優しい人に、別れの言葉を



「・・・って」
「はい?」
「結構、勉強ができるのね」
「そうですかね?」

 さらさらーと紙に筆を走らせ書き取りをさくさくとすませながら、他の子供を見て回る間、通りかかった秀麗さんの呟きに気のない呟きを返した。
 できるとか言われても、この世界の基準じゃないしな、私の中の基準って。いうならばこれができて当たり前のレベルなのだ。
 なにせ元は発展した現代日本の女子高生だった前世を持つのだ。書き取りや計算ぐらい、できるのが極々自然なことである。
 伊達に9年の義務教育とそこからプラスされる学習機関が整ったご時勢を生きていないのだから。まあ・・・こちらの文字には悪戦苦闘したがな!
 漢文なんて、漢文なんてぇぇぇ!!と思いつつ、レ点も一二点も上中下点もない文を読解するのは大変だったな、としみじみと思った。
 しかも結構な崩し字でもあって、読み難いことこの上ない。私が遙か世界で少なからずそういうのに慣れていなかったら、もっと大変なことだっただろう・・・人生、何がどんなこやしになるかわかったもんじゃない。考えながら最後の文字まで書ききると、ふと顔をあげて秀麗さんを見上げる。

「できましたよ?」
「あら、そう?はーい、じゃあ皆もできたかしら?」
「はい、秀麗師!」

 そうしてポロポロと零れる歓声にも似た声に嬉しそうに笑いながら、秀麗さんは私から離れて彼等に近づいていく。自慢気に差し出されるそれを受け取るその後ろ姿を見つめて、本当は、したいことはこれではないのにな、と思った。彼女がしたいのは子供達に教鞭をとることではない。いや、それを厭うているわけではなく、それはそれで彼女は楽しんでいるし、遣り甲斐も覚えているだろう・・・だが、なりたいのは教師ではないのだと思うと、物悲しい、と思わずにはいられない。まあ、正規の物語に入ればおのずとその道は開けるのだから、別段そこまで気にすることでもないけれど。ただ、・・・あまりにもそれは険しい道のりであることも、確かだとは思うが。まあ所詮私は蚊帳の外、関係ないことだと考えを放り投げ、墨汁の臭いを覚えながら、乾いた部分を指先で辿った。

「ねえねえちゃん」
「ん?なに」

 机に頬杖をついてぼんやりとしていると、横からかけられた声に緩やかに振り向く。
 同い年ぐらいの(外見は)女の子が、にこにこと笑顔で私の横に座る。髪を二つのお団子にして、大きな瞳が可愛らしい女の子だ。名前は明凛。最近よく話す子の1人である。いや、よく話しかけてくる、か。小首を傾げると、明凛ちゃんは笑顔でにじり寄ってきた。

「今日、勉強が終わったら一緒に遊ばない?」
「・・・あー・・・ごめん。今日もお仕事があって、無理なんだー」
「え、また?この前もそう言ってたよ」
「うん。今日はね、厨房の皿洗いで・・・この前は魚屋さんの店番なの」

 申し訳なく曖昧に笑うと、明凛ちゃんは不服そうに唇を尖らせた。

ちゃん、いっつもお仕事で遊べないね」
「うん・・・迷惑、かけたくないからね」
「秀麗師は、ちゃんは働きすぎって言ってるよ」

 ちょっと恨めし気に上目遣いに睨まれ、微苦笑が零れる。うん。それは言われてる、実際。と内心で言い返しながらそうかなぁ、と首を傾げた。でも、それが私の今やりたいことで、やるべきことだと思うから、特に後悔はしていない。ただちょっと休みたいかもしれないな、と思う時はあるけれど、休むことはそれだけで仕事をするに当たって、多少不利にもなるのでできるだけ休みたくはない。明凛ちゃん達には悪いが、諦めてもらうしかないのだ。

「ごめんね」

 もう一度謝ると、明凛ちゃんは肩を落として、けれどがしっといきなり手を掴み、顔を近づけてきた。思わず仰け反ると、至極真面目な顔で彼女は力強く言い放つ。

「じゃあ今度!今度は絶対絶対一緒に遊ぼうね!ちゃん、大丈夫な日教えてねっ」
「あ、う、うん。わかった」
「絶対だよ、約束だからね!」
「・・・はぁい・・・」

 物凄い剣幕。そこまで私と遊びたいのか、と半ば感心する思いで頷くと、明凛ちゃんは満足そうに笑ってから、さっと別の子達のところに向かってしまった。
 そしてハイタッチをしている辺り、あそこのグループで共謀したことだったのだろうか、と密かに考えた。
 ていうかなんであそこまで、と首を傾げる。あまり関わろうとしてないから、とっつき難い相手と思われて敬遠されるのも予想していたのに、事態はむしろ真逆の方向に転がっていってるような。
 あっれー?と首を傾げると、不意に微笑ましそうな秀麗さんが視界に入る。そんな、まるで子供の成長を喜ぶ母のごとく微笑ましさで見ないでください、と言いたくなるような笑顔で、思わず口元が引き攣った。

