綻び始めた春とともに咲いた、3月の即興曲
浮き上がる意識、頭の中が澄んでいく感覚、持ち上がる瞼。ぱちりと開いた瞼をいくらか上下させ、もぞりと寝返りを打ってうつ伏せになると枕元の時計に手を伸ばし、アナログ時計の数字をみて、目覚まし設定の五分前だと判明した。・・・五分か。十分ぐらいならもうちょっとうとうとしようかと思ったけれど、五分じゃなぁ。
少しばかり残念な気持ちになりながらも仕方なしと諦めて、目覚ましの設定を解除してまだ厚みのある掛け布団の下から抜け出てスリッパを爪先に引っ掛ける。
肌寒い部屋の空気は、けれど真冬に比べればどこか温かみを持っているようにも感じられ、しかし寒いものは寒いとぼやいて椅子の背もたれに引っ掛けている綿入りの半纏を羽織った。
ぬくぬくとした感覚にほっと一息吐き、冷たい自室から出て暗い廊下を辿るとリビングへと向かう。戸をあけ、入った中はやはり暗く、締め切ったカーテンの向こう側からの光もまだ乏しかった。ぴっちりと締め切ったリビングのカーテンに近づき、シャッと音を立てて横に引く。そうすると、遮光カーテンによって遮られていた太陽の光が室内へとその明るさを届かせ、まだいくらか暗い部分はあれど、電気をつけずとも十分なぐらいには照らされた。
陽光の暖かさも交えつつ、足元の電気ストーブのスイッチをいれ、その前を通り過ぎるとキッチンに向かう。昨日の晩御飯の残りを電子レンジにいれ、お味噌汁の入った鍋は火をかけて暖める。そして瞬時にお湯が沸くという便利な電気ポットに水を注いでスイッチをいれると、ピー、と電子レンジの暖め終了の音がなった。
熱くなったお皿に気をつけながら鰆を取り出し、代わりに冷凍していたご飯を取り出してラップを外し、やっぱりこちらも電子レンジにいれて解凍ボタンをぽちっと押す。
そうこうしている内に電気ポットもお湯を沸かし終え、味噌汁も煮立ってきたので火を止めてから、お茶の準備にかぽりと筒状の箱の蓋をあけた。
急須に茶葉をいれ、沸かしたばかりのお湯を注いで放置。その間に和室に向かうと、位牌の前にあるお湯のみと仏飯器を手にとりキッチンへと戻る。軽くお湯のみなどと洗って、水気をきってから急須のお茶を注ぎいれ、解凍されたご飯を盛る。本当が炊きたてが望ましいのだが、ごめんねお父さん。節約なんです。
色々しちゃいけないよねぇ、と思いながらご飯とお茶をいれたそれらを再び位牌の前に置いて、線香をたててリンを鳴らす。手を合わせて朝の挨拶をしてから、ようやく自分の朝食にありつける。・・・あ、新聞忘れてた。
机の上に一人分の食事を並べてから、テレビの代わりにつけたラジオを流しつつ新聞を取りにパタパタとスリッパを鳴らした。
施錠していた玄関の戸をあけ、冷え込む朝の空気に身震いをして急いでポストをあける。折りたたまれた新聞を取り出し、更に突っ込まれていた見慣れぬA4サイズの茶封筒に首を傾げる。・・・はて?なんだろうこれは。疑問を浮かべながらも、いつまでも寒い中経っているのも嫌なので急いで屋内へと駆け戻り、ストーブがついて暖かな空気が回り始めたリビングに駆け込むと、ほう、と吐息を吐いた。
ダイニングテーブルの上にばさりと新聞を投げ置いて、例の茶封筒をひっくり返す。機械的な印刷の施された宛先を確認して、あ、と口を丸くあけた。
「早乙女学園・・・?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そういえばそろそろ受験結果の発表日だったか。早乙女学園は合否を受験番号を並べ立て発表するのではなく、郵送によって知らせるという方式を取っていたな、そういえば。すっかり自分の中ではすでにないものと処理していただけに、いくらかの驚きを交えつつそれにしても、と封を開けることもなく茶封筒を軽く揺らした。
・・・なんか、紙以外に入ってるっぽいんだけど、これ。がさごそと、紙ではなく更に小さく重みのあるものが揺れる音を聞きながら、再度首を傾げて並べた朝食の前に座る。
テーブルの端にペン立と一緒に差し込んでいるペーパーナイフを取り出しながら、封筒の口の隙間に差し込んでピリピリと破いた。
そしてぱっくりと開いた口から、まぁどうせ残念ながらとかそんなことが書いてある紙があるんだろうと思いながら、紙を出そうとして・・・いや、ないよ?あれ?どういうこと?
