振り返れば空ろの影



「君はどう思いますか?」
「何をですか?」

 縁側でお茶をしばくように、日向ではなく日陰の下でお茶とお饅頭を広げて向かい合いながら首を傾げると、顔に縦線を入れた斜堂先生がそう問いかけてきた。
 何ゆえ私がろ組の教科担任と日陰ぼっこという意味のわからないことに付き合いつつお茶を飲むことになったのか・・・それは誘われたから、としか言いようがない。
 事実今日はちょっと暑いくらいの気温だったので、木陰の下は涼しくて過ごしやすかった。
 無論、この一風変わった(この学園で変わっていない教師は少ないけれど)、実を言うと接点などまるでない先生に、日陰ぼっこに誘われるとは思っていなかっただけに断ることも一度考えたのだが。・・・なんか恨めしそうな見た目に、断ったらいけないような気がしてこうして向かい合っているのだ。だって正直火の玉浮かんでて怖いよこの人。
 お茶とお饅頭の用意までしてあるところはもしかしてろ組の子達にすっぽかされたのかしら?と思ったけれども、ここは突っ込んではいけない部分であろう。斜堂先生、繊細そうだし。確か潔癖症なんだったっけ?安藤先生が忍びがそれでは、と馬鹿にしていたような記憶がある。まぁそれはさておき。
 突然の質問の意図がつかめず、当然のように聞き返すと斜堂先生は暖かいお茶の注がれた湯飲みを、そのきっと冷え性だろうなぁと思われる見た目よりも無骨な手で包み込んでふぅふぅと息を吹きかけた。

「あの天女さんのことを」
「えーと、好きか嫌いかとかですか?」

 予想外の質問にパリクリと目を瞬かせつつ、なんでそれを私に尋ねるのだろう?と首を傾げた。・・まぁそりゃ、他の子に聞いても「好き」以外の返答など返ってこない気はするが、そこで何故私に聞く。胡乱に見やると、斜堂先生はお饅頭を二つに割って中の餡子を確認して、それが粒餡なことにいささかの落胆を見せていた。・・・私も目の前のお饅頭を割って中身の餡子を確認してみる。あ、こっちこし餡だ。無言で二つに割ったこし餡のお饅頭の一方を差し出すと、斜堂先生はお礼を言って受け取り、私に割った粒餡の一方をくれた。交換成立。もぐもぐ咀嚼するとちょっと甘すぎる気もしたが、中々美味しかった。斜堂先生は甘党なのかもしれない。

「うーん、好きか嫌いかでいうなら、まぁ好き、な方だと思います」
「結構曖昧なんですね」
「はぁ、まぁ。さほど話したことがないので、好き嫌いを決められるほど知らないんです」
「おや、珍しいですね。大半の子はあの人と話したことがあると思っていましたが」
「あー、たくさんの方に囲まれているので、接触する機会がないんですよ」

 特別したいとも思ってはいないが、あえて口にすることもあるまい。甘ったるい餡子の甘みを中和しようとお茶を飲むと、ほどよく渋みと甘みがマッチして口の中がいい感じになった。・・・このお饅頭の甘さ、これを見越してのことか・・・!舌の上の感動に浸っていると、斜堂先生は瞳を細めてでは、と更に口を開いた。

「あの人のことを、あなたはどう考えますか?」

 ごくり。反射のように口の中のものを飲み下して、喉を上下させる。いつもの儚げな口調の割りに、嫌な重みを纏っているようにも聞こえてぎくぎく、と肩を強張らせて私は薄っすらと不気味に微笑む斜堂先生の細い面を見つめた。・・どういう意味だ?
 困惑を浮かべて見つめ返すと、斜堂先生は微笑んだままお饅頭を頬張っている。多少こけた頬がそのときだけふっくらと膨らんでみえたが、私は言葉の意味を咀嚼するように軽く俯き、もそり、とお饅頭を齧った。餡子は相変わらず甘いけれど、堪能するような気分じゃない。

「別に、どうとも」
「そうですか」

 曖昧な答えを募るでもなく、あっさりと肯定されてなんだか座り心地が悪い。日陰のせいかじんわりと湿っている地面の感覚も不快で、もぞ、とお尻を動かして私は急いでもぐもぐとお饅頭を食べた。いや、残すのは勿体ないからさ。しかし一気に食べるとやっぱり甘さが際立つので、熱いお茶も間に挟むものだから思ったよりもスピードが上がらない。じゃぁお茶飲むなよ、という話だが、このお茶とお饅頭の感じが絶妙で・・・。

