雪下ろし



 吐く息は白く、視界に映る光景さえも白い。忍術学園は今白銀の世界に閉ざされて、身も凍るような寒さに震えているところだ、と言いたいところだがそれは一部の人間だけで、今や学園の庭は阿鼻叫喚の地獄絵図と成り果てていた。静かな情緒溢れる雪景色もこうなるとただの戦場だな。くの一長屋の屋根の上で、鋤をざくっと積った雪に差し込みながら、額に浮かぶ汗をふぅと拭いしばしの休憩を入れる。長屋の上からなので忍たまの学び舎の方もよく見えるわけだが、あれは酷い。緑青紫と入り乱れる雪上で飛び交うのは雪球、なんていう生易しいものではない。苦無に始まり手裏剣、爆弾、砲弾、縄標、戦輪に・・・多種多様な武器の数々。何故に雪上で爆発音まで聞こえなければならないのか、とんとわからぬまま吹っ飛ぶ忍たまを見上げて、ざくっと掬い上げた雪を下に落した。どさどさどさぁ、と馬鹿にできない落下音に、ようやく屋根の色が見えたことにほっとしながらちくしょう、と恨めしく愚痴を零す。同じく屋根の上で雪かきをする先輩方も、ぶつぶつと「忍たまコロス」とぼやいている辺り、苛立ちも増しているのだろう。でも殺すとか物騒だから止めて欲しい。

「もー!なんで私達が雪かきしなくちゃいけないのよ!これ忍たま共の仕事でしょ!?」
「本当よね。か弱い女の子にこんな重労働させるなんて・・・許すまじ」
「寒いでしゅー!疲れたでしゅー!お部屋でお蜜柑食べたいでしゅ!」

 とうとう堪忍袋の緒が切れたように、鋤を放り出して地団太を踏むユキ先輩に、ぼそりとトモミ先輩の怨念の篭った声が重なって聞こえたこっちとしては思わずびくっと肩を跳ねさせた。その横で手袋をした手を擦り合わせ、可愛らしい我がままを口にするおシゲ先輩がいるから余計に、だ。忍たまにしてみればか弱い?どこが!と言いたいところだろうが、純粋な力でいえばか弱いは間違ってはいない。そもそも雪かきは男の仕事なのである。
 というか、本来雪の重さに潰されないように屋根の上の雪かきは学園生徒に通達されていて、今日行われるはずだったのだ。今年はどうも寒さも一段と厳しく降雪量も多かったらしく、一斉にやろうということでちゃんと決まっていたはずなのに、忍たまのほうでは何を間違ったのか雪合戦ならぬ雪上合戦が勃発して雪下ろしどころの話ではなくなっている。
 今回も力仕事は忍たまに任せて悠々自適に自室で過ごす予定だったくの一としては「ざけんなてめぇらぁ!!!!」と苛立ちマックスなのであるが、行う相手がいないのだからどうしようもない。何が原因でこうなったのか・・・それは近くにいたわけではないのでわからないが、急遽くの一だけでくの一長屋の雪下ろしをする羽目になったことは確かにちょっといかがなものかと思う。雪下ろしは忍たまに押し付ける気満々のくの一教室ではあったが、ちゃんと労を労うためにお汁粉とかそういうのだって用意する準備はできていたのに・・・恐らく忍たまはお汁粉の代わりに毒を盛られることだろう。やるべきことを怠ったのだから自業自得とはいえ、なんとも言えない。見渡す長屋の屋根は、頑張りの甲斐もあって雪の白さから元の屋根の色へと変わっている部分も増えてきたが、まだまだかかりそうだ。男手があれなもう少し進行速度も変わってくるとは思うが・・・まぁ体力自慢の先輩方が頑張ってくださっているので、なんとかなるだろう。

「そういえば、忍たまは屋根の雪下ろししなくて大丈夫なんですかねぇ」

 くの一教室はなんだかんだくの一がいるからどうとでもなるが、あっちは一切手付かずだ。さすがにいきなりぺしゃんと潰れることはないだろうが、それでも今日の夜辺りまた雪が降るだろうし、明日晴れるとも限らない。そうなると雪下ろしの機会を逃すことになりかねないが・・・まぁ、雪国ではないのだし、大丈夫なのか?こてんと首を傾げて鼻を啜ると、お腹すいたー!!!と雄たけびをあげるように叫んだそうこ先輩が、自業自得!と腕を組んだ。

