往生際が悪いと、知っていたけれど。



 まいった。何がまいったって、色々と全てが。呆然と室内へ入ってきた人物達を凝視して、私はくらりと眩暈を覚えた。かといってここで本当に倒れると騒ぎになりそうだと思い、意識を繋ぎとめて零れそうな溜息を我慢。ぐっと唇を引き結んで拳を強く握る。
 頑張れ私、負けるな私。こんなの初めての経験じゃないじゃないか!自分自身にエールを送り、息を吸って、吐いて、背筋を伸ばす。でも目の前に並んだ人達を眺めて、失笑を零しそうになったのはどうか許して欲しい。だって、ほら、あれだ。なんか見たことある。
 にこにこ人の良さそうな顔をして笑ってる中年男性。何も知らなければ本当にのほほんとして優しそうな、お人好しっぽく見える人。なんだか和む。だけどその裏は実は・・・というなんだか景時さんみたいな。まああそこまでヘタレでもなければ家事もうまくはないだろうけれど。
 その後ろに立っている美形な男性。かっこいいというよりも綺麗系、弁慶さんタイプ。原作でも隠すことなく腹黒だ。視線が合うとふんわり微笑んでくれた。
 よかった、敵意っぽいの向けられなくてよかった。こちらも何も知らなければ和んだだろうに。原作知ってるのって、利点があるのかないのかサッパリわからん。ていうか関わる気がなければ知ってたところでどうにもならん。むしろ人物に対して先入観がある分不利益か?
 よくわからないがどうして長男一家総出で登場してくださるの。仕事はどうした。まさか今、夜中か。どうなんだ。疑問を胸に隠して、おどおどと上目に(必然的にな!)見ていると、邵可さん(らしき人)はおっとりと口を開いた。

「目が覚めてよかった。一時はどうなることかと思ったけれどね」
「は、はぁ」
「本当よね。最初に見つけた時はもう駄目かと思ったもの」
「元気なようで安心しましたね、お嬢様、旦那様」

 うっわぁ、メチャクチャアットホーム!戸惑ってる私をそっちのけでほえほえ笑いながらよかったよかったと言っている彼等は、本当に人が良いのだと思った。とても和やかなのである。呆けながら、なんともいえないむず痒さを覚え、所在無く視線を泳がせて膝の上の布団を握り締めた。どうすればいいんだろう。話しかけるのはどことなく勇気が要って、それに何より「知っているキャラ」と話すのは、なんだか変な気持ちになりそうだった。
 いや、関わりたくなかったのかもしれない。「原作」という「物語」に関わる「キャラ」というものに、関わりたくなかったのかもしれない。思わず視線を落として、膝の上で拳を作っている手を見つめた。よくわからない。どうすればいいのだろう。こういう場合は・・・状況を確認するんだったか。しかし何を確認すればいいのだろう。私がここにいる経緯だろうか。
 いや、それよりも本当に彼等があの「彩雲国物語」のキャラなのか、とか。
 聞ける筈もないから会話で判断しなくてはならないのだが、容姿だけ見れば疑いようがない。記憶はもう大分薄れて曖昧だけれど、それでもなんとなく、覚えている。
 そもそも最初にここが「彩雲国」かもしれない、と思った時に、断片的にその物語は頭を過ぎっていたのだ。・・・というか、悲しいことに勉強に発揮されない頭は、ことこういう事に関して(アニメ漫画等、趣味について)割合素晴らしい記憶力を誇っている。
 というか興味がある事柄でかなりどうでもいいことに分類される事柄を、私はどうにも結構覚えている性質なのだ。非常に使えない記憶力ではあるのだが。本当に、どうせなら勉強に使えたらいいのに。あぁいや今はそんな愚痴よりも、今目の前のことだ。どうしよう。
 ぐるぐると思考があっちこっちに飛んで、うまくまとまってくれない。目の前の人達に関わりたくないという逃げの気持ちと、でもこのままではいけない、という当たり前の気持ちが、ごちゃごちゃになって頭の中を巡っている。俯いてごちゃごちゃの頭を整理しようとしていると、不意にぽん、と頭に重みが加わった。吃驚して跳ね除けるように顔をあげると、邵可さんの心配そうな顔が、視界に入った。

