綻び始めた春とともに咲いた、3月の即興曲
3月の時期ともなればほぼ三年生に授業はない。学校に来る理由さえなければ登校日と卒業式以外はほぼ自由な時間だ。人足早い春休みといってもいい。この時期になればほぼ進路は決まったも同然だし、さすがに受験した高校全てに落ちたということでなければ大半は安定した日々を送っているだろう。
合格発表がまだの場合は、もう少し精神的に不安定な日々を送るかもしれないが。
本命であれ滑り止めであれ、あるいは就職であれ。それが本当に進みたい道かはそれぞれだが、よほどのことがなければ春も芽吹き始めたこの季節、心穏やかに最後の中学生活を送れるに違いない。
今だ風は冷たさを孕むものの、真冬の冷たさとは程遠く穏やかに温かみを帯びたそよ風が頬を撫でる。着込んだ制服からマフラーや手袋をなくし、セーターだけを身につけて潜り抜けた校門はいささか懐かしい。受験日に学校に戻ったとき以来の登校か。
いずれ母校という表現を使うようになる学び舎は、至って普通の公立中学校だ。私立でもない学校は、年代にあわせていくらか古びているし、派手さもなければ敷地の広さも至って特筆するところがない。・・・あの学校を見た後にこの校舎をみたときは、普通ってなんて素晴らしいんだろうとうっかり目尻に涙が浮かんだのも記憶に新しい。・・・無駄にでかかったからな、あの学校。
こんな極々一般的な中学校とは比べ物にならない規模のそれを思い出しつつ、同時に報告せねばならない事柄にいくらか気分も落ち込む。
いや、可笑しいよね。落ち込むって可笑しいよね。そうは思いつつも、気乗りのしないそれにいっそのこと蹴ってしまおうかと思ったが・・・あの学園長の言葉が頭から離れない。入学拒否は認めないとかいってたよな・・・。いやでも個人的な問題だし、将来に関わることだし、無視しても問題はないと思うんだけど、しかしあの学園長の言うことだと思うとなんだか迂闊な行動はできない。
・・・先生に相談して、とりあえず自分の将来のことだし、ちゃんとあれとは別の本命、というかまぁ普通の高校にも受かってるんだし、そっちに行く方向でも検討しようかな、と思いながら校舎に入り、職員室を目指す。慣れた学校の廊下を壁に張られた掲示物やポスターに目をやりつつ、辿り着いた職員室の前で一旦立ち止まり、軽いノックをしたあとに扉をあける。学年とクラス、それから名前を名乗って入り口で担任の名前を呼べば、自身の机の周りで仕事をしていた教師が顔をあげてこちらに目を留めた。
「あぁ、か。こっちにこい」
「失礼します」
・・・しかしまぁ、職員室というのはどうもアウェーな感じがして居た堪れないな。今は他の学年が今だ授業があるせいか少ないけれど、余計に静まり返っている様子がなんだか居心地が悪い。いくらか残る教師の視線も気になりつつ、担任の横に立つと書類をばさばさと片付けながら、彼は首を傾げて今日はどうした?と声をかけてきた。
「早乙女学園の合格発表がありましたので、その結果を伝えに」
「え、あ、あぁ!そうか、今日が結果発表の日だったのか。どうだった?」
忘れてやがったのかあんた。言われて気がつきました、とばかりの態度にもっと気にかけろよ!と思いつつ(なにせこの学校であんなすげぇ倍率の芸能専門学校へ受験したのは私だけだ。・・・あれ、無謀にもほんと程があるな)、そわそわしながらも、あまり期待のかけられた様子のない気負いのない促しに、私は思わず溜息を吐いた。
その様子をみて、何を勘違いしたのか担任は眉を八の字に下げて、あ、あー、と低い声を絞り出した。
「・・まぁ、なんだ。そう落ち込むな。先生がいうのもなんだが、あんなところに受かるなんてほとんど奇跡みたいなものだ。落ちてなんぼの学校だと思うぞ?」
「えぇ、そうですね。落ちてなんぼの学校ですよね」
