薔薇園の王子様



 白い布地に青の糸。縫われた柄を指先で撫でて、どうしたもんか、と丁寧に折りたたんだ。出来栄えは上々、少なくとも珠翠さまのそれよりも遥かにマシな代物である。というかあれに負けてたら私、今までの暇潰しはなんだったの、と問いかけたい。
 ・・・珠翠さまはまず図柄をチャコペンかなんかで布に施してから縫うべきだったと思う。考えながらじゃダメなレベルだ、失礼ながら。尊敬しているし、立場としても上に立っている後宮筆頭女官さまを捕まえてあれな言い方だが、あの刺繍はいただけない。本当にいただけない。今でも秀麗ねえさんの引き攣った笑顔が思い出せるぐらいだ。
 香鈴さんだって困ってた。だけど珠翠さまは照れながら「貴妃様のおかげで前より巧くできましたわ」とか言ってた。どんな代物になってたんだろうね以前って!あれ貰った人反応に困りそー。
 香鈴さんも苦手だと言っていたわりにはそこそこの出来栄えになっていたというのにな。
 まあ人には向き不向きがあるし。しょうがないだろう。完璧な人よかどこか欠点があった方が可愛らしいのは万国共通ってな。
 刺繍を施した布巾を懐に仕舞いこみ、一冊の本を手にとって意気揚々と私室を出る。
 なんだかんだで府庫で借りてみた本が結構面白いのだ。続きがあるらしいから借りて今日は夜更かししちゃおうかなーとか考えている。
 全て漢文で書かれている、しかも印刷技術なんてものはないんだから全て手書きのそれは墨で書き出されて、達筆すぎんかこの野郎、というのもあるけれども、一応この国で生まれ育った彩雲国人。
 なんとか読めるようになっている自分を超褒めたい。すごいよ私よくやった私。きっと今現代に帰れば漢文の授業なんて満点だね!返り点なしでも読めるよやっほい!
 ・・・あーむなしー・・・・。ふ、と思わずやさぐれた笑みを口はしに浮かべながらとっとこ府庫へと向かっていると、近道とばかりに庭を突っ切る。
 がさがさと口を踏みつけて歩けば、薔薇の花の横を通った。思わず足を止めてその薔薇に視線をやる。
 どうやら色事に区分けされているらしく、ここは赤い薔薇の園のようだった。見事に開ききって深い赤に色づいている薔薇の花は薫り高い。手折ることはさすがにしないが、顔を近づけて鼻をひくつかせる。ほんのりと香る甘い匂いが心地よく、目にも鮮やかなそれに自然と口も綻んだ。
 指先で触れれば、冷たい花びらの感触がする。顔をあげて見渡せば、濃い色をしたそればかりではなく、薄紅のそれや、それよりももっと桃色に近い花もあった。
 そういや静蘭さんがねえさんに薄紅の薔薇を渡していたこともあったな。もしかしたらここから取ってきたのかもしれない。あの頃は咲き初めであったが、今や散っている花も少なくはない。
 そうか、それだけあの頃より時間が流れたのかと変な感慨を覚えた。つまりこの朝廷を去る時も近づいているというだ。やったね。私早く庶民の生活に帰りたい。
 ここは確かに贅沢もできるし衣食住に困ることはなく、華やかな衣装、美味しい食事、暖かな部屋、すべて揃っている。
 市井にある紅家のそれと比べれば天地ほどの差もあるだろう。だけども、ここに長くいたいとは思わなかった。場違いなのだ。居た堪れない。
 息苦しく、ここにいる資格など私にはない。どう足掻いても良家の子女であるわけでもないし、他の女官の皆様のような教養も容姿の美しさも高貴さも何も持ち合わせていない。
 いていいはずがないのだ、こんなところに。おまけにいやーなことに微妙に変な人たちとも関わってしまっているものだから、益々市井が恋しい。誰が王様の側近とかと知り合いたいと言ったか。そもそも王様と知り合いたかったわけでもない上に、この世界一番会いたいようで会いたくなかった何様俺様兄馬鹿様にだって一生関わりたくなかったぐらいだ。まあこれは私が市井にいた頃に強制イベントが発生したので諦めるしかないという悲しい事実だが。あれは天災、災害、事故なのだ。諦めるんだ私。まあ、幸いなことに知り合っているだけという境界線をそう越えては居ないから、深いところまでいっていないのが幸いか。変に関わって妙なことに巻き込まれたくないもんなぁ。世の中平穏であるべきだ。つらつらと考えながら、府庫への道を進もうとして、・・・・・・どえらく薔薇の花の似合う薄幸の美青年を目撃した。わー静蘭さんそんじょそこらの女性よか薔薇が似合いすぎてるんですけどちょっとー?

