オセロゲーム



 連れていきたいところがある。そう言われて、秀麗さんに手を引かれながら連れられてきたのは、閑静な住宅街・・・というわけではなく。けれど普通の町中とは違いまるで火が消えたように静かな場所だった。活気がないというか、道の両脇に聳え立つようにして何件も連なる建物。普通の家ではなく、なんらかの店なのだろうとはわかるのだが。宿屋みたい?
 建物の様子はそれこそピンからキリまで、といった様子で。何階建てだろうか、と建物を見上げ、首を傾げた。どこだろう、ここ。寂れたというわけでもないのに、普通とは言い難いほど静かな様子はまるで、太陽の下では生きていけないかのように思える。
 その中を、なれた様子でさくさくと歩く秀麗さんに問い掛けたいと思ったけれど、口にする前に秀麗さんはまるで当たり前のようにやたらと大きな門がある建物の中に入っていってしまい、声が喉の奥に引っ込んでしまった。

「・・恒娥楼?」

 入る際に見えた文字の羅列に、目を丸くする。なんとなく見覚えがある三文字と、やはり見覚えがある格式高そうな門構えや建物に、思わず呟く。  記憶が刺激され、その記憶がおぼろげながらもアニメからであることに、飛び出た名前は意外なほどしっくりと嵌った。
 口に出すことによって刺激されたのか、ついでに記憶がパァ、と鮮明に思い出されて、あぁ、恒娥楼、と1人で納得した。人物とおおまかな話しの流れは覚えているけれど、それを咄嗟に思い出せるかと言われればさすがに難しい。まあ、無駄なところで発揮される記憶力だから、人物はおおまか思い出せるのだけれど。・・・個性的だし。
 そして一旦口に出してしまえば、町の様子もなるほど、と頷けた。あくまで知識でしかないのだが、夜を賑わせる花街ならば、昼間は確かに火が消えたように静まるものなのだろう。
 ある意味、太陽の下では生きていけない、そんな感想は的を射ていたのかもしれない。しかしながら、何故花街に私が連れてこられなければならないのか・・・。
 しかし花街で恒娥楼といえば主要といっていいものか・・・まあしかしそれなりに重要といえるキャラがいたはずである。名前はなんだったっけ、と眉間に皺を寄せた刹那、ぱっと秀麗さんの手が離れ、弾んだ声が静かな建物内部に響いた。

「胡蝶姐さん!」
「おや、秀麗ちゃん。いらっしゃい」

 声につられて上げた視線の先に、滑らかな曲線を描く肩を露出し、豊満な胸の谷間さえ見せつけるように着物を着崩したそれはそれは綺麗なお姉様が、艶やか、という一言に尽きる笑みを、真っ赤な唇に浮かべて秀麗さんを見つめていた。一瞬その艶やかで含みのありそうな微笑が、あの人に被ってしまい唇が戦慄いたが、秀麗さんを見つめる瞳は優しくて、震えた唇を引き結んで僅かに目を細める。紅の引かれたぽってりとした肉厚の唇、真っ白な肌は染みの一つもなく、整った造作はそんじょそこらじゃお目にかかれない。
 もっとも、美形という点ならば何人も見てきたのでさしたる感銘は受けないけれど、美女という点では物珍しく(なにせ男がほとんどだった)思わず食い入るように見つめてしまう。
 黒々と長い睫毛、伏目がちにそれは悩ましげで、結い上げられた黒髪は光を映して天使の輪を作り、唇の赤や頬の薔薇色を際立たせるような肌の色との対比が眩しい。
 白い肌は染みも皺も見当たらず、触れたらすべすべしてもっちりとしてるんだろうか、とぼんやりと見つめながら考える。綺麗だった。文句もない。朔も美人だったけれど、この人はもっとタイプの違う美人。体中から滲み出るフェロモンというか、とにかくも明らかに自分達とは別次元に位置していそうなフェロモン系美女を凝視しつつ、その女性とやけに親しそうな秀麗さんの嬉しそうな笑顔を垣間見た。

「今日の仕事にはまだちょっと早いんじゃないかい?」
「えぇそうなんだけど、今日は姐さんに紹介したい子がいて、ちょっと早く来てしまったの。迷惑だったかしら・・・」
「とんでもない。秀麗ちゃんがくるならいつだって構いやしないよ。で、紹介したい子って?」
「あ、はい。、こっちにきて」
「え、あ、・・・はい」

