引っ張り込まれた舞台上
私が正式に(この言い方も変な話だが)紅家長男一家に加わる(?)ことになってから、日々は瞬く間に過ぎていった。とはいってもたかが一月程度の話しだが。
まだまだ春は遠いと思っていたのに、気がつけば空気は暖かくなり、桜の固く閉じていた蕾も綻び、薄紅が物寂しかった枝を鮮やかに彩る。
家族(という括りでいいんだろうかねぇ)になったからといって、季節ほど生活に変化があったわけでもなく。あえていうなら秀麗さんへの呼び方が変わったとか、静蘭さんに呼び捨てしてもらえるように打診したとか、遠慮というものが多少なくなったとか。その程度の話しである。邵可さんへの呼び方はあえて変えてやらなかったが。嵌められた仕返しだ。
そんな、至って平和でなんの変哲もない日々を穏やかに過ごしていた春のある日。秀麗ねえさんの寺子屋に出ることも出来なかった急な賃仕事の帰り、紅邸の門に止まっている軒に目を瞬かせた。
「・・・誰かきたのかな・・・?」
見かけだけは立派な、しかしやはり見かけも中身もボロボロな紅家屋敷の前に、ピッタリといえばピッタリ、不釣合いといえば不釣合いな立派な軒は不自然なような気はする。
しかし一応こんな賃仕事に明け暮れる貧乏生活でも、紅家は紅家なので不思議な話しではないのかもしれない。
そもそも、邵可さんという人物がいるのだから、誰かがくることにそんな大きな疑問は持たないものだ。私としては。しかし、わざわざ軒に乗りつけてやってくるお偉いさんといえば・・・黎深さまとか?いや、それはないか。あの人は確かに滅多に門は潜らせて貰えないはずだから。そもそも、軒に乗りつけてやってくることはないと思うし。(秀麗ねえさんに見つかったら大変だから)近くによって軒を観察してみるが、思えば以前見た軒とは違いこれは紅家の家紋もなければ、赤い装飾もない。誰か別の家の軒なのかもしれない。しかし、誰かが訪れることは不思議ではないが、訪れる人が少ないのは本当の話しで、そういう意味で問うのならこれはとても不自然だ。全く、本当に誰だろう?
不思議に思いつつ門を潜り、玄関に入る。形だけただいま、と声をかけてからのそのそと人気のない廊下を歩いていけば、どんがらがっしゃん、と形容する他ない音が聞こえ、吃驚して足を止めた。何事?!反射的にパッと身を翻して音の発信源までひた走り、飛び込むようにして音の出所――台所に踏み込んで。
「・・・なにやってんですか?!」
目の前の惨状に目を剥いて叫んだ。台所の床やら机やらに散乱する食器食べ物調理器具の数々。ただの泥棒だってこんな汚い荒らし方はしない、と思うほどに酷い有り様で、しかも割れている食器まである。秀麗ねえさんが見れば絶叫しそうだ。
そんな嵐の後とでもとれそうな悲惨な台所の中で、茶器を握り締めて立っている邵可さんは、入り口で固まっている私を振り向いて、今気がついたようにあぁ、と声をあげた。
「お帰り。今日は早かったんだね」
「えぇまあ。元々今日は仕事の予定はありませんでしたから・・・それより。なにしてるんですか?邵可さん台所には入らないようにって秀麗ねえさんから言われてたじゃないですか」
あんまりな台所の惨状に顔を顰めつつ、散乱している物を避けるようにして邵可さんの元まで行けば、茶器を抱えたまま邵可さんはおっとりと口を開いた。少しはこの悲惨な状況に動揺する様子はないのか。秀麗ねえさん泣くよ。
「今お客様がきていてね。お茶を出そうとしてるんだよ」
「あぁ。門の前の軒の方ですか?」
「うん。は知らないかい?お茶を何処にしまっているか」
