一騒動のその後に
どうしてこう、微妙に主要キャラと鉢合わせするんだろうなぁ。桐の箱を抱えている李侍郎にばったりと鉢合わせし、目を丸くしてこてんと首を傾げた。李侍郎もまた驚いたように瞬きをして、それから怪訝に眉宇を潜める。
「?どうしてお前がここに・・・」
「え、だって李侍郎。ここ後宮ですよ?」
いても別に可笑しくはないでしょう。まあ、鉢合わせする確立でいえば低いはずなのに鉢合わせしちゃってることがあれだけど。何言ってるんですか、とぱち、と瞬いて口を開こうとした刹那、思わずぐっと口を閉じた。あまりに李侍郎が驚愕の表情を浮かべていたからだ。それも一瞬で平常に戻ったが、動揺の程が窺い知れて、あぁまたか、と一人内心で呟いた。
「ここは、後宮、なのか・・・?」
「・・・はい」
「そう、か。後宮、か。ところで、これからどこに行くつもりだったんだ?」
また迷子になってたんだなぁ、と生ぬるい視線を送りつつ、いつも通りに仏頂面(愛想はよくない)で真面目に問いかけてくる李侍郎に、とくにどこ、というわけではないけれど、と目を細めた。・・・ていうか。
「李侍郎はどちらに?」
「俺は府庫に・・その、黎深様に頼まれたものを邵可様に届けにな」
「あぁ、なるほど。それは丁度いいですね。私も府庫に行くつもりだったのです。よろしければご一緒しても構いませんか?」
嘘も方便とはよくいったものだ。ごほん、と軽い咳払いをしながら答えた李侍郎に、そうですかー、とのほほんと笑いかける。実際は府庫になんぞ行くつもりは全然なかったのだが、まあ別に案内程度ならいいかな、と思う。彼は自分の方向音痴を認めてはいないが、あの後宮での迷子っぷりを遠目に眺めていた私としては、少しは気遣ってやろうというぐらいには酷いものだったのだ。関わりたくない一心で無視していたが、何か最早色々と諦めなくてはいけない形で、微妙な関わり具合を持ってしまったために、内心の思考を悟られないように、伺いをたてる。なるべく自分が下になるような言葉遣いに気をつけつつ、李侍郎のほっと緩められた口元と勿論だ、という力強い頷きに胸を撫で下ろした。よかった、言葉の選択に誤りはなかったらしい。並んで歩きながら(歩幅がかなり違うので、李侍郎はなるべくゆっくりと歩いてくれている)李侍郎の腕に大切に抱えられている箱に目をやった。・・・そういや黎深さま、邵可さんに何をあげるつもりなんだろう?
「李侍郎、少々尋ねてもよろしいでしょうか」
「なんだ」
「黎深さまは、邵可さんに何を贈るつもりで?」
大層な箱に仕舞われているようなものを、邵可さんが受け取るかどうかは知らないが。
ぽんっと浮かんだのは兄一家に対してデレデレになっている黎深さまで、なんとも言えずに眉を潜める。・・・そういや黎深さまの評判をあげないといけないんだったが、話題がないんじゃどうにもならないよなぁ、とふと思い出した。・・・うんまあ、命に別状がなければ別にいいかな。あっさりと使命を投げ出し、下からじっと見上げれば李侍郎は一瞬思考を巡らせるように目を細め、それから口を開いた。
「邵可様に、というよりも秀麗に、だが。茶器を少しな」
「茶器?」
なんでまた今更。別に用意しなくても十分だと思うんだけど・・・。あぁ、遠まわしにお茶したいなぁっていう気持ちの表れだろうか。怪訝な顔に気づいた李侍郎が、深く考えなくていい、とぽん、と頭に手を置く。それにきょとりと瞬きをして、ぎこちない手つきで撫でられるそれにうわぁ、と内心で声をあげた。・・・黎深さまに呼び出しを食らってから最近、李侍郎がみょうに優しい気がする。その理由が非常に複雑すぎて、なんともいえない気持ちを味わいながら曲がり角でそのまま直進しようとする李侍郎の裾を軽くつまんで、私は進路をとった。李侍郎は無言で従ってくれるので、私もあえて何か言うことはしない。ここは、突っ込んじゃいけないところなのだ。
「そういえばは何をしに府庫に行くんだ」
「あぁ・・・」
やべ。別に何も考えてなかった。沈黙に耐えかねた、というわけではないだろうが突然の質問に視線を泳がせ、どうしたものかと返事に窮する。なにせただ単に李侍郎を案内せねば、という思いから府庫に行っているだけで、別に理由などないのだ。しかしそんなことを口に出せるはずもないので、うろうろと視線を泳がして話題を探す。えっと、えっと、うーん・・・あ。
「しょ、邵可さんにちょっと話があり、まして」
「邵可様に?」
「はい。えっと、その、紅貴后様と主上の噂についてちょっとですね」
まあ別にわざわざ言いに行く必要もないというか全然そんなことフォローするつもりもなかったのだが、背に腹は変えられない。四苦八苦しながら言い訳を述べると、李侍郎はあぁ、と納得したように頷いた。
「寝所を共にしたという噂か」
