気紛れな夜と朝の温もりに孕んだ、5月の狂想曲



 ごめんなさい、と言われた。少し明るい茶色の虹彩を、傷ついたガラス玉のように濁らせて、下がった眉の下で長い睫毛が伏せられる。サーモンオレンジのルージュが引かれたつやつやの唇が何かを飲み込むように一度引き結ばれると、もう一度彼女は言った。

「ごめんなさい。わたし、あなたの歌を歌えない」
「・・・・へ?」

 瞬きを数回。無意識にこなして言葉に詰まる。目を丸く見開けば、彼女は気まずそうに視線を逸らして、先生にはもう言ったから、と言われた。え?いやいや、どういうこと?
 私はしきりに瞬きを繰り返しながら、彼女に見せようとしていた楽譜を握り締めて言葉を探す。ここではいそうですかとすんなり肯定するのも違う気がするし、かといって問い詰めてもどうなんだ。いやでもここは聞くべきだよね。むしろ聞く権利があるよね?幾度か彼女の要望に答えて書き直したはずの楽譜に視線を落として、突然すぎていまいち追いつかない思考回路でどうして?と尋ねた。
 彼女はきゅっと眉を寄せて、しかめっ面を作る。その顔に思わず肩を跳ねさせると彼女はあなたの曲は、といくらか落ちたトーンで口を開いた。

「歌えるような、曲じゃないわ」
「え?」

 どこか、吐き捨てるように。いや、何か得体の知れないものに脅えるように。それだけを言うと、新しいパートナーを見つけてね、と早口で告げて彼女は踵を返した。え、ちょっと待ってどういうことなのそれ。そう、引き止めて聞き返したかったのに、さっさと背中を向けてしまった彼女の背中はそれすら拒絶しているように感じられて、呆然として引き止める言葉も出てこない。ただ小さくなっていく背中を見つめて、手の中の楽譜を見下ろして、また遠ざかる背中を見つめ、頭の中で彼女の言葉が繰り返される。

「・・・そ、そこまで酷いのか・・・」

 歌えないほど酷い曲だとは、考えても見なかった。楽譜に書かれたいくつもの音符が、なんだかとても虚しく感じて、零れる溜息をどうしても我慢はできなかった。





 学校のデータバンクを駆使して見つけた相手と、幸いにも相手も私を探してくれたようで無事にパートナーを組んで課題に向けてフルスロットル!と思っていただけに、突然のパートナー解消にはいくら諦めのいい私でもいくらかのショックは隠せなかった。
 あわよくばこのまま卒業オーディションのパートナーもいけるかも!とか期待していたのだが・・・。しかも理由が理由だ。しばらく落ち込んでもいいと思うんだこれ。
 はぁ、と吐いた溜息は自分が思っていた以上に重たいものになっていて、そのことに気づいて眉を潜める。けれども重たくなるのも仕方がないと、またしても零れたものに私は学園に備えられた白いベンチに腰掛けてどうしたもんかなぁ、とぼんやりと目の前の噴水を眺めた。白い女性の石像が抱えた壷から流れ落ちる透明な水が、光を受けて少し青みがかかったように煌いて、その水を通して見える向こう側がゆらゆらと歪んでみえるとまるで今の自分の心境のようだとまたテンションが落ちた。ファイルに挟んだ楽譜とデモテープがなんだか虚しい。