「・・・斜堂先生」
「はい」
「なんで、そんなこと私に聞くんです・・・?」

 俯き加減に、けれど視線を合わせないのも失礼な気がして控えめに見つめれば、彼はポーカーフェイスのような微笑みを崩すことなく、そうですねぇ、とのんびりと口を開いた。

「偶々そこにいたから、でしょうか」
「・・・本当にそれだけ?」
「えぇ、そうですよ」

 だって、他の子に聞いた所で答えなんてわかりきっているでしょう?と。朗らかに言い切られてしまえばぐぅの音も出ない。わかりきっている答えだから、誰でも良かったということなのだろうか。ならその質問に意味はあるのだろうか。ていうか、じゃぁ私の答えって、予想してたものとは違うものだったんじゃ・・・?

「違うものだったから、聞いた甲斐があったってことですよ」
「はあ。そうですか・・・」
「そうですよ。ふふ・・・君の答えは、少数派でしょうね」

 そういって、薄っすら細まった双眸にぞくりと肌が粟立つ。あれ、斜堂先生ってこんな目をする人だっけ?まるで値踏みするように、色もなくしかしねっとりと這い上がる視線にぞわぞわと産毛が逆立つのを感じながら、こういう一面もあるのだろう、と無理矢理に納得させた。

「あの、私、そろそろ・・・」

 お饅頭を平らげて、お茶も飲み干して、よし未練はない、というところまで持ってくるとそういっておどおどと斜堂先生を見上げる。どうしよう、私この先生苦手かもしれない。
 まるで幽霊みたいな雰囲気も夜中に遭遇するのは勘弁したいな、というものだし、気配が希薄で空恐ろしい。背後に無言で立たれたら悲鳴をあげない自信が私にはなかった。
 それにこの、人を測るような目が、なんだか心の奥底まで覗こうとしているようで居心地が悪い。何を求めて何を知ろうとしたかったのか、それはわからないけれども本能的に拒絶を覚えてじりじりと立ち上がる準備をしていると、斜堂先生はにこりと笑ってあぁ、と頷いた。

「これは随分と引き止めてしまいましたね。いやいや、参考になりましたよさん」
「それは、何よりです」

 なんの参考になったんだよ、と思いつつもぐっと飲み込み、愛想笑いを浮かべて木陰から這い出るように日向へと逃げ込んですくっと立ち上がる。じんわりと湿るお尻を気にしながらぱたぱたと草を叩き落とし、失礼します、というつもりで振り返りはた、と瞬きをした。

「・・・斜堂先生、お怪我をされていたのですか?」
「え?」

 正面からではわからなかったが、上から見下ろすと丁度装束の合わせ目から胸板が垣間見えたのだが、そこにいつもの下着は見えず、幾重にも巻かれた白い包帯がチラリと見えた。包帯=怪我というのは短慮かとも思ったが、大抵ここの教師は下にそんなもの巻いてやしない。しかも腹部だけでなく胸元まで覆うサラシなど、ここでは見たことがなかった。
 心配気にきゅっと眉を寄せて覗き込もうと腰をかがめると、斜堂先生は自分の胸板をつるりと撫で、おや、と語尾を上げた。

「これはこれは、私としたことが」
「斜堂先生?」

 どこか可笑しそうにくつくつと笑みを含んで斜堂先生が呟く。その様子に、ぱちりと瞬きを一度繰り返すと斜堂先生はうっそりと微笑みを浮かべた。なんかその笑顔、不気味。
 本人安心させるつもりで笑っているのだろうか、と思いつつ、保健室に、と視線を外した。いや、でも斜堂先生なんだから保健室にぐらいもういってるか。じゃぁ私余計なお世話かな、と思いつつも一応伺いを立てておくべきか、ともう一度斜堂先生に向き直ろうをした刹那。

「とんだ凡ミスをしてしまったな」
「・・・え?」

 あれ、今、声が。ぎょっと目を丸くして慌てて振り返ってみたが、私は更に息を呑んでひっと小さな悲鳴を零した。喉が引き攣って喘ぐように唇を僅かに戦慄かせ、目を大きく見開く。

「しゃ、斜堂先生・・・?」

 呼びかけるように名前を呼ぶが、応えはない。木陰の下には、二人分の湯のみと急須、それに残った数個のお饅頭だけが残されてガランと空間が残るばかり。そこにいたはずのあの暗く不気味な教師の姿はなく、私は呆然と佇んで薄暗い空間を見つめていると、ひくりと頬を引き攣らせた。