「はい。まあ何かあったわけではないんですが、親としては心配かもしれない、と思うので」
「そうだな。まあしかし・・・何かがあるとも思えないが」
「そうなんですけどねー。貴后様の動揺が半端ではないんですよ。経験がないから判断つかないのもわかりますけど。でも服も身に着けていたそうですし、事後の様子も寝台にはなかったですし。心配することもないと思うんですけどねぇ」
珠翠さまと寝台は綺麗に整えたけれども、汚れた様子も濡れた様子もなかったし、至って綺麗なままだった。多少寝乱れた程度で、本当にただの添い寝であったのだとわかる。
たとえ経験があろうとなかろうと、多少の知識があればさすがにこれは何もなかっただろうなぁ、ぐらいのことはわかるってもんだ。つまり、秀麗ねえさんの知識がちょっと少なすぎるのである。耳年増?大いに結構。性知識は現代人の教育課程に含まれているんです。
・・・ていうか、妓楼で働いてたら、なんていうか・・・ちょろちょろと生々しい話が聞こえなくも無いからな・・・。秀麗ねえさんはよくぞ耳にしなかったものだと思う。いや、耳にしていても深く考えなかったのかもしれない。さておき、第一にもしも何かあれば黎深さまの暗殺計画が現実味を帯びてしまうというか、実行されてしまうと思うし。怖い怖い、と内心でぼやき、なので別に心配というほど心配はしてないんですけどね、と李侍郎を見上げた、が。
「り、李侍郎・・・?」
え、なにその顔。思わずびくっと肩を揺らして李侍郎から半歩離れ、戸惑いを浮かべて彼を伺う。それほどまでに彼の顔は歪んでいた。それはもうなんともいえないというかいっそ誰か殺そうと思っているのではないかというぐらいの歪みようだった。整っている分、余計になんだか迫力がある。わなわなと箱を抱く手を震わせて、般若のような顔で彼は私を睨みつけた。あまりの形相にひっと悲鳴が喉奥で引き攣ったように零れ落ちる。
「、それは、誰から、聞いた話だ」
「え?だ、だれ・・・?」
「あの常春か、常春なんだな。そうかあいつかよしわかった。、今後一切そういうことは口にするな。わかったな?」
「は、はい!」
そういうことってなんですか?と問いかけられる雰囲気でもなく。低く、一言一言はっきりと口にした李侍郎にこくこくと反射的に頷くと、彼は怒りを鎮めるように一度深く呼吸をした。
その様子をすっかりびびった私は恐る恐る見ながら、何がそんなに彼の逆鱗に触れてしまったのだろうか、としきりに首を捻った。というか、私藍将軍の寿命縮めるようなことをしちゃったんじゃないか?さっぱりわけがわからなかったが、李侍郎の言葉の端々に彼の命を脅かすような不穏さを感じて、あれ?とやはり首を捻った。・・・普通の会話をしていただけでどうしてああも怒られたんだろうか。ちょっとした理不尽を覚えつつも、藪を突付いて蛇を出すこともあるまい、とすっかりといつもの調子になった李侍郎に瞬きをする。ぶつぶつと「これだから女は」「いやこんな子供にそんな話しを聞かせたあいつが」「将来が心配だ」「まだ早いだろう」「まったく、悪影響しか与えないな!」などなどとぼやく李侍郎に、私は不審の眼差しを送りつけた。何が言いたいのだろうか、この人は。ともかくも、そんな微妙な空気の中で、府庫に無事に辿りついた私は、穏やかに迎え入れた邵可さんににっこりと笑いかけた。あぁ、ようやくあの変な空気から脱却できる、と。
「絳攸殿。それにまで・・二人揃ってなんて、珍しいですね」
「先ほどそこで会いまして。丁度も府庫に向かうと言っておりましたので共に」
「あぁ、そうなんですか」
おっとりと微笑みながら頷いた邵可さんに、そこ、とはいっても後宮でなんだけどなぁ、と内心でこっそりと呟く。ちら、と見上げた邵可さんと一瞬目があい、細められた眼差しに思わずギクリ、と肩を揺らした。・・・なんだか、大変だったね、と言われたような気がした。事実、李侍郎とここまでくる間に、以前藍将軍がしていたような案内を(あそこまであからさまではなかったが)していた身としては、中々大変な仕事だったといえる。なまじあんまり相手の気に障らないようにと、控えめに控えめに行っていた分緊張の度合いも中々のものだ。私は藍将軍みたいな図太い神経はしていないんだ。そうしている間に、邵可さんが今回はどのようなご用件で?と軽く首を傾げながら李侍郎に問いかける。
「はい。黎深様から、これを預かって参りました」
「これは・・・」
言いながら顔を引き締めて抱えていた包みを差し出す李侍郎から受け取りつつ、邵可さんが細い目で包みをしげしげと眺めた。落としはしないかと一瞬思ったが、さすがにそれはないな、と一人で頭をふる。そして蓋をあけて中身を確認した彼の眉が、一瞬ぴくりと動いた。どこか張り詰めたような空気に、うん?と首を傾げてそろそろと問いかける。