「今日の予定全部すっぽかしてるんだから、どうなろうがあっちのせいでしょ。それよりもご飯!ご飯プリーズ!!」
「はいはいもうすぐ昼食になるわよ」

 お腹が減って力がでないよぉ!とがくりと傾斜になっているところに膝をつくそうこ先輩。危ないですよ、と声をかけるもミカ先輩がほっときなさい、と頭を撫でてきた。でもここ傾斜ですし、下雪ですし、と口ごもると同時にズズゥ、と雪が斜めにずれる。あ、と思ったときには時すでに遅く、そうこ先輩中心に周囲が雪崩が起きたかのように屋根から滑り落ちていった。

「ぎゃあああああああ!!!!!」

 悲鳴が雪が崩れる音に紛れて長く尾を引いていく。あっちゃぁ、とばかりにユキ先輩が額をぺしりとたたき、トモミ先輩が馬鹿ね・・・とばかりに半目で屋根の下を見やる。おシゲ先輩一人が屋根の下を覗きながら大丈夫でしゅかー?と問いかけていて、私もその横に並びながら一部だけ雪山の形成された部分を見下ろした。

「そうこ先輩、無事ですか!?」

 うわぁ、下が雪とはいえ、無事なのだろうか?というかあの雪山の中に埋まってるんだよね、多分。怪我がなければいいが、と案じていると、雪山がうごうごと蠢き、ずぼぉ!と腕が一本、雪山から生えてくる。天に向かって突き上げるかのような雄雄しい腕の次に、だらっしゃぁ!!!と勇ましい掛け声が雪山を跳ね除けるようにしてその姿を現した。先輩、女子としてその勇ましすぎる掛け声はいかがなものかと思います。

「さーむーいーーーー!!つーめーたーいーー!!おーなーかーへったぁぁぁぁ!!!」
「最終的にお腹が減ったなのね、あの子は」
「怪我なんてなさそうねー。でも、私もそろそろお腹が減ったわ」
「そうねーもう昼だし、降りて食堂に行かない?残りは午後やっちゃいましょ」

 そういって、雪山に埋もれたがゆえに凍えているそうこ先輩など、歯牙にもかけていないかのようにマイペースに会話を成立させるユキ先輩達に、日常茶飯事なのかこれは、と思いながら私もお腹を押さえた。ぐぅ、と虫が鳴くことこそないものの、空腹は確かに存在している。
 まぁ朝からずっとやってるしなぁ。忍たまが来るかと思えばあんなことになってるから急遽全ての予定を返上して雪下ろしをすることになっちゃったんだし。今日一日、雪下ろしで全てが終わってしまうことだろう。なんて残念な一日だ。溜息を吐きつつ、私はやや離れたところで雪下ろしをしている他の先輩方に声を張り上げた。

「せーんぱーい!そろそろお昼にいきましょー!」

 声が聞こえたのか、先輩が鋤を持っていた手を止めて、背筋を伸ばしてひらひらと手を振ってくる。そうして他の人にも声をかけていたから、くの一教室は今日は仲良く全員で食堂に押しかけることになりそうだ。今日のお昼は何かなー?

「あ、そうだ。お汁粉も作ってたんですよね、おシゲ先輩」
「はいでしゅ。まぁ、ほとんど無駄になりそうでしゅけど・・・」

 そういってちら、と向けるのは忍たまの方である。最早BGMと化していた爆発音も悲鳴も、未だ止む気配もなくなんだか一層のカオスと成り果てている。あの後追い討ちをかけるかのように面倒ごと(雪かき)とくの一からの逆襲があることなど、露とも考えてはいないだろう。
 はて、乗り切れるだけの体力が残っているのかどうか?