「知ってますけど、あぁいや。邵可さん。私がお茶いれますから邵可さんはお客様の相手をしていてください・・・」
「え?でも」
「この惨状の片付けもしないといけませんし・・・いつまでもお待たせしちゃ悪いでしょう。いつからこんなことしてるのか知りませんけど」
放置しっぱなしじゃさすがに失礼だ。溜息混じりに邵可さんに手を差し出して茶器をねだりながら言えば、彼は少し考えた後、ほわほわとした笑顔でじゃあお願いしようか、とそっと丁寧に茶器を私の手へと渡した。これだけ丁寧な仕草ができてどうしてこの惨状になるのか・・・。というか運動神経いいはずなのに、なんで食器割ってるの。溜息を零したく思いながら、茶器を受け取り、きょろりと台所の有り様に肩を落とす。あぁそうだ。
「お客様って誰なんですか?軒はやたら立派でしたけど」
「あぁ。霄太師だよ」
「・・・え?」
さらりと言われ、一瞬何を言われたかわからなかったが、ぱちぱちと瞬きをして、くきりと首を傾げた。
「霄太師、ですか?あの朝廷三師の?」
「そう。その人」
聞き返せば、こくりと普通に頷かれる。私は一瞬息を詰め、ごくりと唾を飲み込んでからそっと視線を落とした。霄太師。朝廷三師。―――彩八仙の内が一人。
そこまで思い当たり、はっと周りを見まわす。荒らされた台所の惨状、春のいつか、霄太師の訪問。記憶が刺激される。脳裏が痺れるような心地。どくりと心臓が動き、ぎゅっと茶器を握り締め――吐息を零した。
「だ、だったら、尚更お待たせできませんね。邵可さんは早く霄太師のところへ。私も急いでお茶を出しますから!」
「あぁ。わかったよ」
「えっと、他に、なにかしておくこととかありますか?」
「うーん、そうだね。用があるのは秀麗にらしいから、あの子が帰ってくるまでは特にはないよ」
「そう、ですか。秀麗ねえさんに・・・だったら呼びに行ったほうがいいですね。お茶を出したら私呼びに行ってきます」
益々確定だ。どきどきと心臓が慌しく動くのを自覚しながら、わたわたと邵可さんを急かして、台所から追い出し、その背中が廊下の向こうに消えたのを確認して、ほぅ、と大きく息を吐き出した。じんわりと浮かぶ汗を手の甲で拭い、どきどきする心臓を持て余すようにそっと胸に拳を押し当てる。
「・・・始まった」
彩雲国物語が。記憶はもう朧で、本当に、ちゃんとしたことなんて覚えてやしないけれど。
だけどその僅かな断片を掻き集めて、覚えていることを修復して、そして気がつく。思い当たる。
春の霄太師の訪問。目的が紅秀麗。間違いない。確か・・・うん。王が即位したという噂も聞いたことがある。ここに拾われる前、結構昔のことだから今の今までふっつーに忘れてたけど。直接的に関係があることではなかったし。間接的には十分関係があったけど。
どきどきする。物語が始まる。原作に突入するのだ。私には関係はないこととはいえ、目の前で原作の一旦が行われると思えば嫌でも心臓が騒ぐというものだ。
それが不安なのか期待なのか、色んなものがごちゃ混ぜになってよくわからない心境だが・・・とりあえず。
「お茶、出さないと」
・・・あれ?原作ってどうだったっけ?と思いつつ、すでに私がいる時点でどこかしら違うものはあるだろうから、まあいっか、と思いなおす。今更今更。遙かでもけっこーゲームの流れとは違うことやってたし。・・・原作の通りやっていればよかったのかな、と思わないでもなかったけど。そっと胸に手をあてて、撫でる。灼熱にも似た熱さを思い出しながらふるふると首を振って、まずお湯を沸かそうと釜に薪をくべて火を起こす。中々大変だが、慣れたことなのでそんなに手間取ることもなく火を起こしてお湯を沸かし、茶器の準備をしてお茶葉を取り出した。急須にお湯を注ぎつつ、ほっと一息零す。