「・・・静蘭さん、こんなところでどうされたんですか」

 下に咲いてる薔薇の花を見るためだろうか、やや下向きに、伏目がちになっているとまさしく憂いる美青年そのものである。横顔だけでも綺麗だなぁ、と思いながら近づけば、静蘭さんは顔をあげて薄っすらと微笑んだ。・・・・・・・・・いや、あの、ですから静蘭さんものすご花が似合うっていうか、この人やっぱ美形だな・・・!バックの薔薇の花やらまるで演出か、と思うようなナイスタイミングで吹き抜けた風が柔らかそうな少し癖のある髪を揺らす様に、さすがに美形に免疫のある私でもすげぇ!と思わずにはいられない。津々浦々、色んな種類の美形は強制的に拝まされた私ではあるが、うっかり見惚れかねない。顔のいい人はやっぱりいいもんだな。

こそ、こんなところで何を?」
「府庫に本を返しに・・・もしかして、秀麗ねえさんにまた花を?」

 周りに人はいないし、まあ別に紅貴妃さま、と呼ばなくてもいいだろう、といつも通りの呼び名で言えば静蘭さんは近場の薔薇の花に手を差し伸べて、そっと繊細な手つきで触れた。その手は見た目にはとても綺麗だが、存外男らしく剣だこが出来て、節くれだっているのを知っている。

「えぇ、まあ。以前は咲き始めでしたが、今はもう満開ですからね。見応えもあるでしょう?」
「そうですね」

 確かに、何枚もの花びらが重なって丸く大きく咲く花は見事という他ない。言いながらポキリ、と花を折った静蘭さんは、茎にある棘を器用に避けて掴みながら、口元に花を持っていく。そして再び半分に落とされた瞼の周りを縁取る睫毛が無駄に長い。白い素肌に薔薇の赤が目に痛いほどに映えてみえ、元々全体的に色素が薄い静蘭さんは、儚くも見えた。
 ふわりと、再び風が今度は強く吹いて、薔薇の花を揺らし、静蘭さんの髪を揺らし、地面に散っていた花びらが舞い上がる。・・・この人一体誰を落とそうとしてるんだ?無駄に絵になる仕草をする静蘭さんに、もしかしてどこかに秀麗ねえさんが、というか気になる女人でもいるのだろうかと咄嗟に周りを見回した。・・・残念ながら、そんな人影は見当たらなかったのであぁこの人無意識でこういう行動しちゃうんだ、と私は引き攣った口元を懸命に隠す。どうしよう、これ免疫がない人がみたらうっかり見惚れちゃう光景なんだろうが、あまりにも完璧に計算され尽くしたような光景に、感動する前に空恐ろしさを覚える。ふっ。無駄にネオロマンスな世界にいたわけではないのだよ、私は。

「きっとねえさんも喜びますよ。前も喜んでいましたし」
「そうだといいんですが。あぁ、も何本か持って行きますか?髪を飾るのにも丁度いいと思いますよ」
「私は遠慮しておきます。薔薇の花はさすがに似合いませんし」