「どうしたのかな?まだどこか具合が・・・」
「あ、い、いえ!ち、違います。もう、平気です、けど。あの、その・・・わ、私、」

 心配そうな声に、咄嗟に否定しながらしどろもどろに口を開く。だって何を言えばいいのかわからないんだ。何から聞けばいい、何を聞けばいい。
 ドキドキと心臓を跳ねさせながら、もごもごと口の中で言っていると、不意に低い声・・・しかも聞き覚えがありまくるというか、そういえばこの人の声ってあの人だったか、と思いながらその声に耳をピクリと動かした。

「旦那様、この子も混乱しているようですし、まずは自己紹介から始めませんか」
「あぁ、そうだね、静蘭。すまないね、名乗りもしないで」
「そんなこと、ない、です。こちらも、名乗らなくてごめんなさい」

 ぺこりと頭を下げて、こんな子供相手に丁寧な人達だと関心する。顔をあげるとやけに微笑ましそうな視線が気になるが、元々こういう穏やかな雰囲気の人達だろうと思って(だって実際の人の雰囲気なんて知るわけないじゃん?)気にしないことにした。

「改めて、私は紅邵可。そしてこっちが、」
「家人の静蘭です」
「ご丁寧にどうも・・・私はといいま、」

 その瞬間、喉になにかが詰まったように、息を止めて私は唇を閉ざした。不自然に口を閉ざした私を、3人が不思議そうに見ている。
 その視線をわかっていながらも、中々取り繕うことができずに、私は唇を戦慄かせ、きゅっと引き結んだ。歪みそうになる顔を懸命に堪えて、俯いて顔を隠す。頭の上で戸惑う雰囲気が伝わってくる。けれど、あぁけれど、どうしよう。
 泣きそうに目許が歪む。歪めた口角は泣かないように笑みの形にして、馬鹿だ、と内心で呟く。私は馬鹿だ。大馬鹿だ。今でさえ、8年間生きてさえ、私は、。

「えっと・・・、というの?なんだか変わった韻を踏む名前ね」
「そうだね。あまり聞いたことがない」

 場を明るくするように、秀麗さんが珍しい名前、とはしゃいでいる。
 邵可さんもそれに乗るように、秀麗さんに相槌を打っているのを聞いて、私は自嘲の笑みを浮かべた。俯いていてそれは誰にも見られることはなかっただろうが、雰囲気は伝わったのかもしれない。慌てて秀麗さんが「可笑しいと思ったわけじゃないのよ!?」と慌てている。静蘭さんが「お嬢様、それは、ちょっと・・・」と言葉を濁している辺りに、フォローになってない、と伝えたいのだと思う。その様子にくすりと笑って顔をあげて、目を細めた。

「そうですよね、変ですよね。私も、どうしてこの名前なのか不思議なんです」

 18年。生きてきた名前だった。この世界では不自然な韻を踏む名前でしかない、これは、私が18年名乗りつづけた名前だった。けれど、この世界では、それは「ない」名前だった。
 この世界の、父母が名付けたものではない。2人が名付けた名前は別にある。
 本来ならば、それを名乗るべきだったのに―――咄嗟に出てきた名前がこれだなんて、どこまで私は「私」と混同すればいいのだろう。
 私は、この世界の名前を、認めていなかったのだ。それを私の名前と、できていなかったのだ。――あれほど、優しく両親に呼んでもらっていたというのに。けれど、今更名乗り直すわけにもいかない。そんなの、不自然過ぎる。奇妙な目で見られるのはさすがに耐え難く、結局それで通すしかない事実が、痛い。
 けれど、どことなく安堵している己がいる。もう誰にも呼ばれるはずのない、誰にも知られるはずのない私だけが知るその寂しい名前を、誰かが呼んでくれるという事実。
 私を「」として見てもらえるのだという、このひどい矛盾。この世界に生まれていながら、どうして「記憶」が捨てられないのだろう。けれどその名もまた「親」に貰った大切な名前で、そして私にとって、この名前の方がしっくりくるのだから――どうしようもないのだろう。
 微笑むと、周りはピタリと止まって、そして秀麗さんは慌てて口を開いた。

