きゅっと閉まった袋の口。
いくら統括された下町ではあっても、花街に年頃の女性と、下手したら売られかねない少女が2人で出歩くのは危険だ。それも夕暮れ時と、花街が眠りから目を覚ます時間帯――心配になって様子を見に来るのは、決して過保護というわけではなく当然の行動である。
もっとも、自分が仕えるお嬢様は自分達に花街で働いていることは知られたくないようだから(説教されると思っているのだろう)、あくまでこっそりと様子を伺うぐらいしかできないが。
そんな中、妓楼の女達に声をかけられることは少なくない。自分で言うのもなんだが、自慢できるほどの美形であることは自覚しているのだから。しかしあしらうのも慣れたものであるし、そもそも恒娥楼の妓女達は自分がここにいる理由も誘っても無意味なことも重々承知しているので、誘いかけることはほぼないのだが。(時折戯れに声をかけられることはあっても)その中で、尚声をかけてくるといえば――この花街を纏める女傑ぐらいであろう。
しかも会話の糸口は専ら自分のお嬢様についてのことなので、基本的に会話は彼女の存在がなければ成り立たない。けれど、今回は、その彼女ではなく。
「・・・全く。どうしてお嬢様といい、あの子といい、人に頼らない人ばかりなのか・・・」
その女傑から聞かされた話に、思わず眉を潜めてしまったのは致し方ないというものだろう。本当に、自立心旺盛というべきかなんなのか。一度頼られない側のことを考えてみて欲しい。ふぅ、と嘆息し、前髪をかきあげてぽつりと呟く。
「旦那様にお伝えしなければ」
全く、本当に―――出ていくだなんて、どうしてあの年の子供がそこまで思考を巡らしてしまうのか。難儀な性質である。これを教えてくれた女傑には感謝し、颯爽と身を翻した自分を見かけるものは、いない。
※
―――さて。そろそろここを出ていくと言う事を切り出そうと決意したはいいものの。
「いつ言い出そう」
そこが問題である。むぅ、と目の前で朝食を取っている皆さんを眺めながら、もそもそと麦ご飯を口に運んで眉間に皺を寄せて話を切り出すタイミングを考える。
さすがに今言うのは非常識だ。朝は皆忙しいのだから、本格的に切り出すと言うよりも、今日の夜はどうかという打診をしておくべだろう。今日の夜は皆揃うのか、とか。
偶に邵可さんは遅くなるときがあるからね。やっぱり皆が揃ってる時に言わないと、こういうことは。なるべく重くなくさらっと言い出すべきか、それともやっぱり真面目に会話を切り出すべきか。止められたら、その時は、真っ直ぐに自分の意思を告げるんだ。
大丈夫。もう決めた。揺るがないように決意を固めた。意固地にも似た頑固さで、てこでも動かなければ、きっと相手もしょうがないと諦めてくれるはずである。これからの生活だって大丈夫。仕事先は安定してるし、行く先だって決めてる。よし、準備は万端である。
とりあえず今日は皆ちゃんと帰ってくるのか(主に邵可さんだが)聞いてから――ちゃんと、話を切り出そう。そうしよう。うん、と方針を固めて顔をあげると、正面に座っている邵可さんと視線がばちっと合った。咄嗟に愛想笑いを浮かべると、もそもそとご飯を口に運んで、ごくりと咀嚼する。おおぅ・・・視線が合うにはなんだか心臓に悪い相手だったぞ今の。
咄嗟に視線を外して俯いてしまったから、私は邵可さんが薄っすらと瞳を開けたことに気づかず、かちゃりとお茶碗を置いて吐息を零した。邵可さんだけでなく、静蘭さんからも注がれる視線も、知らないままで。
「あら、。もういいの?」
「え、あぁはい。もうお腹一杯ですから」
「遠慮しなくていいのよ。・・・透子は少食ね」
「うーん。胃が小さいんでしょうねぇ、きっと。えっと、それより秀麗さん、今日の夜って・・・」
「秀麗、そういえば今日は少し早めに出るんじゃなかったのかい?」
「え、・・・あっ。そうだったわ。今日は早めに店に来てほしいって言われてて・・・?ごめんなさい、何かしら?」
「あぁ・・・はい。今日の夜なんで、」
「お嬢様、もう行かないと時間があまりありませんよ。片付けなら私がしておきますから、お嬢様は早くお出かけになられたほうが」