「そうだそうだ。落ちてなんぼだ!それにはちゃんと別の学校も受かってるしな。こっちが本命だろう?気にすることじゃない」
ばしばしと肩が叩かれて慰められる。これは確実に落ちたと思われてるなぁ、と思いながら、担任も、周りの教師にすらも慰めのような眼差しを貰ってなんだか余計に居た堪れなくなった。
・・・い、言いづらいな、この状況・・・。自分の態度が悪かったとはいえ、なんだか必死に慰めてくれる先生にいささかの申し訳なさを覚えつつ、あの、先生、と口を開いた。
「ん?どうした?」
「・・・非常に言いにくいのですが、私、合格しました」
「・・・・・・・・・・ん?」
「えーと、だから、その。・・・早乙女学園、合格したんです」
そもそも学校に通知はきていないのか?あれ?こいういうのって学校側も把握してるもんじゃないの?そう思いつつ、視線をそらし気味に億劫そうに告げれば、しばし沈黙が辺りを支配する。そろりと見上げた先生は、目を丸く見開いていて、肩を叩いていた手を空中でぴたりと止めたまま、パチパチと瞬きをしていた。
「・・・合格?」
「はい。合格です。通知書ではなくてCDでの発表なので見せにくいところはありますが・・・とりあえずこれが結果です」
通学鞄の中に潜ませておいたCDを差し出せば、先生は驚愕の眼差しを送りながらも、慌てた様子でそれを受け取り、まじまじと早乙女学園の校章入りのそれを眺め回した。それからはっと気がついたように、ひどくうろたえた様子で辺りをきょろきょろと見回す。
「ちょ、ラジカセ!ラジカセどこだ?!」
「こ、ここです福島先生!」
「あぁぁ斉藤先生それ貸してください!」
先生、動揺しすぎです。というか担任以外もすごい反応してるのは何故だ。机の上に積んであるノートやらプリントやらを崩しそうな勢いで、斜め向かいに座っていた女性教師が差し出したラジカセを引っ手繰るようにして掴むと、きょろきょろと落ち着きなくコンセント部分を探す教師に、自分よりも慌ててるなぁ、と最早他人事の目で眺めていた。
「コンセント!コンセント!」
「ああありました!ここですよここ!」
「差し込んでください!」
共同作業か。床に設置されている差込口をようやく発見し、なんだなんだと注目が集まり始める中(うわっ)、ようやくラジカセのセッティングを終えた彼らは、恐る恐る、丁寧にCDをケースから取り出すとセットする。またあのテンションの高い内容を聞かなければならないのかと思うと憂鬱だが、固唾を呑んで再生ボタンを押す教師にそんな愚痴を零すわけにも行かない。というか待て。他の教師も何故周囲を囲みだす。
もしや職員室中の教師が集まってきたのか?というぐらい周りを囲み始めた人垣に、ひくりと顔を引き攣らせると、流れ出したBGMにごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。
そして聞こえる早乙女学園長のやたらテンションの高い声。うわぁ・・・という反応はどういう類の「うわぁ」なのだろう。私と同じものならいいが、感嘆系だったら私とあなたは相容れない。
「すごい、シャイニング早乙女の声だ」とか「本物か・・!」とか聞こえるので多分相容れない方向で。やがてドラムロールが聞こえ始めると、嫌でも高まる緊張感。これをご飯食べながら気を抜いて聞いていた私は、多分これが正しい反応なんだな、と思いながらラジカセのスピーカー部分を食い入るように見つめる担任を見下ろした。
やがてCDの全部を聞き終えると、辺りはしん・・・と静まり返り、私がこのまま帰宅してもいいだろうか、とかそんなことを考え始めた頃、ようやく担任は自分の世界から戻ってきたかのように、きらきらと今までこんなにも輝いた目をした時があっただろうか、というぐらい輝いた眼差しでこちらを見てきた。思わずうっと怯んだ私は悪くない。