 正直ぽつんと取り残されて置いていかれた気がしていたのだけれど、唐突に名前を呼ばれて反射的に体を跳ねさせながら、慌てて秀麗さんの元まで小走りに駆け寄った。
 とたとたと軽い足音を響かせ、麗しいお姉様の視線にドギマギしながら秀麗さんの傍まで寄れば、ずいっと背中を押されて一歩前へと出る。
 着物で体の線は見えないけれどきっと理想的なプロポーションなのだろうなぁ、と思わせる美女・・・そう、この花街一といわれる、名妓胡蝶である。薄れいく記憶の中、思い出した名前と立場にふ、と吐息を零すと、意外そうに細められた眼差しが注がれどきりと心臓が跳ねる。視線を逸らしたくなったが、目を合わせないのは失礼、と思えば逸らすことなどできるはずもなく正面から対峙する居心地の悪さに心臓が加速度を増した。

「秀麗ちゃん、この子は?」
っていうんです。ちょっと訳あってうちで預かっていて・・。、この人は胡蝶姐さん。この花街で1番の名妓なのよ」
「初めまして、ちゃん」
「初めまして・・・」

 にっこりと魅力的に微笑まれ、綺麗な笑顔、と思いながら軽く頭を下げる。
 しかし、頭の中は疑問で一杯だった。確かに美女とお近づきになれるのは嬉しいといえば嬉しいのだけれど、しかし何故私がここにつれてこられなければならないんだろうか。
 なにしろ花街である。まず10歳未満のお子様を連れてくる場所ではない。あくまで外見の話だが、さておき秀麗さんの行動がいまいちよくわからず、伺う様に胡蝶さんから視線を外して見上げれば、同じように胡蝶さんも疑問を乗せるように彼女に目配せをする。
 2人分の視線を受けた秀麗さんは、真剣な顔で手を組んで胡蝶さんを見つめた。

「胡蝶姐さん、お願い。も一緒にここで働かせてくれないかしら?」
「え?」
「は?」

 思わず2人分の間の抜けた声が被ったのは必然だ。私自身聞かされてもいない話に目を丸くさせると、秀麗さんはずいっ、と更に言い募る。

「旦那様にはもう話してあるんだけど、少し渋られてて・・・。でも姐さんが口添えしてくれれば大丈夫だと思うし、それには確かに小さいけど読み書きも算盤も完璧なのよ!八百屋や魚屋さんではもう引っ張り凧だし、仕入れも任されてるって話で。それにほら、ももうちょっといい働き口が欲しいって言ってたじゃない?」
「え、あぁ、まあ・・・言ったような気もします、けど」
「だからお願い胡蝶姐さん!も一緒に働かせてっ」

 ぱんっと手を合わせて頭まで下げてしまった秀麗さんに目を丸くして、私は言葉を飲み込む。何故そこまでして私を売り込もうとしているのか、そして何よりどうしてここなのか。
 意図を掴めず眉間に皺を寄せると、じっと秀麗さんを見下ろしていた胡蝶さんは、しばらくの間を置いて、ふっと唇から吐息を零した。

「頭をあげな、秀麗ちゃん。そこまでいうなら、本当に大丈夫なんだろうね?」
「えぇ、それは勿論!ね、
「え、はい。大丈夫です」

 大丈夫だけど、私話が掴めてないんですけど。戸惑いを隠せないまま言われるまま頷けば、上から注がれる視線に思わず視線が泳ぐ。
 自分の意思というよりもこれは完全秀麗さんの暴走だよなぁ、と思いながらも、好都合といえば好都合だろう、と自分に言い聞かせた。私の計画の中にはここ・・・いや、別に恒娥楼である必要性は皆無なのだが、花街のことも含まれていたし。・・・最終手段として。
 そう思えばここで少なからず胡蝶さんと面識ができたのは幸運なのだろうと思うことにして(しかし何故こんなことになったのか、サッパリだ)口を噤む。  その後2人でニ、三、会話して胡蝶さんが踵を返していくその後ろ姿を見ながら(旦那様に話をしにいくらしい)ほっとしている秀麗さんを見上げた。

「・・・秀麗さん」
「あっ・・・えっと、、ごめんね?いきなりこんな話進めちゃって・・」
「いえ、いいですけど、でもどうして・・・?」

 申し訳なさそうに眉を下げられて謝られてしまえば、言い募ることもできずに軽いため息と共に疑問を口にする。眉間に皺をぎゅっと寄せれば、秀麗さんは薄っすらと微笑んだ。

「ここは花街だけど、でも私達がするのは雑用だし、それにさっきも言ったけど良い働き口が欲しいって言ってたじゃない。身の安全だって保証するわ。私もぐらいの時に働かせて貰ってたし、ここは花街1番の妓楼で格式も高いの。そんじょそこらの妓楼とはわけが違うんだから」
「はぁ・・・そうなんですか。わざわざありがとうございます」

