迫り来るものに、足を掴まれた。
「、本当に大丈夫?1人で平気?」
顔一杯に心配、という2文字を浮かべて問いかける秀麗さんに、僅かな苦笑を零してこくりと頷く。しかしそれでも相手の心配そうな表情は拭えず、両肩にはしっかりと手が置かれてやっぱり私、今日は休もうかしら、とぼやく秀麗さんに、首を横に振った。
「大丈夫です。1人で留守番ぐらいできますから。気にせずにお仕事に行ってください」
「でも・・・」
というかこのままじゃ遅刻するよ、秀麗さん。お給金が減っちゃうよ、と思いつつ笑顔で見送ろうとしているのに、相手の顔から不安が払拭されないのが切ない。
秀麗さんの後ろで静蘭さんや邵可さんが苦笑しているのを、ちらりと視線を動かして視界に入れながらどうしてこんなに過保護なんだ?と首を傾げた。
というか後ろの2人もさっさと行かないと遅刻になるって。確かに私は見た目8歳の子供だが、この程度の年になれば留守番ぐらいできるものだろう。
そこまで過保護に心配される必要はないはずである。秀麗さんが人一倍心配性なのか、それとも私は更に小さい子供扱いされているのか、と疑問が浮かんだ。
ていうか中身はもういい年してるんですけどね。切ないなぁ、と中身と外見の相違になんともいえない気持ちを味わいながら、にっこりと笑顔を浮かべる。
「任せてください!立派に留守番してみせますから。それより、早く行かないと遅刻してしまいますよ?」
「うん・・・そう、ね」
「・・・秀麗、もこういっていることだし、心配するのもわかるけれど、あまり彼女を困らせてはいけないよ」
「父様、でも」
「お嬢様、昼には私も戻ってくるつもりですし、それに好意を無碍にするのもどうかと思いますよ」
「静蘭。・・・そう、そうよね。あんまり心配するものじゃないわよね」
苦笑気味に、困っている私を見かねたのか、ただ単純に仕事の為なのか説得に入った2人に、秀麗さんの顔も僅かに明るくなる。自分の心配っぷりが少し気恥ずかしくなったのか、ほんのり頬を染めて笑った秀麗さんに2人が微笑みかけるのを見ながら、やっとこさ解放されるのか、と思わず吐息を零した。
ていうか静蘭さん、昼戻ってくるつもりなのか。え、私そこまで不安なの?これでも周りには「年の割りに落ちついてしっかりしてる」と評判だったのに。
まあそりゃ当たり前の話だが。だって見かけ通りの精神年齢じゃないし。むしろそれを聞いたとき微妙な脱力感を覚えた物で、ついでに切なくもなったが。
当たり前だこの野郎、私を何歳だと思ってるんだ!と言ってやりたかったが、言えるはずもないしね!そういや近所の子供からは浮いてたなぁ。一応馴染むように努力はしていたが、どちらかというと「お姉さん」視点から抜け出せず、さりげなく纏め役になってしまっていた。元々子供は好きだし、それなりに扱いも心得ていたし、何よりほらチビ白龍のおかげで別に苦でもなかったしね。いやぁ・・・年齢がそぐわないって切ないね!とことん子供扱いされるのがなんとも言えず。ふ、と思わず浮かんだ微笑も、再び始まった「良い子のお留守番大原則」の講演に、思わず閉口した。
これには後ろの2人も口を挟むつもりがないのか、むしろ秀麗さんと一緒になって注意をしてくるのは何故だ。知らない人がきたら絶対対応しちゃ駄目よ、とか1人で外に出ちゃ駄目とか、出ても暗くなる前に戻ってくるようにとか、何かあったら誰かに頼るように、とか、とりあえず心配性もいいところな「良い子のお留守番」的な注意事項を何度も繰り返され、いささか顔も引き攣った。そんなに私って、頼りなく見えるのかしら、と思わず神妙に黙り込んでしまったが、3人は真剣に考えている、と取ったのかぽん、と邵可さんが頭に手を乗せてなでなでと頭を撫でてきた。
「何はともあれ、十分に気をつけるんだよ。何があるかわからないからね」
「・・・はい」
「私も今日は早めに帰ってくるから、家にいるのよ」
「わかりました」
「私も昼に戻ってきますから、あまり心配なされませんように」
「はい。・・・3人も、お気をつけて」
あはは、と乾いた笑いを浮かべるものの、そこでやっと安心したように微笑んで、3人がそれぞれ背中を向けてくれたから私はやっと肩の荷を下ろしたように安堵した。