「そ、そうね。ごめんなさい。話なら今日の夜聞くわね!」
「あ・・・、はい」
切りだそうとすると絶妙なタイミングで割って入られ、立ちあがった秀麗さんに私はこくりと言葉を飲み込んで頷いた。
・・・え、なに今の。わたわたと支度に走る秀麗さんの背中を追いかけてから、そっとまだ机についているニ人を見れば、のほほんと素知らぬ顔でご飯を食べている。
「全く、秀麗も慌しいね」
「朝はお嬢様も大変ですから。仕方ありません。・・・様?どうかしましたか?」
全くいつも通りに会話をしている二人に、さっきなのはわざとなのかそうでないのか計りかねて、眉間に皺を寄せる。
なんというか、どことなくわざと言葉を遮られた気がするのだが・・・しかし、あまりにも飄々と、疚しいところなんて何一つありません、と当たり前の様子でいられると、あれは偶然かと思ってしまう。視線に気づいたのか、柔らかな笑顔で振り向いた静蘭さんに、ギクリと肩を揺らして私はふるふると反射的に首を横に振った。
「・・・な、なんでもないです・・・」
「そうかい?何かあったらすぐに言うんだよ」
「は、はい。ありがとうございます・・・」
おっとりとした笑顔で邵可さんからも言われて、こくこくと頷きながら今のは気のせいか、と視線を泳がせる。・・・まあ、偶然だろう。人の言葉遮ることなんてよくあることだし。
実際秀麗さんは急ぐ事態だったみたいだしね。それに、どうせ夜になれば話せるだろうしいいか、と思っていると、身支度を整えて出てきた秀麗さんに揃って机から立ち上がり、玄関まで付き添っていく。
静蘭、あとはよろしくね、と言い残してそして最後にいってきます、と元気よく言い放ち賃仕事に出かけていく秀麗さんの後ろ姿を見送り、私は出鼻が挫かれてしまったなぁ、と多少脱力した。
気を張っていた分、拍子抜けした気分だ。なんだかなぁ、と頭を掻いて、隣に立って同じように秀麗さんを見送っていた邵可さん達を見上げると、軽く手を振って見送っていた邵可さんが、ふと下を向いた。ばっちりと視線が合い、一瞬息を詰めてから、ぐっと襟元を握り締めた。
「あ、あの邵可さん」
「ん?なんだい」
「えっと、今日って、遅かったりしますか?」
「いや?そんなことはないよ」
「そうですか。静蘭さんは?」
「えぇ。私もいつも通りですよ」
そうかそうか。なら問題はないな。ふむふむ、と小さく頷いて、それが何か?と聞き返されて私は曖昧に笑う。別に、話したいことがある、といえばそれまでだが、その内容を今問われてもあれだ。夜まで我慢しておこう、と肩の力を抜くと、そうだ、と今度は逆に邵可さんが声をあげた。
「は今日は仕事がないんだったね」
「え、あぁそうですね。珍しくお休みを頂いて」
「なら今日は友達と遊ぶのかい?」
「・・・そう、ですね。約束しましたから」
暇が取れたら遊ぶと。そういえばそんな約束もしてたなぁ、と思い出しながらこくりと頷くと、にっこりと笑って邵可さんは目一杯遊んでおいて、と頭を撫でてきた。静蘭さんもにこやかに笑っているから、よほど私が年相応に遊ぶことが微笑ましいのだろうなぁ、と思う。
実際仕事仕事で遊んでなどいなかったから、彼等からしてみれば多少心苦しかったのかもしれない。・・・もう少し、仕事減らしててもよかったかな、と思ったのは、もうこの家からさよならをしようと決めたからだろう。頭を撫でられる感覚に目をうっとりと細めながら、そっと瞼を伏せていった。
※
そして、なんだかんだで夕暮れ時までたっぷり遊んでしまったわけなのだが。
思えば1日中、子供と遊んだのなんてどれぐらいぶりだろう。あんなことに遭う前は、そこそこ遊んでいたこともあったが。
だるまさんが転んだに鬼ごっことかくれんぼ、・・・女の子同士ならばおままごともしてみた。問答無用でお母さん役やらされたのはあれか。やっぱり雰囲気の問題か。まあ別になんだっていいのだが。
楽しそうな子供の顔を見るのは和むものだなぁ。時折男の子がちょっかいかけてくるのがあれだけど。一緒に遊びもするけどたまーに、ガキ大将っぽいのもいるわけで。そういうのとはちょっとした揉め事もありつつ。