「よい・・しょ」
お盆にお茶をのせて、台から降りながらよろよろと慎重にお茶を運んでいく。なにせ足元に物が散乱している状態だ。何かに躓いたら大変なことになる。
気をつけて魔のデンジャラスゾーンを抜けてほっと人心地をついてから、改めて惨状を眺めまわしてがくりと肩を落とした。
「これ、片付けるの嫌だなぁ・・・」
大変だよね。あぁでも、お茶だけでなくて茶菓子も出さないといけないよね。何かあったっけ・・・あっ。確か秀麗ねえさんのお饅頭があったはず。
お茶を運びながら台所の中身を確認して、細細とこの後の自分の行動を計算していく。
秀麗ねえさんのお饅頭をあたためてー。あ、でもその前に秀麗ねえさんを呼びにいかないとだめなのかな?あれ、どっち優先させるべき?蒸している間に行けばいいかな。
でもそうすると蒸し時間が・・・。まいった。1人じゃ手が回りきらない。ていうかなんで私こんなに細細と世話しようとしてるの。良い事なんだろうけど、別に悪いことじゃないんだけど、なんだかなーと思わずにはいられないのは何故だ。首を傾げると、かつかつかつかつ、と自分のものではない足音が聞こえ、はっと俯いていた顔をあげた。視界に相変わらず美形な静蘭さんの姿が入り、パッと顔を明るくさせる。
「静蘭さん。おかえりなさい」
「ただいま帰りました。・・・。門の前に軒が止まっていましたが、誰かきているんですか?」
「はい。霄太師がいらっしゃってるそうで・・・今邵可さんがお相手をしてるんです」
「霄太師が?どうしてまた」
「なんでも秀麗ねえさんに用があるそうですよ?」
王の妃になってくれっていう頼みだけども。ごくりと言葉は飲み込んで首を傾げれば、霄太師がいるというだけでも驚いた顔をしているのに、その用が秀麗ねえさんだと聞いて、静蘭さんは更に胡乱気に目を細めた。優美な顔が疑問に歪むのをまじまじと見つめながら、まあ普通に考えれば変な話しだよね、とうんうんと頷く。ともかく。静蘭さんが帰ってきたのは都合がいい。静蘭さんには秀麗ねえさんを呼んできてもらおう。
「静蘭さん。秀麗ねえさん今寺子屋にいるんです。呼びに行ってもらえませんか?」
「えぇ、それは構いませんが・・・一体霄太師がどうしてお嬢様に・・・」
「それは、・・・本人がきてから、でしょう。とりあえず早く呼びにいってください。いつまでも邵可さんに相手させておくのは、なんというか、あれですから。今さっきお茶淹れるの止めたところですし・・・」
「だ、旦那様がお茶を?・・・よく止めてくれましたね、。わかりました。急いで呼びに行ってきます」
「お願いします」
ぽつりと呟けば静蘭さんはぎくりと顔を引き攣らせ、褒めるように頭を撫でてくれた。
うん。父茶の洗礼は受けてないからどれだけ破壊的なのか知らないけど、・・・台所の凄惨さを見る限りは止めてよかったと思うよ。くるりと踵を返した静蘭さんを見送り、私は急いでお茶を霄太師に届ける為に早歩きになって廊下を進む。
これであとはお饅頭を蒸すだけ!と思いつつ、客間の前に立ち、一つ深呼吸する。
なにせ相手は霄太師だ。緊張もするというもの。身分にというよりも、・・・キャラとして、という意味合いの方が私にとってみれば強いけれど。どきどきする心臓を持て余しながら、片手にお盆を持ち、ぎぃ、と扉を開ける。
恐る恐る足を踏み入れて中を見れば、ニ人分の視線が注がれる。心臓がどきどき五月蝿く思いながら、ゆっくり失礼しますと声をかけて中に入っていく。
