綻び始めた春とともに咲いた、3月の即興曲
それにしても、と頭の上からかけられた声に色紙に寄せ書きをしていた手を止めて顔をあげた。
前の座席に腰掛け、机に肘を置いて頬杖をつきながらこちらを見下ろす友人が目を細めて呆れたような、感嘆を篭めたような、なんともいえない表情でふぅ、と吐息を零した。
「があの早乙女学園にまさか合格するなんてねぇ」
「それ、もう何回も聞いたよ」
登校日に発覚して以来、幾度となく交わされた会話にそろそろ辟易して溜息交じりに握っていたペンを転がせば、友人は眉をあげてばしっと机を叩いた。
ふわっと叩いた衝撃で浮いた色紙を手で押さえつつ、胡乱に見やれば彼女はリップを塗ったつやつやの唇を尖らせて、だって、と口を開く。
「あ・の!早乙女学園にまさか受かるなんて思わないじゃない。そもそも受験を聞いたときだって信じられなかったんだし。同じ高校行こうねって言ったのに!」
ひどい!裏切り者!と泣き真似をしながら机に突っ伏す友人に、それも何度聞いたか、と思いつつも眉を下げて困ったようにその少しだけ染められた髪を撫で付けた。
確かに、彼女とは似た進路を取っていたので本来ならば私はこの4月から彼女と同じ高校に通うはずだったのだ。友人同士だから同じ高校を選んだ、というわけではなく、偶々取った進路が同じなだけで、高校の選択も被っただけだ。それでも友人がいるのは心強かったし、同じ高校を受けるとわかったときには互いに頑張ろうと励ましあったのに、蓋をあければこれだ。嘆きたくなる気持ちもわからないでもない。
「今度から誰にノート見せてもらえばいいのよーーー!!」
「おいこら待て」
そこまで惜しまれるのはやっぱり悪い気はしないもので、微笑ましさとくすぐったさにはにかんだ顔も一瞬で真顔に戻る。それが本音か!ちょ、あんた私をなんだと思ってたんだ!
いやわかってたけどね、そんなオチだなんてことはわかってたけども!しかしわかっていても小さなショックを覚えつつ、口元を引くつかせると、友人は突っ伏していた顔をあげて、てへ☆とばかりに舌を出した。・・・言っておくけど、そんなに可愛くないよ、その仕草。
「ひど!結構毒舌!」
「いや、マジでそんな仕草が似合うのよっぽどの美少女かそういうキャラを演じてる人だけだって」
「まぁ反論はしない。さておき、ほんと残念だよ。早乙女学園って全寮制なんでしょ?会える時間だって少なくなるじゃん」
つまらなさそうに言いながら、寄せ書き、と指で示されてあぁ、とようやく続きに手をつける。
まだあと何枚かに書かなくてはいけないし、さっさと書いちゃわないとなぁ。しかしこうも続けて寄せ書きを書くとなると内容が似たり寄ったりになるんだよね・・・。まぁそれもまた寄せ書きの味としておこう。面白いことなどどうせ書けないし。
「でも遊ぶ時間なら今までだってそうなかったと思うけど」
「そうじゃなくって。学校に来れば嫌でも会えてたけどこれからはそうじゃないでしょ。、ケータイすら持ってないし。買わないの?」
「そんな余裕がないってのが実情だねぇ。ただでさえ早乙女学園なんて学費が半端ないってのに・・・」
「あれ、でもそれお父さんのお金でなんとかなるんじゃなかったの?」
「学費と生活費は別だって。余裕なんかないよ」
いや本当、元々うち裕福な方じゃなかったし。漠然と中学卒業したら高校までは出るとして、その後は就職だろうなって考えてたぐらいだし。・・・父の夢を支える為にいるのであって、決して自分が叶えるような夢など持っていなかった。しいていうなら、平穏且つ平凡で平和な人生を送れたらいいというものであって、通常思い描くような「何かになりたい」という夢などは持っていなかった。・・・よくよく考えれば、よくこんな無計画さで早乙女学園なんぞ受かったな。くるりとペンを回して溜息を吐くと、別のところから回ってきた色紙にピンクのカラーペンで寄せ書きをしながら、友人はふぅん、と鼻を鳴らした。何気にピヨちゃんうめぇな。
「私にはよくわかんないけど・・・なんか困ったことがあったら遠慮なく言ってよ?、一人でなんでもやっちゃうけどさ。できることなら協力するから」
「ありがとう」
先ほどまでのからかいとは違い、真摯に告げる友人に目が細くなる。なんだかんだで、いい友人なのだ。いい子、ともいう。微笑ましさすら覚えるのは、私の中身が中身だからだろうか。その友人から回された色紙を受け取りながら、何かあったら連絡するよ、と告げて別の色ペンを筆箱から取り出した。
