舞い散る桜の奥に鼓動を感じた、4月の協奏曲
この学校、鬼だ。
昨夜、お風呂に入っている間にどこかに出かけたらしい黒猫を放置して寝ていたら、何故か朝には戻ってきて枕元で寝ていた(だからどうやって窓を・・)というちょっとしたドッキリと癒しを体験した爽やかな朝から一転、相変わらず淡々と抑揚すら乏しい物言いで担任が落とした爆弾に項垂れたのは私だけじゃないって信じてる。
基礎授業も何もなく、いきなり実践形式で曲を作れ、だと・・・・?!無茶ぶりにもほどがあるぜ早乙女学園!どうやら普通の学校でいう実力テストに相当する課題が「レコーディング実習」に当たるらしいが、それにしたって無茶だろおい。
不満というよりもいきなり落とされた爆弾にざわめく教室も、目の前の担任には関係ないのか、パートナーですが、と魅惑のテノールを響かせた。
「いきなりまだ何も知りようがない相手と組めというのはさすがに無理がありますので、今回だけは籤で決めさせて頂きます。アイドルコースはこちらの箱を。作曲コースはこちらの箱を。はい、端から回していってください」
そういって、まだ動揺している生徒に箱を渡す担任はすでに興味を失ったかのように椅子に座って本を開いている。というか、教卓に置いてあった箱、くじ引きの箱だったんだね・・・。
謎が一つ解消されたが、問答無用すぎる。もっとこう、前置きというか会話というかをしてくれないだろうか・・。内心の不満、いや真っ当な要求といってもいいような気はするが結局口になど出さないのだから相手に伝わるはずもない。
いきなり籤の箱を渡された生徒は戸惑いながらも穴の中に手を突っ込み、一枚の紙を取って後ろに回していく。・・・そういえば、どういう籤なんだろうか。
「せんせー。これ番号書いてますけど、どうしたらいいんですか?」
「同じ番号の人を探してください」
「余りとかあるんですか?」
「その場合は他のクラスと組むだけなので問題ありません」
いやあるだろ。クラス内ですらまだ知り合い未満の状態で他クラスとかすでに知り合いですらないよ!いやでも仕事なら知らないからと言って断るわけにもいかないのだから、こういうどんな相手にでも対応できるスキルを磨くという点では有りなのか・・・。
一種のコミュニケーション授業だな、とクラスメイトからの質問で疑問は軽く解消されたが、結局この無茶振りな!という課題は決行されるわけで・・・本当、できる気がしないんですけど。
内心でばくばくと心臓を動かしながら、回ってきた籤に眉を寄せて腕を突っ込む。せめていくらか会話したことのある人がいい・・・!もっというなら女子を!女子を求む!!
念を篭めつつ、紙切れを掴んで後ろに回す。この薄っぺらい、ともすればゴミにも見えそうなこれが今回の課題の命運を分けるのだと思えば、なんて小憎たらしい紙切れだろう。
しかしゴミ箱に捨てるわけにもいかず、眉間に皺を寄せながら半分に折られた紙を広げれば中に書かれていた数字は8だった。・・・8番の人がパートナーか。
女子だといいなぁ、と淡い願望を交えつつ、クラス中が自身の番号を連呼するようになる中、8番誰ー?と聞こえた声に、はい、と手を伸ばした。
※
ぽーん、と教室のピアノの鍵盤を人差し指で押さえながら、いくらか埋められた五線譜上の音符を見てうーん、と首を捻る。・・・どうしたものかなぁ。
籤の結果でいえば、希望とは程遠い結果だった。仲の良くなったクラスメイトでもなければ、女子でもない。会話など一言もかわしたことのない男子生徒で、アイドルコースなだけあって顔はまぁいい方だった。しかし無駄に美形に慣れている分、特別騒ぎ立てるほどのものでもないとは思ったが。いやでも多分普通に美形がいても私騒がないと思うけど。