「ふふ。仲良くなってるみたいね。ってばあんまり遊びに出歩かないから、どうなることかと思ってたけど」
「はぁ・・・まあ、皆よく気にかけてはくれますね」

 そう話しかけてくる秀麗さんに、私も予想外だ、とぼやきながら曖昧な笑みを浮かべる。
 嬉しそうな様子に、心配でもされていたのかな、と思っていると、秀麗さんはでもね、と真面目な顔を作ってピッと人差し指を一本たてた。

「折角明凛が誘ってくれたのに、また仕事で断っちゃうなんて勿体無いわよ!」
「そう言われましても。いきなり休みとるわけにはいかないじゃないですか」
「それはそうだけど・・・>は働き過ぎよがそんなに働かなくたって、それなりに家は食べていけるわ。だからもっと自由にしてくれたって・・・」
「いやー結構私自由にしてますよ?我侭言ってるのはこちらですし。だから、あんまり気にしないでくださいよ」

 無理を言ったのはこちらなのだ。十分自由にしてもらっていると思うし、よくして貰っている。驚くぐらい気にかけても貰っているし、本当によくしてもらってばかりなのだ。
 私はそれに甘えているだけで、それ以上も以下もない。と、思っているが、彼女達はそうではないのだろう。これで私がまだ秀麗さんと同い年ぐらいであればまた見方も変わっただろうに、こんな外見のせいで本当に申し訳ない。なんとなく騙しているような気もするが、いたって不可効力なので、そこはもう気にしないことにして。あはは、と笑い飛ばして私は筆を片付けていく。本当はこの後まだちょっと勉強・・・というか次は秀麗さんのニ胡の弾き語りがあるわけなのだが、それを聞くほどの時間的余裕はない。仕事が入っているのだ。
 今度は結構こんな子供にしては割の良い仕事らしく、遅れてはならない。さっさと後片付けをすませると、さっと立ち上がり秀麗さんに軽く頭をさげた。

「それじゃ、仕事に行ってきますね」
「あ、・・・」
ちゃん、お仕事なの?頑張ってね!」
「うん、頑張ってくるよー」

 引きとめようとする秀麗さんに被せるように聞こえた別の子の声に軽い調子で返事を返し、時々飛ばされる揶揄(専ら男の子。仕事ばっかで面白くない奴、と思われているらしい)をさらっと聞き流し適当に返しながらさくさくと寺子屋から出ていく。一旦振り向いて、ふ、と吐息を零すと足早にその場を後にした。





「ありがとうございましたー」
「えぇ、ご苦労様」

 おっとりと微笑み、そう返してきた女性に頭を下げてから、颯爽と仕事場を後にする。
 夕暮れにはまだ多少早いかもしれない。見上げた空の色味や太陽に目を細め、うん、と軽く伸びをした。礼儀作法もなんだかんだで秀麗さんに習っておいてよかった、と思う時だ。
 雑用も雑用だが、侍女めいた仕事には礼儀作法は必要不可欠だ。かといって、私は彼女みたいに完璧な作法などはまだ身につけてはいないのだけれど、取り繕うぐらいならばできるようにはなった。秀麗さんの面倒見がいいおかげで、ホントにこれから先、良い仕事にありつけそうだなぁ、と私は口元を綻ばせた。何事も身につけておいて損はないのね。

「官吏になるつもりも後宮の女官になるつもりもないけど、礼儀作法ってのは役立つもんだなぁ」

 この時代、身につけられるものはなんでも身につけておいた方がよさそうだ。とはいっても、最低限度これだけあればたぶん食うには困らない、と思う。まだ社会の裏の部分を見てはいないからどう転ぶかはわからないけど・・・。

「・・・本当に、そろそろ潮時かな」

 ぽつりと呟く。今回の仕事でも上々の反応を貰えたようだし、他の仕事場(特に八百屋と魚屋)も安定している。あとは言い出すタイミングと、あの優しい場所を切り捨てられるだけの度胸と覚悟の問題だ。離れ難いと、思ってしまっている。優しい、暖かな人達。
 八葉の彼等みたいに、優しくて、気遣ってくれて、・・・離れれば、寂しいと思ってしまだろう。それは確信だ。父母を亡くして、それでもこうやって頑張っていけたのは、秀麗さん達がいたからだ。そうでなければ、こんなにも上手く事は回らなかっただろう。
 あぁ、人って、本当に支えてもらわなくては生きていけない。優しい人達、1人でいくといえばきっと止めてくれるのだろう。ここにいてもいいと、言ってくれるのだろう――けれどそれを受け入れるのには、私はちょっとまだ臆病だ。図太さが足りないともいう。
 遠慮というよりも逃げ。関わればどうなるかわからない。原作に、「彩雲国」に、関わることが怖いのかもしれない。いや、怖いのだろう。もう自分は主人公ではないのに。
 もう、中心に立つように、頑張らなくてもいいのに、それでももしもが嫌で、逃げてしまう。しょうがない人間だなぁ、と思いながら、そろそろ覚悟を決めないとなぁ、と思う。口では言い包められてしまうだろうから、意思を強く持たなくてはいけない。彼等の口にも、優しさにも流されないように、彼等が諦めるように。
 頑なな、岩のような意思、覚悟、決意。それらが必要になる。だから、それを固めるまで、まだもう少し時間がいる―――ぼんやりと思考を巡らしたところて、不意にガタゴトと大きな馬車のような音が聞こえ、はっと気がついて顔をあげる。ヤバイ、端に寄らなくては、迫ってくるだろう軒を振りかえると――。

