あぁ、私は一体なんなんだ。
呆然とする以外、何がある。泣き叫べというのか。それは、たぶん無理だ。
だって泣き叫ぼうにも、何に泣けばいいのか、何に叫べばいいのか、わからないのだから。
なにもわからなかった。わかることといえば現状が「可笑しい」ということだけだ。
それも何が可笑しいのか、基準は自分の記憶である。けれどその記憶こそが可笑しいことの原因なのだと思い当たると、私は喉を掻き毟りたいような焦燥感に駆られた。
実際行いかけたのだが、持ち上げた腕はまるでもみじのような手で、小さくふくふくとした頼りないものだったのだ。思わず笑いそうになった。なんだこれ、と笑いたくなった。
実際ちょっと笑った。笑い声がこれまた乾いたそれとは別物のきゃらきゃらした笑い方で、最後に涙が頬を濡らしたが。
私を抱き上げる、母親がいる。優しくて暖かいその腕は、しかし私にとって何より近しい人のはずなのに、どうしても他人のように思ってしまう。それは私が彼女以外の母親を知っているからにすぎない。そう、「私」の母親を知っているからだ。別にこの人が実の親じゃないわけではない。なんとも珍妙なことながら、私は胎児からの記憶があるのだ。そこから頭蓋骨歪めてこの女の人から生まれた記憶が私にはあるので、まぎれもなくこの人も私の母親なのだといえるであろう。しかしながら、私はどうしてもこの人を実の母親だと思えないのである。母親は母親であるのだが・・・私の中で、私の母親はこの人ではなく全くの別人が母親なのである。この人は私を自分の子として愛してくれているのに、私はこの人を私の母親として愛せないのだ。
申し訳ないという気持ちは不思議と湧かなかった。これもたぶん記憶のせい。あくまで他人の枠から外れない。だけど、それはあくまで血の繋がらないという意味であって、大切な人でないわけではない。必要ではない人ではない。
私はこの人が好きだ。大切だ。それは間違いない。ただ、ただ―――私は、私のままだから、だから、他人としか、思えないのだ。なんて、なんて、なんて、薄気味の悪い。
目の前の母親だという人。ごめんなさい。私はあなたを母親だと思えない。
目の前の父親だという人。ごめんなさい。私はあなたを父親だと思えない。
だって私には私の母親がいたから。
だって私には私の父親がいたから。
私には私の記憶があるから、だから私は、あなたたちを受け入れきれない。
これは可笑しいことだ。これは変なことだ。これは・・・気味の悪いことだ。
私には生まれる前の記憶がある。現状で言うならば「前世」と呼ばれるものだろう。
それが明確にはっきりと、ある。まるで私は私のままこの世界にきてしまったかのような、そんな感覚である。そう、まるで、遙かの世界にトリップした時のようだ。
明確に違うのは、私はここに生まれる感覚があったことだけ。満たされている自分の中。
18年という年月によって満たされている己。18年の記憶から、私は今を継続している。
18歳という馴染んだ体ではなく、まるで頼りない丸い生き物、赤ん坊として継続している、私という存在。なにがどうなっているのか、さっぱりだ。考えても考えても、冷静になっても、わからなかった。ただいえることは、私は私という記憶をもって生まれたということだ。
でも、この私が「私」であるのかは、わからない。だって「私」と私は違うのだ。
今の私は生まれてさほど経ってない赤ん坊で。でも「私」は18年という歳月を過ごしていたわけで。ならば私と「私」は別人なのではないか、と思うのだ。けれど私には私の記憶はなく「私」が「私」のまま私としてずぅっと生きているのだ。記憶は続いている。
あの18年から、今までずっと。(あの瞬間から、生まれる前まで、ずっと)体と心の相違というものなのだろうか、これは。全くもって、理解不能な事柄である。全てにおいて、理解ができない。納得できない。したくもない。
私は死んだ。死んだのだと思う。正直死ぬとは思ったけれど、死んだとは実感してないから。だってただ怖かっただけだ。わからなくてなにもわからなくて、怖かっただけだ。
だから、確実に死んだとはいえない。でも、生まれたのだとはわかる。
そこから記憶があって、一応、どうなったのか、しっかりと記憶しているから。
死んで、生まれた。ならばこれは転生というものか。元の世界、いやこの場合前の世界の私はいなくなって、新しい私が生まれたということなのだろうか。・・・全然わからない。
「私」である気もするし、私でない気もする。別人のような気もするし、本人のような気もする。でも生まれ変わったということは、本人というのは違う気がする。だって、この体は18年を経験していないのだ。心・・・えーと、魂?ってやつか?は、18年を知っていても(経験しても)体がしてないのなら別人じゃないのか。どうなんだろう。わからない。
わからないわからないわからないわからないわからないわからない。
なにに論点を置きたいのか、何を論点とするべきなのか、私は私なのか、そうでないのか、これはどういうことなのか、全部。全部全部全部全部全部、ぜーんぶ。さっぱりだ。
えーとこれは18年の私の記憶の話だけれど、転生トリップなどという設定の方々。
お前等よく冷静に「自分が死んで生まれ変わった」って思ったな。その順応性の高さを私にください。もう本当に。簡単に、そう思わせてください。死んだなんてどうしてわかる。
お前等死がわかるのか。生憎と私は今だ死んだ実感がねぇよ馬鹿野郎。
あなたは死にましたとか言われても「ふぅん」と思うだけだよ。客観的にそうなのだと思うだけで主観的には一生なれないだろうね!だって、「わからない」んだから。
もしもあのわからない感覚を、わからないことに恐怖した感覚を死だというのなら、納得してやらないこともないが。でも結局わかってないんだから、どうしようもないなーあーぁ。
死んだ実感がなくてでも生まれた感覚があるから、余計にわかんないんだろうなぁ。