ぬかるみが乾く、その瞬間。
出会って数日、お世話になって数日。なんだか流されてる、そう思うしかない今の現状に不安が募って仕方ない。みんな優しい、優しくて良い人で、よくしてくれる。甘えたくなる。
だけど私は、彼等とはなんの関わりもないのだと思うと、むしょうに気が引けた。
遙かの時はまだよかった。私は神子だったから、あそこでお世話になるのは予定調和だと思えたから。当然だとすら、思っていた。ストーリー、役目、全てにおいて、あれが全ての基盤であったから。もしも神子でなかったとしても、異世界トリップをした、ただその一点に置いてきっと図太くなれただろう。異世界人、ただそれだけの理由で、気兼ねなくとまでは行かずともここまで居難い気持ちを味わうことはなかったはずだ。
役目がなかったら私はたぶん戦にも旅にも参加せずにただ飯ぐらいになっていただろう・・・それでもこれほど居心地悪く思うことはなかったかもしれない。
あくまで想像でしかないから、それ以上何も言えないが。だけど、ここでは、彩雲国では違う。一応私はここで生まれてここで育っているのだ。
異世界人という無条件の、なんらかの免罪符は存在していない。私と彼等はただの他人。
無関係の人間で、いつまでもいるような人間ではないのだ。家族でもなく、友人はおろか知り合いだ、というそんな関係でもなかったというのに。
本当に今の自分の立ち位置がわからない。いつまでここにいることが許されるだろう。いつまで自分はここにいることを良しとできるだろう。
そう思いながら、食後のお茶を一口口にし、穏やかな家族団欒の雰囲気を傍から眺めて(椅子の高さが微妙)ことりと机に湯のみを置いた。
もういい加減動かないと、息詰まる。いつまでも現状に甘えていたら、私は、ここで息ができなくなりそうだ。
だって考えてしまうのだ。みんなが仕事にいっていなくなるとき、みんながよくしてくれた後、1人になったとき。私は今後どうなるんだろう、どうすればいいんだろうって。
悩んでしまうのだ。墓前で決めた、あのことを、ずっとずっと考えていたことを、実行しなくては、ならない。・・・どうせまだ、ここにいるのなら、いようとするのならば、それに、先を考えるのならば。これは、自分の中の予定調和だと言い聞かせて、ごくりと唾を飲んだ。
「あの、お願いがあるんですが」
「ん?なんだい、」
「私に仕事を紹介してもらえないでしょうか」
集まった視線、注目される中淡々と真面目に口にすると、一瞬驚いたように邵可さんのにこにことした細い目も秀麗さんの大きな目も、静蘭さんの切れ長の瞳も大きく見開かれた。
絶句する雰囲気が伝わり、居心地悪くもぞもぞとお尻を動かして唇を引き結ぶ。
「えっと、?仕事って・・・」
「はい。その、色々考えていたんですけど、やっぱりお世話になるからには私も何か協力するべきかなって、思いまして。ただ飯ぐらいもなんですし・・・」
まあ現実問題、紅家長男一家の家庭って確か火の車なんだよね。そこで子供とはいえ人が1人増えたのだ。かなりきついはずである。
そんな様子微塵にも見せないけれど、反則技で事情を知っている身としてはやはり何かしら行動しなくては、という気にさせられる。
それに、お母さんやお父さんに約束した。平凡且幸せになってみせると。その為には自活する術が必要だ。
実を言うと紅家のためというよりも、自分のこれからの生活基盤のためなのだ。いつか出ていく、そう思えばこそ、ここで出きる限りの布石は打っておきたい。・・・私も、よくまあこれだけ考えられるようになったものだ。
きっと遙かで色々とやってきたからだろうな、としみじみ人生経験って為になる、と感じ入った。しかしできるならあまり体験したくない人生だ、私の人生って。あ、それは切ない。
自分で言っておきながら結構切ない事柄に口元が引き攣りかけたがそこはぐっと引き締めて3人を見つめる。戸惑うように揺れている視線に沈黙していると、秀麗さんが困ったように微笑んだ。
「そんなの気にしなくていいのよ。はまだ小さいんだし、私達ならなんともないんだから」
「そうだよ、心配することはないから」
「甘えるのも子供の仕事の内ですよ、様」
邵可さんも静蘭さんもにこにこと笑顔で優しく諭すように言ってくる。・・・無条件で優しい人だと本当に思った。まあ、真っ当な人ならば確かに子供にキリキリ働け!と返すことはないようにも思うけれど。だからこれは普通の反応、むしろ私が普通ではないのかもしれない。そうは思ってもここで引き下がるとまた最初に戻るだけで、動くには動かさなければならないのだと思った。だから一生懸命に頭を動かす。相手を説得できるように、懸命に頭を動かして言葉を探す。息を吸って、顔をあげた。