「ん?」

 止まった?ピタリと、通り過ぎることもなく走っていた軒が止まる。やけに立派な軒だ。度々走るのを目撃するけれど、これほどの立派な軒など見た事がない。
 よほどの金持ちの軒なんだろうなあ、思いながら無意識にマジマジと眺めまわしていると、その軒から離れ、人が1人動き出した。それは真っ直ぐにこちらに向かってきていて・・・え、何事?

「え、あ、あの?」

 ずんずんずんずん、と無言でこちらにやってくる従者らしき男性。慌てて進路から避けようと動くけれど、何故か彼は私を目指してやってきているような気がしてならない。
 わ、私関係ないよね?!この後ろの店とかその辺の人に用があるんだよね?!おろおろとしながら視線を合わさないように逸らして、慌ててその場から去ろうとすると、ぐいっと腕が掴まれた。

「ひっ?!」

咄嗟に悲鳴が零れるのは致し方ない。びくりと大袈裟ともとれるほど肩を揺らし、振り向けば、やはり軒からやってきた人である。無表情にこちらを見下ろしていて、目を見開いて後ろに下がれば、強引に掴まれた腕を引っ張られ・・・。

「うぎゃあ?!」

 抱き上げられ、小脇に抱えられると手早く軒までつれてこられ、ぽーい、と放り投げられた。いや、放り投げられたというか、軒の中に押しこまれたといった方がいいだろう。
 いやていうかマジで何事?!軒の中で座り込みながら、パチパチと瞬きを繰り返す。心臓がフルスピードで動くのを自覚しながら、軒が動き出したのにつられて、よろめいた。ガタゴトガタゴト、振動が伝わってくる。
 私はどっどっどっどっ、と心臓を動かしながら目を白黒させて、なにこれ拉致誘拐?!とあわあわと言葉もなく硬直する。人生初めての経験だ。・・あぁいや、前世では海賊に攫われたこともあったような!
 いやでもなにこれ。なんなのこれ。どうしたことですかこれ。わ、私を誘拐してもなんの得にもなりゃしませんよ!そう訴えてやろうかと拳を握ると、不機嫌そうにやったらめったら不遜な声が、上から降ってきた。

「いつまでそうしているつもりだ」

 低い声。聞き覚えがあるようなないような、聞いたことがあるような、そんな声。
 冷たい物言い、そういえばこんな口調で話しかけられたのは初めてだと思う。
 一瞬、思考がフリーズする。俯いて縮こまったまま、しばらく聞こえた声を咀嚼し、次いでガバァ!!と勢いよく顔をあげた。心境は、え、まさか。そんな感じである。
 真正面を向けば、そこには、本当に本当に、偉そうな態度で優雅にこちらをねめつける、

「黎っ・・・・!!!」

 深さまああぁぁぁぁぁああああああぁぁぁぁぁ!!!!????
 紅家の直系にしか着る事を許されないはずの、紅の衣。よくイラストとかで見かける帽子は被っていないけれど、無造作に両サイドを結わえて流す長い黒髪。
 広げた扇でパタパタと自分を仰ぐその姿。何より彫りの深い丹精な顔立ちに、鋭く冷たい眼差しはぞくりとするほど怖い。
 一気に顔から血の気が引く音が聞こえた気がした。いや、むしろ動悸が更に激しくなったような気がする。
 びくぅ、と肩を跳ね上げて咄嗟に距離を取るように後ろに後退し、背筋を伸ばして息を詰めた。目を見開いたまま凝視すると、冷たい眼差しで黎深さま(と思わしき人物)は、扇子で口元を隠しながらふん、と鼻で嗤う。
 その様子にまたびくりと肩が揺れたけれど、黎深さまは気にした風もなくじろじろと私を眺めまわし、パシン、と扇子を閉じた。乾いた音が、軒の中でよく聞こえた。

