岐路に立て。
どれほどそうして蹲っていただろうか。長かったようにも思えるし、実はそんなに時間が経ってないようにも思える。あれほど乱れていた息もおのずと止まり、熱くなった頬を冷やすように風が撫でていく。
パチパチと瞬きをして滲む視界を鮮明にすると、グズグズと鼻を鳴らして乱暴に目許を擦る。僅かに滲んでいたそれは零すことは無く、多少濡れたような感触が残るだけだ。
ぺたぺたと頬を触りながら、たぶん今結構酷い顔をしているのかもしれない、と微苦笑を浮かべる。
このまま人前に出れば何事かと思われそうだなぁ、と墓石を見つめ、へにゃりと顔を崩すと手を合わせた。瞼を閉じて、しっかりと今度は口に出さず心の中で彼等に話しかける。
これから頑張るから、見守っててね、と。そうしてしばらく拝んでから、冷静になった頭で空を見上げた。夕暮れというほどでもないが、やはりそれなりに時間は経っていたらしい。
当初お墓に来たときよりも傾いている太陽に、紅家の人達が帰る前に帰らないとなぁ、と溜息を零した。
「あーでも・・・ここから邵可邸まではそこそこ距離あるしねぇ」
帰る頃には夕暮れ時になっていることだろう。子供の足だから尚更だ。家の人が戻る前に帰れるか、ギリギリの勝負である。あと問題といえばこの微妙な顔なのだが、まあこれは家に戻っている内に治るだろうからさして問題にはしていない。泣き叫んだわけでもないので、家に着く頃には普段通りになっていることだろう。
それなりに気持ちにも整理をつけたつもりだ。何、愚痴めいたことを延々と述べ続ければそれなりにすっきりする。
「・・・でも、いつまでもお世話になってはいられない、よね。親戚がいれば頼れるけど・・・いないしなぁ」
父母曰く、私が生まれた年の人災(8年前のはずだから、その人災は「例の」人災だろう)で貴陽だけでなく多くの人が亡くなったらしい。
私のうちの親しい親戚の大半もその人災で大抵が亡くなったらしいから、今の私はいわゆる天涯孤独の身の上という奴だ。
実感が湧かないけれど。(だってなんか元々色んな意味で天涯孤独だろう私)運が良かったのか、私達家族は奇跡的に家族3人、生き残ったけれども、思えば本当に奇跡だ。
乳飲み子など、真っ先に死ぬはずの生き物だ。口減らしに殺されることだってあるだろう。
そもそも、親のお乳が出ないで、餓死することもあるはずである。とにかく生存率は限りなく低い。だから、私と同年代の子供は今生、とても少ないのだ。生き延びたものが少ない、ということである。その中で生き残り、且親子3人無事だというのは物凄い奇跡なのだという。
なんだったかな、あぁそうだ。貴陽から出て黒州に逃げたらしいのだが、その間の食べ物もあまり困ることはなく、不思議と、何故か、実りがあったそうなのだ。
それでも生活は苦しくて、苦しくて苦しくて、いっそ3人で死んでしまおうかと思うぐらいだった、そうだが。
そういえばお乳の出とか悪かったよねぇ。ご飯も少なかったし。でも、物心というかこの世界の平均を知る前にそんな状態だったから、私はそれが普通なのだと思っていたけれど。
おかげで胃袋結構小さいんだ。少量でも満足できる胃になってしまっている。別に困らないからいいんだけど。まあつまり、親戚を頼るという一般的なことはできないということだ。
無論他にも親戚いるのだろうが・・・ほぼ関わりのないところを頼れるはずがない。
血の繋がりも薄いだろうし。だから、やっぱり道寺か浮浪者という選択ぐらいしかないだろう。賃仕事にでもありつければいいけれど・・・あぁ。