しかし、それでも時折心配そうに振りかえる秀麗さん達に手を振り返して、少し大きめな声で「いってらっしゃい」と声をかける。手を振り返してくる邵可さん達の背中が完全に見えなくなるまで見送って、私は腕を下ろすとはあぁぁぁ・・・と大きな溜息を零した。
「つ、疲れる・・・」
というか過保護過ぎ。心配し過ぎ。なんだあの人達。そりゃ確かに遙かにいた時も多少皆過保護気味だったが、あれは状況が状況だったからだし。怨霊が跋扈するような世界だったし、戦もあって。私は弱かったから、当然のように周りが気にかけていたものだ。
弱いのだから無理するな、そんな感じで。無理した覚えは皆目ないが。だって私前線では戦わなかったしなぁ。戦わなければよかったのだろうけれど、神子であるが故にそうもいかなくて。そこまで思い返して、思わず顔を顰めた。奥歯を噛み締めてふるふると首を振り、それらを振りきるようにして顔をあげるとくるりと背中を向けて家の中に戻る。
楽しいこともあった、決して悪いだけの思い出ではない、けれど。けれどどことなく思い出すのに抵抗がある、それは「私」の記憶であるから。
何より、・・・付随して、様々なものまで思い出してしまうのが、ただ恐ろしいのだ。家の中に戻ると、やたらと広い屋敷にぽつりと取り残されたように、静寂が耳に痛い。家庭的な音など何一つしていない静かな廊下を眺めて、肩を落とした。
「・・・広い屋敷に一人は、ちょっときついかもね」
元が庶民だから余計に。自分以外、人の気配のないただ広い屋敷は、堪らなく寂しい気持ちにさせる。かといっていつまでも入り口に突っ立っているわけにもいかないから、とぼとぼと中に入り、自分の部屋を目指した。とりあえず大人しく部屋でじっとしておこう。
あーでも、間取り把握の為に探検してみるのも暇潰しになるかもしれない。今私が知ってるのって、教えてもらった食事をするところと井戸の位置と自分の部屋ぐらいで、他全然知らないし。
案内して貰った方が確実だとは思うけれど、自分で歩き回った方が頭に入りやすいよね、というか確実に暇になるだろうし、ということで、探検することに決める。でも、ただ歩き回るだけじゃわかりにくいだろうから、どうせなら地図もどきも書いてみようかと、一旦部屋に戻って紙と持ち歩き用の筆を持参しよう、と決めた。
・・・たぶん探せばあるよね、そういうの。なかったら・・・ま、地図は諦めて限界まで頭に記憶させよう、と自己完結をし、私はてくてくと今は仮の自室となっている部屋まで、歩いていった。
※
それを見つけたのは、きっと偶然。とある漫画でいうのならば、それすら必然であるのだろうけれど。屋敷内の把握のために、歩き回って偶々入った部屋にあったから・・・たぶんここは秀麗さんの部屋なんだろうと思う。
別に目だった調度品はなく至って質素な部屋なのだが、所々女の子らしさも伺える部屋だったから、たぶん秀麗さんの部屋だ仮定する。
少なくとも、裁縫道具や鏡台などが置いてある部屋を、邵可さん達の部屋にはしないだろうと思うから。あぁでも、本とかが多いね。勉強が好きなんだな、と思う。彼女の夢は官史になることだったから。今は無理でも、そう遠い未来ではなく彼女の夢は実現するはずである。
ここが原作通りに進むのなら、であるがきっと大丈夫だろう。あの世界でも私というイレギュラーなる存在がいたのに、おおまかゲームストーリーをなぞっていたのだ。
まあ、多少ゲームストーリーにはない運命を辿っていたのは否めないが、根本が変わらぬ場合、世界の因果律は大して変わらないのだと思う。これはきっとこの世界にも言える事なのではないかと、そう私は思っている。そして彼女の部屋だと気づいたとき、入るのもどうかと思ってそのまま扉を閉めようと思ったのだが・・・ふと、椅子にかかっている布に、目が止まったのだ。何故止まったのかは知らない。
ただ、なんとなく彼女の性格上、放置したままなんて珍しいよな、と思ったのだ。たかが1日やそこらの付き合いではあるのだが、原作の分を差し引いても、整理整頓はするタイプだと思うし。
だから、礼儀に反するとは思っていても、誰もいないんだし、ということが後押しをして、室内に入った私は椅子の背もたれにかかっている布――服に、手を伸ばしたのだ。
畳んでいるにしてもそれは小さく、子供用かと思うそれは秀麗さんの部屋にあるのには似つかわしくない。が、今私が着ている服を取り出したように、私用にもしかしたら女児服を出してそのままにしておいたのかも、と思いながらそれを広げて、息を、詰めた。