「・・・私が、何かを、したいんです。皆さんにはお世話になってばかりです。恩返し、というよりも・・・本当に、自分勝手な、ことだと思いますけど、でも、・・・いつまでも、ここにただいるだけじゃ、私が、申し訳なく、思ってしまうんです・・・」
「は家の仕事も手伝ってくれているし、本当に助かってるのよ。私は、ほら外に賃仕事もしてるでしょう?だからが家の仕事手伝ってくれて、楽だってしてるんだから。だから、わざわざ働きに出る必要なんて」
だから別に気負う必要なんてないのだと、優しい声で、言ってくれる。周りから向けられる視線もそうなんだよ、って、それを肯定するように暖かくて。あーなんか言い包められそう。さすが頭の良い人は違うなおい、と思いながらここで負けたら年齢詐欺者が廃る!!(精神年齢素直に数えるなら20越してますから)別に廃れてしまえ、そんなもの、とセルフツッコミをかましそうになったがそこはあえて無視をして、キッと目に力をこめてみた。
「・・・甘えても、いいと言いました。なら・・・、なら我侭を、聞いてくれません、か?」
「それ、は・・・」
「どうしてそんなに働きたいんだい?まだ働くには早いだろう?」
言葉尻を取られたのか、静蘭さんが息を詰めて、秀麗さんが困惑を表に出す。
その中で、邵可さんだけがただゆったりと、まるで進路に悩む子供を諭すような父親のような眼差しと口調で、ふんわりと問い掛けてきた。思わずその様子に気圧されそうになる。
くっ。さすが、伊達に一家の大黒柱をやってないこの人。ついでに元黒狼。ただならぬ空気だ。しかし、負けてられるか!と下っ腹に力をこめて、膝の上で拳を握り締めた。
「自分の為です。自分が、そうしないと納得できないからです」
「本当に、それだけかい?」
「・・・はい。我侭なんです。自分勝手なんです。・・・駄目、ですか?」
嘘じゃない。全部自分の為だ。みんなの役に立ちたいのも本当、それも自分の為。
そうしないとなんとなく気が引けるから、だから何かをしたい。全部本音。ただそこに、自分がいつかここを出ていくこと前提での、資金集めとか、そういうのも含まれているだけで。
ただそれはまだ言わない。それを言えば、本当に優しいこの人達は気にするだろうしそんなことしないでいいって、言ってくれそうで。いわれたら、本当に甘えてしまいそうで。
それは、駄目だと思う。そうなったら、自分は頼りっぱなしになってしまう。彼等は他人、血の繋がりも元々の知り合いですらない、関わりなんてない赤の他人。そこまで、お世話になんてなってられない。
それに、ここにいたら何かしらのことに巻き込まれそうだし。というか下手に濃い面子と関わるのはもう疲れたというか、個人的にその辺に埋没していきたいというか・・・。むしろいつまでもここに留まってると某兄馬鹿姪馬鹿が何かしかけてきたら物凄く怖い。命の危機かもしれない。そこに思い当たるともう本当、どうにかここを出ていかなくてはと思ってしまう。(思い当たらなければまだ精神的に楽だったのに!!)絶対あの人私をどうにかしようとしてるに違いない。
絶対そうに違いない。メチャクチャ怖いじゃん。紅家敵に回したら死ぬしかないじゃん。嫌だよ折角平凡平和を歩めそうなのに!!だから、全部全部、自分の為なんだ。
ここで断られたら自分で探すしかないけど、と視線を揺らしながら邵可さんを見上げると、彼はじっと私を見詰めて、やがてふっと頬の筋肉を緩めた。くっと口元がつりあがり、伸びた腕がぽんと頭に乗せられる。
「しょうがないね。だけど無理をしてはいけないよ?何か有ったら、すぐに私達を頼る事」
「父様?!」
「旦那様!」
「っはい!」
許可を出した邵可さんに、信じられない!とばかりに秀麗さんと静蘭さんが声を荒げる。
見開かれた目とは対照的に、私はパッと顔を明るくさせてこくりと頷いた。まあ素直に頼るかはわからないけど、でもよかった!なんだかんだで大黒柱の許可が下りたならもう決定も同然だよね!心から喜んでいると、不満そうに秀麗さんがバン!と机を叩いて邵可さんに詰め寄った。
「ちょっと父様!はまだこんなに小さいのよ?!なのに働かせるなんてっ」
「そういう秀麗こそ、ぐらいの時にもう賃仕事を始めていたじゃないか」
「うっ・・そ、そうだけど、でもっ」
「旦那様、私もあまり賛成は・・・お嬢様のことがあったからこそ、子供らしく遊んでいただいた方がいいのでは」