「秀麗さんに紹介してもらうというのもありかも」
彼女だって確か8歳にはもうそういう仕事をしていたはずだ。能力があったというのも無論大きいだろうが、それをいうなら私だって諸々の理由で年以上の能力はあると自負している。
幸い近所の物好きな爺様のおかげで、近所の子供共々勉強はできて字は書けるんだし、計算だって普通よりできる自信はあるぞ。仕事さえ紹介してもらえれば、働けるはずだ。それに、秀麗さんの紹介となれば普通に仕事を探すよりもずっと確実だろうし、コネだってできるかも。考えれば考えるだけ、案外なんとかなるかもしれない、という可能性が出てきて、私はほっと胸を撫で下ろした。
・・・結局他人に頼ってるわけなのだが、現実見据えてみれば、頼れるときに頼れそうな人をアテにしとかないと、子供の外見してる私なんか無事に生きてなどいけない。死ぬつもりなんて皆目ないんだ。死ぬなんて真っ平ご免だ。
あんな苦しくて怖いものには二度とあいたくない。できるなら今度こそ老衰で死にたいんだ。平和に平凡に一般的な死を迎えて、今度こそ、普通の人生を過ごしたい。
そもそも、折角両親に守ってもらったこの命。簡単に捨ててなどやるものか。死にたくない、死にたくない、簡単に死んでなどやらない、絶対生き延びてやる。
あんな痛い目は真っ平ご免。かといって体験したことのない餓死やらなんやらだって絶対苦しいこと間違いないんだからご免被る。本当に、私は後悔しようともなんであろうとも、ゆっくり平和に老衰でできるかぎり死にたいんだ。ぐっと口元を引き締め、顎を引いてすっくと立ちあがる。墓前に置いた、私の血に変色した着物と墓石を見つめて、決意表明。
「人並みに幸せになってみせるから、見守ってて2人共!」
少なくとももうこんな波乱万丈には巻き込まれないようになりたいよね!大丈夫、だって私は主役なんかじゃないんだから!!彩雲国の主役は朝廷に集う人間達。少々中身の経緯があれな私であろうとも基本凡人、大器晩成型ではないのだから全然オッケー関係なし!
てかそもそも官吏になるつもりなんて皆無。どこぞで賃仕事して一生を終えるつもり満々だ。結婚できるならしてみたいけど、まあそれは今後どうなるかってことで置いといて。
私はもう神子じゃない。この世界に神子なんて意味はないし。主役は紅秀麗、夢を見て、真っ直ぐで、力に溢れて―――眩しいぐらいに、意思の強い主人公。それは決して私ではない、私には縁のない、そんな・・・人間だ。だから、そう。きっとこれからの私は馬鹿みたいに思えるほど普通の日々を過ごせるはずだ。紅家から出れば、華やかで陰謀渦巻く物語とはもう関係など、ないのだから。ぐっと拳を握って、笑う。
2人の墓に頭を垂れて、さっと踵を返した。今度ここにくるときは、ちゃんとした花束を抱えてこよう――そう、心に決めながら。
と思って帰ってきたのに目の前に仁王立ちする秀麗さんがいるのは何故でせう。
西日も差し込む門前で、なんだか妙に威圧感たっぷりに腰に手をあてて見下ろしてくる秀麗さんに、思わず後退った。パチパチと瞬きをして、眉をキリッとあげて険しい顔をしているのに、私なにかしたっけ?!と内心であせあせと思考を巡らせる。いや・・・あるとすれば、私が外に出かけていたことだろうけれど・・・ちらりと、目の前に立つ秀麗さんから視線を空に戻してみる。多少暗くなっているが、遅いといえるほど遅い時間ではないはずだ。
一応これでも急いで帰ってきたわけだし・・・えーと、なんで怒ってるんでしょう?
