好奇心



 老成した子供などいくらでもいる。幼くして大人にならざる終えない子供もたくさんいる。
 人の死を間近でみることもあるだろう。己の手が血に染まることもあるだろう。口にするのも憚れるような目にあうこともあるだろう。この時代、それは何も特別なことではなかった。
 当たり前だとかそれが普通だとまでは言わないけれど、決して珍しいものでもなかった。戦で家が焼かれ外道に落ちるものもいる。運悪く死ぬ者もいる。子供が、子供でいられないことは、決して珍しくはなかった。
 だからそう、大人びた子供も冷めた子供も、世界を斜めに見る子供も、それほど興味をそそられることはなかった。人の絶望の種類は違う。虚無と絶望に染まった円らな瞳を、多くはないが多数見てきた。大人でも子供でも。老人でも若者でも。少なからず絶望は存在している。それを、殊更特別視する気はなかった。けれども。

「あぁもチグハグした人間ははじめて見たよ」

 子供が大人になったのではない。大人が子供になったようなその正気という名の狂気に心惹かれたのだといったら、少女は一体どんな反応をするだろうか。
 想像すると可笑しくて、くつりと笑いを噛み殺す音が耳に届いた。
 例えば、綺麗に飾られた花に目が行くのは至極当然のことだ。珍しいものに興味を覚えるのも当たり前で、綺麗なものに好意を抱くのも極々自然なことでなんら可笑しなことではない。特に花瓶に生けられた花など、魅せるためにそうしているのだから綺麗だねと頬を緩めることに一体なんの疑問が起こるだろう。綺麗な花を、決して疎ましく思うことはない。
 例えば、道端に咲いた花はどうだろう。それはそれで目を引く花もたくさんあるだろう。花は別に愛でられるために咲くわけではないが、しかし綺麗な花は道端であれ花瓶の中であれ、人の目を引くものだし和ませるものだ。だがしかし、花瓶に生けられたそれよりも気づきにくいのは、確かである。なにせ人に見せるための工夫などなく、ただ咲いているのだから、気づかずに素通りすることも、小さな花であれば踏みつけられてしまうことも、極々当たり前にあることだ。けれど踏みつけられても尚しぶとく生きる花を、強い花だと好ましく思うこともあるだろう。とどのつまり。

「根っこを切られて花瓶の中で腐っていく花よりも、地面に根を張って足掻いて次を残す花の方が私は好ましいんだよ。一個人の好みの問題だけれどね」
「それが今回のこととどう繋がるんですか組頭」
「なんだい、理解力がないね君。そんなことじゃ生き残れないよ?」
「なっ酷い・・・!」

 やれやれ、とばかりに肩を竦めて首を振ると、尊奈門がいじけたようにどうせ私は理解力がないですよ!などと拗ねる。大の男がなにしてるんだい、と多少の呆れも覚えるが、まだまだ若いといえばそうなのであえて言及はせずに、つまりだねぇ、と木の枝に足を揃えて座りながら片目を細めた。

「天女よりも、あちらの方が個人的に興味があるってだけだよ」
「・・・あちらって・・・」

 にこりと笑えば、尊奈門が変態を見るような目で見てくる。ちょっと君、仮にも自軍のトップに対してその蔑むような目はやめないか。かといってそんなことで傷つくような柔い心臓を持っているわけでもないので、変な意味じゃぁないよ、と一応の弁解だけは口にした。
 それでも疑り深くじろじろと、心持ち距離を置く部下に、こんなに信用されないのも切ないねぇ、と思いながら薄っすらと口角を持ち上げる。その様が信用ならないのだと、理解していたとして止める気はさらさらなかったが。そもそも覆面に覆われている口元の動きが相手に悟られることはないのだから、全くの杞憂である。

「まぁ調べたところ、妙に人を惹きつける才能に長けている子だとは思うけれど。傾国というものはああいうことを言うのかも知れないねぇ・・・あんなの下手に城に連れて行ってしまっては逆に危ないだろう」
「・・・確かに、教師はともかく忍たまの方は怖いぐらいに彼女に夢中ですからね」
「若さ故に真っ直ぐな光には焦がれるものさ。私達ぐらいになると、真っ直ぐすぎて怖いぐらいだね。尊奈門は好みじゃないかい?ああいう子」
「そりゃ割と好みですけど。一度はああいう子と付き合ってみたいですよ」
「美人で優しくて利発な女性と?」
「えぇ」

 真面目な顔で頷く尊奈門に、まぁ確かに男の理想のような女性だが、と顎を撫でる。
 一応彼女が学園外に出たときにでもそこらの一般人を装って接触を図ってみたこともあったが、情報通りの普通に良い子だった。
 焦がれがない、とは言わない。まるでこの時代を理解していないような微温湯の優しさ。真綿で包むかのごとく甘く柔らかなそれを、欲しいとも思うし羨ましいとも思う。憧れかもしれない。自分たちでは得ることが最早困難な代物であるそれを、当たり前のように所持し続けることが出来る彼女が。けれど、それだけだ。思うけれどそれは想うには変わらない。珍しい子だとは思うが、それだけでそれ以上にはならないのだ。