ごめん子供らしく遊ぶのは無理。私のためを思っての、それこそある意味保護者として相応しい視点からの言い分に心の中で突っ込む。今だって外に出るより引きこもって邵可さんの本を読んでいるという、限りなくこの年代の子供にしてはあんまりなさそうなことをしている私だ。というか中身からして、お友達と遊ぼうということは難しい。そのお友達が名実ともに「子供」であるのならば余計に、だ。にしても、そこまで反対されるってなんだかなぁ、と思っていると、邵可さんはほえほえと笑みを浮かべたままでゆったりと構えていた。
「うん、それはそうだけど、やはり本人の意思を優先したいと思うんだよ静蘭。それにね、もしもここで駄目だと突っぱねてが自分で仕事を探しまわっても危ないだろう?」
「・・・それは、」
「それならばこちらで仕事を紹介してあげた方がまだ安全だと思わないかい?その方が目端も利くというものだし」
おっとりとしながらも何気に有無を言わせぬ邵可さんに、とうとう静蘭さんすらも口を閉ざした。強い、強いぞ邵可さん。というかさりげなく私の行動見抜いてますね。
ちょっとだけ自分で探そうかなーと思っていたところをズバリと射抜かれて、思わずギクリと肩を揺らしながら視線を泳がせた。
異様な空気が辺りに漂う。にこにこ笑っておっとりしている邵可さんに、反論できずに言葉を探している秀麗さん、そして最早諦めたように溜息を零した静蘭さんが、肩を竦めた。
「・・・わかりました」
「静蘭!?」
「お嬢様、ここは大人しく引き下がりましょう。旦那様もこういっていますし、何かあればその時は本当に仕事を取り上げればよいだけですし」
「うわぁ・・・」
もし何かあったら今まで以上の過保護っぷりが降臨するということだろうか。
さらっと何やら怖い発言をした静蘭さんに椅子の上だから気持ち程度にしか後ろに下がれないが、後ろに引いて見上げれば、仕方ない、という笑顔が向けられる。兄の笑顔だと思った。あぁこんな笑顔を、仕方ないなという苦笑を、私はよく見る機会があった。
小さく、譲、と呟く。彼もこんな風に、私が傷を負う度に、心配と諦めと、親愛をこめて、微笑んでいた。あぁ、朔も、朔もだ。朔もこうして心配そうに、仕方ない子、とでもいいたそうに、微笑んでいて。目の奥が、少しじん、と、熱くなった。
「でも、」
「しゅ、秀麗さん。大丈夫です。そんな危ないことをするわけじゃないんですから」
「そうだよ秀麗。それに、私達で安全な仕事を探せばいいんだから」
「なんなら、お嬢様と同じ仕事場でもいいかもしれませんね」
「・・・・・・そうね。それなら・・・わかったわ。、本当に無茶はしないわね?」
「はい」
無茶するような仕事なんてあんまりないと思うけどな。えっと、過労の心配とか?
浮かびかけた涙を隠すように神妙に頷くと(過労には覚えがあるし)秀麗さんは溜息を零してしょうがなさそうに笑みを零した。ほっと空気が軽くなったことに安堵の溜息を零して、肩を落として私は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
向けられる視線が温かいから、ほんの少し、彼等を、両親を、思い出した。
※
という紆余曲折の末、今私は八百屋さんで仕事している。ちなみに1週間目だ。
野菜の品だしとか接客とか、細細と簡単な仕事をやっている最中だ。最初はこの店の人も私みたいな子供を、と思っていたようだが秀麗さんの紹介ということもあり、渋々ながら働かせて貰えている。
偉大だ秀麗さん。というわけで、彼女の信用を落とさないため、私は黙々と重い野菜を出してお客さんに呼びかけて、ということをしている。
さすがに金勘定は任せてもらえないし、仕入れとかそんなこと子供がやらされるはずもない。こんなところが妥当だな、うん。
ついでにいうなら文字と計算もできるかどうかあやふやに思われているだろうし。まあ、小さいところからこつこつと。塵も積もればなんとやら。
下積みしてから信頼、信用というものは築かれるものだ。ということでただひたすら真面目に仕事をこなしている。あぁしかし。
「お嬢ちゃん、お父さん達のお手伝い?まだ小さいのに偉いわねえ」
「いえいえそんなことは。ただのバイト、・・・あーいや、手伝いですから。それよりもおねえさん。そこの野菜よりこっちの方が美味しいと思いますよ」
「あら、やだ、お姉さんだなんて。もうおばさんよ」
「そうなんですか?お若く見えますね、素敵です!ところで、どうでしょうこちらの野菜」
「そうねぇ。お嬢ちゃんが言うと本当に美味しそうに見えるわね。じゃあこれ貰おうかしら」
「ありがとうございます!」
確実に接客が上手くなってる気がする。にこにこ笑いながら野菜を買っていったおばさんに手をふって、次の人に視線を移す。みんな微笑ましげに見やるのがなんとも言えないが、まあそれで売上に貢献できるのならなんだって利用してみせましょう!!