あと金持ちの子供とか・・・市井に出てくるぐらいだから、貴族という類ではないのだが、商家の子供とかね。そういうのは、やっぱりどこか高飛車なところがある。
まあそれでも可愛い部類だし、そういうところは鼻持ちならない部分はあれど、まあまあ普通に馴染んでいるのだから特に問題はないだろう。ただ。
「お前、髪が短いなんて変なの!」
「っいたっ」
こういうちょっかいは困るんだけど。ぐいっとけっこう遠慮なく髪を引っ張られ、思わず顔を顰めると、その子は私の肩上で揺れる髪を引っ張りながら鼻で笑った。
「女の癖に髪が短いなんて変だ。ぶさいくー!」
「・・・慶潤君、痛いよ・・・」
うん。マジで痛いから放してくれないかな?冗談とかじゃなくてマジで。ついでに不細工は他の女の子に言ったら駄目だよ。傷つくし下手したら逆襲されるかもしれないから。
別に子供の悪口程度で傷つくような精神ではないので(だって相手子供)聞き流せるから私は全然いいんだけど、髪引っ張るのだけはやめてくれないかなー。顔を顰めても、変変言いながら一向に解放してくれる様子がない。あれ、実力行使するしかないの?
子供相手にそれは、と思いながらも頭皮の突っ張る感覚は地味に痛いので、溜息を零すと横からべしっと中々痛そうな乾いた音が聞こえた。ぱっと髪が放される。
傾いていた頭を立てなおして視線を上げれば、私を庇うように明凛ちゃんが前に立って慶潤君を睨んでいた。ついでにあと一人、友達が私の周りを囲んでいる。
「ちょっと慶潤!ちゃんになんてことするのよ!!」
「そうよしかもぶさいくだなんて!さいってー!」
「な、なんだよお前等!うるさいなっ髪が短いそいつが悪いんだろっ」
びしっと指差されて、私はポリポリと頬を掻く。・・・うん、まあ、この時代こんなに髪の短い子は中々いないからねぇ。
私は頭が軽くていいし、それに髪が短いことは別に特別なことでもなんでもなかったので、気にしてなかったけど。仕方ないといえば仕方ないのだろう。
他の子と違う部分は、どうしてもそういう対象に入ってしまうものだ。しかし。
「もういいよ、明凛ちゃん。そんなに怒らなくても」
「何言ってるのちゃん!こういうのは1回びしって言ってやらないとだめなんだからっ」
「そうだよ。うちのお母さんも言ってたよ。こういう男は拳で黙らせるのよって」
うわぁ、雄雄しいお母さんだね。ぐ、と拳を握り締めた柳花ちゃんには、思わず子供ながらに恐ろしい、と思いつつはぁ、と生返事を返す。いや、でもね。ほら、相手一人だし。
なんかすでにたじたじだし。見ていてちょっと可哀想というか、女の子強ぇ、と思ってしまうというか。もっとこう、男の子の方が強そうなイメージだったんですけど、ところがどっこい。
女の子の権力中々すげぇ。早熟な部分がこんなところで、と目を丸くする。
「な、なんだよ女は大人しく引っ込んでればいいだろー!!」
「そういうあんたこそちょっかけてくるんじゃないわよっ」
「女の癖に生意気だぞっ」
「女の癖にってなによっ。秀麗師だって女の人なんだからっ」
キーキーと小猿のごとくすごい言い争いが繰り広げられる。子供と侮るなかれ。
中々見事な応酬だぞ。ちょっとばかりその勢いにポカンとしてしまったが、このままだと慶潤君の方が手を出しかねないかな、と思うとそろそろ止めなくては、私は軽く溜息を零した。
何やら私が原因でこんなことになってしまって申し訳ない。うん。もう少し強気に出ればよかったのかな・・・。でもあんまり過剰反応すると逆に面白がられるかもしれないし。
うーん。難しいなぁ、こういう対応って。素っ気無い態度を取っていれば飽きるものかと思っていたけど・・・距離って難しいなぁ。
しみじみと思いながらキーキーと言い争う明凛ちゃんと柳花ちゃんと、慶潤君の間に体を割り込ませた。ふ。自分よりもずっと年下の子供の間に割り込むなど簡単だ!これが弁慶さんだとか九郎さんだとか秀麗さんだとかあの辺りになると傍観するけどね!