「あ、あの・・・秀麗、さん?」
そんなに怒られることだろうか、出かけたことは。一応静蘭さんには許可を貰って・・・あぁ。静蘭さんがまだ帰ってないとしたら、私が出かけたことなんて聞いていないはずである。
だとしたら、私は勝手に外に出ていってしまった、と思われてるのかもしれない。それならば怒るのもわかる気がする、が・・・出会って1日かそこらの子供に対してここまで反応してくれることを思うと、どえらいお人好しだな、と目を丸くする。
すると、秀麗さんはふにゃ、と引き締めていた顔を唐突に崩した。ぎょっと目を剥けば、がばり、と抱きつかれ・・・否、抱きしめられる。益々驚いてびくりと肩を跳ねさせ、彼女の脇から伸びた腕が一瞬どうするべきかと強張った。
「もうっ・・何処に行ってたのよ、!」
「うぇ?えぇ?あ、ちょっと、そこ、まで・・・?」
実際はちょっとそこまでなんていう距離ではなかったが、正直に告白するとそれはそれで気を使わせてしまいそうなので、適当に言葉を濁して答える。抱きしめられていることに驚きとなんだこれ?という疑問が駆け抜けて戸惑うしかできない。困ったように眉を下げて、ぎゅうぎゅうと抱きしめられるのを我慢していると、ばっと体が放されて正面から顔を覗きこまれる。きゅっと寄せられて下がっている眉に、あ。と瞬きをした。
「帰ってきたらいないし・・・本当に心配したのよ?もしかして出て行っちゃったんじゃないかって・・・」
「ご、ごめんなさい・・・あ、でも、一応、静蘭さんには許可貰いました、よ?」
「静蘭に?もう、静蘭ったらっ」
本当に心配していたらしい。情けなくも崩れている顔に、そこまで心配されるとは、と驚きながら申し訳なく思って大人しく謝った。でも一応、勝手に出ていったわけじゃないんだ、という主張だけはしておこうと思う。しかし、どうにも藪蛇だったような気がしてならない。
眉をピクリと動かした秀麗さんに、怒りの矛先が静蘭さんに向かったとしたらそれは本当に本っ当に、申し訳ないと、慌ててひし、と彼女の服を掴んだ。ていうか下手に静蘭さんが怒られて私に向かって黒い何かが向かったら嫌だし。少なくとも原作知ってる分には、あの人は腹黒い人間だと思っているので、もしも何かあればどうなることか。ネチネチいびられるのはご免被りたい。子供に対してそんなに大人気ないことはしない、と思いたいが・・・でもあの静蘭である。紅家長男一家以外は割りとどうでもよさそうに思っている人間である。
あと例外は劉輝だが、ともかくも確実にそちら側の区切りには入ることもないだろう私なんだから、なるべく彼の琴線には触れないようにしなければ。そう、この家を出ていって縁が薄れるその時まで。
「で、でも私が無理矢理頼んだことですから!ちょっと行きたいところがあって、それで・・・ですから、静蘭さんのせいじゃないんですよ」
「行きたいところ?」
眉宇を顰めて聞き返され、ぐっと言葉を詰める。あまり言いふらすようなことでもないから曖昧にしたのに、自分から話題振ってどうすんだ・・・。しかし、それで静蘭さんを責められたら目も当てられないし。しばらく逡巡して、へらりと笑う。
「ちょっと、この辺りがどこなのかなって思って。それよりも、まだ邵可さんや静蘭さんは帰ってないんですか?」
「え?・・・えぇ。まだ2人共帰ってないわ」
「そうなんですか。じゃあ、今から夕ご飯作るんですね。私も手伝います」
にこ、にこ。嘘を吐くのも誤魔化すのも人並み程度の私は、鋭い人には気づかれてしまうだろう。
ただ隠し事がそんなに巧くない分、言いたくないことや言えないことは頑として話さないようにしていたから、特に問題はなかったかもしれない。