「ちゃん、今日のお薦めのお野菜はなんだい?」
「えーっと、茄子とキャベツが美味しいですよー」
「ふぅん。どれがいいと思う?」
「ん?・・・えっと、これとこれなんかいいんじゃないですかねー?」
朗らかな笑顔で尋ねられ、茄子とキャベツが並んでいるところを覗き込んでしばらく黙考し、なんとなく適当に指差すとじゃあそれを、と旦那さんに勘定を支払うおばさん。
何故に私に尋ねるのだろうか、と疑問に思いつつ(もの凄く適当なんだけど・・まあなんとなくいいんじゃないかなーという気はしてるけど、してるだけだし)見上げれば、おじさんが毎度ありー!と元気よく声を挙げている。手渡されるお金を視界の隅に捕らえながら、通りかかる人に声をかける。接客は笑顔で元気にハキハキと丁寧に!人と対応するのは多少苦手の部類に入るが、それでも1週間やれば結構なれるもので、野菜を売り込みながらニコニコ笑顔を浮かべていると頭の上から旦那さんが低い声で笑った。
「いやぁ、嬢ちゃんがきてからなんか売れ行きがいいねえ」
「そうですか?」
「おうよ。野菜も今まで以上に美味いって評判だ」
「そりゃいいところから仕入れてるんでしょうねぇ」
「あーっははは!そりゃそうだな!」
快活な人だな。気持ちいいぐらい豪快な笑い方につられて笑いながら、ふとそういえばそろそろ大量注文をしてきた料亭の人が取りにくる時間だな、と高くなった太陽を見上げて考える。最終確認をしておこうかと、旦那さんに一言断って奥に戻ると、丁度別の品を確認している奥さんを見つけて、私はその横を通り過ぎると注文を受けた野菜の前に立ち伝票を見ながら野菜を確認した。ぶつぶつと呟きながら品物の数と金額を計算し、確認し終えると丁度裏口から声がかかる。奥さんがさっと反応して出ていってしまったので、私は野菜の乗っている荷車を押して、裏口まで向かった。ごろごろごろごろ。
重く低い音がして、裏口まで持っていくと奥さんと誰かが話している。料亭の人だろう。下働きの青年。観察しながらごろごろと動かして持っていくと、気づいた二人が振りかえり笑った。
「おや、ありがとうちゃん」
「いいえー。これで全部です。ちゃんと中身は確認しましたから」
「ありがとう」
よいしょ、と押した台車を止めて影から出れば、下働きの青年は笑って奥さんに代金を渡す。それを受け取り金額を確認し、丁度と判断したのか頷いてご苦労様と労う奥さんに朗らかに笑い、青年は軒に野菜を積む為に、台車ごと押して外に出ていった。
その後ろ姿を見送ると、店先の方で名前を呼ばれたので、慌てて振りかえる。奥さんが行っておいで、と背中を押すので軽く頭を下げてからばたばたと駆け出した。
店先に出れば、旦那さんにちょっと店番を頼むといわれた。野菜を取りに行きたいらしい。ふと並んでいる野菜を見れば確かに、今日の売れ筋だといっていた茄子が切れかけていた。頷いて快諾するとすぐさまおじさんと交代してお客さんの接待をする。
さすがに重たい野菜を私が運ぶのはまだきついこともあって、早く補充しなくてはならないときはおじさんが手早く動くようになっていた。成長すればまだ役立てるのにな、と思い、小さい我が身が多少疎ましい。ふ、と吐息を零して、笑顔を浮かべるとさっさと金勘定を始めた。受け取る野菜、さっと計算して値段を口にし、代金を貰う。値切られることもままあるが(というかおばんさんらの迫力に負けてしまうことが多々あるのが悔しい。しかし怖い)とにかく順調に精算をしていく。茄子とキャベツと葱と玉葱、芋、人参。
さっと視線を走らせて数も数えて頭の中でパチパチパチパチ、算盤というよりも電卓を叩く。天井から吊り下げている籠の中からお釣を払ったり、細細動きながら時々やっぱり「どれがいい?」と尋ねられるのに適当に(失礼な話だが)返しながら、中々の忙しさにてんてこまいだ。そんな感じで1日が過ぎていくと、余計なことを考える暇もない。
むしろ充実してる。不意に、一瞬の暇が出来て、ふっと顔をあげて空を見た。傾いた太陽が眩しくて目を細め、通り過ぎる風に、仄かな春の近さを、感じた。