 ぼんやりと呟いた一言を(本人でさえ忘れかけていた)真剣に考えてこうして仕事先を紹介してくれるとは、本当に世話好きというかお人好しというか。自分のことのように胸を張る様子に、よほどいい職場なんだなぁと頬を緩めた。まあなんにせよ、悪い場所ではないのだろうから目くじら立てる必要もない。それに、今後のことも考えれば多少なりとも出入りして下見程度のことができるのならばまさに願ったり叶ったりというものだ。そう自己完結をして、しかし、と目を細めた。

「それはそうとして、どうしてこんなによくしてくれるんですか?」
「え?」

 きょとりと、彼女が目を丸くする。傾げられた小首につられて揺れる黒髪が頬を軽く打つのを見上げて、珍しくも心情を吐露するかのように、日々感じていた疑問を表面に出した。

「正直、こんな子供にしては十分なほどの仕事は紹介して貰えてますし、それなりに安定もしています。助けてもらえてから、ずっとお世話になって。それだけでもう十分なほどなのに、本当に秀麗さん達は私によくしてくださいますよね」

 赤の他人なのに、そんな言葉が言外に出てしまったかもしれない。一瞬寂しそうに揺らいだ視線に、さっと目を伏せた。
 けれど、そうだろう。見知らぬ人間で、偶々助けてもらえて・・・まあ確かに中々悲惨な目にあったという自覚はあるし、それを見捨てる人間はあまりいないのかもしれないにしても。それでも、申し訳なくなってしまうほどによくしてくれる彼女達。どうしてだろう、その疑問にお人好しといってしまえばそれまでで。
 そういう性質なのだと知ってしまえばただそれだけで、だけどただそれだけが、重たいとすら、思ってしまう。普通をどこに置けばいいのか、わからない。けれどもう十分だという気持ちだけはあって、これ以上何かして貰えても、私に返せるものなんて何一つない。
 お金、はまあ働いているから多少家にいれているけれども、手伝いなんて微々たるものだし・・・どこから開き直ればいいのだろうと、迷うのだ。子供だから?無理だ。
 だって自分は子供であって子供ではない。子供になりきれない子供だ。異世界人ですらない、開き直るだけの、しょうがないんだと思えるだけの、何かが決定的に今の私にはない。これが子供であったのなら。ちゃんとした子供であったのなら。もっと素直に、受け入れられたのだろうか。
 傷ついても悲しんでも、それでも目の前の人達の優しさに涙して縋れるだけ、純粋でいられたのだろうか。あぁ違う。子供じゃないからとか、異世界人ではないからだとか、そういうことじゃない。そうじゃないんだ。引っかかるのは、喉に小骨が引っかかったように、もどかしいような焦燥に囚われるのは、―――あくまで私は、他人でしかないからだ。
 だからどうしても、踏み込みきれない。知り合いだったわけでもない。血の繋がりなんてそれこそない。静蘭さんのように、彼女達を居場所に据えることも、できない。
 知っていることが、記憶が、足枷になる。戸惑う。迷う。そうして区切ってしまう――彼等はキャラクターで、私はそれを知っている。流れを、物語を、知っている。だから離れてしまおう。だから線を引こう。私は、あくまでも、無関係な人間でしかないのだから。
 区切る私に、区切ろうとする中に、けれど秀麗さんは当たり前のような顔をして、自信に満ち溢れた笑顔で、踏み込もうとする。

「私は、を家族だと思ってるわ」

 頭の上から振ってきた柔らかな声に、見開いて視線を向ける。沈黙を破るように、少々重苦しかった空気を払拭させるように、にっこりと笑顔を浮かべて、彼女は私の頭を撫でた。

「それは、確かに血の繋がりとかはないけど、だけどそんなの関係ないわよ。静蘭だって血の繋がりはないけど、私も父様も静蘭のことを家族みたいに思ってるわ。私はのことを妹だと思ってるし、父様も娘みたいに思ってる。静蘭だって。絶対よ!・・・だから、家族のために何かしたいと思うのは、当たり前でしょう?」

 微笑んで。頭を撫でる手は優しい。慈しみを感じられて、きっと彼女は本当にそう思ってるんだろうと思えて。嘘偽りない言葉なのだろうと、思うけれど。じっと優しい言の葉を聞いて、暖かな手で撫でられる感触を嬉しく思って、笑みを浮かべる。