視線は伏目がちに、お盆を持ったまま膝をついた。手を合わせられればいいんだけど、さすがにお茶を持っているから跪くぐらいしかできない。出ていく時に再度礼を取れば問題はないだろう。
「お茶をお持ちいたしました」
「あぁ、ありがとう。そこに置いてくれるかな?」
やんわりと邵可さんの声が聞こえて、ゆっくりと顔をあげる。好奇心に勝てず、ちらりと霄太師を見れば、深い皺の刻まれた顔に薄い笑みを浮かべて、じっと視線を注いでいた。
うっそりと細められた目に心臓が跳ねる。何か観察するように見られている気がして非常に居た堪れなく感じたが、私も思わず目を細めて霄太師を見つめた。
・・・・・まるで、白龍みたい。彼の老人の周りにぼんやりと薄靄がかかったように取り巻くナニかに、言いも知れぬ力を感じる。むしろ何あれ、と思う。初めて、いや初めてではないかもしれない。前世の私の周りには、こういった得体の知れない何かを纏う人が大勢いた。
白龍筆頭にそれはいわゆる神気というもので、怨霊の方では悪意に満ちた禍禍しいものが見えていたものだ。陰気というものかな。もっともそう目立つようなものでもないし、ただなんとなく、程度のもので・・・慣れてしまえばないものと同じだ。ただ、ふと気がついたら見える、その程度で。不自然にならないように視線を逸らして立ちあがる。
無言で机まで近づき、お盆を置いてまずは霄太師の前にお茶を注いだ茶器を置いた。
小さく、掠れるような声でどうぞ、と零せばうむ、と頷かれ骨と皮ばかりの手が伸びて茶器を掴む。その手を見送って今度は邵可さんにお茶をいれて、そっと後ろに下がった。
もう一度跪いて礼をとろうとすると、それを遮る様に霄太師が口を開く。ギクリと、身が震えた。
「これはこれは・・・。お前に娘がもう一人いたとは知らなんだぞ、邵可」
「親友の忘れ形見ですよ。家族も同然で、私も娘と思っていますが」
「ふむ。お主、名は?」
「・・・、と申します」
ちょ、ここから帰らせて?!と言いたかったけれど、言えるはずもなく頭を下げたまま名乗る。僅かに声が震えてしまったが、取り繕う暇も余裕もないのでそのままに、五月蝿い心臓の音を聞いた。
「そうか殿というのか。小さいのにちゃんと礼儀がなっておるのぅ。感心感心」
「あ、ありがとうございます」
「そんなに緊張せずともよい。顔をあげなされ」
勘弁して欲しい。本気でそう思いながら、逆らえるはずもないので恐る恐る顔をあげると、笑っている霄太師の顔が視界に入る。あう、と内心で唸りながらごくりと唾を飲み込むと、霄太師は長い顎鬚を撫でて、にぃと口角を吊り上げた。一瞬、その姿がぶれたように揺らめいたが、軽く瞬きを繰り返せばなんてことはない。靄を纏うだけの老人がいる。
「いつからここに?」
「一月ほど前からお世話になっております」
「そうかそうか。大変だったじゃろう」
「いえ。皆さんよくしてくださいますので」
声が震えるのもそのままに、霄太師の雑談に言葉短く答えていく。正直いって怖い。言いも知れぬ感覚やら、相手の威圧感だとか、初対面の人間に対する緊張だとか。
小心者には色々きついものがある、と懸命に耐えていれば、霄太師は一通り質問して満足したように、頷いた。
「もう下がってくれてもよいぞ。引き止めて悪かった。邵可、よい娘を貰ったの」
「えぇ。それはもう。、もう下がってもいいよ」
「は、はい」
よかった・・・!!邵可さんのおっとりした声に、ほっと安堵しつつ声に歓喜が出ないように気を付けながら、そそくさと跪拝して立ちあがり、緊張する室から出ていく。