さておき、そんなまじで見知らぬ相手と組むようになってしまって、人見知りの気を出しつつもコミュニケーションを図り、これから二人三脚で曲を!(マジで作曲なんて手伝い程度しかしたことないんだって私!)と思ったところで、突き放すように「実力もみたいし、とりあえず何か曲を作ってきてよ」と言われてしまったからには作るしかないだろう。
ここは二人で相談とかしたり、相手の性格とかイメージとか掴む努力をするところじゃないのか、と思ったが、やり方は人それぞれだし・・・・まぁそれに、あるいは骨組みだけ作ってそこから、という方法も手っ取り早いのかもしれない。
とりあえずおおまかに作って、そこから彼と煮詰めればいいのかなぁ、とぼんやりと計画を練ってみる。パートナーに合う曲をとかいってもさっぱりわからんしな。
一応歌を聴いて見て、出しやすそうな音域とかは確認したけど・・・そんなにたっぷりと時間を与えられているわけではないので(課題だしね)、急いで骨組みを作らなければならないのがネックだよねぇ。
なにせ曲を作ってそこに歌詞をつけて歌歌って、と、大忙しだし。骨組みだけにあまり長い時間は割けない。練習時間も考えれば、やはり急ピッチで元を作らなければならないだろう。なるほど、歌作りとはかくもこんなに大変なものなのですね。勉強になります。
・・・しかしやっぱ無茶ぶ、・・・・もうこれ何回目だろうか。再び零れそうになった愚痴を飲み込んで、代わりに溜息を吐き出してから誰もいなくなった教室のピアノの前で五線譜を睨みつける。
レコーディングルームや練習室といったものはさすがに芸能学校と言われるだけあってたくさんあるわけだが、それでもやはり生徒数に比べて少ないのは当然のことであって。
つまり、予約を取るのも一苦労なのだ。しかも基本AクラスとかSクラスが独占状態だし。エリートクラスめ。ちっと舌打ちを打ちながら、結局皆自室とか楽器の貸し出しもしているのでそれを携えてとか、そんな感じで各々行動を始めている。
まぁ私も基本部屋とかでキーボード鳴らしたりとかしてるわけだが(寮は防音だし、一人離れ小島状態なので結構遠慮なく音が出せる)今日は偶々教室のピアノが空いていたので使わせてもらっているのだ。キーボードとピアノはまた違うからねぇ。
しかし作曲、か・・・。横から見てるだけだったそれを自分が真剣にやる羽目になろうとは・・・多分父親しか想定していなかっただろう。とりあえず、まずは歌のイメージ。テーマともいうそれを決めて、どんな感じにするかを固める。バラード系なのかとかロック系なのかとか、まぁ色々だ。そこから踏まえて、この時期で一番連想しやすいといえばやはり「入学式」「桜」「春」「出会い」「希望」といったプラスイメージだろう。明るい感じの曲がやはりいいかな、と思いながらも、正直この入学にプラスイメージなどあまりない私としてはその上に「不安」とか「戸惑い」とかそういったものが重なってくる。やっていけるのかな、私にできるのかな、パートナーに迷惑かけないかな、どうして入学しちゃったのかな、とか・・・本当ネガティブだな私。
けれどまぁ、自分が感じたものが一番作りやすいのだし、のっけからしっとり系で申し訳ないが、路線はそれの方向でいくことに決めた。基本私ネガティブなんで。
しかし暗すぎても問題だ。ならば最終的には「やるしかない」という頑張る気持ちもいれて盛り上げる部分もいれようか。てか本当、入っちゃったからにはやるしかないしな。
うんうん。前向きな気持ちも忘れちゃいけないよね。
そんなことを考えながら、鉛筆の先に尖らせた唇を押し付けつつ、譜面を見つめて声とピアノを鳴らして音階やらリズムを取りながら楽譜に起こしていく。
一つ一つ、確実に。ちょっと流れが悪いと思ったら一行どころか二行三行どころか全部消すこともままあるが、今のところはどれも割りと気に入っている。
