綻び始めた春とともに咲いた、3月の即興曲
今年も中々期待できそうだな。数多の願書書類を見比べながら、鋭い双眸を僅かに細め願書の左上の隅に張られた小さな顔写真を一瞥するとするりとそれをテーブルの上に滑らせた。
丸い円卓上になっている上を滑るように動く書類を、ほっそりと白い、ピンクと白の花のネイルが散った人差し指がつい、と上から押さえることで動きをとめて、摘み上げるようにぺらりと捲った。
「そうねぇ。粒ぞろいって感じ?その分個性も強そうだけど」
「アイドル志望なら多少癖が強くなきゃやってられねぇだろう。この世界じゃぁ目立たなきゃ食われるだけだからな」
「ちょっと実力があるだけじゃやってけないものねぇ」
世知辛い、と恐らく苦労して書き上げたのだろう願書をぴらぴらと揺らしながら、この子はちょっと今回は見送りかしら?と脇に退けた。すでに数多くの書類が積み重なっているその上に、新たな一枚が重なり山をまた一つ形成する。その横にはまた別の山があり、円卓の周りで必死にあーだこーだと話しながら書類を分けていく幾人かの教師が額に汗を浮かべていた。なにせ積み重なる書類は処理済と未処理の数のつ釣り合いが取れていない。
明らかに、未処理に含まれる書類の方が多かった。
「龍也は気になる子いた?私はーこの赤い髪の子と、眼鏡の子と、青い髪の子ね。女の子ならこっちの派手めな子がいっかなーって」
「そうだな・・・こっちの、神宮寺財閥のガキと、ちびっこいガキか。こいつは・・・言うまでもないな」
「あぁ、例の?やっぱり目を引く子達よね。うふふ、どんな風に化けるのか楽しみだわぁ」
くすくすと、可愛らしい様子に見合った愛らしさで含み笑いを零す姿に、にぃやり、と男の口元も歪む。目の前の相手が・・・実際の性別はどうあれ、大層愛らしい容姿をしている分、その笑みには凄みがより強くにじみ出ていたが、楽しそうに歪む口元は思いのほか穏やかだ。
その顔をみて、じゃぁこの子達は合格、と語尾に花が飛びそうなほど明るい調子で、しかしぞんざいな仕草でぽいっと書類を先ほどおいた山とは別の山に重ねて落す。
ぱさぱさ、と受験者の苦労の賜物がこんな雑な扱いをされるとは、送った本人たちも思わないだろう。一部の人間などは人が苦労して書き上げたものを!と嘆く勢いだ。
「作曲コースなら・・・・あ、この子。遅刻してきた子よね。シャイニーが特例で受験許可した子」
「あぁ・・・こいつな。まぁはっきりいって目立つようなタイプじゃねぇな。作曲コースだから派手である必要はないが、ちとコミュニケーション能力に不安が残る。だが・・・作曲に関しては逸材かもしれないな」
「え、なになに。実技で何かあったの?」
「ピアノの即興曲。こいつ、自分のオリジナルを弾きやがった。普通ねぇぞ、面接ですぐさま自分の曲弾くやつなんざ」
技術的にはまだまだだが、曲自体は悪くなかった。くくく、と笑いながらこいつと、こいつらの誰かが組んだらどうなるんだろうな?と楽しそうに声が弾んだ。その様子に、私も聞きたかった!とふっくらと艶のある唇を尖らせて不満をぶつける。容姿やキャラとしては問題のないそれも、実際の性別を知る分にしてはいささかどうなんだ、と龍也は思わず目を細めて肩を竦めて見せた。その態度にぶーぶーと文句を言いながらも、細い指先で問答無用で放り込まれた書類の山は、少し前にまとめて合格にされた書類と同じ山だ。
「あとは・・・まぁ、このぐらいか。特別目を引くといえば」
「そうねぇ。あとは面接と実技の評価ぐらいで・・・あ、そうそう。そういえば面白い子がいたのよ」
「面白い子?」
「というか、またシャイニーの気まぐれに巻き込まれた子なんだけど」
「あぁ・・・そっちは社長が面接官だったな。・・・可哀想に」
目一杯に同情心が篭められた一言に、何故か日頃の苦労がにじみ出ていてなんとも言えない。その態度に、かける言葉がないのか林檎はいくらかの微苦笑を浮かべると、ばさばさと埋もれる書類を掻き分け、ようやく見つけたのかこれこれ、と引っ張り出した。
「この子!特技が面白いでしょ?」
「あ?・・・読唇術?また、珍しい特技だな」
「でっしょー。思わず食いついちゃって。そしたらシャイニーも悪乗りしちゃってー」
「読ませたのか?」
「そうそう。完璧に読んでたわ。まぁ問題はその後なんだけど」
「・・・なに、やらかしたんだ?」
「私は何もしてないわよ!シャイニーがいきなり出汁巻玉子を食べたいって言い出して・・・あ、口に出したんじゃなくてこれもこの子が唇の動きを読んだんだけど、そうしたらそのままクッキングタイムに入っちゃったのよね」
「・・・あの人は・・・何をやらかしてんだ・・・」
というか面接会場にキッチンを作ったのか。はたまた最初から設置してあったのか。いや、面接会場にそんな設備はなかったはずだ。ということはまた無断であの人は!!