「・・・そりゃ、才能なんてものはないけどさ」

 そんなに、熱心に取り組んでいたわけでもない。真面目ではあっても、そこに絶対に作曲家になるんだ、なんていう情熱はなかった。それでも今まで作った曲でもそれなりに評価はもらえていたし、パートナーの足をそこまで引っ張っていた覚えもなかった。
 すごくいい、というわけではなくとも、悪いこともないだろうと思っていたのに、ここにきて完全否定をされるとは思わなかった。歌えない、とまで言われるなんて。歌えない、とまで言われる曲を作っただなんて。
 仮にも作曲家の娘としてどうなんだ、と思わずにはいられない。ちらりと無地のクリアファイルに挟んだ楽譜を横目でみて、何がいけなかったのだろう、と思考を回す。
 言われたところは直したつもりだ。そういえば、最初に見せたときの反応もあまり喜ばしくなかった。どこが悪い?と聞いて、もっと歌いやすくして、と言われたから歌いやすいように変えたつもりだ。ブレスの位置も声の出し方も、難しいものにはなっていないはず。彼女が歌いやすいように、変えたつもりだ。それでも、歌えないと言われた。
 それは、曲そのものがダメだったということなのだろう。最初から。直接的に言うには憚られて直して、と言われていたのを、察せなかった私が悪いのだ。多分。しいていうなら、彼女もどうせなら全部悪いからやり直してぐらい言ってくれればよかった。どこぞの誰かさんみたいに。そうしたら素直に受け入れたと言うのに・・・いや、普通は言わないか。
 誰しもそれなりにプライドってものがあるんだし。私が例外なんだな、多分。
 どこか、自惚れていたのかもしれない。最良でなくてもそれなりでいいと甘えていたツケが今きたのか。適当にしていたわけではないが、それでもなんとかなるだろう程度の気持ちで作っていたことは否めない。そんな気持ちが、曲にも出ていたのかもしれないなぁ。
 それじゃぁ、一生懸命にアイドルを目指している子に合わないのも無理はない。冒涜するような曲を作った私が悪いのだ。横に置いた楽譜に手を伸ばして、膝の上に置きながら薄っすらを透けてみる音符をなぞった。ツルツルとしたファイルの感触が指先から伝わってひんやりと冷たさを感じる。

「歌えない、かぁ・・・」

 じゃぁ、この曲はまた机の中のこやしにでもするしかないな。それで新しい曲を作って、パートナーも探して。いやしかしもう5日目だし、大半がパートナーを見つけて曲作り、早いところでは練習段階に入ってるところもあると聞いている。今更新しいパートナーなんて中々無茶な話だ。彼女だって、今更新しいパートナーを見つけるなんて難しいと思うのに、でもそれをさせてしまうほど見込みのないものを作った自分がいることも確かで。
 否定は辛いことなのだと、久しぶりに実感して自嘲を浮かべた。否定してばかりだった自分が、今更否定されて傷つくなんて馬鹿みたいだ。
 しかしこのままではテストを受けられないことになってしまう。なんとしてでもパートナーを見つけなければならないが、けれど今更どうやって見つけるか・・・。先生に、まだパートナーが見つかってない相手を聞いて頭下げていくしかないかなぁ。選り好みなどしていられる時間もないことだし。
 つらつらと今後の行動をどうするか考えながら、足をぶらぶらと揺らして首を傾けた。少しだけ斜めになった視界で、噴水の水飛沫がきらきら輝いているのが見える。
 動かなくちゃ、と思うのに、今はまだ動く気になれない。膝を抱えたいような気もするけど、ベンチの上に足をあげる気にはなれない。ぶらぶらと足を振り子のように揺らして、どっちつかずの心境を表現しながら、軽く曲を口ずさんだ。
 作った曲を、歌われることはない。別にこの際それはもういいんだけど(仕方のないことだし)努力が水の泡になったことはやっぱり堪えるものだ。歌詞のない旋律だけを軽く口ずさんで、最後にする。私以外に歌われることのない曲に、ごめんねを篭めて。
 部屋に帰ったら楽譜は破いてしまおう。心機一転、新しいものを作る為に。そう決めて、よし、と拳を握る。とにかく、先生に会いに行こう。それでパートナーを探そう。今度は、パートナーを失望させないように、もっと熱心に取り組もう。一から、やり直し。作曲家にはならないにしても、それでも折角高い授業料払って入学した学校だ。父の願いがこもった学生生活だ。最善を尽くさずして親孝行などできるはずもない。うん。大丈夫、できるできる。
 自分に言い聞かせるように繰り返して、揺らしていた足を止めた。地に足をつけて、クリアファイルを抱えて勢い良く立ち上がろうと反動をつけて、

ちゃんっ」
「うわっ!」

 背後から突然首に腕を回され、ぎゅっと誰かに飛びつかれた。不意打ちに飛び上がるようにして肩が跳ね上がると、浮き上がったお尻がぺたんとベンチに逆戻りする。
 ドッドッドッド、と跳ねて騒ぐ心臓に瞬きを故意に繰り返しながら、背後から首の横を通り胸の前で交差する腕の持ち主を慌てて振り返った。