よし、とりあえずここまでで通してみよう。埋まった楽譜に満足の笑みを浮かべながら、ぽーん、とピアノの鍵盤を指先で軽く押す。・・・・・良いことなのかもしれないが、私、特技が微妙に増えていくな・・・。個人的に素直に喜ぶのもなんだか違う、と思いながらも(しかも特技の大部分が特殊な傾向にあるし)十本の指を滑らせた。
入学して不安だ。ここでやっていけるのか不安だ。学園長も学園もなんか次元が違うし。作曲なんて私にちゃんとできるのかな。パートナーの夢を叶えてあげられるのかな。自分の夢さえ曖昧なままなのに、他人のためにどこまできるのかな。思う浮かぶのはそんなことばかり。自分には絶対向いてないだろう分野に挑戦しているのだ。特別なりたいという強い思いがあったわけでもない。ただ成り行きに任せに、そう、他人任せにしていた節もあって。そんな自分が、ここでどこまできるというのだろうか。どこまで、やっていけるのだろうか。いつだって受動的だった。能動的になるわけでもなくて、いつだって、迷って、立ち止まって、眺めて、ばかり。胸を覆いつくす不安や脅えはなくならない。逃げてしまいたいという弱い心はなくならない。抱えて、抱きしめて、覆って、隠して、誤魔化して。
あぁでも、それでも。
「もう少しだけ」
もう少しだけ、前を向いて、細い道の一本ぐらい、見つけられないかな。
願いを乗せて、指を止めた。余韻の残るピアノの音が教室に溶け込んでいく。静かに、静かに。そっと、小さくなっていく音に耳を傾けて、それが消えてなくなる頃に、ふぅ、と肩から力を抜いた。乗せていた鍵盤から指を離し膝の上においてピアノと楽譜を見比べてよし、と頷く。
「これでいこう・・かな」
多少明るさには欠けるが、悪くもない、はず。うん。個人的にはいい出来だと思う。多分。・・・自分に絶対的に自信がないなぁ、と苦笑を浮かべ、弾きながらちょっと直した方がいいかも、と思ったところにチェックをいれて教室の壁掛け時計を見上げる。
そしてうわ、と声を出すと慌てて楽譜に手を伸ばした。バイトの時間が近いじゃないか!急がないと遅れる!!慌てて引っつかんだ楽譜をクリアファイルの中に突っ込み、ピアノの蓋を閉じて机の上に置いてある鞄の中の教科書と教科書の間にファイルを押し込んだ。
かちゃかちゃと鞄のベルトをしめて、持ち手を掴むとばたばたと慌しい足音をたてて教室の出入り口に向かう。ここからバイト先までの時間を計算して、えーとこのまま直で向かうから大丈夫!なんとかなる!己に言い聞かせつつバン、といささか勢いもよく扉を開ける。ごめん学校の教室なのに扱い乱暴で!しかしこちらも生活がかかっているのだ!
内心で謝りつつちょっと勢いがよすぎたのか幾度かの足踏みをしてからぐるり、と体を半回転させ、
「うお!?」
と、奇声をあげてびた!と立ち止まった。・・・・な、なんだ?これ。目を瞬かせながら、ぶらりと反動で揺れた鞄が足にぶつかる衝撃にちょっと痛い、と思いつつ視線を入り口の横に落す。
・・・・なんで、こんなところで人が蹲ってるんだろう・・・?見知らぬ女生徒が、教室の入り口の横で膝を抱えて蹲っている、というちょっと奇妙な光景に首を傾げ、立ち止まったまま困惑に眉を潜める。
膝に顔を埋め、尚且つ両腕で膝を抱えるように持ち、背中を丸めて小さくなっている女生徒は顔をあげない。ただ表情さえも悟らせないかのように、垂れたサーモンピンクのさらさらとした髪が顔の横を覆い隠していて、本当に顔も表情も何もわからない状態だ。