「お前、いつまで兄上の邸にいるつもりだ?」
「え、は、え?」
「馬鹿げた声を出すな、見苦しい。いつまでいるつもりだと聞いているんだ」

 切って捨てるように、つ、と目を細めて睨まれ、ひぐ、と喉奥が引き攣る。
 子供相手だとかそういう道徳的なもの何一つなく、一種の敵と相対しているかのように冷徹な態度。それはまるで、戦場で敵と遭遇した時のような緊張感である。
 敵将の、あの怖いほどに鋭い瞳。黎深さまの場合、そこに同じ人間に対するものというよりもそこらの雑草のような眼差しで見てくるから尚の事性質が悪い。恐ろしさに身震いし、唇を引き結んで胸元を握り締める。首を竦めて小さくなりながら、威圧感に慄いて、唇を震わせた。

「い、いつまで、って・・・」
「お前がどうなろうが知ったことではない。だが、図々しくもこのまま兄上達の所に居座るつもりならばこちらとて容赦はせんぞ」
「・・・・」

 うわぁ、本当に容赦ねぇ。一瞬呆気に取られ、ポカンと黎深さまを見上げる。相変わらず冷たい目で、蔑むかのように見下す人ではあるけれど、私の脳内は今は恐ろしさを一旦麻痺させて、この人本当に兄馬鹿で姪馬鹿なんだなぁ、としみじみと思い知らせていた。
 子供相手にこの態度。大人気ないというよりも本当に、ある意味とても立派だ。パチパチと瞬きをして、口を閉ざし、首を傾げて。

「・・・邵可さんの、弟さん、ですか?」

 雰囲気的には的外れな事を、尋ねてみた。いやだって。容赦しないぞといわれても。怖いんだけど、とっても怖いんだけど、事態が急展開過ぎてついていけないというか?
 だってほら、いきなりでしょう、全部。帰っていたらいきなり拉致られ、説明も何もなしに出ていけと脅される。もう少し緩やかに、私の思考と判断が追いつくぐらいの余裕を与えてくれませんかね。チッチッチッチッチーン。一瞬の間が、軒の中に落ちた。その間に、尋ねる事柄じゃなかったなぁ、と口だしした後に気づき、あっちゃぁ、と顔を顰める。絶対、こいつ馬鹿か、という視線を貰うかと、思ったのだが。

「兄上の、弟・・・!!」
「うわっ・・・」

 わなわなと扇子を握る手を震わせていたかと思ったら、何やら極まったように吐息混じりの呟きが聞こえ、思わずドン引きする。怪訝な顔で黎深さまを見やれば、うっとりと目を細めてどこかあらぬ方向を見つめていた。・・・えーと。

「・・・弟さん、なんですね」
「当たり前だ!」
「そ、う、ですか・・・」

 当たり前だと言われても。そんな誇らしげに胸張られても。ふん、と心なしか得意げに胸を張る黎深さまに押される形で返事を返して、なんとなくさっきまでのひどく重苦しい冷たい空気が緩和された気がするな、と思い、やっぱりこの人には兄と姪が1番効果的なんだなぁ、としみじみと思った。ということは、だ。少し考えて、ふふふふふ、と扇子の向こうで笑っている黎深さまを見て、こくりと頷く。

「秀麗さんの、叔父さまということですね」
「・・・・・・・・・・っ!!!」

 呟けば、何かに身悶えするように黎深さまは体を震わせて壁に拳を打ちつけた。どんどんどんどん!・・・傍からみてこんなに怪しい行動はない。
 この人まじやべぇ、とブラウン管や、文章を通しては中々わからない生の紅黎深の様子に、私はこのまま軒から飛び降りることは可能だろうか、と思わず入り口の窓から外を見てみた。がしかし。

「・・・無理か」

 走っている、とまでは行かないけれど動いている軒から突然飛び降りるのはやっぱり危険だし、何よりこの扉、外から鍵がかかってやがる。逃げられないようになのかなんなのか、周到なことだと、舌を巻いた。というか子供1人に何しでかしてんの紅家当主。
 ガタガタ、と扉を押してみたけれど開くはずもなく、がくっと肩を落として「黎深様いかがなされましたか?!」という家人の声を聞いた。黎深さまは身悶えしながら「なんでもない!」と返している。それで沈黙する辺り、きっと慣れてるんだと思うことにする。
 しかし。・・・結構冷静になってきたぞ。よしよし、色々と有り得ない体験をしてきたのだ。
 持ちなおすのは結構早くなった!と嬉しく思いながら、1回深呼吸をして、顔をあげるとやっと何かトリップ先から戻ってきたのか、黎深さまは扇子で顔を仰ぎながらふ、と口角を吊り上げた。

「お前、中々見所があるな」
「え、あ、はあ。どうも・・・」

 意味がわかりません!!え、なに秀麗の叔父さま発言で黎深さまのハートゲット?
 この人の思考回路よくわかんない、とぼやきながら戸惑いがちに視線を泳がせると、黎深さまはパタパタと扇子を仰ぎながら、だが、と低く零した。