「それで、殿にはどう報告するんですか?」
「んー、まぁ天女とは眉唾だったとでも言えばいいんじゃないかい。わざわざ危険因子を招き入れる必要もあるまいよ」

 あの女性が悪い人間ではないことはわかった。むしろ善人に位置する人間であろう。そう判断して実は悪女でした、というオチもあながちないわけではなさそうだが、そこまで深入りする気はないので実際のところはどうでもいい。問題は、少女が異様なまでに周囲に愛されていることだ。傾国、と称したように、己の主君が色事に溺れてしまっては国が破綻する可能性は無きにしも非ず。傾国とは文字通り、国を傾かせる存在のことを言うのだ。そうなれば自分たちも路頭に迷うことになるわけで、それは回避したい事柄である。
 本人にその気があろうとなかろうと、色に溺れて血迷う人間はざらにいるのだ。そうならないためにも、天女は普通の人間であるとしておかなくてはならない。これも国のため殿のため。私達って忍びの鏡だと思わないかい、尊奈門。

「そういうことは自分で言わないでください」
「誰も言わないから自分で言うんだよ。さて、しかし学園はどうする気かねぇ」

 まぁ、こちらが懸念することもなく、学園は学園で手を打つではあろうけれど。少なくとも教師は色事に溺れることなく冷静に状況を見ているようだし、【外】が今どういう状況なのか、知らぬほど愚鈍でもあるまい。なにせここの教師は【忍び】として非情に【優秀】な者が揃えられているのだから。何よりこの学園の長の食えなさっぷりといったら、時折ぞっとするぐらい得体が知れない。自分でいうのもなんだが、年を経た分あれは狐狸妖怪の類といっても可笑しくないのではないかと思う。

「あれよりは私の方がマシだとは思わないかい」
「私にしてみればどっちも似たようなものですよ」
「えぇー。絶対私の方がマシなのに」

 拗ねたように唇を尖らせ、半目でねめつけると気持ち悪いものを見る目で見返される。だからね、お前。そういう目で自分の上司を見るんじゃないよ。

「それで、どうするんですか」
「ん?何がだい」
「だから、ここにはあなた気に入りの生徒がいるでしょう。今回のこと伝えたりとかは」
「そうだねぇ、してもいいけれど・・・」

 確かに、あのこの世界においては致命的な矛盾を抱えた青年に、今回のことを伝えるのはやぶさかではない。そうすれば彼等は天女の周囲を気にかけるだろうし、必死に守るだろう。その可能性に思い至ったとき、彼等が見せる行動というのも興味がある。未だ箱庭にいる彼等がどう動くのか・・・どこまで目を向けることが出来るのか、その力を見るのにも十分な材料となる。けれど。

「今の彼等では、目先のことしか見えないだろうねぇ」
「組頭?」
「眩しすぎる光は、時に目をやいてしまうものさ」

 結果、大切なことを見落としてしまうものなんだよ。だからお前は気をつけるんだね、尊奈門。お前もまだ若いから、もしかしたら彼女のような光に目をやかれてしまうかもしれない。
 にんまりと笑えば、尊奈門の訝しげな視線が探るように向けられる。眉間に僅かに寄った皺をいとおしく見つめ、やがてひらりと片手を振った。

「じゃぁ、私はちょっと降りてくるよ」
「え、あ、ちょっ。組頭?!」

 慌てて呼び止める部下の声も聞かず、僅かに葉擦れの音をたてて木の枝から身を投げ出した。ひらり、と数枚の木の葉が追いかけるように落ちてくるすぐ近くを落ちながら、とっと膝をまげて衝撃を殺し、音を最大限に小さくさせて着地を果たすとにっこりと笑みを貼り付けて顔をあげた。目の前に桃色の装束。小さな体は華奢で細く、稚い子供の短い足が地面に棒のように伸びて立っている。自分の背の半分にも満たない小さな小さな背丈、丁度天辺の旋毛を見下ろすような身長差で。驚愕と警戒、僅かの畏怖にこちらを見つめる丸い瞳を見返して、くつりと喉を鳴らした。

「やぁ、こんにちは」

 ひぃ、と息を呑んだ様子に、そっと人差し指を口元にあてた。

「静かに、ね?」

 これから、とぉっても大切なことを、教えてあげるから。努めて穏やかに言ったつもりなのに、少女は益々怯えて顔面蒼白になっている。他の忍たまの一年生はもっと図太いけれども、これが普通の反応なのかもしれないなぁ。あぁ本当に、間近で見れば見るほど、普通に見えるから面白い。普通にまぎれたこんな異質を、どうして周囲は見つけられないのだろう!普通だからこそ異質なそれに、うっとりと瞳を細めた。


 普通であることが可笑しいなんて、本当に変わった子供だこと。