唯一、学園のチェック地のスカートだけが生徒が女の子であると教えていて、そのスカートも決して綺麗とは言いがたい廊下の上に無造作に広がっているものだから、汚れたりしないかしら、なんていらぬ心配をしてしまう。・・・埃とかつきそうなんだけど、いいんだろうか。いや、問題はそこじゃないか。少し、いや、大分?異様な雰囲気を醸し出す女生徒に私はおろおろと視線を泳がせ、誰か通りかからないかと探してみるが、廊下はもう放課後も大分過ぎているせいか誰も通りかかる気配もない。校内にはいるだろうに、何故こんな時に限って誰も通らないんだ!私これからバイトなんだって!死活問題なんだって!遅刻とかホント勘弁して欲しいんだって!内心でそうは思いつつも、目の前に蹲っている少女を見過ごすことも、できるはずもなくて。何もなかったことにして通り過ぎるのは、さすがに良心が咎める。というかそこまで酷い人間のつもりはなく、しかしどう扱っていいかも迷うのは仕方がないことだ。困ったように俯く女生徒の旋毛を見下ろし、視線をうろり、と泳がせてから小さく聞こえない程度に呼吸をしてから、そっと近づいた。
「・・・どうしたの?」
そろそろと小さく問いかければ、ぴくりと肩が跳ねる。反応はあるな、と思いながら正面にしゃがみこみ、膝に埋まってちっとも見えない顔にもう一度声をかけた。
「どこか痛いの?」
ありきたりだが、こんな切り口しか見つけられない。多分違うとは思うけど(痛みを堪えているような雰囲気ではないし)、しかし無難だと思う問いかけを口に乗せれば、彼女は肩を震わせ、ふるふると首を横に振った。
「ち、ちが、ちがうんです・・っ」
あ、可愛い声。蹲って篭った声で、震え混じりに小さな返答が返される。その声がちょっと可愛いなぁ、と思って、ん?と首を傾げれば、少女はゆっくりと俯けていた顔をあげ・・・・て、え?
「どこも、いたくなんか、なくて・・・っ。ごめん、なさ・・っ」
肩をひくつかせ、しゃっくりも交えながら、少女は金色の双眸からぽろぽろとまろい頬に透明な雫を伝わらせた顔をあげた。伏し目がちの瞼を縁取る睫毛は長く、そこも濡れたように重みを増して影を作り、目元なんか痛々しいぐらい赤くなっている。痛ましい、といっそ同情さえ覚えてしまいそうなほど可憐で哀れで儚いその姿。その色づいた頬を絶えず落ちていく涙にぎょっと目を見開いて、言葉をなくして黙り込む。な、何故泣いてるんだ・・・!?え?なにがあったんマジで。
いきなり見せられた泣き顔に動揺していれば、女生徒はぽろぽろと泣いたままきゅっと眉を寄せてきつく目を閉じて、もう一度小さくごめんなさい、と呟いた。
「謝る必要はないけど・・・えっと、何か、あった、の?」
「・・・・・・」
何か辛いことでもあったのだろうか。入学初っ端で何があったのか・・・こんな号泣するようなこと起こるのか?定かではないながらも、見知らぬ他人が深く突っ込んでもいいものか、とそんな気持ちも言葉に交えつつ、遠慮がちにおずおずと問いかければ女の子はまたしてもぶわぁ!と涙を溢れさせた。えええええええ。
「え、あの、ご、ごめ・・・!」
泣かせた!?私今泣かせたの!?え、ごめん聞かれたくなかった?益々泣く女の子におろおろとしながらごめんね、と謝りつつそのさらさらとした髪に手を伸ばして撫で付ければ、彼女はぶんぶんと首を横に振って、俯いた顔で「がくふが、」とどこかたどたどしい言葉遣いで話し始めた。
「ん?」
「楽譜が、読めないんです・・・」
「・・うん」
「わ、わたし、作曲家コースなのにっ、楽譜が、読め、なくて・・・っ」
「うん」
「そんなのじゃ、作曲なんて、できない、のに、作曲家になんて、なれるわけ、ないのに・・・!」
「うん」
「パートナーにも、めいわく、かけてて・・・っ。こんなのじゃ、彼をアイドルにしてあげることも、でき、なくて・・」