頭を抱えて頭痛を抑えるように項垂れる彼を、やはりいくらかの同情を篭めて見やりながら、しかし一番可哀想なのはいきなり料理を強要されたこの子に違いないだろう、と林檎は当日、困惑に困惑を重ねて呆然としていた受験生を思い浮かべた。
それでもなんだかんだやりきったのは褒められることだ。しかも途中からなんだか諦めたというかあぁまたか、とばかりに手馴れた反応だったのがどこか気にかかる。だがまぁ、しかし。臨機応変に対応できるのは高評価、とひとまず二重丸を内心でつけておいた。
「まぁ、すっごく美味しかったからこっちとしては役得?出汁巻きだけじゃなくって、お味噌汁にお魚も焼いてー。ちょっとしたランチタイムだったわ。時間帯的にも」
「お前もなぁ・・・。ここはアイドル育成学校であって、料理学校じゃねぇんだぞ」
「バラエティでも料理番組があるんだから料理上手でもなんら問題ないわよ!それに、突然の要望に答える対応力。これだって必要不可欠よー?」
「そりゃそうだが・・・こいつ、作曲家コース志望であってアイドルコース志望じゃないだろ」
志望コースの欄にははっきりと丁寧な、且つ綺麗な字で作曲家コースと書かれている。字が綺麗なことはいいことだな、と密やかな好感を得ながらも、納得がいかないように口をへの字に結ぶと、そうなのよねぇ、とどこか残念そうに溜息が零れた。
「個人的にはシャイニーの無茶ぶりにも結構すんなり対応してたし、面接態度も悪くなかったし・・・アイドルコースならシャイニーについていけるだけでも合格あげちゃっていいかなーってちょっと思ったんだけど、作曲コースなのよねぇ」
「あぁ、社長の無茶振りに対応できるのはかなりポイント高いな」
どれだけここの社長は規格外なのか。日頃振り回されているだけに、対応できる人材を欲しがっているのか深く頷く彼に、全くよね!と鼻息も荒く拳が握られる。可憐な容姿とは裏腹に力強い態度に、やはりこちらも日頃の苦労が偲ばれた。
「でも、ピアノもちょっと弾いてもらったけど特に目が惹かれることもなかったし、なんだか普通って感じ。ピンとはこなかったわね」
「そうか・・・悪くはないが、良くも無いってところか」
「そうねぇ。ちょっと難しいわね」
ただの一度の、僅かな時間のみで全てを見極めろというのは難しい。けれども、惹かれるものがあるものは否が応にも目がいくものだし、音にしても少しの演奏で感じられるものはあるはずだ。ないということはそこまでの魅力が無いか、今後の伸びしろにしてもいささかの不安が残るところである。悪くはない、だがこのまま入学させても先があるのかといわれれば、答えに窮する。試したいという思いもあれば、あえてここは突き放して別の人生を歩ませてやりたい気持ちもある。
複雑な心境で書類を睨みつけ、しばしの思案の後、残念だけど、と僅かに口を開いた。
「見送った方がいいかもしれないわね。こういうのは直感も大事だし」
「そうだな。まぁ、仕方ないだろう」
閃きがなければ、それまで。面接官にこれだといわせるものがなければ、そこまでの話なのだ。決定力がなかったのが彼女の不運だろう。適応力云々に関しては惜しいが、今必要なのは作曲家としての能力であり才能だ。それがないのならば、選んだコースが悪かったというしかない。アイドルコースならば有だったのに、と思いながら、不合格の山にそれを落そうとした瞬間、別の手がそれをひらりと奪い取った。