「邵可さん?あの、それただの茶器、ですよね?」
「ん?あぁ、・・・そうだね。あまりにも素晴らしい茶器だから、少し驚いていただけだよ」
言いながら取り出した茶器をほら、と見せてくれた邵可さんに、あぁ確かに、と納得顔で頷いた。彼の手には余る小さな茶器は、下手な力を加えたら壊れてしまいそうな儚さを思わせる繊細な銀細工の器だった。キラキラと光を跳ね返し、しっとりと輝く銀器に目を丸くしてすごい、と思わず言葉を零した。あれ純銀細工だよね、きっと。黎深さまからの贈り物だし、かなり値が張るものに違いない。しげしげと眺めてどれだけの値段がつくのかなぁ、と思いつつ、あれ、銀細工?と首を傾げた。・・・そういや原作にもなんかそんな話があったようななかったような気がする、けど・・・。考えている間に、丁寧に包みに茶器を仕舞いこんだ邵可さんは、李侍郎との会話を進めていく。
「これをどうか秀麗に、とのことです」
「そうですか。わざわざありがとうございます。黎深にも、伝えて置いてください」
「はい。確かに」
邵可さんは、李侍郎のたったそれだけの言葉で何か察したように、深く追求することもなく大切そうに包みを机の上に置く。李侍郎も真面目な顔で頷く中、なんで二人ともそんな二言三言の会話だけで成立できるんだろうな、と感心した。頭の回転が早い人は一から十を掴めて羨ましいことだ。というか、えーと。秀麗ねえさんに、銀細工の器。わざわざそんな高価な贈り物を、する理由。確か銀って・・・考え込みながらじっと見つめている私に気づいたのか、尚もいくらか会話をしていた邵可さんが、ふとこちらを振り向く。そしてにっこりと穏やかな笑顔でそういえば、と口にした。
「は今日は一体どうしたんだい?」
滅多に府庫にはこないのに、珍しいね、と朗らかに言われて思わず頬の筋肉が引き攣る。別に嫌味を言われているわけではないのだが、多少罪悪感というものが胸に過ぎった。
邵可さんが本当に嬉しそうに笑っているから余計に、である。彼がここにきて私と会う機会が格段に減ったことを寂しがっているのは知っていた。わざわざ赤の他人の小娘にそこまで気にかけてくれなくても、と思うがそれが紅一家であり、彼らなのだからその優しさはどこか面映い。けれども、だからといってたかが女官がそうそうやってくるところでもないわけで、会わないのは至極当然の成り行きである。私は苦笑を返しながら、どう切り出したものかと視線を泳がせた。別にわざわざフォローなんぞしなくても、この人だってわかりきってることだとは思うんだけどねぇ。
「いや、その。えっと、・・・秀麗ねえさんと主上の噂について、ですね。お話が」
「あぁ、あの噂だね。私が心配していると思って、話をしにきてくれたのかい?」
「えぇ、まあ」
りょ、良心がチクチクと痛む・・・!う、と思わず胸元を握り締めながら、さっと視線を逸らした。全然邵可さんのこととか考えてなかったというか、ごめんなさい李侍郎を誘導するためだけの嘘でした・・・!褒めるように嬉しげ見つめてくる邵可さんの暖かな眼差しに、非常に居た堪れなくなりながら私は引き攣った顔でねえさんと主上の間には何もありませんでしたから!と必死に言い募る。とっととこの場から去りたいよ本気で!やめて、そんな可愛い子供を見るような目で私をみないでくれっ。
「わかっているよ。あの二人のことだし、何かあるだなんて私も思ってはいないよ」
「あぁ、そうですか・・・そうですよね。主上(ヘタレ)とねえさん(鈍感)ですもんね!」
知ってたわいそんなこと!と言い出せるはずもなく。やけくそ気味ににっこりと笑えば、わざわざきてくれてありがとう、と頭をなでられて、非常に複雑な気持ちになりながら私はそっと溜息を零した。結局、私がここにきた意味ってなんだったんだろうか、と。・・・やっぱ主要人物と関わるとろくなことないんだなぁ・・・。今後も出来うる限り日陰の身でありたいものだ、と疲れたように微笑み返しながら、私は黙って邵可さんの手を受け入れた。
この後、李侍郎を残して私はそうそうと府庫を後にしたのだが(関わってられるか)、実は私が帰った後に秀麗ねえさんが府庫を訪れていたらしい。そして、邵可さん伝で私がフォローにきたということも聞いたらしく、えらく感激されてしまったのは・・・その後後宮であった秀麗ねえさんの熱烈なスキンシップにより判明した。いや、なんだこの子煩悩な人たちは。
※
「さすが私のね!」
「私のって、秀麗ねえさん・・・」
キャラ違わないか?という私の呟きは、ぎゅうぎゅうと抱きしめられたことにより済し崩しに消えてしまった。なんだかこの頃、秀麗ねえさんの過保護っぷりが上がっているような気がしないでもない、そんな今日この頃。