「それとこれとは別だ。さっさと兄上の邸から出て行くがいい」
「・・・えっと」
「なんだ。嫌だとでもいうのか。言っておくが、お前なんぞただの迷惑な居候でしかないんだぞ。これ以上兄上達に負担をかけるつもりか」
「いえ、そんなつもりは」
「ならばさっさと出ていけ。出ていくのならば私も何もしないでおいてやろう」

 どうだ、と言われて、どうだ、と言われましても、と内心で返す。いや、きっとそれはとても喜ばしいことなんだけど。だって出ていけば紅家を、というか黎深さまを敵に回さないですむということで、つまり平和且、命は保障されるということで。というか、懸念していたことが今目の前で起こってるんだな、と思うと私って運が悪い、と口を噤んだ。
 この人って本当に・・・兄家族以外、どうでもいいんだな。子供だろうが大人だろうが女だろうが男だろうが老人だろうが動物だろうが、兄と姪の迷惑や邪魔になるのならば、問答無用で排除の対象。他人なんて知ったことじゃない。それを彼等が喜ぶかは別として、限りなく中心は彼等なのだ。盲目的な、愛情。駄々漏れの愛が恐ろしいと思いながらも、私は、うん、と頷いた。

「あの、・・・邵可さんの弟さん?秀麗さんの叔父さま?」

 名前じゃ呼べないしなぁ(だって名乗ってもらったわけじゃないから、口にしたら怪しまれる)と、思い、どう呼びかけようかと迷いながらとりあえずどちらも口にすると、一瞬にして相好が崩れた。
 ふふふ、と怪しい笑いと共に「兄上の弟・・・秀麗の叔父様・・・!」と呟いている。怖い。さっきまでとは別の意味で怖い。あぁこれ以上後ろに下がれないのが嫌あぁぁ!!
 背中にピッタリとくっつく壁にうぅ、と泣きたくなりながら、再びどこかに行きそうになっている黎深さまに、恐る恐る声をかけた。

「あの、心配されなくても、私、そのうちあそこから出て行くつもり、ですから・・・」
「ん?」

 あ。帰ってきた。トリップから帰ってきた黎深さまの視線がこちらを向いたのに安堵すればいいのか、鋭い双眸に脅えればいいのか、判断しかねて顔が引き攣る。
 ドキドキと跳ねる心臓を持て余しながら、私は拳を握り締め言葉を探した。

「元々、私は赤の他人ですし、いつまでもいるわけにはいかないなと思っていましたし、出ていくつもりではあったんです。ただ、ほら、私まだ子供ですから、すぐにすぐ行動というわけにはいきません。ですからせめて仕事を見つけてある程度安定して、次に行く先でも見つけてから、行動しようかなぁって、思っていまして」
「ほう?」

 すぅ、と黎深さまの目が細められる。何かを探るような計るような・・・弁慶さんの目みたいに鋭い瞳。弁慶さんと違うのは、あの人は笑顔の裏でそれを為していて、この人は、取り繕うということをしないという、その点だけだ。怖いと素直に思う。恐ろしい人だと、単純に慄く。眼差しの冷たさに、頭の良さを思わせる眼光に、ひくりと喉が引き攣るのを感じながら大きく息を吸った。

「えっと、ですから、その。し、仕事も安定してきましたし、行く先も道寺という場所を見つけてますし、いざとなれば・・・最終手段もあります。ですから、心配されなくても私は彼女達には何もしませんし何もできませんし、このまま出ていくつもりです。ただ、ちょっとタイミング・・・いやええと、機会というものが掴み難いだけでして。・・・邵可さん達は、とてもお優しいですから、言えば引きとめてくれるでしょう」
「だから、出て行き難いと?それを理由に出ていきたくないだけではないのか?」
「・・・そう、ですね。そうかもしれません。でも・・・出ていきます。今はまだ彼等の優しさに対抗できるほど意思を固められていません。ですから、もう少しだけ、時間をくれませんか?」

 まだ無理だ。まだ、彼等の強い押しに、無条件の優しさに対抗できるほど、流されないほど、私は・・・強く、なれない。だから頑として譲らない意思を、一線を明確にして、固めておかないと、結局無駄なことになってしまうのだ。俯き加減に懇願すると、黎深さまはひらり、と軽く扇子を閃かせ、パシン、と音をたてて閉じた。その乾いた音に肩を跳ねて、吃驚しながら目を瞬かせると、無表情に近い見下ろす顔が、視界に入る。

「時間を置けば、出ていくと?」
「・・・はい。出ていきます。そう遠くない内に、意思を固めます。・・・だから、もう少しだけ、時間をください」

 見返す。意思の強い目、というものはできていないかもしれない。揺れているかもしれない。だけど見返した。これは全て本音なのだ。嘘偽りなどない本音。だから、見返すしかできない。そらすことはしない。揺れている、泣きそうで、怖いと思って、脅えている。
 わかってる。だけど、逸らしたらそれこそ怖いことになりそうで。本能的恐怖が、視線を逸らすなと言っている。従うようにじっと見つめれば、畳んだ扇子をひらりと振って、黎深さまはふん、と鼻を鳴らした。