「・・・あ、」
一気に乾いた喉から、一声零れてじっと服を凝視する。それは、子供の服だった。
私の―――あの夜着ていた、私の、服だった。思わず、広げたままそっと指先を服の染みに辿らせる。
広範囲にわたって、茶色く変色してしまっている染みを食い入るように見つめて、ハッと声にもならない息が漏れた。
その染みがなんなのか、私は容易に悟ることができる。わからなければよかったのかもしれない。そう思いながら、服の染みを――血染みを見つめて、掻き抱くようにそれをきつく腕の中に収めた。
「これじゃぁ、もうこの服着れないなぁ・・・」
こんなにも広範囲に渡って染みの広がる服なんて、もう着られない。捨てるしかないかな、と思いながらそれとも別に有効活用するものでもあったかなぁ、とぼんやりと考える。
茶色いのは変色した血の色。洗ってくれたのだろう、きっと。それでも染み込んでしまった血が取れることはなく、多少薄くなった程度で彼女は自分の部屋に置いていたのに違いない。私の元に持ってこなかったのは、もしかしたら気遣わせていたからかも。
ああそうか、彼等があんなに出かけに私を心配していたのは、私が「こういう目に」遭ったからなのだと、思った。
小さい子供が血だらけで倒れていたのだ。(それは私の血ではないけれど)1人にするのは、確かに忍びないかもしれない。
そう思うと彼等は本当に優しい、とそう思い、同時に全て実際に起こったことなのだと、嫌でも思い知らされた。
いや、やっと現実を見たといった方がいいのかもしれない。今までどこか夢現だったそれを、私は現実に合った事なのだと、認識し始めていた。夢のように思っていた。
そういうことがあったという事実を、けれど現実味がないように思っていた。それはきっと、ちゃんとした意識の中で彼等の最期を見ていなかったからだ。
自分のことしか見えず、無我夢中で逃げていたから。そうして目覚めればここにいて、ここには死の気配なんて何も、なかったから。
茶色い染みのついた自分の服が、何よりも物語っている。これは、母の血だ。自分を抱きしめて守ってくれていた、母の暖かな体から流れ出た血だ。
あの夜、私の服に染み込んでしまったのだろう。私はずっと母に庇われていたから、そうなるのも頷ける。なんともいえない気持ちで変色した衣服を抱きしめて、私はふと顔をあげた。
「・・・・戻らないと、な」
ぽつりと呟き、服を持ったまま立ちあがる。少し逡巡して、これは自分で持っておこうと思った。いや、持っていこうと思ったのだ。私は、戻らないといけない。私の家に。父と母のところに。
もういないだろうけれど、それでも私は戻らなくてはいけないのだ。だって私は彼等の娘。最後まで、親子という関係にどうしてもズレを感じていたけれど、しかし彼等も間違いなく私の両親であったから。だから戻らないといけない、帰らないといけない。
彼等がいる場所に、私は行かなければ。それが娘として、子として、私がまず最初にするべきことなのだと思う。
すぐに行こうかと思ったが、さすがに黙って行っては心配をかけると思いそれは断念した。幸い昼には静蘭さんが帰ってくるというし、その時にちょっと出かけるということを伝えて、戻ろう。どうやってここまで来たのかは覚えていないが、そう遠くないはずである。なにせいくら必至だったとはいえ子供の足と体力だ。そうそう遠いところまで行けるはずがない。まあ、秀麗さん達がどの辺で拾ったかにもよるが。
・・・先日、強盗に入られた家とでも聞けば大体わかるはずである。表情を消して自分の服を見つめながら、固く双眸を閉じた。
「・・・おとうさん、おかあさん」
もう貴方達は、どこにもいないのでしょうか。じん、と目の奥が熱くなったが、ぐっと堪えて、私は服を持ったまま秀麗さんの部屋を出た。そのまま駆け出して自分の部屋まで戻り、寝台の上に突っ伏す。じわじわ浮かぶ涙を懸命に堪えながら、ごしごしと乱暴に擦って固く固く目を瞑った。そうして、しばらくすると意識が半分まどろみの中に沈んでいく。
すぐにも浮かび上がるような、浅い眠りではあったけれど。深く寝入りたくはなかった。
本格的に眠りたくなかった。眠ってしまったら、夢を見てしまいそうだったから。
静蘭さんが帰って顔を覗かせてくるまで、私はそうして、ずっと部屋の中で蹲っていた。