 髪に飾る生花に薔薇はさすがに私には不相応だ。大きな花よりも小さな花の方が私にはまだマシだと思うし、そもそもそんなに着飾りたいわけではない。・・・とはいっても、後宮にいる限り着飾ることは半ば義務にも近いので、浮かない程度には装ってみてはいるが、しょーじきサッパリなんだよね。周りの人に教えてもらいながらなんとかやっているぐらいだ。それでも外見がこれなものだから、どうしても幼稚なものになってしまうのは仕方ない。それも幼い子供として物凄く微笑ましく見守られると物凄くむず痒く、あぁ本当にさっさと後宮から辞して、マイペースを貫ける市井に戻りたい・・・。静蘭さんは、そんな私をまじまじと見て、確かに、と僅かに苦笑を零した。

に薔薇はまだ早いですね。なら、部屋にはどうです?」
「あぁ、それならいいですね。でもここの花摘み取ってもいいんでしょうか」

 後宮近くに咲く花、というよりも朝廷にあるものだ。勝手に摘み取ってもいいのかなあ。これが貴妃に差し上げる、というのであればよさそうだが、そこらの女官が貰っていいものか。そんな戸惑いを露にして、やや不安そうに首を傾げれば、静蘭さんはもう二、三本ほど薔薇の花を躊躇いなく手折り、それを纏めて構いませんよ、と言い切った。

「ここの花は元々そういう用途として植えられている花なんです。後宮の女官ならばある程度手折っていくことは許されていますよ。勿論、貴妃専用のものは別にありますしね」
「へぇ、そうなんですか」
「えぇ。少し待っていてくださいね、今棘を取りますから」

 言いながら、数本手折った薔薇の花から棘を取ろうとする静蘭さんに、あぁ、と声を零して本を抱える手とは別の手を伸ばした。

「いいですよ、静蘭さん。棘ぐらい自分で取れますし」
「だめですよ。もし怪我をしたらどうするんですか」
「平気ですって、そんなの」

 過保護だなぁ、というかフェミニスト?なのだろうか。伸ばした腕に持たせまい、とするように薔薇を遠ざける静蘭さんに苦笑を零し、見上げればすぐですから待っていてください、とまるで小さな子供に言い聞かせるように窘められた。え、なにその私が待ちきれずに急かしているかのような対応。若干微妙な気持ちを覚えながら、手際よくパッパッと棘を取り除いていく静蘭さんに、しょうがないか、と微かな溜息を零して手を引っ込めた。

「別に棘取りぐらいなんでもないのに・・・静蘭さんだって怪我するかもしれませんよ?」
「私はいいんですよ。怪我をするのが仕事のようなものですからね」
「・・・あんまり怪我はしないでくださいねー」
「それも平気です。怪我をしそうになったらそこらの兵士を盾にしますから」

 いやいいのかそれは。さらっと中々にあくどいことを言い切った静蘭さんは、にっこりと微笑んで棘を取り除いた薔薇をはい、と差し出してきた。その笑顔が白いのか黒いのか、それとも灰色なのか。いまいち図りかねながら、まあ私に実害がなければどうとでもしてくれ、と丸裸にされた薔薇を受け取る。

「素手で摘み取ってしまいましたから、長持ちさせるには鋏で茎を切りそろえた方がよろしいですよ」
「わかりました。後で整えておきますね」

 確かに、摘み取られた花の茎の先は繊維が荒れていて、ぶちりと乱暴に千切られた様子を露にしている。丁寧な仕草で手折っていたように見えたが、実際はそうでもないのだとその先を見るとそう思ってしまう。まあ、こんなにしっかりとした茎を手折るのだ。それなりの力がいるのは必須である。数本の束になった薔薇を抱えながら、これだけ立派だったら部屋もさぞかし華やぐだろうな、と頬を緩めた。