「ニ人共、落ちついて。折角遊べるのに喧嘩ばかりじゃつまらないよ?」
「っでもちゃんっ」
「明凛ちゃん。私なら別に気にしてないし。平気だから。仲直りしよう?」
「う~・・・」
不服そうに唇を尖らせるも、こくりと頷く明凛ちゃんに微笑み、その頭を撫でながらさっと慶潤君を振り向く。その途端ギクリとしたように肩を揺らして僅かに仰け反った慶潤君に、こてりと小さく首を傾げた。
「慶潤君も。喧嘩なんてしててもつまらないでしょ。仲直りしようよ」
ね、とにこりと笑いかけると、慶潤君は声をつまらせ、
「お前みたいなぶさいくと誰が仲直りなんかしてやるか!バーカ!!」
とか言いながら走り去ってしまった。捨て台詞ともとれそうな罵詈雑言に一瞬呆気にとられたが、慶潤君のその捨て台詞に私よりもやはり、明凛ちゃん達が憤慨した。
「なっにあいつーーーーーー!!最っ低最っ低さいってーーーー!!ちゃんもうあんなの相手にしちゃだめだからねっ」
「いやでもほら、男の子だし。素直じゃないだけだよ」
「ちゃんは優し過ぎだよー。大体女の子にぶさいくなんて失礼過ぎるっ」
「うん、まあ、それは確かに思うけど。まあでも、子供の言う事だし」
この世界の美人の基準には長い髪も含まれるのだろうから、そういう点では私は確かに不細工だろう。多少ショックを覚えないわけではないが、所詮子供の捨て台詞。気にしたら負けだ。
大体優しいとかいう問題ではなく、ただ単に相手にしていないだけだし。私の場合。
子供世界も楽じゃないなーと思いながら、とりあえず憤慨して慶潤許すまじ!と奮起する皆を宥めていると、不意に遠くからお声がかかった。
皆も一旦静かになって、声のした方向に全員で振りかえる。って。
「邵可さん?」
「やあ。皆と遊んでいたのかい」
「はい。・・えーと、友達の明凛ちゃんと柳花ちゃんです」
「こんにちは」
「こんにちは。仲良くしてるみたいだね」
にこにこ笑いながらこちらに向かってくる邵可さんを見上げつつ、ちょっと帰ってくるの早くないかな、と思わず邵可さんの背中の空を見上げた。確かに夕暮れ時だが、夕飯までにはまだ時間があるし、むしろ今頃は買い物タイムのはずだ。やっぱりちょっと早い、と思っていると、柳花ちゃんが邵可さんを見上げて、くるくると大きな目を動かした。
「ちゃんのお父さんですか?」
「あ、違う違う。この人は、」
「そうだよ」
「・・・・・・・・・はい?」
お世話になってる家の人、と言おうとしてさらっと言葉尻を攫われ、邵可さんは屈み込むと子供の視線に合わせてにっこりと微笑んだ。呆気に取られていると、邵可さんはニコニコスマイルを崩さないままで(それは本当に親のような顔で)明凛ちゃん達の頭をなでた。
「一緒に遊ぶ時間は少ないかもしれないけれど、と仲良くしてあげてくれるかな?」
「はいっ」
「うん。ありがとう。も明凛ちゃん達みたいな良い子がお友達でよかったねぇ」
「・・・そうですね」
「ちゃん、お父さんに敬語使うなんて変なの」
「え、いやこの人は別に、」
お父さんじゃないんですけど、と言おうとしたら邵可さんがぽんっと私の頭に手を置く。
吃驚して言葉を飲み込むと、彼は微笑んだまま、やんわりと明凛ちゃん達に伺いをたてた。
「すまないけれど、今日はもうこの子をつれていってもいいかな?」
「えー?どうしてですか?」
「そろそろ夕飯時だからね。君達もお父さんお母さんが心配しないうちに、早く帰るんだよ」
「はーい」
良い子のお返事だ。なんだか何時の間にやら子供達を懐柔してしまっている邵可さんに目を丸くし、且なんだ今の遣り取り、眉間に皺を寄せると、じゃあ行こうか、と手を取られた。
