舞い散る桜の奥に鼓動を感じた、4月の協奏曲



 クラスについて、各自適当な席についたり、クラスメイトに積極的に声をかけたりなどして早速グループを作り始めている中、私は席について入学式前に案内所で受け取った学園の見取り図を開いた。まず見取り図なんてものが必要になる学校の規模の意味がわからない。
 ・・・というか、地図を受け取るときに案内所のお姉さんが「まぁ、その内意味がなくなるかもしれないけど」とか言っていたのが気になる。それは校舎内を把握するとかではなくて、何か別の要因により現在のこれが役に立たなくなる、と言われたような気がしたからだ。
 ・・・・・・・何が起こるんだ、この学園・・・!今は入学したばかりの胸を期待と夢で震わせる時間のはずなのに、ぞくりとした戦慄を覚えてぐしゃ、と地図を持つ手に力をこめた。しかしすぐに気づいて、手の力を緩めると筆箱から蛍光ペンを取り出して現在地を黄色く塗りつぶす。一応、方向感覚とか空間把握能力にはそれなりに自信はあるけどここまで広いとさすがにちょっと不安だ。初めてのことばかりだし、しばらく地図は手放さない方がいいかもしれない。移動教室とかもあるだろうし・・・。必要最低限、足を向けることがあるだろうルートだけは把握しておこう。さすがに食堂とか寮の道が変わることはないだろうし。
 そう思いながら、カラーペンで食堂と寮の道を塗りつぶしていると、ぎぃ、と教室の前のドアが開く音が聞こえた。ざわついていた教室も、その音に気がついて慌てて着席する音がいくつも聞こえる。地図に落としていた視線を上に向ければ、着古された少し汚れた白衣の裾がふわりと揺れていた。・・・なぜ白衣?疑問に思いつつ更に上に視線をあげれば、無精髭の生えた顔に半眼に落とされた目が視界にはいる。
 常に寄せられた眉間はなんだが不機嫌そうな顔を演出していたが、あれは、多分、ただ眠たいだけだと思う。目の下にあるくっきりと残る隈も、多分彼が寝不足だということを表していて、機敏ともいえない動作で教卓の前に立った彼は、出席簿を無造作に教卓に投げ出すと、がしがしとピンピンとあちこちに跳ねて寝癖そのまま、直してもいないのだろう髪をかき回した。あ、前の方の席の子が嫌そうな顔をしている。ちょっと離れているからわからないが、もしかしてフケとか落ちてるのかもしれない。全体的に、不潔そうだもんな・・・。
 日向先生や月宮先生のような華やかなアイドルアイドルを見ていただけに、目の前の人は中々強烈だ。というか、このアンティークに整った教室に、白衣姿でぼさぼさの髪でメッチャ寝不足の顔して全身からだりぃ、という空気を醸し出している人物は激しくつり合わない。違和感があるな、と思っていると近くの席の子がぼそぼそと「あれが、担任?」と信じたくないことであるかのように顔を顰めて話していた。まぁ、ここに入って教卓の前に立った時点で、言わずもがな、な気はするが。

「・・早乙女学園に入学おめでとう、生徒諸君。ここの倍率は知っての通りだと思いますが、合格したことは褒めて差し上げます。ですが、入っただけで満足するような低俗な人間は不要です。入学するだけでアイドルやら作曲家になれるなら誰も苦労はしないので、血反吐を吐いてでも勉学に励むように」

 あ、声は結構いい感じ。テノールのボイスは少しかすれ気味で色っぽく、けれど教室の後ろの方までよく聞こえるように筋が通って聞き取りやすい。言ってることはなんだかちょっと待ってというような部分がチラホラ入っていたが、まぁ実際それぐらい努力しなければこの競争率の高い学園で生き残るのは難しいだろうし、間違いじゃないよね、と一人納得していた。周りはその言い方と彼の見目に顔を顰めているようだが、戦場やら他にも色々見てきた此方としてはあの程度、可愛いものである。・・・まぁ、彼らの場合月宮林檎や日向龍也といった華やかなアイドルを目にしている分、目の前の男性が目に余るという部分もあるのだろうが。

「・・・さて、では自己紹介が遅れましたが、僕は北原春明と申します。今日からこのBクラスの担任となりますので、よろしくお願いします」

 彼が名乗った瞬間、クラスがどよめいた。各言う私も、その名前にはちょっとばかり聞き覚えがあったので軽く目を見開く。北原春明って・・・・まさか。

「せ、先生!」
「はい」
「もしかして、先生は作曲家の「北原春明」ですか?!」
「他にも同じ名前の作曲家はいるかもしれませんが、答えとしては「yes」です」
「じゃ、じゃぁ月宮林檎や日向龍也に曲を提供したあの!?」
「その二人はAクラスSクラスの担任教師となりますので、次に呼ぶときはきちんと敬称をつけなさい。答えは「yes」です。二人に曲を提供したこともあります」