「学園にいったらさ、写真送ってよ」
「なんの?」
「勿論、未来のアイドル様のよ!」
「許可が貰えたらね」
「えー」
いや、事実アイドルならまだしも、まだなってもいない相手に無断で横流しはできないでしょ。肖像権の侵害ってやつだよ。アイドルの場合そんなこと気にしていられるような立場ではないだろうから不問にするけど。
「将来的にはアイドル目指してるんだし、写真ぐらい平気なんじゃないの?」
「さぁ?それは本人に聞かないと。・・・寄せ書きってこれで全部?」
「あー多分。一通り回されたのは書いたと思うよー」
「そか。じゃぁ帰るかー」
「ウィーッス」
ガタガタ、と椅子を鳴らして、手元の寄せ書きを別の子に渡す。帰るの?と問われたので二人で肯定しながら、「卒業おめでとう」と書かれた黒板の前で記念撮影をしているクラスメイトにも手をふって、教室を出た。
ざわめく教室に、ちらほらと廊下を歩く生徒。見下ろしたグランドでは後輩に見送られる卒業生の姿もあり、時折混ざる父兄の格好が嫌に派手に見えた。まぁ、晴れ舞台だしね。
後輩が大人数いるところはきっと運動部関連だろう。あぁでも、吹奏楽部も人数は多かったな。ずらっと並ぶ様子が圧巻で、ごく普通の文化部に在籍していた身としてはなんだか縁遠い光景だ。ついでに言えば、私は部室にいってすでに後輩からの見送りはすませているので、わざわざ校門で待ち構えられる必要がない。
うん・・・後輩たちの「先輩、ご卒業おめでとうございます!」とともに差し出された寄せ書きと小さな花束と、そしてカメラがなんともいえなかったけど。何故カメラ。どうしてそこでカメラ。フィルムの中には後輩たちが映ってるのかと思ったが、受け取ったそれは一切使われてはいなかった。・・・・撮って来いと。現役アイドルの教師をなのかそれともアイドル候補生のイケメンをなのかはわからないが、つまりこれで撮ってこいと言っているのか君らは。
まぁ、曖昧に笑って誤魔化しておいたけど。皆様欲望に忠実すぎる。というかそんなに早乙女学園は有名なのか。というかアイドルとかそんなに皆好きだったっけ?好きだけど、熱狂するほどじゃぁ・・・ぐらいのテンションだったように思うのだが。友人然り、後輩然り。
・・・あれか、いきなり身近になったような気がするから便乗しとけ!みたいな感じなのだろうか。
「それはそうとさ、は制服選び終えたの?」
「え?」
「カタログ届いたんでしょ?にしても早乙女学園って、専門学校とは思えないぐらいすごいよね。制服の種類が選べて、尚且つ組み合わせ自由とか普通ないよそんな学校。てか普通は制服のカタログなんて送ってこない」
「面倒臭いよね」
「いや、まぁ、うん。気持ちはわかるけど」
極真面目な顔でいうと、なんだか可哀想なものを見る目で見られた。そんな顔しなくても!
だってさ、規定の制服一本でいいと思わないか?何故わざわざセンスを試すような真似をするんだ。選ぶとかマジ面倒くさい。女子として服選びは面倒とかの次元じゃないのかもしれないが、私は制服の利点は自分のセンスに頼らず均一化していることだと思うんだ。私服の学校の面倒くささといったらないよ。毎日毎日コーディネイトに苦心しながら学校に行くとか冗談じゃない。(まぁ私は今まで私服の学校に通ったことはないが)
早乙女学園は、一応制服という形態は取っているが、何故そこでカタログで選ぶという行動を起こさなければならないのかがわからない。
無駄だと思うんだけど・・・これもアイドルになるための一環とかなのかな・・・・作曲家コースを巻き込むなよ。
「そもそもそんなところにお金を使うとか、貧乏人に対して首絞めろって言ってるようなもんだと思う」
「・・・寮の家具とかも、カタログみて自分で好きなもの選べるんだったよね」
「備え付けのものはいくらかあるらしいけど、細かいところは注文できるそうだよ。ふふ。それが全部学費に含まれてるのかと思うと、無駄に金使わせんじゃねぇよって学園長に直談判したくなるなー。しないけども」
「傍から聞いてるとすごい自由で夢があって羨ましい内容のはずなのに、から聞くと世知辛いお財布事情にしか聞こえないよ・・・」
そういって、何故かショボン、とした切ない顔をする友人に、軽くごめん、と謝っておく。夢壊してごめんね?というかその待遇に胸躍らせることが出来なくてごめんね?