「でも、素敵な名前よね」
「ありがとうございます」

 微笑んで、噛み締める。私はもう、貰った名前を名乗る事はないと、拳を握って、吐息を洩らす。秀麗さんを除いた2人が、どことなく奇妙そうな視線を向けていたけれど、私はその顔を見ないで秀麗さんを見ていた。だって視線があったらなんか色々暴かれそうで怖い。
 頭がよくて勘が鋭い人は苦手だ。私じゃ隠しきれないかもしれないから。ていうか絶対隠しきれない気がする。あぁ、何事もありませんように!と内心で手を合わせて祈りつつ、こてりと首を傾げる。その時不意に、頭が軽いことに気づいた。パチリと瞬いて、今更ながら肩の辺りでさらさら揺れている髪に触れる。目を丸くして、私こんなに髪が短かったか、とパチパチと瞬きをした。
 いや、この世界だと、髪を伸ばす事が普通で、特に女の子は長い髪が一つの美点になるぐらいで、ともかく短くするという風習があまりない。ないわけではないけど。
 昔の記憶だと、これぐらい・・・いや、これよりはまだ長かったが、それでもこの世界の基準だと十分に短い髪だったから、気にしてなかったのかもしれない。しかし、この世界に生まれてこの方ずっと伸ばしていたので、背中ぐらいはあったはずの髪はばっさりと消えうせて肩の上で揃って揺れている。しかしこんなに短くなって気づいてなかったって、私どれだけ鈍いの。それどころでなかったというのも一つの理由としてあるかもしれないが。
 自分に呆れてさらさらと指先で弄っていると、あ・・・と秀麗さんが声を洩らしたので、顔を向けた。そうすると、ひどく痛ましいような申し訳なさそうな顔をして、眉を下げている。
 他2人もなんだか似たり寄ったりの顔をしていて、きょとりと瞬きをした。

「あの・・・?」
「ごめんなさい、あのね、実は、髪のことなんだけど・・・」
「はい」
「その、・・・血で、酷いことになってて・・・洗っても元の通りにはならなくて、だから、その、切って、しまったの」

 言い難そうに(髪は女の命というしな)言葉を濁しつつ言った秀麗さんに瞬きをして、あぁそうなのか、と納得し、そして・・・夢ではなかったのか、と薄っすらと笑みを浮かべた。
 その笑みに吃驚したように瞬きをした秀麗さんに小さく首を横にふる。

「いいんです。しょうがないですよね、そういうことなら」
「え、でも、」
「えっと、助けて、もらったんですよね、私。ごめんなさい、今までお礼も言ってなくて・・・助けてくださってありがとうございます」

 戸惑う秀麗さんから邵可さん達に視線を向けて、改めて居住まいを正すと寝台に額がつくぐらい深く頭を下げた。これが地面ならば土下座になっていたに違いない。
 いや、ある意味これも土下座なのかもしれないが。

「い、いいのよ、そんなの!頭をあげて、っ」
「そうだよ、私達が好きでやったことなんだし、気にする必要はないから」

 ふと、秀麗さんの声があの人と同じで、ドクリと心臓を動かしながら言われるままに顔をあげる。そうするとほっとしたように胸を撫で下ろすから、やんわりと目を細めた。
 静蘭さんが物言いたげに視線を泳がせたのに気づいて、くるりと目を動かす。
 どういう事情なのか、聞きたいのかなぁ、と私は静蘭さんをじっと見つめた。
 パッチリと視線が合うと、静蘭さんは視線を動かし、聞くか聞かないか迷っているようだった。優しい人なんだ、と思う。髪が血で駄目になるようなことがあったのだ。
 たぶん邵可さんと静蘭さんは、おおまかに何があったか推測できているのかもしれない。
 だからそれを、私に尋ねてもいいのか、迷っている。見かけは子供だ。いや、もしも大人の姿であっても、聞きにくいことだろう。でも何も言わないのもあれかなぁ、とどこか現実味を伴わない私は、曖昧に笑って口を開いた。

「私は、この辺りで倒れてたんでしょうか」
「え、えぇ。そうよ」
「・・・なにがあったか、聞いても?」

 控え目に尋ねた邵可さんは、けれど言いたくないのなら言わなくてもいいよ、とそんな笑顔を浮かべている。言いたくないというよりも、あまり実感が湧いていないから、どこか他人事のように話してしまうかもしれないなぁ、ということが心配なのだが。
 あの光景は、まざまざと思い出せる。血の臭いも母の声も、全て。
 けれど映像だけはどこか曖昧だ。月明かりしかなく暗闇だったのが原因だろうか。
 全て夢のように思える。何故か不思議と、悲しい辛い、という気持ちはなくて、呆然としているままのような感覚だ。時間が経てば実感もしてくるかもしれない、とそう思いながら(なにせ起きてすぐだしなぁ)私は視線を落とした。