すか、と何も掠めない袋の中身に眉間に皺を寄せ、茶封筒の中を覗き込む。・・・・ん?あれ。なんか入ってる。袋の中にお知らせの紙なんかはなく、その代わりに、何か薄くて四角いものが入っているのが見えて、眉間に皺を寄せた。・・・なんだ、これ。
疑問を浮かべながらそれを取り出すと、どうやらCDだったみたいで、もしかしてこの中に合否結果が入ってるわけ?とありえないよなぁ、と薄いそれをマジマジと眺め回した。
しかし、あの学園長だ。面白いことならば割りとなんでもしでかしそうな気はする。つまり、ありえなくはないことかもしれない。CDで合否発表とか。黒いケースに入れられた白いCDの表面には早乙女学園の校章がプリントされていて、とりあえずこれが学園指定のCDであることは察せられる。しかしどういう意図でCD。カセットは駄目だったのか。あとCDが聞けない家庭事情だったらどうする気だったんだ。
その場合はなんとかして聞くしかないのかなぁ、と思いながらとりあえず中身の確認をするために一旦CDをテーブルにおき、機械の準備をするために自室に引っ込む。
そしてCDラジオを持ってきて、コンセントに繋いでからケースから件のCDを取り出し、セットした。・・・聞くのがなんだか怖いなぁ。とりあえず音量は下げておこうっと。
一抹の不安を覚えながら、ぐぐっと機械の音量を下げて、再生ボタンを押す。あぁ、なんか怖いな・・・・いろんな意味で。戦々恐々としながら冒頭から流れる音楽に耳を傾けていると、やがて音楽はフェードアウトしていくように小さくなり、やがてこんどはやたらめったら高いテンション且つ嫌に流暢な発音で、音量をできるだけ小さく絞っているはずなのに何故かインパクトが半端ない(だって若本さんだもの)声がびりっと朝の空気を震わせた。
『Good morning!栄えある未来のアイドルアーンドゥ作曲家の諸君!今回は君達に重っ大な発表がありマース☆』
とても巻き舌が激しいですわかも、基い、早乙女学園長。なんだろう、すごいノリノリだ。
あと音量下げててよかった。これで普通の音量だったら近所迷惑だったかもしれない。私ナイス判断。自分で自分を褒め称えつつ、しかし朝からこのテンションについていくことは中々難しく、むしろ下がる一方のテンションをどうにか引きとめようと、とりあえずご飯食べながら聞こうかな、とバックミュージックもなんだか派手になってきたそれを尻目に椅子に座りなおし、箸を手にとって解凍したご飯を口に含んだ。うん。ちょっと冷めたけど美味い。
もぐもぐと咀嚼を繰り返している間に今回の当学園の受験結果だが・・・とやたらもったいぶった調子でCDから声が聞こえてくる。ちょっと秘めやかになったそれに、バックミュージックから一転、タラララララとテレビ番組によくあるドラムロールがやたら長い溜めを作って聞こえ、これって真剣に聞いてると嫌に緊張するよね、と味噌汁と啜りながら思った。
しかしこれで合格!と言ってもらえるならまだしも不合格!とかこのテンションで言われたらしばらく立ち直れない気がする。バージョン別とかあるんだろうか、と長いドラムロールを聞き流しつつ、魚の身を解した。ほんと無駄に長いな、このドラムロール。
まぁ個人的には落ちてるだろうと思っているので、このドラムロールのあと不合格と告げられてもなんらショックは受けない。むしろ安心するだろう。あのハチャメチャなテンションの学園に入学せずにすんで。なーんて、なんの気負いもなく魚の身を頬張ると、ジャッジャーン!と音を区切るようにドラムが一層大きく鳴り響いた。
『Miss!君は合ッ格デース!この難関を見事乗り越えた栄誉を、ここに称えマース!!』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
『驚いているようデスネ!バァァァァットゥ!入学拒否は認めマセーン!君には早乙女学園に入学してもらいマース!!!』
「は?いや、え?てか今会話が成り立った?」
『入学式の日取り、準備物、学園設備諸々については後日要項を送るので、シィッカリと目を通して入学式に備えておいてクダサーイ☆ちなみに学園は寮生活なので、荷物をまとめる準備も怠ってはイケマセンヨー!ではまた入学式でLet's see again!!』
それを最後に、チャーララーとBGMがまた幅をきかせ、やがてフェードアウトしていく。ぷつり、と音楽が消えたところで、私は箸を止めたまま、何も言わなくなったCDラジオを見つめて、ごくりと喉を鳴らした。CDが嫌に騒がしかったものだから、聞こえなくなると一層静寂が痛々しいほどにリビングに広がって空気の変わりようにどこかついていけない。
目を白黒させながら、カタリと箸を置いて私は頭の中を整理するようにテーブルの上に肘をつき、額を手の甲の押し付けて俯いた。今、すごく不吉な宣告がされたように思うんだが・・・。
「・・・・・・もう一度聞こう」
またあのテンションと向き合うのかと思ったら疲労感が半端ないが、それでも聞かずにはいられない。とりあえず冒頭の音楽とか口上とかドラムロールはすっ飛ばして、肝心の内容をリピートさせてみる。うん。あれ?え?うん?うん。・・・・・・・・・・・・うわぁ・・・。
「どうしよう・・・こんなに素直に喜べない合格発表なんて初めてだ・・・」
むしろ不安しか覚えない現状をどうしろと。チャーララーとフェードアウトしていくBGMに呆然としながら、まさかの合格宣告に、私は体から一気に力が抜けていくのを感じた。
何 故 受 か っ た し 。
受かる理由が見つからない。どこまでも平凡だったと自負している。しいていうなら料理実技が琴線に引っかかったのかと思ったが、あそこは音楽学校であって料理学校ではない。採点基準には入らないだろう。
それすら学園長の気まぐれとかだったら他の受験生はどうなるの。ピアノだって普通だったし面接だって無難な答えしか返せなかったはず。何故受かったし。落ちたとばかり思っていた私には耐え難いショックを覚えつつ、これを吉報と取るべきなのか、それとも凶報と取るべきなのか、誰に相談するべきなんだ、と両手で顔を覆って項垂れた。こんなにも判断に困る合格発表など今後一切ないに違いない。
お父さん、私、早乙女学園に入学できるようです。でも何故だろう。素直に喜べない・・・!
朝から暗澹たる気持ちで、私は食事の続きを取るべく、箸を手に取った。・・とりあえず、合格したことは学校に告げねばならないな。多分喜んでくれるのだろう担任や友人たちを思い描きつつ、押し殺せ切れない溜息が、口の端から零れ出て行った。