扉を閉めるときに、注がれる霄太師の視線が痛かったが、気にしたら負け、気にしたら負け、と言い聞かせてそっと閉める。完全に姿が見えなくなったところで、はあぁぁぁ・・・・と詰めていた息を大きく吐き出した。
「し、心臓に悪・・・っ」
壁を背に、どきどきする心臓を上から押えて深呼吸を繰り返す。もう本当に、本当に・・・っ。
「予定外だ予定外過ぎる。なんで私霄太師と会話なんかしちゃってんの。有り得ないよーーっっ」
うわーん。怖かったーっ吃驚したーっびびったーーー!!ズカズカズカズカ、と物凄く早足で廊下を疾走しながら、あの嫌な緊張感を思い出して背中がひやりと冷え込んだ。
鳥肌の立った腕を服越しに撫でつつ、台所に飛び込んで顔を歪める。さすが霄太師。威厳というか威圧感は黎深さまに負けずとも劣らない。
もっとも、その威圧感は黎深さまのように上に立つ人間としてのカリスマというよりも、人ではない気配からによる、別の圧倒的なものからだ。台所で佇んだまま、霄太師の様子を思い浮かべてみる。あぁもう、なんていうか本当に。
「仙人、か・・・」
神気というべきなのかな、あれは。それとももっと別の何か?よくわからないけれど、ともかくも不運なことに「見えてしまった」のはなんとも言い難い。というかむしろこっちでも見えるんだーと思ったぐらいだ。そういうものをここに生まれてから今まで見たことはなかったので、気にもしてなかったのだが。しいていうなら、そう。貴陽の恐ろしい清浄さ。
あれに気づいたときの感覚の近い。なんだろうか。まだ自分には神子としての何かが残っているのだろうか。生まれ変わったというのに?思わず顔を顰める。
・・・変なことになりませんように、と密やかに呟くが、ぶっちゃけここには怨霊やら何やらがいるわけでもなければ、白龍がいるわけでもない(多分)ので、変なことになりようがないと思う。
ならないよね?うん。ないない。ただ見えるだけだよそう見えるだけ。これが異能といわれればちょっとなんだかなーって思うけど、ほらこんなの異能の数にも入らないよ。多分きっと。見えるだけだし。
しかも見えるといってもなんか薄靄みたいなのが見えるだけでなんの役にも立たない目立たない!心が見えるわけでも未来や過去が見えるわけでも千里眼でもないんだから!うんオッケーオッケー平気だ平気。気にしない気にしない気にしたらまっけ!饅頭蒸すぞー!と、とりあえず現実逃避の為にえいえいおーっと腕を振り上げて色んなものを誤魔化し、蒸し器に入ったままのお饅頭を蒸しあげていく。
しゅんしゅんと湯気が立ち始める頃、慌しい足音がして、台所に誰かが飛び込んできた。ゆっくりと振り向けば、息を乱した秀麗ねえさんが立っている。
「あ、おかえりなさい秀麗ねえさん」
「ただいま、。・・・じゃなくて!なんなのこの惨状!きゃー!!!食器割れてるじゃない!!ていうか霄太師がきてるって本当なの!!??父様何かしでかしてないでしょうねっ?!」
「お、お嬢様落ちついてください」
帰ってくるなりテンション高くわあわあ叫び出す秀麗ねえさんにやや呆気に取られつつ、宥めるように苦笑してまあまあ、と落ちつける静蘭さんを見て私は、蒸し器の前で苦笑い。
「霄太師がきてるのは本当ですよ秀麗ねえさん。この惨状は、・・・邵可さんの奮闘の名残といいますか・・・今、お饅頭も蒸しあがりましたから、これを持って早く霄太師のところへ行ってください。結構待ってるんで」
「父様の奮闘?!ちょっとまさか父様がお茶出してないわよね?!」