驚きつつも歩き出した邵可さんにつられて歩き出すと、後ろから「ちゃんまたねー!」と声がかけられ、振り向いて軽く手を振り返した。その様子を上から微笑ましく邵可さんが見下ろしており、私は一通り別れの挨拶をすませると、私のペースに合わせてゆっくり歩いている邵可さんを見上げ、・・・顔を顰めた。
「邵可さん、一体どうしたんですか。今の・・・」
「ん?あぁ、父親というのかい?」
「まあ、そうですけど・・・」
「似たようなものじゃないか。気にする事はないよ」
「いや、でも」
あれじゃまるっきり血の繋がりがあるみたいに思われたと思うんですけど。
そもそも私とあなたは父親代わりというよりも、ただ単に居候先の旦那様という感じのはずだったのでは?言葉を濁すが、にっこりと笑顔を向けられればぐっと息を詰めるしかない。
何がしたいのだろう、この人、と胡乱気な視線を向けるが、いたってのんびりゆったりと歩く彼から思考を読み取ろうなんて・・・・元々無謀な話しだった。私にそんな芸当できるはずがなかったね。誤解されたよなーとちらりと後ろを振り向きながら、溜息を零して別の思考に切り替える。そう、例えば。
「なんで今日こんなに早いんですか?」
「仕事が早く片付いたからね。偶にはと出歩くのもいいかと思って。丁度見つけられてよかったよ」
「そうなんですか・・・えっと、それでどこに」
手を繋ぎながらとぼとぼと歩いてどんどん市場の中に入っていくのにきょろきょろと視線を泳がせる。・・・こ、こんなところ黎深様に見られたら私殺されないかしら。
歯軋りしてそう、という面白いのか怖いのかよくわからない想像をしていると、のほほーん、と邵可さんが口を開く。
「どうせだから夕飯の買い物をしていこうかと思ってね」
「・・・邵可さんが?!」
できるんですか?!ぎょっと目を向くと秀麗は滅多にさせてくれないから楽しみなんだよ、とかいいながらさくさくと歩いていく。実は今日秀麗さん遅いんだろうか、帰るの。
だからなのかなぁ、と思いながら私はこの人がちゃんと買い物できるのだろうか、と疑わしげに目を細めた。だって、予備知識としては知っていたが、改めてしばらく一緒に暮らしてみて、この人の家事能力が本当に壊滅的だと思い知ったのである。今だ父茶という洗礼は受けていないが、何かしようとすれば何かを破壊するという有り様で。生活能力皆無って納得できるものだった。うんある意味才能だあれは。そんな邵可さんが、買い物。
買い物ぐらいできるといわれればそれまでだが、果たしてちゃんと買えるのか・・・。少なくとも、秀麗さんや静蘭さんみたいに上手な値引き方はできないんだろうな、と思う。
・・・うん。家計が火の車にならなければいいが・・・いや、待て。ここは私が歯止めをかけねばならないところか?!なんて大役!!と慄きつつ、急いで今家にあるものを思い出す。
何を作るかまで計算にいれて、必要なものを選び取っていった。最近めっきり秀麗さんの主婦思考が移ってきたな。うん。生活するにはありがたい能力だ。えーと、まずは。
「邵可さん、お野菜買いにいきましょう。今日は八宝菜をするとか秀麗さん言ってましたから」
「うん?そうなのかい?」
「はい」
どうせだから働いてるおじさんのところに買いに行こう。まけてくれないかなーと思いつつ、今頃は夕飯の買出しをしている奥様方で溢れかえる八百屋に、邵可さんの手を引っ張って乱入する。忙しそうだねおじさん。
「お、ちゃんじゃないかい。紅師まで連れておつかいかい?」
「そんなところですー」
へら、っと笑いながらさっと人参と白菜に視線を滑らせる。どれがいいかなぁ、と眺めている間に、頭上でおじさんと邵可さんの会話が成立していく。
「いつもがお世話になっています」