 しゅばっと真っ直ぐに手をあげて勢いづく生徒に、淡々と答えを返す先生はまるでなんでもないことのように平然としていて、生徒の動揺など全く知りません、とばかり瞬きをしている。なんだかその内寝そうだな、と思いながらも、私は内心でこの学校、どんだけ金を使う気なんだ、と恐れ戦いた。北原春明など、超有名な作曲家ではないか!先ほどの質問に出たアイドル(AとSの担任なのか・・)に限らず、他の有名アーティストや、はたまた映画やドラマの楽曲さえも提供しているという割となんでもありな作曲家だ。
 ・・・幾度あの人のせいで父の仕事が取られたことか。いや、逆恨みをするつもりはない。父には彼を越えるだけの技量がなかったのだろうし、ネームバリューだって仕事を得るのに不可欠な要素だ。それに父自身も悔しそうではあったが、彼のことは純粋に素晴らしいと褒めていたし、憧れていた節もあった。ただ、なんていうか、そういう日常とかでちょくちょく出ていた名前がいきなり肉体を伴って目の前に現れると、興奮とか感動とかよりも困惑が強く出て眉を潜めた。・・・もしかして、彼が寝不足なのは徹夜で作曲とかしていたのだろうか?
 ともかくも、有名な作曲家だと判明した途端、彼の見目のみすぼらしさに不満を漏らしていた周囲も、掌返したようにざわつく辺り、名前の力ってすごいなぁ、と思わずにはいられない。
 でもまぁ、作曲家コースとしては、担任が作曲家というのは結構有利かもしれない。少なくとも専門職なのだから、アイドルの担任よりもそちら方面では頼りになるといってもいいだろう。
 そう考えていれば、北原先生は生徒の興奮も素知らぬ様子で、オリエンテーリング始めますよ、と淡々と口を開いた。・・・あれだな。専門職すぎて他のことに興味がなさそうなタイプだとみた。少なくとも、あんまりコミュニケーション能力はなさそうな気がする。言動から判断してだから、もうちょっと時間が経てば違うかもしれないが・・・。てかコミュニケーションの取れない人物を教師にしていいのだろうか。あの人にしてみたら子供相手にするよりも引きこもって作曲とかしたいんじゃないだろうか。・・早乙女学園長に逆らえなかったのか、それとも彼自身が教師業に興味をもったのか。前者っぽい気がするけどどうだろう、と思いつつ、生徒の反応など気にもかけないで話し出した先生に軽く溜息をついた。
 まぁでも、学校のルールとか授業の進め方とか色々とあるし、ここはちゃんと聞いておこう。
 そう思って、重要なことはメモにとれるようにと、メモ帳とシャーペンを取り出して、澱みなく話し出した教師の声に、そっと耳を傾けた。





 クラス内での自己紹介という地獄も終わり(引きこもりに大勢の前での自己紹介はただの苦行でしかない)、それぞれ個性のある紹介を聞き終わった後、今日はもう授業はないとのことなので先生は急ぎ足で教師を後にしてしまった。
 彼に色々聞きたいことでもあったのか、何人かの生徒はあー、と残念そうな声を出していたが、すぐに近くの席の子や、事前に知り合っていたのか仲のよさそうな子とめいめいばらけて集団を作り始める。

「この学園ホント半端ない!全クラスの担任が現役アイドルや有名作曲家なんて夢みたいだよぉっ」
「すげぇよなぁ。こんなとこで勉強できるなんて、マジ俺今なら死んでもいいぜ!」

 いや、死んだら入学した意味ないよ。興奮そのままに聞こえてくる会話にさらりとツッコミをいれつつ、睨めっこしていた地図から顔をあげてよし、と頷いた。・・・とりあえず、もう昼時だし、このやたら広そうな食堂に向かってみよう。どういうところなのか一度見てみたいし・・・利用することは少なそうだが。どうやらこの学園、購買部もちゃんと完備されているようなので、その内こっちにも行ってみよう、と思いながら財布を確認して、地図を折りたたみ席を立った。