「綺麗ですねぇ」
「そうですね」

 心からそういえば、静蘭さんは微笑ましげに目を細めながら頷いた。その様子を見上げて、ふと静蘭さんの手元を見やれば指先が薄く緑色に染まっていて、あぁ茎の汁か、と気がつく。えーと、なんか拭くものあったかな?そう思いながら懐を探れば、あのどうしたもんか、と行方に困っていた刺繍が出てくる。それを見下ろし、丁度いいや、と私はそれを差し出した。

「静蘭さん、これで手を拭いてください」
「これは・・・変わった柄の刺繍ですね。笹の葉・・・竜胆?」
「笹竜胆っていうんですよ。まんまですが、よかったら貰ってやってください」

 やっぱりこの柄は珍しいものなのだろうか。まあ日本の家紋だしな、彩雲国はない柄なのかもしれない。秀麗ねえさん達も珍しい柄ね、といってたし。まあ、不評というわけではなかったから全然構わないんだけど。そんなことを思っていると、しげしげと刺繍を見ていた静蘭さんは、え、と驚いたように目を見張って顔をあげた。

「この刺繍、がしたんですか?」
「えぇ、まあ。秀麗ねえさん達と成り行きで一緒にしたんですけど・・・どこか変でしたか?」

 柄が、と言われるとそんなもんだよ、と言い返すしかないけれども、もしかしてどこか失敗していただろうか。それでも見れないわけじゃないから、マシだとは思うんだけど。瞬きをしきりに繰り返す静蘭さんに、少々不安そうに上目に見やれば、彼はいえ、と呟いてそれから感心したように吐息を零した。

「とても綺麗にできていますよ。私が貰ってもいいんですか?」
「構いませんよ。どうせどうするか困ってたものですし、使ってもらえるなら使ってくれたほうが私も嬉しいです」
「なら、遠慮なく頂きますね」

 言いながらそっと懐に仕舞おうとするので、いやそれで手でも拭いてくれれば、と呟けば、静蘭さんはきょとんとして、それからくすくすと笑い声を零した。

「そんな勿体ないことできませんよ。こんな立派な刺繍を」
「いや、そんな大したものじゃないんですけど・・・まあ確かに布や糸は一級品ですけどね、」

 そういう意味なら確かに勿体無いかもしれない。自分で言いながら、妙に納得してしまって口を閉じると、静蘭さんは私の思考がわかったのか、確かにその意味でも勿体ないですが、と私とは逆に口を開いた。

「笹竜胆、でしたか。こんな刺繍は見たことがありませんし、とても綺麗にできています。使うには勿体ないと思いますよ」
「・・・それ、は・・・ありがとう、ございます」

 こんのフェミニストめ!!ネオロマキャラ並にさらっとそんなことを言う静蘭さんに僅かに口元をひくつかせ、視線を外した。そう褒められると、面映い。社交辞令であろうとも、面と向かって自分が作ったものを褒められるとやはり嬉しく、けれど照れくさくも思えてこれ以上会話を続けると逆に居た堪れなくなりそうだ、と会話を打ち切るようにお礼を述べた。そのとき、私は俯いていたのでわからなかったが、静蘭さんがそれは年の離れた妹を見るような微笑ましげな面差しをしていたのを見逃した。もしもその顔を私が目撃していたら、どうにも複雑で仕方なかっただろう。だって私は、中身はすでに成人してるわけだし。見えなくて正解だった、ということなのだろうか。薔薇の花で口元を隠し、おずおずと顔をあげて私は片手に抱えた本をぎゅっと抱きしめる。

「じゃあ、私府庫に行きますね。静蘭さん、薔薇の花ありがとうございました」
「こちらこそ、刺繍をありがとうございます」

 ぺこり、と軽く頭を下げてから颯爽と衣を翻し、薔薇園を潜り抜けていく。あーもー、美形ってなんでああも色んなことが様になるんだろうな!最後の爽やかな笑顔を思い浮かべつつ、片手に薔薇を握り締め、片手に本を抱えて、薔薇園の王子さま、とワケのわからん名称をつけてみた。あながち見当はずれでもないと思うんだ!