「いやいや。ちゃんがきてくれたからこっちの売上も上がってこちらこそありがたいぐらいですよ」
「そうですか、それはよかった。迷惑になっていないかと心配していたんですよ」
「とんでもない!よく働いてくれていますよ。さすが紅師のところの娘さんですね。秀麗ちゃんに負けず劣らずの働きもので」
「少し頑張りすぎなところがあって、心配なんですけどね」
「あぁ、それは確かに心配かもしれませんなあ。確か友人から預かってる子だったんでしたっけ?」
「そうなんです。とても世話になった親友の大切な一人娘でしてね。そちらにちょっと事情があって・・・大切な預かり物なんですよ。私にとってみても、もう一人娘ができたみたいで、嬉しいんですけどね」
「そうですか・・・よっしちゃん。野菜は選べたかい?」
「え、あ、はい。この人参と白菜を・・・」
というか今さりげなくすごい設定が捏造されてなかったか?野菜を選ぶのに集中していたが、断片的に聞こえてきた会話に首を傾げつつ、野菜を取り上げると、おじさんは籠にぽいぽい、と更に渡した分以上の野菜を放り込んでしまった。目を丸くすると、いつも頑張ってくれているお礼だよ、と茶目っ気たっぷりにウインクされる。ついでとばかりに頭を撫でられて、そうしている内に邵可さんが代金を払い颯爽とその場を後にする。
またよろしく頼むよーという声に頷きつつ、邵可さんにつれられて次の店に行く道中、私はちらりと横目で邵可さんを見た。
「あの、今の話しって、一体・・・」
「さあ、次は何を買うのかな?」
「え・・・あの、邵可さん?」
「ん?」
「いや、あの、」
「ん?」
「えっと」
「ん?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・豚肉を、少々」
負けた・・・・・!!ニコニコ笑顔の邵可さんの言い知れぬ圧力に敗北し、ぽつりと答えればお肉屋さんか、と朗らかに彼は進路をとる。なにか物凄く脱力を覚えながら、私は半ば引きずられるように邵可さんの後に続いた。な、なんだろう。何かが、何かが可笑しくないか・・・?!そうして巡るお店、話し掛けられる人達人達に、
「親友の忘れ形見で」
「大切な預かり物で」
「娘のように思って」
「親代わりのようなもので」
などなど、ほぼエンドレスの会話が繰り広げられる。その鮮やかな話術に呆気にとられつつ、何故か、どんどんと私が「紅家で預かられている大切な娘さん」的なポジションに確立されていっている気がした。あれ、まずくないか。買いものは順調に終わっているのだが、その度に何かこう・・・罠みたいなものの口が狭まっているような気がしてくる。
お互いの腕に(とはいってもほとんど邵可さんが持っているのだが)買い物の戦利品を抱えて家に着く頃には、何故だか私はすっかり紅家の一員のように町の人達から見られているような状況が出来あがってしまっていた。ちょっと呆気にとられるぐらい鮮やかな手並み。
あれ、あれ、なんか、ちょっと、可笑しいぞ?首をしきりに捻りつつ、台所に食材を置いて、私は邵可さんにお茶をいれながら、先ほどまでの状況をじっくりと思い返した。
・・・・・・・・・・・・・・・・なんだろう。何かこう、弁慶さんの策略に嵌ったときのような心地がしているんだが今。笑顔でさりげなく人を追い詰める術に長けているというか、気がついたらあれ?的なところとかが、物凄く似ている、というか。・・・・・・・・よくよく考えてみよう。
邵可さんの今日の言動、そして周りの行動、認識。じっくりと思い返して、私はじんわりと額に汗をかいた。
「・・・あ、あれ?」
なんだか、出ていきにくい状況に、なっていないか?え、勘違い?そうでもない??