さんどこいくのー?」
「食堂。もうお昼だし、ちょっとどんなところなのか見てこようと思って」
「あ、なら私も行く行く!」

 席を立つと、丁度隣の席だったクラスメイトから声をかけられ、立ち止まったままその行動を眺める。更に彼女は自分の前の席で話していた友人にも誘いをかけていて、3人で食堂にいくことになった。席が隣ということで話しかけてきてくれた彼女は、割と人懐っこく最近のアイドルの流行なのか、つやつやとしたストレートの黒髪で、ちょっと童顔気味な可愛い系の女の子だ。ちなみに可愛いのレベルは上位だと行っておこう。そしてアイドルコースである。ぽいよねー。
 そして更に彼女に誘いかけられた子もアイドル志望で、こっちは明るめに髪を染めて高くポニーテールをした上に大きめのリボンをつけた美人系である。
 作曲私だけかよ!と思いつつ、すらりと背の高い二人に挟まれると自分の背の低さがより強調されそうでなんともいえなかった。二人とも、160ぐらいは背がありそうなんですけど・・・。童顔系のくせに背が高いとか!スタイルいいとか!同じ童顔タイプとして羨ましい限りでございます!
 短く切られたスカートから伸びる足もうっかり見惚れるぐらい細くて白いし・・・美人さん大層美味しいですじゅるり、の心境でガン見しそうになる視線を無理矢理上に固定させた。変態じゃないよ。男率が高かったから女の子に飢えていただけだよ。美女と美少女超美味しいよね!美形男子はもう飽きた!今は美女と美少女の時代なのよ!
 そんな脳内お花畑の状態で、彼女らに挟まれつつ両手に花!と内心のテンションをあげながら地図を開いて食堂への道を確認する。

「ちゃんと印つけてんだー。さんってマッジメー」
「いや、広すぎてこれないと迷いそうで・・」
「あぁ、わかる。ちょっと知らないところに出たらもう道わからなくなりそうだよね」

 神妙に頷く美女に全くだよね、と同意しながら道を確認して地図を畳む。この角曲がって階段下りて渡り廊下に出て右に曲がって真っ直ぐいったら食堂らしい。近くに行けばこの時間帯だし、人も多そうだからわかるだろうと思いつつも、距離が半端ないよなぁ、と溜息を吐いた。
 ・・・この学校に某先輩方がいたら、きっと某先輩は泣きながら残り二人を探す羽目になるんだろうな・・。学校の敷地内にいるはずなのに、大冒険をする羽目になりそうな先輩たちを思い出してほろりと涙した。実際にはいないのだから、なんの心配もする必要はないはずなのだが。そんなことを考えつつ、学生で溢れかえる廊下を突き進み、ようやく辿り着いた食堂は・・・食堂、なのか・・・?

「・・・豪華、ね」
「学生の食堂の規模じゃないわよ、これ」

 唖然とする二人はとりあえず一般庶民、同じ感覚だと知って安心した。だよね、だよね!これ学生食堂じゃなくてなんか、別物だよね!天井馬鹿高いし!シャンデリアあるし!!テーブルとか椅子とかなんかお洒落だし!なんかもう次元が違うよねっ。
 私の知ってる学校の食堂は、少なくとも大学でない限りこんなオシャレな様相ではなかった。もっとこう、コンクリとリノリウムで覆われていて、壁とか薄汚れてそれなりに年季の入った、しかもそんな広い場所ではなかったはずなのに!なんだここは。なんの店だ。早乙女学園怖い!

「ちょ、メニューも半端ないわよ!?ファーストフードから本格フレンチまで揃ってるじゃない!」
「さすがシャイニング早乙女・・・CD2000万枚の売り上げは伊達じゃないわ・・・」
「それでカード払いなんだよね・・・。もう怖いよ、この学園」

 何もかも自分の価値観とズレ捲くってて怖すぎる。私、学生食堂はやっぱりあんまり利用しないようにしよう。外食は家計の敵だ!いや、一応学生対象とあってリーズナブルではあるようだが、塵も積ればなんとやら。カードはチャージ制みたいだし、あまり使いたいものではない。明日からはお弁当持参で行こう。ここはよっぽどがなければ利用すまい。
 そう腹のうちで決めて、二人がきゃいきゃいと頭上でどれを食べるか話しているのを聞きながら、私もうろ・・と視線をさ迷わせて、不意にざわめきが小さくなった気がして頭上にあるメニューの看板から視線を外した。

さん、何にするか決め・・・どうしたの?」
「いや、なんか、向こうの方が妙に静かな気がして」
「え?騒がしいじゃなくて?」

 いや、静かなのだ。疑問符を浮かべて小首を傾げる姿グッジョブ!と思いつつ、首を横にふって視線を何かひそひそと声を潜め始めた方向に向ける。
 二人もそれにつられたように目を向けて、訝しそうに眉根を寄せた。

「ほんとだ。なんか静かね」
「ちょっと行ってみようよ」
「え?あ、ちょっと」

 好奇心が擽られたのか、きらきらと瞳を輝かせた彼女らは静かになった方に向かって歩き出してしまった。騒がしいならともかく、静かな方に向かうのは中々勇気がいるように思うのだが・・・個人的にはそんなことより今のうちに食事を買ってしまいたかったんだけど、と思いつつ一人そんな行動取るわけにも行かず、溜息を吐いてその後ろについていった。
 ひそひそと声を潜める人垣を問答無用で掻き分ける彼女たち。その背中を見つつ、するすると隙間をぬって追いかけながら、ようやく立ち止まった二人にほっとしてその背後についた。