あの父茶を客に?!しかも朝廷三師の一人に?!と顔を青褪めさせて頭を抱えた秀麗ねえさんに、そんなに父茶って怖いのかーと思いながら、蒸しあがった熱々のお饅頭を器に盛って、お盆にのせて静蘭さんに渡す。だって今の秀麗ねえさんには渡せないし。
静蘭さんは受け取りながらどうしよーーー!!と叫んでいる秀麗ねえさんににこりと微笑みかけた。
「大丈夫ですよお嬢様。危ういところでが代わりにお茶を用意したそうですから」
「え、そうなの?」
「はい。一応、えぇ本当、ギリギリで」
あの時間に帰ってきてよかったと思う。この惨状を見る限り。こくりと頷くと、がしぃっと両手を握り込まれ、秀麗ねえさんがずずぃ、と涙目の顔を近づけて心の底から吐き出すように叫んだ。
「ほんっっとうにありがとおぉぉぉーーー!!もうがいてくれて本当によかったわ!!」
「い、いえ、役に立てたなら嬉しいです、けど。ってそれより秀麗ねえさん早く!ここは私が片付けておきますから!」
そんなことで和んでる場合じゃない。慌てて手を振りほどいて言えば、はっと気がついたようにそうだった!!と我を取り戻した秀麗ねえさんが、静蘭さんからお饅頭を受け取りつつ、肩を落とす。高かったテンションもなりを潜め、今度は落ち込む気配に首を傾げた。
「それにしても、霄太師が私に用だなんて・・・一体なんなのかしら・・・?」
「それは、私にも」
「何か大変なことだったらどうしよう」
顔を暗くさせて不安そうに呟く秀麗ねえさんに目を眇め、用件を知ってる身としてはなんとも言えない気持ちを味わう。なにせ私が知っているのは、言わば反則技によるものであるから・・・共感することもできず大人しく口を噤んで、伏目がちになる秀麗ねえさんに笑いかけた。
「大丈夫ですよ。霄太師が持ってくるものが悪いことだとは思いませんし(多分)、ここで悩むよりも言って聞いた方がすっきりしますよ」
「・・・そうね。ここで考えててもしょうがないわ。よっし。じゃあ行くわよ静蘭!」
「はい。・・あ、ですが。一人でここの片付けは・・・」
「あ。そうね。私も手伝って・・・」
「いいですよそんなの。お客様待たせてる方が問題です。片付けぐらい平気ですから、早く早く!」
一応相手も偉い身分の人なのだから。片付けに時間とってこれ以上待たせるのはまずい。急かすように煽りたてて、ぐいぐいと秀麗ねえさんの背中を押して台所から追い出す。ついでに静蘭さんも押しやり、入り口に立たせると腰に手をあててびしっと指をたてた。
「邵可さんが今霄太師の相手をしてるんです。お願いですから、早く行ってあげてください」
「父様が?・・・わかったわ。じゃあ、お願いするわね」
「はい」
「用件が済んだらすぐに手伝いにきますから。割れた破片には十分に気をつけてくださいね」
「はい。わかってます。さ、早く!」
そうして急かして慌しく客間に向かっていく二人の背中を見送り、ほぅと息をついて額の汗を拭う。まったく、疲れるなぁもう。とりあえずこれで一段落ついた、と肩の荷を下ろして、ゆっくりと後ろを振りかえる。そうすれば眩暈を覚えるような惨状。―――意地張らずに静蘭さんに手伝ってもらえばよかったかもなぁ・・・。ちょっと後悔しかけたが、秀麗ねえさんに静蘭さんをつけたのは間違いじゃない、と思いなおしてよいしょ、と私は床に散乱している割れた食器に手を伸ばした。―――絶対もう邵可さんは台所にいれたくない。
ひょいひょい、と破片を集めながら、深くしみじみと、私はぼやいた。
今頃秀麗ねえさんは霄太師とあって、話をもちかけられているのだろうか。<原作の場面を見られないのはちょっと残念だが、関係のない私がいていいところでもない。