いや、でも真面目にそれらをなくすことでどれだけ学費が安くなるのかなって考えると、ほんとやめてくれその無駄なサービス精神、って思うんだよ。備え付けのものだけで十分だろ。あとは各自自腹にすればいいだろ。私、そうなれば今自分の部屋にあるものだけで全部すませられるよ。わざわざ買い揃える必要はないだろうから、それだけで十分節約になるんだよ。浮いたお金が生活費の足しになるんだよ!マジ切実な問題なんだよ!!
専門学校ってやっぱり学費が高いし、元が規模でかいしきっと設備とかもすごい充実してるんだろうし、それらの維持設備、そもそも現役アイドルが教師な時点で奴等の給料どうなってんのって感じだし。なんかもう色々込みでほんと学費問題って切実で!一年制でよかったと思うよ。これで三年制とかだったら私、遺言だとしても確実に受けなかった。身が持ちません、そんな学費支払えません。お金、とても、大事。
「でも、選ぶんでしょ?」
「だって、自分のとこの家具持っていったとしても、そもそも学費に含まれてるなら無意味だし」
カタログから選ばないことでその分の学費がバックしてくるならまだしも、そうじゃないのに自分のところの家具持っていったらただ損してるだけじゃないか。それならどんなに高い学費でも、カタログから選んだ方がマシというものだ。
溜息混じりに言えば、友人はもっと素直に受け入れればいいのに、とぼやいたが、ただの中学生でもあるまいに、今後の生活とか考えるとシビアな見方になっちゃうんだよ。
あそこの特待生枠は熾烈を極めて、さすがに候補から落ちちゃったし、奨学金制度はあるからまぁなんとかなるとしても。まぁでも、父の遺産があるのでなんとか奨学金に頼らずともやっていけそうだが。・・・あの人、このために溜めていたのだろうか。ふと、そう思ったのは目の前で保護者の車に乗って帰っていく生徒を見つけたからだ。
もう私に迎えに来てくれる人も、一緒に祝ってくれる人も、ピアノを奏でてくれる人もいないけれど。いなくなって、しまったけれど。きっと、この卒業証書を見せれば喜んでくれたんだろうな、と思うと少し切なくなった。
「?」
「・・・今日は、スーパーのタイムセールの日なんだよね」
「主婦か」
「褒め言葉ありがとう」
照れくさそうにはにかんでみせれば、褒めてないし!と突っ込まれた。まぁ、突っ込んでもらえるようにボケてみたのだけれど。いやでもまぁ、自分でもめっきりと主婦化したよなぁ、とはしみじみ思っている。
なので別に嫌な顔をするわけではないが、友人はやれやれ、と肩を竦めて、がしっと私の両肩を掴んだ。へ?と目を丸くすれば、はあぁ、深い溜息を吐いて項垂れていた友人がきっと決然とした表情で顔をあげて目元を鋭くさせて私を見る。・・・なんですか?
「いいこと、。私たちは来月から花の女子高生になるんだよ?」
「花の、ねえ・・・」
すでに一回経験済みですが。まぁ、途中で花どころの問題じゃない方面に行ってしまいましたが。なんとも言えない顔で黙り込むと、なにその顔、と訝しげな顔をされてしまった。
それに慌ててなんでもない、と答えつつ、道の真ん中で見合うのも微妙だよな、と思考を飛ばす。
「それをそんな枯れた思考回路でどうすんの。折角の一回こっきりの学生生活をそんな枯れた思考ですごすとか勿体無いよ!」
「あー、うん、そう、だね」
・・・・・・・一回ですんだら、どれだけよかっただろうか。卑屈な考えがふと浮かんだが、それを悟られるわけにもいかない。取り繕うように笑みを顔に張り付かせ、友人のとにかくもっと明るく前向きに女子高生しようよ!という励みなのか発破なのかわからないが、力強い言葉に曖昧に頷いておく。・・・言っておくが、そこまで夢馳せるような劇的な生活にはならないと思うよ。恋に部活に勉強に!みたいな漫画みたいなノリにはならないから。
・・・まぁ、こっちの学校は別の意味で劇的なことになりそうだけどね・・・。主に学園長あたりがなにかしらやりそうで。
「・・・・・・不安だ・・・」
「え?何か言った?」
「いや、なんでも」
どうか、あんまり巻き込まれませんように。
内心のお祈りが届いたかどうかは、来月の入学式以降にかかってくるのである。