「いいだろう」
「えっ」
「しばし猶予を与えてやる。その間にさっさと意思なりなんなり固めて出ていく準備をしておくんだな」
「あ、ありがとうございます!あ、あと、邵可さんたちには、内緒にしてくださいね。絶対止められると思いますから」
「当たり前だ。私がこんなことをやったと知られたら・・・・っ!!」

 言いながら顔を青くした黎深さまに、あぁ、そりゃ邵可さん怒るかもな、と思った。
 優しいものね。こんなことして欲しいなんて思っておらず、確実に黎深さまの独断暴走なわけだし。パァ、と表情を明るくしてお礼を返したあとで、そう思い当たり真面目に頷いた。
 普通はさ、子供に向かってさっさと出ていけ出ていかなかったらどうなるかわからないぞって言わないし。目の前の人を考えれば常識が非常識、という言葉がポンッと頭に浮かんだ。妙に納得。
 微妙な顔で沈黙すると、閉じた扇子を再び広げて自身を仰ぎながら、黎深さまは御者の人に一言命令を下した。その命令のしなれように、感心したように吐息を零しながら、この人は上に立つ人なんだなぁ、とパチリと瞬きをした。
 カリスマというか、圧倒的に強者というか。まじまじと眺めれば、ちらりと向けられた視線にギクリと体が強張る。僅かに眉宇を潜められると同時に、ガタゴトと動いていた軒が止まった。

「用は済んだ。さっさと降りろ」
「あ、はい」

 うわぁ、自分でつれ込んだ癖にこの態度かよ。さすが何様俺様黎深様。感嘆の声を零しながら、外側からギィ、と扉が開いたのに反応して、黎深さまに頭を一度下げてからいそいそと降りる。手伝うように差し出された手に恐縮しながら、軒から降りて振りかえれば、もう興味ない、とでもいうように冷めた目をした黎深さまが、一応、というようにこちらを見下ろしていた。氷の長官。頭に過ぎったフレーズに、納得、と頷く。紅黎深とは怖くて恐ろしくて威圧的で、そしてやっぱり変な人。そんな認識をしながらもう一度頭を下げ、私が軒から離れると扉は閉まり、そしてガタゴトと音をたててとても立派な軒は遠ざかっていった。その後ろ姿を見送り、溜息を零して見上げた空は、何時の間にやら夕闇迫るオレンジ色。あぁ、割合と長い時間だったのだろうか。目まぐるしくてそんな感じは全然してなかったのに、とまた大きく息をついて、私はぐるりと辺りを見まわし、見えた邵可邸に、近くまで一応運んでくれてたんだ、と思った。よかった。遠くなくて。あまり遅く帰宅したら心配させてしまうからなぁ、とぼやきつつ、軒が去っていった方向を見つめて、私は足早に邵可邸の門を、潜った。

「ただいま帰りましたー」

 門を潜り、玄関まで行き、声を張り上げる。なんとなく、ただいまの挨拶は玄関を潜ってから、という習慣がついているせいで、部屋まで行く、という概念があまりない。
 大体こんな広い屋敷に住んでなかったしな。景時さんとこは別だけれども、あれは玄関潜ればお屋敷の人がいたからただいまを言う意味もあったし。どうせ聞こえてないだろうから、食卓まで行かないとなぁ、と考えていると、ダダダダダ、という走る音が屋敷の奥から聞こえてきたのに、なんだ?と首を傾げ、ぎょっと目を剥いた。

「・・・・ーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!」
「へ、え、っうわぁ?!」

 物凄い勢いで屋敷の奥から走ってきた秀麗さんが、飛びつくように私を抱きしめる。
 突然の突進に、ぎゅうぎゅうと抱きしめられながら私はしきりに瞬きを繰り返し、きつい抱擁に絶句した。そして秀麗さんの肩越しに、慌てた様子で駆け寄ってくる静蘭さんが見えた。な、何があったの?!呆然としていると、私を抱きしめたまま秀麗さんが、心底安心した、という風に声を零した。

「よ、よかっよかった・・・!!無事だったのね・・・っ」
「え、あ、はぁ?な、なにがですが」

 あれ。別にそんなに遅くなってないよね私。生憎と屋敷の中なので外の様子は見れないが、見上げた空は別にそこまで遅いといえる時刻ではなかったはずだと、そう思いながら戸惑いがちに問いかける。きつい抱擁に秀麗さんの顔は見えないから、仕方なしに肩越しに見える静蘭さんを見上げれば、至極ほっとしたように胸を撫で下ろしていた。