「・・・家に、強盗、というか、盗賊、というか・・・男が押し入ってきて、お父さんとお母さんを、刺していったんです。お母さんは、私を庇ってくれて、私は、1人で、」

 1人で、逃げた。事切れた父母のことを考えず、無我夢中でたった1人で逃げた。
 普通の子供ならどうしてただろうか。恐怖で動けなかったのだろうか。
 それとも死んだ父親と母親に縋りついていたのだろうか。どの道あの場に留まっていれば訪れたのは死だけだっただろうが、子供としてはそちらの方が正しいあり方だったのかもしれない。父と母と一緒に死ぬこと。死ねなかった。それどころか、2人のことなんて何も考えず逃げ出した。死にたくなかったからだ。怖かったからだ。だけど、気にもしなかったというのは、薄情な娘だなぁ、と溜息を零すと、秀麗さんがそっと頭に触れてきた。瞬きをして見上げると、私よりもよほど辛そうな顔をして、眉を下げた。

、言いたくないなら無理して話す必要なんてないわ」
「え、・・・別に、そういうわけじゃ、」

 ないんですけど、という呟きは皆まで言えず、私は痛ましげな視線に口を閉ざした。
 ・・・なんか誤解されてるっぽい、と思いながらも、困惑を浮かべて俯く。
 どうということもない、ということはないけれど、しかし、深刻になるほどのショックも受けていないのだ、まだ。これからなのかもしれないと思っていても、今はまだ凪いだ海のように静かで、今の内に話せるものは話しておけばいいのかと、思ったんだけど。
 まあ、あそこまで言えばおのずと先は見えているので、言い募る必要もないのかもしれないけど。沈黙が落ちると、ぽん、と頭にまたしても重みが。首を傾げつつ顔をあげると、やはり微笑む邵可さんが見えて、パチパチと瞬きをする。

「今日はもう遅いからね。また、明日にしようか。起きてたくさん話して、も疲れただろう?」
「え、・・あぁ、はい。そう、ですね・・・」

 言われると確かに、疲れた気もする。というかやっぱり夜だったんだ。
 息を吐くとどことなく体が重たく感じられて、ついでに眠気もきたのかパチパチと故意に大きく瞬きをした。邵可さんはにこにこ笑いながら、秀麗も静蘭も明日は早いだろう?と、言って、なんだか締め括りに入っている。頷いている彼女達はちらちらと私を気遣わしく見ていて、しかしそれに反応するのもなんだか億劫になっていたので、私はごしごしと目許を擦ってから、立ちあがる気配に顔を動かした。

「起きたばかりでたくさん話させて悪かったね。今日はもうゆっくりおやすみ」
「明日、ご飯を持ってくるわね。丸1日食べてなかったんですもの、食べないと元気にならないわ」
「では、また明日。何かあったら遠慮なく呼んでください」

 順番にそう告げられて、はい、とかわかりました、とか適当に答えているとくすりと笑い声が聞こえて、ゆっくりと押し倒される。寝かしつけてくれているのだろう、と子供扱いになんとも言えない気持ちになったが外見上仕方ない、と逆らうことなく寝台に横たわる。
 そうすると丁寧な手つきで上掛けを首元まで引き上げられて、おやすみ、と囁かれた。
 おやすみなさい、と返して、3人が微笑んで出ていくまで見送っておく。
 また明日ね、と秀麗さんが入り口から顔を覗かせて手を振ったので、私も笑って手を振り返しておいた。パタン、と戸の閉じる音がして、もぞもぞと動く。瞼を閉じて、深く息を吐き出した。

「・・・・なんだか、なぁ・・・」

 現実味が、伴わない。夢ではないのか、私は、どうしているのだろうか。
 全部が夢だったらいいのに、父さんと母さんが死んだことだけじゃない。
 これが全部、夢で、目が覚めたら家のベッドに寝ていて、なんだ夢かと、言っていれば、いいのに。遙かの世界にいたことも、彩雲国に生まれ変わった事も、全部。
 そうなんだろうな、という思いとそうでないかもしれない、という思いが半々に、私は何時の間にか眠っていた。