「この子は合格デース」
「え?」
「社長?!」
ぴっしりとブランドスーツを着こなしながら、大きめのサングラスで目元の表情を悟らせないまま突如として現れた上司の姿に、俄かに教室がざわめく。慌てて立ち上がり挨拶をする者もいれば、呆気に取られたままポカンと口をあけている者もいる。
特にすぐ近くで、今まさに不合格にしようとした書類を奪い取られた相手は、うろたえた様子でガタリと椅子を蹴った。
「ちょ、シャイニー!いきなりどうして」
「この子は合格と決まってマース!リューヤサン、合格通知の準備をお願いしますヨ!」
「おいおいちょっと待ってくれ。社長、言葉を返すようで悪いが、俺にはとてもそいつに作曲家が向いてるとは思わない」
作曲家じゃなくて事務だとか裏方だとか、そういう仕事ならばこちらとしても進んで欲しいぐらいだが、作曲家となると話は別だ。少なくともその人物よりも才能に溢れた人間はいるだろうし、向かないと判断した相手よりも更に未来あるものにチャンスはあげたい。
いや、全くの才能がないというわけではないのだろうが、それでも殊更に魅力的なものがないのならば、やはりそれは不合格の対象のはずだ。・・・少なくとも、直接面接をした林檎から見送りという言葉を頂いた分、すぐにその受験生が合格対象に見えることは無い。
・・・が、この伝説のアイドルと言われたシャイニング早乙女が、わざわざ自ら教師の決定さえ覆し合格を告げた。その事実も見過ごせはしない。口では反論をしながらも、何か他に、林檎には気づかなかった何かにかの人物は気がついたのか。
探るようにサングラスで隠れた瞳を見つめると、目の前の人物はぴらぴらと揺れる書類を食い入るように見つめながらふっと口元を緩めた。
「一芸に秀でた音楽というのも、面白いと思わないか」
「え?」
「どういう・・・?」
低く、普段の口調も鳴りを潜め、重厚な声音で笑みを刷いたその姿に、二人の目が見開かれる。それはいっそ、慈しみさえ篭められた柔らかさを秘めて。小さな写真を指で辿りながら、彼はにぃんまり、と口角を吊り上げた。
「とにかく!ミーの言うことは絶対デース!今日中に合否を決めて、発送の準備に取り掛かってクダサーイ!」
「うえええええ!そんな無茶な!」
「・・・あんたも手伝ってくれるんでしょうね、社長」
「HAHAHAHAHAHA☆それでは、ミナサンの働きに期待してマスヨ!Adios!」
「あ、ちょ、待て社長!!」
呼び止める声も虚しく、バリーン!と派手な音をたてて破壊された窓ガラスがきらきらと光を反射し、まるでプリズムのように光り輝く。伸ばした腕はかの人の衣服を掠めることもなく、背中に背負った小型ジェット機が火を噴いたのに反射的に腕を引き戻し、熱風と大音量のそれに混じり空の彼方へ消えていく背中を、見送る以外に何が出来たのか。
ジェット機からの熱風により、教室中の書類が舞い上がりひらひらと目の前を落ちていく。
舞い上がる大量の書類。積み重ねた山は崩れ雪崩を起こし、割れた窓から入る三月といえどもまだまだ冷たい風が室内の暖かな空気を連れ出し、攫っていく。悲愴な悲鳴が聞こえる中、収拾のつかない状態になっていくのを見下ろしながら、日向龍也は己の血管の一本がぷつりと切れたのを感じた。
「・・・この、出鱈目社長ーーーー!!!!!」
叫ぶ同僚を尻目に、床に落ちた書類を見下ろし、月宮林檎は重く溜息を吐いた。
あぁ、今日は徹夜ね、と。