「だからもっとは頼ってくれていいんだから。いつも自分1人で何かしようとばかりしていて、お姉さんとしては少し寂しいわ」
「あはは・・・ありがとうございます」

 最後は少し茶化すように、肩を竦めてわざとらしくきゅっと眉を寄せる秀麗さんに軽い笑い声を零す。冗談のように、本気を混ぜて。伝える言葉は、たったこれだけだ。
 感謝する。感謝する。感謝したい、ありがとう、心をこめて。

 だけど、それだけだ。

 足音が響き、首を動かす。流れるようにお互いの視線が動くと、旦那様(いわゆる妓楼の店主)を引きつれて胡蝶さんがやってくる。その姿を見つめて、私は任されるだろう仕事内容に意識を飛ばした。





 パチパチパチパチ、玉を弾く音が物静かな妓楼に響いて、一旦手を止めて筆で記帳をすませると再び別の数字に視線を向ける。算盤を使う必要もないのであれば目を通して頭の中で算盤を弾くように計算をしながら記帳を続け、無言で作業に没頭していると不意に目の前が僅か翳ったのに気づいた。別の仕事を任された秀麗さんが帰ってきたのだろうか、そう思ったが、視界に僅かに入り込む色彩が秀麗さんのものではなく、算盤の手を止めて顔をあげればうっとりするような笑みを口元に浮かべた胡蝶さんが佇んでいた。
 咄嗟のことに息を詰めて目を丸くし、戸惑いを隠さずに瞬きをすると、彼女はころころと笑いながら口を開いた。

「やっと気づいたみたいだねぇ。大した集中力だよ」
「えっと、・・・胡蝶、さん?」
「さすが秀麗ちゃんが自信を持って薦めるだけあるね。計算も速いじゃないか」
「あ、ありがとうございます・・・」

 声が強張るのは仕方ない。初対面の慣れない人間相手にはどうしても緊張してしまうんだ。固い表情で笑う私を、胡蝶さんは目を眇めて無言で微笑み、組んでいた腕を解いて伸ばしてくる。ぎょっとすればそれはいともあっさりと頭の上に乗せられ、優しい動きで上下した。

「そんなに緊張するもんじゃないよ。秀麗ちゃんの妹なら私にとっても似たようなものだからさ」
「はぁ・・・」

 そう言われても、と表情に出ていたのだろうか。気の抜けた相槌にくすくすと胡蝶さんの濡れた唇から笑い声が零れ、しょうがない、とでも言うように切れ長の瞳が細まる。
 それにしてもなんでここにいるのだろう、この人。と思いながら首を傾げ、ちら、と視線を横に流した。

「あの、・・・秀麗さんは、」
「秀麗ちゃんならもうしばらくは帰ってこないだろうねぇ」
「そうですか・・」

 あっさりと返されてこちらも端的に相槌を打ち、さて会話の糸口が消えたな、と算盤に視線を落とす。進めてもいいんだろうか・・・いやいや人がいるのに相手しないというのはやっぱりどうかと思うし。しかし、緊張する。ただでさえ相手はあの胡蝶さんなのだ。
 気に入られたい、と特別思うわけではないがそれなりに印象はよくしておきたい、と思う。けどまあ、あんまり関わってもあれだと思うからやっぱり秀麗さんの付属品程度の扱いの方が気が楽かもしれない。どうしようかなぁ、と思ったとき、あぁそうだ、とぽくりと内心で手を打った。今は秀麗さんもいないし、好都合というものだ。

「あの、胡蝶さん」
「ん?なんだい」
「妓楼で働くにはこの年でも大丈夫なんですかね?」

 小首を傾げつつ問いかけると、胡蝶さんは驚いたように目を見張り、顎に指を添えてマジマジと私を見下ろしてから軽く眉間に皺を寄せた。

「今働いてるじゃないか、というのとは、違うんだろうねぇ。それは、妓女として、かい?」
「えぇ、まあそうですね」

 ばらら、と記帳している冊子を音をたてて弄りながら頷くと、胡蝶さんは机に肘をつき、私と視線を合わせるようにして間近に顔を近づけた。
 その整った造作を見返して黙っていると、長い睫毛が目許に影を作っている様まで粒さに観察できてしまった。アァ本当に美人だな、この人。