「・・・喧嘩?」
「うーん・・・というか、なんか対立モード?みたいな?」
「てかあれ、神宮寺財閥の神宮寺レン様と聖川財閥の聖川真斗様だよ!」

 ふぅん?あまり興味はそそられなかったが、その辺りの情報に詳しいのか、いささか紅潮した頬で、二人ともカッコイイ!と小さく悲鳴をあげている彼女から視線を外し(結構ミーハー?)背の高い二人の隙間から顔を覗かせるようにして、前の様子を窺う。でないと見えないので。緊迫した、というよりも険悪そうな雰囲気に近寄りがたいものを感じるのか、ちょっと人波が遠ざかってできた空間に、4人の人物が対立している。・・こんな大勢が集まる公共の場で喧嘩とかやめて欲しいよね、と思いつつも主に険悪な空気を出して睨みあっている二人に、あん?と眉をあげた。

「・・・・ハーレムとさらツヤ」
「は?」
「あ、ううん。・・・それより、あそこにいる二人なんだろうね?」

 一方はクラス発表時に女生徒を引き連れてハーレムを形成していた男で、もう一方は受験時に前の席に座っていた男ではなかろうか?青髪ありえねぇ!と衝撃を感じたことは覚えている。え、なんだこの目撃率。ぼそっと呟くと、聞きとがめたのか聞き返されたが、私は首を横に振って誤魔化すと睨み合う両者をおろおろと見比べている少女と帽子を被った少年に首を傾げた。知り合い?それとも偶々巻き込まれただけ?どちらにしろ、可哀想に。
 他人の険悪な場面に立ちあうなど、ほんと居た堪れないよね。思わず過去に思いを馳せながら推測してみるが、答えなど見つかるはずもない。というか、あそこで戸惑っている少女は受験時に遅れてきた子じゃないだろうか。本人に目立つつもりはなくとも、あの状況で遅刻してきた子など印象に残りやすいといったらない。うろ覚えの部分はあるものの、あのサーモンピンクみたいな髪の色と特徴的な金色の瞳は見覚えがある。
 生憎と帽子の子はサッパリ知らないが、なんだろうな・・この状況って。

「イベント真っ最中?」
「イベント?」
「え?何かあるの?」
「いやいや、なんでも。あ、なんか終わりそうだよ!」

 こう、女の子を中心に美形(しかもカラフル)がいると、今までが今までだっただけになにかしらのイベント発生中なんじゃないかと思ってしまうのは、悪い癖なのだろう。
 だがしかしそれっぽい。しかも片方がマジお前キャラすぎるんだよ、みたいなハーレムたらし系男なのだから、そう思ってしまうのも仕方ない。なんだろう、あの子巡ってライバルしてんのかな。いやでも入学初っ端で?そういうのってもうちょっと後じゃない?
 ぐるぐると考えつつも、ハーレム男(彼女曰く神宮寺財閥のご子息)が、さらツヤ(ということはこっちは聖川財閥のご子息か)が、何かをいって聖川さんの横を擦れ違っていく。
 二人が動いたことでようやく険悪そうな空気も緩和されたが、これはまぁなんというか・・・噂になりそうな出来事だな。

「二つの財閥がライバル同士ってのは知ってたけど、息子同士も仲悪いのね・・・」
「家柄って怖いわね。ま、なんか終わったっぽいし、そろそろご飯食べちゃう?」

 均衡が崩れたことでざわめきを取り戻しつつある食堂内で、暢気に話し始める彼女等をみながら、私は目を細めてばらばらに去っていく彼らの姿を視界に納める。・・・ふむ。

「・・面倒そう」

 なんか、関わるべきでない人間をまたしても見つけた気がする。あそこの面子、なんかキラキラしてたし。食堂の受付カウンターに向かう二人が、「もうホントこの学園レベル高いよね!」「御曹司二人とも超美形だった!」と騒ぐ様子を見ながら、軽く溜息を吐く。
 それだけ素直に美形に喜べたらいいんだけどなぁ、と若干の羨望を覚えながらも、口に出すことはなく再度カウンターに並びなおす。まぁ、関わる関わらないの前に、関わりようがない気もするので、どうにかなるだろ。そう思いながら、メニューを決めて、カードを懐から出した。
 ・・・・とりあえず、食事は安そうなうどんで行こう。ざわめきの戻った賑やかな食堂で、ずるずると麺をすすりつつ、ほう、と吐息をついた。・・・味のレベルが高いことだけは、とても喜ばしいと思います。