更に言うならそんなところにいたくもないし、下手に巻き込まれたら目も当てられない。無論私が行く意味なんてないのだろうから(まだ見かけ小さいし)、杞憂だろうとは思う。思うが、人生とは中々に侮れないものだというのは痛いほど身に染みているので、用心することに越した事はないのだ。
どうか巻き込まれませんように。切実に思いながら床に散乱しているものを一つずつ片付け、ぞうきんで汚れた部分を拭いていく。
一通り片付いたところで、ふぅと額の汗を拭って床に座り込んだまま周囲を見渡した。
「うん。綺麗になったな」
最初から見ればすごい変わり様だ。綺麗になったことでやり遂げた感を感じ、ふふーんと機嫌よく鼻歌を歌う。よいせ、と汚れたぞうきんを洗っていると、不意に顔をあげて台所の入り口を振りかえった。
「・・・・動いた?」
なんとなく。そう、なんとなくでしかないのだが。呟いて立ちあがり、そっと台所から出て玄関のほうまで向かう。気配というよりも神気。あの霄太師独特のナニかが、動いた気がしたのだ。あくまではっきりとはしていない、気のせいかも、というレベルだが。・・・まあ昔でもなんとなく八葉がどこにいるかとか、意識した時は気づけたものだし。本当になんとなく、こっちかなー?程度で、はっきりとしていたわけじゃない。だけど、外れた試しも、ない。
まあ相手八葉だし。神子と八葉は繋がってる~云々だし。(遙か1より)そんなに不思議じゃないのかもと思いつつ、ひょこりと玄関あたりの廊下の隅から顔を出すと、なんと!
「うわぁ、まじでいた」
邵可さんと霄太師がいらっしゃった。すごいな私の第六感。我ながらすごい、と感心しつつ見送りに出るべきか否かを迷っていると、不意に振り向いた霄太師と、ばっちりしっかり視線が合ってしまった。思わずぎくりと肩を揺らし、顔を強張らせる。視線があった霄太師は口角を持ちあげ笑い、邵可さんに何か話しかけている。そうすると、邵可さんまで振りかえり、私を見つけると笑顔で手招きをした。・・・・・・・うわぁ、行かないと駄目ですかそうですか。個人的にとんずらしたく思いながらびくびくと近寄っていく。とりあえず邵可さんの横に並んで、霄太師を見上げた。
「もうお帰りになられるんですか?」
「用件は済んだからの。殿、美味い茶だった。ありがとう」
「いえ。お口に合ったのでしたら光栄です」
軽く頭を下げて、見下ろされる視線から顔を背ける。居心地悪いなぁ、と思いつついつまでも下げてはいられないので顔をあげて、今度は邵可さんを見た。
「あの、・・・秀麗ねえさんは?」
「あぁ・・・。、霄太師の見送りは私がするから、秀麗のところにいってあげてくれないかい?」
「え?はぁ・・・別に構いませんけど。どうかしたんですか?」
「あぁ、うん、ちょっとね。あの子の悪い癖が出て・・・すまない」
「は?・・・別に気にしませんが?」
「うん。はいい子だねぇ・・・本当に、すまないね」
頭を撫でられながら、歯切れ悪く、しまいにはとても申し訳なさそうに謝る邵可さんに首を捻る。一体何が、と思わず眉宇を潜めた。秀麗ねえさんの所に行くのは、別に構わない。
どうせ今頃壮絶に後悔しているのだろう、霄太師の依頼内容を聞いて。そのせいで見送りにきていないのならば頷けるし、傍に行ってあげてくれというお願いもわかる。
しかし、謝られる意味がわからない。なんだ?労いの言葉か?うん?それにしてはなんでそんなに申し訳なさそうというか、万感の思いが篭められてそうな謝罪が向けられるの?