様が見知らぬ軒につれ込まれたと聞いて、とても心配していたんですよ」
「へっ?」
「そうよ!八百屋のおじさんがそう言ってたのを聞いて、も、もう・・本当に心配したんだからぁ!静蘭にも探しまわって貰ったのに、見つからないし・・・!」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うーわー・・・・・・・・・・・・・・・。
 れ、黎深さま、非常にまずい事態となっておりますよ。相変わらず秀麗さんに抱きしめられながら、見上げる静蘭さんの額に、確かにうっすらと汗が見えて本当に探されていたのだと、言葉をなくした。
 おまけにぐすぐすと鼻を鳴らす秀麗さんの声まで聞こえて、私は非常に申し訳なく思いながら、これは絶対黎深さまのこと言えない・・・!とぐっと唇を引き結ぶ。
 しかし、そりゃそうだよな、と同時に納得もした。メチャクチャ町中だったもん。そりゃ目撃者もいるし、傍から見ればあれは確実に誘拐だ。というか、誘拐以外の何者でもない。通報もされれば、心配もされるだろう・・・・申し訳ない。本当に申し訳ない。
 私のせいじゃないけども、本当に申し訳ない・・・・!!しかしここは誤魔化さないとなんか大変なことなりそう?!だってほら、実際に軒に乗ったということになれば誰の?!ということなるし、勿論黎深さまのことが言えるはずがない。むしろこんなこと話したら秀麗さんの黎深さまの印象が悪くなるかもしれないし、そうなったら私が黎深様に殺される?!
 ちくしょうなんでこんな生命の危機を戦場でもないのに感じなくてはならないんだ・・・!!

「えっと、えっと、あの、いや、私は、別に、何もなかったですよー?」
「え?」

 苦し紛れに秀麗さんの背中をぺしぺしと叩きながらへらりと顔を崩すと、間の抜けた声をあげて解放される。ぷはっと息をしつつ、肩に手を置いてどういうこと?と首を傾げた秀麗さんと、怪訝そうな顔をした静蘭さんに、あはは、と曖昧に笑みを浮かべた。

「あ、いや。その・・・別に私、誘拐もどきなことされてませんから!」
「え、でも・・・おじさんが・・・」
「見間違いですよきっと!私みたいな子供そこらにたくさんいますし!」
「・・・髪がとても短かった、と言っていましたが」
「・・・括ってたんじゃないですか?見間違いなんてよくあります。それに誘拐だとしたら私がここにいるはずがないですし、ね?」

 必死に笑顔を取り繕って言い募ると、2人は思案気に口を閉ざし、秀麗さんに至ってはずずぅい、と顔を近づけて目を覗き込んできた。ギクリ、と表情が強張りかけたが、頑張って笑顔を貼りつける。・・・だ、伊達に弁慶さんとかヒノエと接してきていたわけじゃないんだ!平常心、へいじょーしん!

「でも、心配してくれて嬉しいです。ありがとうございます、2人共」
「いえ・・・まあ、様がそういうのでしたら、・・・無事で何よりです」
「静蘭さんも。・・・わざわざ探しまわってくださって、ありがとうございます」
「本当に何もなかったの?危ないこととか、なにも?」
「ないです。大丈夫です。仕事が終わった後、ちょっと寄り道していただけですから」
「本当に?」
「本当です」

 嘘ですけど、と思いつつこくりと頷く。秀麗さんも不服そうな顔をしていたが、結局私がここにいるならいいか、という結論に落ちついたのか、ふにゃりと相好を崩して、大きな溜息を零した。

「・・・とにかく、が無事でよかったわ。本当に、聞いたとき生きた心地がしなかったんだから。勘違いだったのならいいけど」
「あはは・・・」

 嘘ですごめんなさい、と言えるはずもなく。最終的に笑って誤魔化すことしかできずに、私はつい、と秀麗さんから視線を外した。

「あら?でも、じゃないとすると・・・誰か別の子が誘拐されたってことに・・・!」
「え、」
「ど、どうしよう静蘭!大変よ!!」
「落ちついてくださいお嬢様。このことについては私達だけでは対処に余りますし、別の方に相談を・・・」
「あ、いや、ちょっと・・・」
「そ、そうよね・・・私達だけじゃ、どうにも・・・。全商連に連絡をして、誰が誘拐されたとか、調べてもらわないとっ」

 いやああぁぁ!!なんかすごい大事になったああぁぁぁ!!!真剣な顔で話し合う二人に顔から血の気を引かせて頭を抱える。もう馬鹿っ黎深さまの馬鹿っ。頭いいくせになんでこんな後始末に困ることしでかしてくれてるのーーーーっっ。やばい。私じゃ収拾できないと思い当たると、静蘭さんがマジで動き出そうとするのに、心臓が嫌な加速をしたことに気づいた。どどどとどどどどどうしよう・・・・・!!おろおろとしている間に、秀麗さんに見送られ、屋敷を出ていこうとする静蘭さんにうわぁぁぁん、と泣き声を張り上げたくなった。誘拐なんてされてないの、そんな事件どこにもなんにもないんだってばーー!!
 待ってーーー!と声を張り上げようとした瞬間、出ていこうとした静蘭さんの前に、ひょっこりと邵可さんが現れ、思わず静蘭さんの足が止まった。