えーと、それはまた、珍しいケースで。いきなりそんなこと言われても、と思いつつ問いかけたの自分でもあるので、大人しく耳を傾けて相槌を打つ。・・・てか、楽譜読めないのに入学とかできるんだ・・・。というか読めないのによく入学しようと思ったな。そんなこともちら、と考えたが、思えば受験では筆記はなくていきなり面接、そして即興のピアノ演奏だった。楽譜も何もなかったのだから、耳コピとかあるいは自分の作った曲とかでもいいので楽譜の有無は関係ないのかもしれない。いやでも、読めるのは最低限だと思っていたが・・・。
まぁ、読めなくても入学できるんだな、ぐらいでいいか。もしかしたらあの学園長が関わってるのかもしれないし。そんなことを思考の隅っこで考えながら、彼女の言葉に意識を集中させた。
「クラスでも、やめればいいのにとか、言われて、どうしたらいいか、どうすればいいのか、もう、わから、なくて」
「うん」
「そう、したら」
「うん」
「ピアノが、聞こえてきたんです」
「うん?」
徐々に嗚咽も収まってきたのか、まだ涙はほろほろと落ちるものの、勢いは衰えたそれで、顔を僅かに持ち上げた彼女はきゅっと拳を握り締めた。私は不穏、とはまた違うが引っかかるワードに相槌の語尾を僅かにあげると、おや?とばかりに首を傾げた。
「ピアノの、音が聞こえて」
「・・・ピアノ」
「そうしたら、何故か、涙が止まらなくなって・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・そう、なんだ」
あれ。このタイミングのピアノって、私じゃね?うん?他に誰か弾いてた?あれでも近くで弾いてる子いなかったよね?いたらいいけど、いなかったら確実に私だよね?てかこの教室の前にいる時点で確定じゃね?・・・・・・・・泣かせた原因、もしかして私なのか・・・?!あっれー!?無関係だと思ってた!
「な、なんか、ごめんね?私の、せい、かな・・・?」
「ち、違います!そうじゃなくて、そういう意味じゃなくて・・・っ。すごく、すてきな、曲だったから」
「へ?」
「私、不安だったんです。このままここでやっていけるのか、こんなことで、作曲家になれるのかって、学校、続けてもいいのかなって。不安で、怖くて・・・そうしたら、あの曲が聞こえてきて」
まるで、今の自分が、そのまま曲になったみたいで。そう、小さく呟いて、彼女は、小さく、それは小さく、微笑んだ。
「なんだか、不安を、肯定してもらえたような気が、したんです。当たり前のことなんだって、言ってもらえたような気がして・・そうしたら、なんだか気が抜けちゃって。涙が、止まらなくなったんです」
「・・・・そっか」
うん。・・・思わぬところで思わぬ解釈が。いや確かに入学の不安を表したものではあるが、こうもピンポイントで伝わるとは何事だ。というかちゃんと意味伝わるんだね。この子の感受性半端ない。私は感心を覚えながら、はにかむように微笑む少女の愛らしさに美少女!と内心で拳を握った。彼女と自分のテンションが違うというなかれ。美少女はいつだって愛でられる対象なのだ。そう思いながら、彼女の目線に合わせて、ぽつり、と口を開いた。
「あの曲は」
「・・?」
「不安で、怖くて、立ち止まってる様子を、出してみたけど」
「・・・」
「でも、最後には、少しだけ顔をあげて、細い道の一本でも見つけられるような、ちょっとした勇気も、少し篭めてみたもので」
「・・・勇気、」
「すごく明るくて、きらきら輝いているような立派な道じゃなくてもいいと思うんですよ」
むしろそんな道は私にはちょっと無理っていうか、もっとこう、平坦な道でいいっていうか・・・。さすがに獣道とまではいかないけど、そこまで立派じゃなくてもいい。ちょっと歩けるような、歩いていけるような、道さえあればいいわけで。語れば、大人しく耳を傾けてくれる女の子は、どこか神妙な顔をしていて、そこまで真面目に聞かれると面映い、と思いつつ、少しだけ視線を逸らした。ちょっと恥ずかしい。