「妓女がどういうものか、わかってるのかいちゃん」
「知識としては、少なからず」
「ふぅん・・・勿論働けるよ。その年で売られてくる子なんざ当たり前だからね」
「生々しいですねぇ」

 小さく苦笑して、現実味の伴った現役の妓女の言葉に肩を竦める。当たり前、か。ならばこの妓楼の裏方の方にも私と同じ年ぐらいの子がたくさんいるのだろう。
 いや花街全体でいうのなら本当にたくさん。貧富の差は激しい。にっちもさっちもいかなくなった家の子が売られてくる。目の当たりにしたわけではないからなんとも言い難いが、けれどもそれはなんて、重たい話なのだろう。

「・・・秀麗ちゃんの所から出ていくつもり?」

 頬杖をつき、探るように見てくる胡蝶さんから視線を外し、算盤を弾き始める。
 パチパチパチ、と弾いて計算をしながら、私は無言で頷いた。視線がどうして、と尋ねてくる。どうして出て行く必要がある、と。  私はその視線に一旦口を閉じて、しばらくの黙考のあと、そっと人差し指をたてて口元に添えた。にっこりと微笑んで。

「秀麗さんには、ないしょですよ」

 笑えば、彼女は奇妙に顔を顰めて、溜息を零した。ぐしゃりと髪を掴んでかきあげて、寄せられた眉を申し訳なく思いながら算盤を弾くのを再開させる。多分意図を間違えることなく、目の前の人は受けとめたことだろう。証拠に顔を顰めてはいるがそれ以上言葉を繋ぐことはなく、代わりに竦められた肩が彼女が許容したことを教えてくれる。本当は、言った方がいいのかもしれない。理由を、けれど理由といえるほど立派なものでもないのだけれど。
 ただ、他人でしかないのだ。家族だと言われても、家族だと言ってもらえても、私の中ではそうと昇華できないだけで。関係がなさすぎた。あまりにも。8年間。接触すらなかったただの赤の他人。それをいきなり、助けられたとはいえ、家族のように思えだなんて。
 無理にもほどがある。そんな風に容易く受け入れられるのなら、私は自分の成り立ちに苦悩などしない。何が問題って、私の中に18年が存在していることだ。私の中に、「彩雲国物語」があることだ。だからゆえに彼女等から遠ざかろうと思っている。  だからこそ家族だという言葉も真っ当な親切も優しさも、心苦しさと共に違和を覚えるのだろう――知ってさえいなければ、もっと気楽であっただろうに。
 家族といってもらえて嬉しくなかったとは言わないけれど、同じだけのものを返せるとは思わない。あの人達は恩人で優しい人達で、そうして「キャラクター」でもあるのだ。
 これがその辺の脇役とかになれば同じ人として見ることも可能なのにそうでないから非常に難儀な話である。8年間関わらなかったのだから、これからも関わらなければよかったのに。
 悪態をついてもなってしまったことは仕方ない。
何もかも仕方ないことであるのだ。アァ本当に、どういう運命の元に生まれてしまったのだろう私という存在は!

「まあ、ここはいつでも歓迎するよ。何かあったら頼るといい」
「ありがとうございます。まあでも、ここは最終手段ですから・・もしもの時に」

 にこりと笑みを浮かべる。誤魔化すというよりも本心から笑みを浮かべれば、返すように微笑まれ頭を撫でられた。最近本当によく撫でられる、と思いつつも心地よくてその掌を甘受し、密やかに決意する―――もう、十分だと。時間は経った。布石は打った。
 黎深さまも痺れを切らしている頃かもしれないし、そろそろ本格的に話を切り出さないと。

「じゃあ頑張るんだよ、ちゃん」
「はい。あの、胡蝶さん。このことは本当に秀麗さんには、」
「・・・さぁ、なんのことかしらね」

 皆まで言う前に微笑まれ、あぁ大丈夫だと思ってほっと胸を撫で下ろす。
 自分から切り出す前に知られてしまったら、決まりが悪いし止められたら反論のしようがない気もするし。主導権を握るには、やっぱり自分からしかけなくてはならないのだ。
 ひらりと白魚のような手を振って背中を向けた胡蝶さんを見送り、私は会話したことで遅れた分を取り戻すため、猛然と算盤に向かった。パチパチパチパチ、と、玉を弾く音が静かな室内に響き渡る。だから、出ていった先で振りかえった胡蝶さんを私は知らない。
 彼女の目が細められ、難儀な子、と呟かれた心配さえ滲ませた声を、知ることができるはずもなく。しかし、言葉の裏を突かれたことを、私は後日知る羽目になる。