「ちょっとお汁粉、貰っていってもいいですか?」
「それは構わないでしゅよ。たーくさん余りそうでしゅから」
「ありがとうございます!」

 まぁでもそれ私には関係ないしな、とさくっと切り替えて、おシゲ先輩の返答ににっこりと笑みを浮かべる。わぁい、とばかりに喜ぶと、微笑ましげに見られたがまぁいいか。

「なぁに、はお汁粉そんなに好きなの?」
「いや、私はそんなには。ただ、彦四郎たちが確か食堂のほうの雪かきをしていたと思うんで、お汁粉あげようと思って」
「い組の?・・・あれに参加してるんじゃないの?」
「や、食堂辺りなんで巻き込まれてはないと思いますよ?」

 巻き込まれてたらあげられないが、真面目にやっているなら労を労うのは当然だ。こて、と首を傾げると、あらそうなの?とばかりにトモミ先輩が目を丸くする。多分ですけど、と頷けば、感心したようにへぇ、と頷いたので、どうやら彼等の株が上がったらしい。友人の株が上がるというのは存外嬉しいもので、どことなく誇らしげな気持ちになりながら、にっこりと満面の笑みを浮かべた。それから先輩方が屋根から直接下に飛び降りていたのだが、私は雪のクッションがあるとはいえそんなことする度胸はなかったので大人しく梯子を使用し、下まで降りて食堂まで赴いた。先輩たちアクロバットすぎる。すげぇよ忍者。食堂周辺には屋根から落とされた雪が積み重なっていて、食堂の屋根の雪も全部ではないが落ちている。十歳の子供がやったにしては大層な努力の成果が見えて。うおすげぇ、と感心して中に入れば、すでに彼等はそこにいて、暖かいお汁を飲んでいた。私もカウンターに並んで今日の昼食をお盆に乗せて、彼等の近くにいそいそと近寄る。

「彦四郎、一平、佐吉、伝七!」
。そっちもお昼?」
「うんそう。大変だったね、上級生はなんかすごいことになってたでしょ」
「あぁ、あれ。僕達はこっち担当だったからあんまり関係なかったけど・・・」
「というか逃げてきたからね、ひどくなる前に」

 そういって苦笑しながら椅子を進めてくる彦四郎に、お礼を言いながら座れば佐吉がおしぼりを手渡してきた。至れり尽くせり、とありがたく暖かいおしぼりを受け取って掌を拭きながら、そういえば、と疑問を口に乗せる。

「あれ、何が発端?」
「アホのは組と真由美さん」
「確かは組が雪かきしながら遊び始めて」
「そうそう、そこで真由美さんが出てきて」
「そこで雪合戦してるんですー、なんては組が言い出して、真由美さんを巻き込んで」
「そしたら他の先輩方も参戦してきて、最終的にルール無用のなんでもあり状態になったんだ」
「もうあれ雪かきどころじゃなかったよな」
「先輩たち当初の仕事忘れてたし」
「そっちは?なにしてたの?」
「うん?長屋の雪下ろし。本当は忍たまがするはずだったんだけどねぇ。あれでしょ?急遽くの一教室総出ですることになっちゃって」

 だから多分今日の夜か明日ぐらいにはすごいことになってるよー、と苦笑しながら言えば、伝七がげ、とばかりに嫌な顔をした。

「ちょ、僕達は関係ないだろ?!」
「そうだそうだ!からも何か言っておいてくれよ」
「真面目に僕達はしてたよ!」
「なんとかならない?」
「ん、大丈夫だと思うよ、それは。食堂の屋根は雪下ろしされてたし、ここにいるし。でも不安ならもう一回先輩方に言っとく」

 ユキ先輩達には伝わってるだろうから、多分大丈夫だとは思うけれど。ずずぅ、と熱いお茶を啜りつつ、楽しげに食事をしている先輩方をちらり、と見て首を傾げると、伝七たちもほっとしたように胸を撫で下ろした。そりゃ真面目にしてたのに巻き込まれたらやってられないだろう。くの一教室の恐ろしさは身をもって知っているはずだし。もぐもぐ、とご飯と頬張りながら、このあとお汁粉もあるよー、と朗らかに告げれば、彦四郎たちがえ!と喜色満面に反応した。あぁ、なんて可愛らしいこと。すでに食べ終わってお汁粉に手を出しているそうこ先輩を視界の端に捉えつつ、トン汁の野菜を箸で突いた。

「それにしても、寒いよねぇ」

 あぁ、現代の暖房器具の羨ましいこと!