「そういう、細い道でも、道であることには違いが無くて、そこにちょっとだけ足を向けられれば、まぁ、それだけでも十分進んだことにはなるわけで」
微々たる一歩でも、それは一歩でしかないのだから。大きな一歩も、小さな一歩も、同じ一歩ではあるんだから。進み方に差はありそうだけど。でも、進んでる分立ち止まるよりもそれはすごいことだと思うし。後退しなければ、結局は進むしかないんだし。回り道もたくさんあるだろうし、まぁ、なんだ。つまりは。
「今楽譜が読めなくても、明日には、ちょっとぐらい読めてるかもしれないし」
「・・・」
「ちょっとが重なれば、最終的にはできるようになるんだし」
だから、その。うん。
「努力したって、どうにもならないことはあるよ?それは確かにあるんだよ。例えばアイドルになることだって、作曲家になることだって。努力したって、結局は駄目なこともあると思う。それは、ある意味仕方ないことだと思う。なったって売れるかわからないしね?でも、努力しなくちゃ、実るものも実らないわけだし。でも・・・」
そこで言葉を切ると、でも?と彼女が小首を傾げた。さらさら。サーモンピンクが綺麗だ。
「でも、楽譜が読めるようになりたいっていうのは、努力すればなんとかなる問題だと思う。学べばいいよ。ここは学校だもの。知らないことを学ぶための場所だもの。引け目を感じるなら、知らなくちゃ。大丈夫、その努力は、絶対に実る努力だから」
確信を持っていえる。楽譜ぐらい、すぐに読めるようになるに決まってる。いやすぐじゃないかもだけど、でも読めないわけが無い。小学生の授業でだって普通に音楽の授業で楽譜とかみながらリコーダー吹いたりするんだし。できないわけがない。
微笑み、頭を撫でれば、彼女は目を丸くして、ぷっくりとした唇を戦慄かせた。
「実る、努力」
「うん。だからちょっと立ち上がって、歩いてみようか。図書館とかに向かってね」
少し軽さも篭めてそう言い放ち、鞄の中を探る。えーと・・あぁ、あった。ごそごそと探ってから、小さい小袋を取り出して、更にその中から目的のものを取り出す。
「これあげる」
「え?」
「甘いものはねー。気持ちを上げてくれるからいいんだよ」
一つ手にとり、前に突き出せばきょとんとした顔が向けられる。色々化学的にも脳には糖分がいいとかあるんだろうけど、単純にちょっと甘いものとか食べると落ち着くよねっていう話で。とりあえず、しきりに瞬きをする彼女の膝の上に乗っている片手を取って、無理矢理飴玉を乗せてから立ち上がった。飴玉はここ最近常備してるんです。いや、喉大事かなって思って。あとバイトのときの腹ごなしとか色々。・・・っふ。のんびり悩み相談などしていたが、ぶっちゃけ私それどころじゃなかったんだよね!
「じゃあ、頑張ってね。ばいばい」
「あ、あの、待ってくださ・・・!」
すまん。待っている暇は正直、本気でないんだ。呼び止められる声に多少後ろ髪引かれつつも、腕時計を確認すればすでに走ったところで間に合うかどうかの瀬戸際だった。というか、延々と走っていられる体力もないのだから、ぶっちゃけ遅刻確定コース?みたいな?
ふふ・・・・どちくしょーーーー!!!泣く泣く、廊下を疾走しながら(教師に見つかれば説教確実だ)、急いで校舎の外に出る。ああああああ予定外!予定外だよちくしょう!!
悪いことじゃないし、これで彼女の気持ちが軽くなるならそりゃよかったなぁってもんだけど、でもやっぱり個人的な事情で言わせてもらえればせめてバイトのない日では駄目だったのか!無茶なこといってますよねわかってる!
「間に合え・・・!」
てか鞄すごい邪魔!!片手を塞ぐ荷物の重みに舌打ちを打ちながら、最終下校時刻の音楽が鳴る中を、全力疾走で駆け抜けていった。(これ学園長の歌か?もしかして)