邵可さんにお茶を差し出しつつ首を傾げると、ありがとう、とお茶を受け取りながらほぅ、と吐息を零した。
「これでも遠慮なく我が家で過ごしていけるねぇ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え、あの、ちょっと、邵可さん?」
今何か聞き捨てならない台詞が。ひくりと顔を引き攣らせて目を剥くと、やんわりと穏やかに微笑んで、ずず、と邵可さんはお茶を啜り、ことりと器を机に置いた。
そして、至極落ちついた声音で、はんなりと小首を傾げた。
「ねぇ。君はもう私達の家族も同然なのだから、気兼ねする必要はないんだよ。ましてや、出ていく必要なんてないんだからね」
「・・・・・・・・・・・・・・知って、たんですか・・・?」
「胡蝶さんからね。まあ、元々そんな気は薄々していたけれど。全く、水臭い子だね」
そういってしょうがない子だ、といわんばかりに眉を下げた邵可さんに、呆然としながら私は肩から力を抜き、ぱちりと瞬きをして――そんな、と呟いた。邵可さんの目許が動き、笑顔が少しなりを潜める。
「そんな、だって、こんな、・・・だって私、私、一杯考えて、準備だって色々、」
「うん。そうだね。考えてみれば、仕事をしたいといったのも、その準備だったんだろう?」
責める響きもなく確認するように問われて、何故か酷く居た堪れなくなりながら、こくりと頷く。俯いて邵可さんから顔を隠して、ぎゅっと胸の前で拳を握った。
「―――。私達と一緒にいることは、嫌かい?」
「ち、違います。嫌じゃ、嫌なんかじゃありません。でも」
「私達は、迷惑だなんて思っていないよ。むしろ君がきてくれて日々が楽しくなったし、秀麗達も嬉しそうだ。私達はがいてくれて、本当によかったと思っているよ」
それは、奇しくも数日前、秀麗さんが私に向けて言った言葉と、ひどく類似していた。
あぁ親子なんだな、と思いながら、唇を戦慄かせてくしゃりと顔を歪める。その言葉はとても嬉しい。居場所が貰えて、嬉しくないはずがない。家族のようだと言われて、ありがたいと思う。しかし。
「―――私は、他人ですよ」
「静蘭も他人だけれど、家族のように過ごしているよ」
「静蘭さんは、静蘭さんです。私とは、・・・違いますよ」
「」
「どうしてですかね。どうしてこんなによくしてくれるんでしょうね。他人じゃないですか。見も知らない、赤の他人の子供じゃ、ないですか。・・・優し過ぎますよ、邵可さんも、秀麗さんも、静蘭さん、も」
「優しくされるのは、嫌かい?」
「いいえ・・・嬉しいです。暖かく、思います。だけど、・・・・・・・・とても、居た堪れない」
優し過ぎて、ちょっと、息苦しいと思わないでもない。口元を手で覆いながら、きゅっと眉を寄せる。その優しさに何も返せないだとか、迷惑じゃないかとか、そういう気持ちも、確かにあるけれど。何より、何より私が引け目を感じているのは―――彩雲国物語というものの、せいだ。目の前の人はキャラクター。物語に出ている登場人物。その記憶が、色んなものに歯止めをかけて、一歩引かせて、私は、逃げたいと思ってしまう。トラウマ、なのだろう。
物語に関わりかねない現状への。関わったところで、ちゃんとここには主役がいるのだから私にさしたる影響があるわけでもないだろう。私がいるからといって、支障がでることも、ないだろう。多分。だけどそう、もしもがあったらと思うと、ひどく、・・・怖いのだ。
「が何に脅えているのか、私にはわからないけど」
俯いて唇を噛むと、上から振ってきた声にギクリと肩を揺らす。けれど顔をあげると、それこそ色々と悟られてしまいそうで(読心術でも嗜んでそうだ)俯いたまま、邵可さんの言葉を聞いた。
「それは、私達にはどうしようもないことなのかもしれないけれど」
そうだ、と内心で頷く。彼等にはどうしようもないことだ。結局、これは自分の問題でしかないわけで。
原作だとか、キャラクターだとか、彼等は預かり知らぬことで、知ったとしても、彼等はここで生きていることだけは明白で。体温も、呼吸も、全部全部生身で。