「す・・・ごいじゃないか!合格、合格だぞ!あの早乙女学園に合格するなんて!!」
「あははは・・・私でも信じられない気持ちです」
むしろ信じたくない気持ちです。興奮する担任とは裏腹に乾いた笑みを零すものの、そんな私の様子など目にもいれてない様子で、担任はぐすんと鼻を鳴らした。
「よか、よかったなぁ・・・!まさか、受かるなんて・・・!先生、こういっちゃなんだがに芸能関係は向かないし、受かるだなんてとてもじゃないが思ってなかったんだ」
「私もまさか受かるとは思っていませんでしたよ・・・」
それがまさか合格なんて・・・!と目に涙まで浮かべ始めた先生に、さらっと真顔で言い返しつつ、この空気ヤバイ、とひやりと背筋が寒くなった。
普通に先生難色示してましたものね。でもそれ普通の反応ですものね。教師は生徒の未来や可能性を信じるべきだが、それにしたって限界というのはあるもので。そもそも最初からそれを目指して努力していたわけでもないのに、いきなり倍率が200とかいう化け物学校への受験を後押ししてもらえるはずがないのだ。
受けるだけ受ける、というスタンスのはずだったのだが・・・。周りの教師もざわざわと「まさかそんな」とか「あの早乙女学園に!」とか「この学校から合格者が出たー!」とか興奮が周囲に広がり始めて、あれこれなんか大事?とうろうろと視線を泳がせた。
「よかったな、。これでお父さんの遺言も守れるじゃないか。よく頑張った!」
「え、あの、先生、私は、」
「校長先生にも早速伝えないと。我が校から早乙女学園合格者が出たって!」
「あれ、先生、私、普通の」
「これはこの中学校始まって以来の快挙かもしれませんよ。よかったですね、福島先生」
「はい。こんなに嬉しいことはありません。まさか私のクラスから早乙女学園合格者が出るなんて・・・」
「先生、私の話・・・」
「後輩達にも是非、このことを教訓に学ばせたいですね。どんな難関であろうと、乗り越えられないものはないと」
「えぇ、本当に。、よく、頑張ったな。先生誇りに思うよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ありがとう、ございます」
それ以外に、何が私に言えたであろうか。当人以上に盛り上がり、尚且つ喜んでいる周囲にぽつんと置いていかれたまま、ははは、と乾いた笑みが口元に浮かぶ。
テンションが鰻上りに上がっていく職員室。戻ってきた教師すら何事だと目を丸くする中で、私は最早逃げる術はないのだと悟った。・・・この状況で、早乙女学園を蹴ってまで別の学校に行く勇気は、私にはない。うっかり浮かびそうになる涙をうれし涙だと思ったのか、撫でられる頭に、益々涙腺が緩みそうだった。
私、普通の学校に、行きたかったなあ・・・!くすんと鼻を鳴らして、私は来るだろう未来の学校生活に、諦めの微笑を浮かべた。
まぁ、そりゃ、ね。倍率200の、ほぼ落ちることが前提の学校に、こんな一般的な学校から合格者が出たといったらね。しかも創設者はあのシャイニング早乙女で、教師ですら現役アイドルを採用している夢のような学校に、自分んとこの生徒が入学するとなればね。
そりゃぁ、喜びも一入でしょうとも。えぇ、本当はどこかでわかってた。
入学辞退なんぞ、できるはずもない夢物語だったのだと。
「・・・まぁ、遺言が守れるところだけは、素直に喜んでいようか」
父の夢を、一つだけでも叶えてあげられたこと。それがせめてもの救いだと、盛り上がる職員室で、ひっそりと溜息を吐いた。
「、入学したら月宮林檎のサインとか貰ってきてくれないか?」
「私は日向龍也さんのサインが・・あ、でも写真でもいいの!お願いできない?」
おいこら教師。ミーハー根性丸出しで迫ってくるのはやめてくれ!(特に斉藤先生!目がマジ過ぎて怖いです!)