そうですかー、と朗らかに相槌を打ちつつ、ならきっとどの簪にするかで迷っていたのだろうなと一人納得した。一体どれだけ迷っていたのだろうこの人は。

「じゃぁ簪はもう決まったんですか?」
「あぁ、うん。一応ね。でも・・・」

 そういって言葉を濁した先輩に、まだ何かあるのか?と先を促すように相槌を打ってみると、眉を八の字にした状態で不破先輩は実は、と口を開いた。聞いた後に聞かなきゃよかった面度くせぇ、と思ったが、まぁそれは所謂後の祭りというものである。ちっ。

「どうせなら真由美さんにも何か買って帰ろうかと思ったんだけど・・・どれにするか迷っちゃって」
「あー・・・真由美さんですかー」

 そうか、お土産にね。買おうと思ったんだね。健気ね、決して安くないだろうに。きっと自分のものを選ぶよりも散々悩みに悩んでいるのだろうと微笑ましく思いながら、まいったな、とひっそりと肩を落とした。生憎と私は別にセンスというものはないので、どれがいいか訪ねられてもわかりませんよ。そもそもあの人にさほど興味を持っていないというか、接触することもないのでどれが似合うかんてわからないし。似合うものなんて、相手のことを良く知らないと判断できないのだ。つまり私を呼び止めたところでいい助言など貰える筈もない。
 ご愁傷様不破先輩。頑張って悩んでくれ。そうは思っても。それを不破先輩に伝える術はなく、想像通りにこれとこれ、どっちがいい?なんて聞いてくる先輩に、そうですね、と答えながらも内心どっちでもいいんじゃないか、と思っていた。
 定番の玉簪に、恐らく最近の流行になっているのだろう蝶がついたちょっと大きめの飾りのついた簪。どっちも可愛いし色も綺麗だし、どっちをあげても多分似合うんじゃないだろうか。あとは本人の好み次第だろうし、あの人なら普通に喜んでくれると思うし。
 うん、どっちでもいいじゃない、というのが個人的意見だが、そこは恋する男心。どうせなら一番良いものをあげたいという心理は手に取るようにわかる。つまり適当な助言は許されないということだ。なんという難問。よもやこんなところでこんな難問にぶち当たることになろうとは。うーん。

「・・・個人的に好きなのはこちらの玉簪です。基本的になんにでも合いますし、合わせやすいですし、ごてごてしていないのでつけやすいかと。ただ最近の流行という意味ならこちらを贈った方が喜ばれるのでは?」
「うーん、そっかぁ」

 私としてはシンプルなのが好きなんだけど、と思うがあの人の好みはわからないのでそれ以上言いようがない。とりあえず助言にもなっていない助言をしてみると、先輩は両方を見比べてうんうんを再び考え始めた。その様子を見つつ、店の方に目をやるとちょっと呆れたように店の人がこちらを見ていた。うん、きっと長時間ここにいるだろうから、店の人もいい加減にしてくれないかなとか思ってるんだ、きっと。本当どれだけ迷っていたのだろうか、この先輩は。じゃぁそろそろ私はお暇しようかなぁ、と思ったが、今だうんうん唸っている先輩をこのまま放っておくのは・・・微妙、か?いやでも言うだけいったし。あとは正直先輩の匙加減・・・・あぁ、そうか。

「先輩、先輩」
「ん?なんだいちゃん」
「先輩は赤と青ならどちらの色が好きですか?」
「え?そうだなぁ、どちらかというと青、かな?」
「そうですか、なら先輩こっちの玉簪にしましょう」

 そういって、綺麗な青いトンボ玉をくっつけた涼花の玉簪を指差すと、え?とばかりに先輩の目が見開かれる。元よりどんぐり眼だった目は余計に丸くなって、ちょっと幼いような気さえした。私はにこり、と笑みを浮かべてだって、と口を開く。

「どうせなら自分の好きな色を身につけてもらえたほうが嬉しく思いません?」
「・・・そうかも」
「でしょう?迷って決めかねるなら、いっそ自分の好きなものをあげるといいですよ」

 はいこれで解決。そういうようにぽん、と両手を合わせてにっこりと笑うと、不破先輩はとっくりと二つの簪を見つめてそれから納得したようにようやっと晴れやかな笑みを浮かべて見せた。

「うん、そうだね、そうするよ。ありがとうちゃん」
「いえいえ、お役に立ててよかったですよ。では私はこれで」

 ぎゅっと青いトンボ玉のついた簪を握り締め、蝶のついた赤い簪は棚に置きながら店の人を呼ぼうとする不破先輩にそう声をかけて、早々に踵を帰す。あーよかったよかった。なんとかなって。後ろから「あ、ちょっと」という声が聞こえたような気もしたが、これ以上捕まるのも面倒というかどうせこの後の展開はお礼に・・とかなんかそんな感じのことだ。
 違ったとしても、そもそも先輩とあまり接触したことがないので会話に困るのが現状だ。よしんば考えている通りにお礼に・・なんて流れになって会話に詰まったら居た堪れないじゃないか。私はくるくると話題提供ができるような人当たりの良い人間ではないのですよ。どっちかというと引きこもり万歳な人間なんですよ。それにただ通りすがっただけだしなぁ、と諸々言い訳染みたことを考えながらも、一番は。

「遠い所にいたいんだよね」

 ふぅ、と溜息を零して、でもこれで学園で何か接触が起こったら面倒だな!なんてちょっと思った私は、いささか妄想がひどいのではないか、と思った。世の中早々うまいこと誰かと接触することなど、主人公でもない限りはありえないのに・・・あれだなぁ、夢見すぎてたんだなきっと。いやでも現実に、現実としてありえないことを経験したからこその防衛本能か?うーん・・・まぁなるようになるだろ。幸いにも学園内でい組以上に忍たまと接触することは少ない。気にしすぎだな、と結論付けて、くるりと足を動かした。甘味屋とお蕎麦屋、どっちの確認に行こうかな?