みんな優しいから、踏み入って欲しくないところには踏み入ろうとはしてくれなくて助かった。・・・いや、きっと彼等が優しいというのもそうだろうけれど、きっと彼等自身踏み入って欲しくない部分が多くあるから、踏み入ってこなかったのかもしれない。自分がして欲しくないことは他人にもしない。
そういう気遣いをしていたんだろう――しかし、それが本当に救いになるのか、良い事なのかは、結果などわからないままだけれど。突っ込んでいかないと問題解決にならないからなぁ。秀麗さんは特別鋭い人間ではないだろうけれど、だけど表情を読むのには長けている、とかなんか読んだことがある。
だから、気づかれてるのかもしれない。浮かべてみた笑顔から、今言ったことが嘘かもしれないと、気づかれたのかもしれない。というか明らかに話しを逸らしたから、確実に気づかれたとは思うけれど。
私は巧い具合にはぐらかす、なんていう高等スキルは持ってないから仕方ないけど・・・こういう時、頭の回転の速い人とか憧れる。
話術が得意な人とか。しかしそれでも、下手くそな話題転換にも何かを察したように深く突っ込まずに乗ってきてくれた秀麗さんには感謝だ。
「そう?ならお願いしようかしら・・・あ、でも無理はしちゃだめよ?」
「無理って。過保護ですよ、秀麗さん。別に私どこも怪我なんてしてないんですよー」
微苦笑を浮かべれば、秀麗さんは照れたように視線を逸らした。・・・もしかしたら、自分でも過保護かもしれない、と思ったのかもしれない。
「それに私これでも結構料理得意なんです。よく手伝いしてましたから」
両親のこともそうだが、遙か世界では譲のことをちょくちょく手伝ってたし。プリンの作り方だって教えてもらったし、他にも色々と。うふふーと笑えば、秀麗さんも嬉しそうに笑った。
「なら安心ね。でもね、。話しは戻すけど、いくら静蘭が許したからって、あんまり一人で遠くに行っちゃだめよ?」
「・・・はい」
「それと早く帰ってくる事。これだけは約束してね」
「はい」
こくり、と神妙に頷く。・・静蘭さんにも同じこと言われたなぁ。ふ、と思わず乾いた微笑が浮かびそうになったがぐっと堪えて、邸に戻る秀麗さんの後ろをとことことついて歩いた。
その背中を見ながら、本当に、親身になってくれる人だな、と視線を細めた。お人好し、とでも言えばいいのか。こんなに気にかけてくれるなんて、なぁ。優し過ぎて、ちょっと、離れ難くなるかもしれないと思った。包まれるのは心地よい。守られるのは、暖かくて。庇護は、心を溶かしてしまう。だけど、・・・平凡な人生歩むにはなるべく主人公勢からは離れた方が無難なのも確かなのだ。私は墓前で決めたのだ。平和で平凡な人生を歩むって、決めたのだ。だから、なるべく厄介事に巻き込まれる確率が高そうな場所は、避けた方がいい――どれだけここの人達がやさしくて、居心地よく思おうとも。私は無関係の居候なのだ。出ていくことが前提である。あんまり慣れたら、後々が大変だよなぁ、と軽く俯いた。
「?どうしたの?」
「へっ?あ。な、なんでもないですー」
どうやらペースが遅れていたらしい。少々先に行ってしまっている秀麗さんに瞬きをして、慌ててパタパタと足音も高く駆け寄る。秀麗さんは早過ぎたかしら?と申し訳なさそうな顔をしていて、私は首を横にふるふると振る。肩上で切り揃えられている髪が、ぱさぱさと頬を打った。
「いえ。ちょっと考え事をしていて」
「そう?あ、は何か嫌いな物があるかしら」
「特には」
特にはないよね。うん。好き嫌いなんてしてられるところじゃないし、むしろなんていうか・・・好き嫌いしているとマジで怒られたからな。好みはしなくても食べられないわけじゃないし。
他愛ない会話を交わしながら、そういえば何時賃仕事について話を切り出そうかな、とぼんやりと考えた。