「つ、月宮先生?!」
「ッチッチッチ。だぁめよーちゃん。林檎ちゃんって呼んで!」

 振り返れば至近距離にぱっちりと大きな青い双眸が悪戯に煌いて、美少女フェイス!と内心で歓声をあげた。本来の性別とか最早どうでもいい。見た目が今は重要だ!・・・ではなくて。不満そうにつやつやのルージュを塗った唇を尖らせた月宮先生に、私ははぁ、と曖昧な返事を返しながらもていうか近くね?と視線を思わず泳がせた。ベンチの背もたれごしとはいえ、ほぼ密着に近い状態で抱きつかれているのは何故なのだろう・・・。
 あと妙にしなを作っているとはいえ、月宮先生も中々のイケメンヴォイスだ。耳元で喋られるとなんだか気恥ずかしい。妙な居心地の悪さに首に回っている腕をぺしぺしと叩いて訴えた。

「先生、あの、離れてくれませんか?」
「林檎ちゃんって呼んでくれたら放してあげる」
「林檎ちゃん、離れてください」

 プライド?礼儀?そんなもの関係ないわ!生徒に対して気さくというにはいささか度が過ぎているような気もする月宮先生の要望を、躊躇うことなく実行すれば僅かに驚いたように先生は目を見開いた。私がすんなりと受け入れることが予想外だったのだろうか。まぁこの見た目、加えて態度、反応を考えればここであっさり受け入れるとは考えにくいのも確かだ。てかこの反応、からかうこと前提だったな、この人。私が困ったり慌てたりする反応を楽しむ気だったに違いない・・・そういう悪戯っ子めいた雰囲気持ってるもんな、月宮先生。
 驚いた様子の先生にいくらかの呆れを覚えつつ、生憎とそんなことで動揺できるほど生半可な人生は歩んじゃいないのだ、ともう一度促すように腕をぺちぺちと叩く。
 こういうときは、下手に抵抗するよりもさっくり受け入れた方が面倒がなくていいのである。
 そうするとはっと我を取り戻したように月宮先生は瞬きを繰り返し、少しだけつまらなそうにちぇっと小さく呟いてから(ちぇって!やっぱり人で遊ぶ気だったな!)渋々離れた。
 それにほっと緊張を解きながら、半身を捻って後ろを向けば、月宮先生は不満そうに目を細めていた。

ちゃんってば、面接のときも思ったけど順応性高いわよね」
「・・・覚えていたんですか?」
「当たり前じゃない!あんな面接、早々ないわよ」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・やっぱり特殊だったのか、あれ。今明かされる衝撃の真実、というわけではないが、学園長が学園長だけにあんな面接も割りとあったりするのかなーと思っていただけに、教師自ら普通ない!という発言をされると自分がどれだけ特殊な目にあっていたかよくわかる。なんとも言えない気持ちでむっつりと顔を顰めると、月宮先生は慌てたように、いやでもインパクトある方が得よ!得!とフォローを口にし始めた。そりゃ面接だし、印象に残ったもの勝ちな部分はあると思うけど・・・。私の場合、残らなかった方がよかった気がする、と思いながら溜息を小さく吐いた。

「まぁ、もう過ぎたことですしいいんですけど」
「そうそう!シャイニーの気まぐれなんて今に始まったことじゃないし」
「それはもう少し自重して欲しい気もしますけど・・・ところで、先生。何か私に用事ですか?」

 慣れたといえば慣れてはいるんだけど、もう少し落ち着いた学園生活というものはないのかなぁ、と思いつつ、担当クラスの生徒でもないのに、やけに親しげな態度をみせる月宮先生を訝しく見やる。いや、元々懐っこい性格の人だし現役アイドルということもあって、他クラスからも人気の月宮先生だから、担当クラス担当外クラスと、そう態度に差があるわけではないとはわかっているんだが・・・。私自身はさほど月宮先生と接触した覚えはないし、やっぱり担当外クラスの生徒にわざわざ月宮先生が声をかける理由など何か用事があるのかもしれない、ぐらいのことしか思い浮かばない。
 小首を傾げれば、月宮先生は眉を跳ね上げて、ぴしっと人差し指を立ててずずい、と顔を近づけた。だから近いって月宮先生!美形だから許されるけどこの距離は!しかし私の顔が耐え難い気がする。

「よ・び・か・た!」
「・・・林檎ちゃん、何か用事でもあるんですか?」

 別にいいじゃないか、呼び方ぐらい。そうは思うものの、反抗すると面倒そうだし、私はどうせまた先生呼びに戻るのにな、と思いながら要望通り言いなおして再度問いかける。
 それに月宮先生は満足そうに頷いてから、近づけていた顔を適切な距離にまで戻して、立てた人差し指を頬に軽く押し当ててうーん?と小首を傾げた。・・・完璧な角度と仕草である。可愛いというしかないその姿に、さすがテレビ慣れしてる現役アイドルは違うなぁ、と感心していると月宮先生は特に用はないんだけど、と一言前置いて、私をじぃ、とその青い目で見つめた。