「ど、どういうオチ・・・!?」

 実は幽霊でしたよオチなのか、それとも以上鉢屋でした~☆っていうオチなのか・・・!ぞぞぉ、と一気に這い上がってきた寒気に服の上から両腕を擦りつつ、私はひえぇ、と声にならない声をあげてきょろきょろと周囲を見渡した。どこかに人影はないものか、いやもしかして地面の落とし穴とか塹壕とかに落ちたのかも!そう思い視線を下に落すも、穴がぽっかり開いた形跡などありゃしない。そもそも鉢屋先輩なり教師なりが、不運でもないのに落とし穴に落ちるはずもなかった、と思い至り私はがくりと肩を落とすと、じゃぁ今のはなんだったのよ?と首を捻る。まさか本当に幽霊?いやいや、そんな非現実的な・・・・て、地味に自分の存在が非現実的な事実にぶち当たって軽く落ち込んだ。なに自分で自分追い詰めてるんだろう、私・・・。ひゅるる、と季節はずれの空っ風が吹いたような錯覚を覚えつつ、溜息を零してしゃがみこむ。
 冷静に考えよう。まず、幽霊という線はこの際なかったことにして、現実的な方面で考える。つまり、あれが真実斜堂先生であったか誰かの変装であったか、だ。
 人がいるよりもいた形跡があったほうがよりうら寂しく感じる木陰の下の茶会の名残に、片付けの手を伸ばして思考を巡らせる。誰かの変装であったのならば学園で確立が高いといえば、五年の鉢屋三郎先輩だ。あの常に誰かしらの顔の被っている先輩ならばこれぐらいの悪戯はしそうである。しかし単純に変装という点だけを考えるなら、別に上級生ならば誰でも可能ではあるだろう。特別あの先輩がそれに長けているだけで、別に他の人ができないというわけでもないのだから。うぅむ・・・。多少中身の残るお茶をその辺に捨てて、湯のみの中を空にしながらしかし、と一拍呼吸を置いた。

「鉢屋先輩なら、自分の正体ばらしていくよねぇ・・・」

 大概、からかい目的なのだからあの先輩は最後には自分が鉢屋三郎だとばらして高笑いしながら逃げるのがオチである。あんな、姿も正体も表さず風のように消えることはあまりない。彼は正体が判明したときのあのしてやられたという顔がどうにも好きなようだから、きっとあれは鉢屋先輩ではないのだろう、となんとなく察してお盆を抱えた。かちゃり、と揺れた茶器の音が微かに響いて鼓膜を揺らす。それでいうならあれが真実斜堂先生であった場合も何も言わずに去るなどということはしないに違いない。私は生徒で、先生は先生だからだ。あんな風に、逃げるように音もなく消えることはない。あぁ、だと、するならば?

「・・・曲者、だったんだろうなぁ・・・」

 くの一失格である、これでは。溜息を零して、恨めしげにお盆のお饅頭とお茶をねめつけた。シナ先生からお説教貰うかもしれない・・・でも言い訳させて貰えるなら、だってわからなかったんです、と言い張るしかない。包帯がなければ本物だと信じて疑わず終わってたに違いないぐらい完璧な変装だったのだ。それに私斜堂先生のことそんなによく知らないし。知らない相手を本物か偽者か判別するなど、無理だと思わないか?凡ミスだ、と聞こえた声の低さを思い浮かべながら、このお饅頭とかに毒が仕込まれていないことを切に祈り、私は重たい腰をあげた。

「先生に報告しないとなぁ」

 恐らく、あの曲者の目的は、学園の天女であろうから。私利用されたんだよね、と思いつつ、しかしあんな質問で何がわかるのやら?と首を傾げた。あぁそれにしても、憂鬱だ。自分の駄目なところ報告しに行くなんて、気が重い・・・。しかし報告せねば何が起こるか。
 こんなちっぽけな、プライドとも呼べないもののせいで口を噤むほど、私は子供ではなかった。これが騒動の火種でないことを切に願いながら、のろりとした動作で踵を返した。
嗚呼。

「天女様誘拐とかにならなきゃいいけど」

 いつかそんなイベントが起きそうで怖いよ、全く。今後の憂いを含めて、大きな溜息を一つ、風に乗せて吐き出した。