リアルな姿で、そこにいる。生きて、いる。それは、理解しているのに、どうしても、どうしても消えてくれない、過去の産物。忘れてしまえば。覚えてなければ、こんなにも面倒な葛藤など・・・覚えずにすんだのに。あぁ、どうして。ふ、と漏るように吐息を零すと、ぽん、と軽く頭に手が乗せられる。ゆっくりと、大きな掌が、上下して。
「だけどね、一人で生きていくには、まだ君は幼い。・・・一人になるのは、とても寂しいことだよ」
不意に。眼の奥が熱くなった。寸前で誤魔化すように掌で目元を覆い隠す。ぐす、と鼻が鳴る。暖かい掌は退く気配がなく。相変わらず上下して、その動きにどうしようもなく心乱されながら、うぅ・・・と小さく唸った。
「・・・ちょっと、私、これでも、自分なりに考えて」
「うん」
「仕事とかも安定して」
「うん」
「ここ出ていったら行く先とかも考えて」
「うん」
「最終手段とかも考えてて」
「うん」
「もう本当に、後は意思を固めるだけで、優しさに流されないようにするだけで、それが固まったから、今日、言い出すつもりだったんですよ」
「うん。・・・先手必勝ってところかなぁ」
「ずっるいですね、それ。なんですか。邵可さん達に止められたら結構我を通すの難しそうだと思ったから、色々と頑張ってきたのに・・・台無しですよ!」
ばしっと机を叩いて、じん、と手をしびれさせながら、ふにゃりと顔を崩す。
ずるいなぁ、と思う。なんで勝てないんだろう、と思う。所詮一般ピープルは頭の良い人に勝てないのか、と思いながら、これでも凡人なりに色々下準備してきたのに、と歯がゆく思った。自分にしては、本当に本当に、頑張ってたのに。全部、全部台無し。そう、全部。
「・・・・・・・・・・家計が苦しくなっても知りませんよ」
「大丈夫。それぐらいで潰れるようなことはないから」
「どうですかね。今だって火の車じゃないですか。まあ、・・・仕事はやめませんから、お金いれますけど」
「やめてもいいんだよ?」
「やめませんよ。安定してるのに」
そんな勿体無い事しないよ。ふ、と相好を崩し、深く深く溜息を零して――自分でいれたお茶を、ぐいっと煽った。
「胡蝶さん、ばらさないで欲しいって言ったのになぁ」
「秀麗には言っていないようだよ。ただ、静蘭には口止めされていないからと」
「発信源はそこですか。ちくしょう・・・もっと言い方考えるんだった」
「そのおかげで今日予防策が張れたから、私は感謝しないとねぇ」
「物好きですねぇ。皆さん。・・・というか、邵可さん」
「なんだい?」
「私、黎深さまと約束してしまったのですが」
色々素を出しつつ、出ていかなかったら殺されるかも、とやや顔を引きつらせると、邵可さんはにっこりと笑みを深め、
「あぁ、黎深にはきつく言っておいたから、安心していいよ」
と、仏のような笑顔で言い放ったので、私は黎深さまに恨まれていないといいが、と思いつつ、なら・・・と頷いた。というかこれでやつあたりされたらどうしよう。恐怖だ。
それも邵可さんが回避してくださると嬉しいんだけど、そこまで目が届くかと問われれば言葉に窮する。どうかどうか、どーうーかっ!平穏無事でいられますように・・・っ!!
祈るように手を組んで切実にお願いしながら、結局色々無駄になったんだなぁ、と思うと酷く脱力感を覚えた。うん・・・・外堀埋められたなぁ。出ていき難いよなぁ・・・。
ぐったりとしながら、美味しそうにお茶を飲んでいる邵可さんを見上げ、穏やかな視線を貰い、私は、ぐっと小さく拳を握った。・・・もはやこうなってしまったからには、原作だのなんだの、気にして入られないだろう。いや!
「絶対関わらないようにしてやる・・・!」
そう、朝廷と関わりさえしなければ万事オッケーだ!ただちょっとキャラに会いたいかなーと思ったり思わなかったりするけどね!!決意新たに、私はいそいそと邵可さんの空になった器にお茶を注いだ。あ、そういえば夕飯の準備しないとな。
「手伝おうか?」
「遠慮しておきます」
台所破壊したら秀麗さんが泣きますよ。