疑問符を飛ばしていると、くつくつと笑い声が聞こえて霄太師を振りかえった。顎鬚を撫でながら笑っている霄太師に首を傾げれば、にっこりと満面の笑顔が向けられる。え、なに。
「秀麗殿には頼みを快諾してもらっての。わしも安心しておるんじゃよ」
「そう、ですか。それはよろしゅうございましたね」
「うむ。本当に・・・――後日が楽しみじゃ」
本当に楽しそうに笑っている霄太師に、原作知ってる分何か企んでるのだろうか、と思いながらも頷くだけに留めておく。いまいちよくわからないが、まあ別にどうでもいいや、と(関係ないし)霄太師に礼を取ってから、邵可さんに一声かけて邸の奥へと向かっていく。
その様子を至極楽しそうに見送る霄太師も、溜息を零して哀れむように邵可さんに見られていることも、背中を向けているので知らないまま秀麗ねえさんの元に辿りつき。
机に頭抱えて突っ伏している秀麗ねえさんのどんより鬱々とした雰囲気に、思わず思いっきり引いた。うっわぁ・・・ひっどい状態。
その横でフォローのしようもない、と諦めたように佇んでいる静蘭さんも静蘭さんだが・・・想像以上の落ち込み様だ。
そんなに貴妃になるのが嫌か。嫌だよね。後宮なんてまず縁がないと思ってただろうし・・・そう。確実に自分には関係ない、縁がないと思っていたものに唐突に縁ができるのは、それはとても、とても、ショックなことだ。
まさに晴天の霹靂。あれは本当に嫌だよね。理解できる分、今の秀麗ねえさんの心情は察して余りある。
同情を浮かべながら、そっと近づいて(静蘭さんが気がついて顔をあげ、しかも物凄く哀れむように目を細められた。何故)秀麗ねえさんの横に立つとそっと覗き込むようにして声をかける。
「秀麗ねえさん・・・?大丈夫?」
遠慮がちに服を握って声をかけると、びくっと秀麗ねえさんの体が動き・・・恐る恐る、といった体で抱えていた頭を解放して私を見下ろした。その青褪めたというか今にも死にそうな顔に、酷い顔、と顔を顰める。開き直れば早いんだろうけど、開き直るまでがなーと思い、私は慰めるために笑みを浮かべようとして。
「ごめんなさいーーーー!!!!!!」
「うおぅ?!」
いきなり泣き叫びながら抱きしめられ、ぐふ、と変な感じに空気が逆流した。
目を白黒させながらひしっと抱きついて離れないどころか、ひたすら耳元で「ごめんねごめんねごめんね!私が金八百両につられたばっかりにいぃぃぃぃ!!!」とひたすら謝られるばかり。な、何が一体、と突然の奇行にびくびくしつつ、宥めるように秀麗さんの背中を撫でて、困惑して静蘭さんにちらりと視線を向ける。
けれど彼も、申し訳なさそうに眉を下げているばかりで、秀麗ねえさんを止めようとも宥めようとも、状況を説明してくれようともしないので、私はガクリと肩を落としてしばらく好きなままにさせておいた。
・・・なんだなんだ。そんなに王の貴妃になるのが嫌だったのか。嫌というか、そんな大役!という思いの方が強いんだろうけど・・・ここまで拒絶してるとは思わなかった。
可哀想になーと思いながらも、なぜ私が謝られなくてはならないのかがわからない。うん。本当にサッパリだ。何がどうなってるんだ。
何か更に無理難題でも押しつけられたのか?としきりに首を傾げながら、私はひたすら秀麗ねえさんが落ちつくまで、もしくは第三者がこの状況を破ってくれるまで、ひたすら耐え続ける他なかった。
あくまで、他人事だったんだけどなぁ―――事情が説明される、その時までは。