「あれ、どうしたんだい皆。玄関なんかに集まって」
「旦那様」

 相変わらずのほほんとした雰囲気で不思議そうに首を傾げる邵可さんは、にこにこと笑いながら静蘭さんを奥に押しやり玄関に入ってくる。
 その様子を見ながら、あぁまた何か大事になるのか?!と顔を青くさせていると、秀麗さんが慌てたように邵可さんに飛びついた。

「どうしよう父様!誰かが誘拐されたかもしれないの!」
「え?どういうことだい?」
「実は、今日の夕方八百屋の楚氏様が様が軒につれ込まれた、と言っておられまして・・・」
「それは・・・でも、はここにいるね」
「あははー・・・」

 深刻な顔で事情を説明する静蘭さんに驚いたようにしながらも、こちらを見た邵可さんに物凄く引き攣った笑顔を返す。うふふ・・・もうどうしよう。波が過ぎて実は何もなかった、というオチになるのを待つしかないのかしら・・・。遠い目をしている間に説明が終わったのか、早く知らせないと!という秀麗さんの声にびくりと肩を震わせる。うぅ・・・黎深さまの馬鹿野郎・・・!本人目の前では決して言えないことを内心で唸るように呟くと、それなら、と邵可さんが口を開いた。

「その話しなら私も他の人から聞いたんだけどね。軒につれ込んだのはどうやら家の方らしいよ」
「へ?」
「それは、どういう・・・?」
「詳しい事情は知らないけれど、どうもお子さんが習い事が嫌で逃げ出したらしくて、だから多少乱暴なことになったんじゃないかな?勘違いされるのも無理はないね」
「そ、そうなの?」
「そうらしいよ」

 にっこり。いつものように笑いながらあっさりと言われて、秀麗さんと静蘭さんは呆気にとられたようにすとんと肩の力を抜いて呆然としていた。
 私にしても、邵可さんが吐いた嘘に絶句して目をしきりに瞬かせる。当の本人はいつもと変わらず飄々としていて、さ、奥に行こうか、とさくさくと静蘭さんと秀麗さんの背中を押して歩き出した。
 背中を押された2人は何か釈然としない、という顔をしながらも、奥へと歩いていく。その後ろ姿を思わず見送っていると、くるりと邵可さんが振りかえった。思わずギクリ、と肩が揺れて、呆然としながら邵可さんを見上げれば、彼は申し訳なさそうに眉を下げていた。

「すまないね、弟が迷惑をかけて」
「えっ・・・あ、あの、邵可さん、」
「あれは多少暴走しがちなところがあって。何を言われたのかは・・・想像はつくけど、あまり気にしないでいいんだよ。私から言っておくから、は何も心配しなくていいからね」
「い、いえ・・・あの」
「うん?」
「・・・黎、・・・弟さんに、会ったんですか?」
「いや。会いにいってはいないけれど、想像はつくからね。全く、子供相手に大人気ないというか、・・・本当に、すまなかったね」

 苦笑混じりに、本当に申し訳なさそうに言われて、口を閉ざしながらポリ・・と頬をかく。なるほど。全て想像がついたから、口裏というか、言い訳をでっちあげてくれたのか。
 弟のことをよく知るからこその観察力。やっぱりこの人はすごい、と感心しながら私はガクリと肩を落として、深く深く、ふーかーく、溜息を零した。

「・・・なんだか、今日は疲れました・・・」
「あの子も悪気があったわけじゃ、ないんだけれどね・・・。どうにも抑制できない部分があって・・・。怖かっただろう?」
「まあ、それは、多少。でも、・・・邵可さん達は愛されてるんだな、とは思いました」

 苦笑を浮かべると、邵可さんは嬉しいのかなんなのか、複雑そうな顔をして、私の頭にぽん、と手を置いた。優しく撫でられて、そっと目を細めて口を閉ざす。

「本当に、黎深の言った事は気にしないでいい。私達は君がいてくれて本当によかったと思っているから」
「・・・ありがとうございます」

 優しい言葉が頭の上から降ってきて、弱々しくお礼を告げる。まるで黎深さまが悪役みたい、と思いつつ、脅してるんだから悪役でも間違いじゃないのかなぁ、と思った。けれど。

「父様ー?ー?なにしてるの?」
「あぁ、今行くよ、秀麗。さ、
「・・・はい」

 奥からかかった声に、朗らかに返事を返した邵可さんを見上げて、小さく微笑む。彼の手が私の頭から離れ、遠ざかるのを見送り、歩き出した背中に目を細めた。
 一瞬口に出そうと思ったけれど、小さな呟きでも彼なら拾いかねないと思うと、咄嗟に口を閉ざし、代わりの溜息を零して、私は足早に邵可さんの後ろを追いかけた。


 ――けれど、出ていくのは、自分の考えでもあるんです。


 そんな呟き、零せるはずもないけれど。