「なんだか落ち込んでる様子だったから気になって。春明は今仕事で学園にもいないし、私でよければ相談に乗るわよ?」
「え、でも」
「クラスこそ担任じゃないけど、あなたも私の可愛い生徒なんだから。遠慮なんかしないで?」

 そういい、微笑む姿は容姿に合わせて女性のように確かに見えるのに、けれども僅かに上がる口角だとか、ほんのりと細められた眼差しだとか、その仕草は女性というよりもどこか男性らしさの方が強く感じられた。・・・そういや、本来の性別は男なのだから男性っぽくても可笑しくはないのか。ふと彼女、じゃなくて彼の本来の性別を思い出して毒されてるなぁ、と思いながら視線を月宮先生から逸らす。話そうか、話さまいか。しかし、月宮先生が言うようにBクラスの担任である北原先生は、今作曲の仕事が入ってしばらく学校への滞在時間が極端に少ない。こないわけじゃないんだけど、姿見ることが少ないっていうか。
 ・・・話す時間も余り取れなさそうだ。それに、どうせ先生に相談してパートナーがまだいない人を教えてもらおうとか考えてたぐらいだし。それなら今月宮先生に相談かけたところで大差あるまい。結論を出すと、辛抱強く待っていた月宮先生に実は、と話を切り出した。

「今回の抜き打ちテストのパートナーから、私の曲じゃ歌えないって言われまして」
「あら・・・」
「そのままパートナーも解消されちゃいまして。どうしようかなって、悩んでたところなんですよ」

 困ったように眉を下げて、苦笑いを浮かべる。まぁ、それはそれでしょうがないことなのだと割り切ったつもりではあるので、さほど暗い調子にはならなかったと思うが、幾分か途方に暮れた感じは出てしまったのだろう。月宮先生はそれは大変なことになっちゃったわね、と難しい顔をして頬に手をあてた。そうなんですよねぇ、とはぁ、と溜息混じりに頷いてベンチの背もたれに体重をかけて空を見上げた。

「もう5日も経ってますし、大半はもうパートナー決めてますし・・・曲も作り直そうと思いますから、時間がホントないっていうか」
「そうね、今からパートナーを探すにしてもちょっと難しいわね・・・」
「月宮せん、・・・えーっと、林檎ちゃんは誰かパートナーまだ見つけてない生徒とか知らないですか?」

 危ない危ない。咄嗟に言い直しながら、後ろに立つ月宮先生を見上げれば、彼はそうねぇ、と視線を空中に泳がせて記憶を思い返すようにしばらく動きを止めた。

「いないこともないけど・・・そうだ、ちゃん。その作った曲をちょっと見せてくれないかしら?」
「え?」
「曲を全部やり直すのはさすがにパートナーを見つけたとしてもちょっと厳しいから、改善点があるならそれを直した方がいいでしょ?」
「でも、一応これ抜き打ちテスト、なんですよね?」

 そりゃ先生から意見を貰えるのはありがたいが、テストと名のつくものに教師から意見を貰っていいものか・・・。眉間に皺を寄せ、それはちょっと、と態度を濁すと、月宮先生はきょとんとした顔をしてから、あぁ、と納得したように頷いた。

「それなら大丈夫よ。抜き打ちテストっていっても形ばかりだし、通常の課題と大差ないわ。アドバイスぐらいで目くじらたてるような相手でもないしね、シャイニーは」

 そういうもんだろうか?軽い調子でパタパタと手を振りながら言った月宮先生に腑に落ちない気がしながらも、教師本人がそういうのならそういうものなんだろう、と自分を納得させてクリアファイルに手を伸ばした。・・・あ、でも完全否定された曲を見せるってのもちょっと抵抗があるな・・・。直したところでたがか知れてるんじゃないか、とふとそんなことが過ぎってファイルを引き寄せる手が止まる。てか、うん。ホント、歌えないとまで言われた曲を、今更先生の意見を取り入れたところでよくなるかどうか・・・。むしろこれでダメ押しまでされたちょっとしばらく立ち直れないかもしれない。真面目に。
 悩むように躊躇いをみせると、ベンチを回って私の横にきた月宮先生は小首を傾げ、ぱちぱちと長い睫毛で瞬きをした。

「このファイルがそう?」
「あ、先生ちょっとま・・・!」

 人が躊躇している隙に、淡いピンク色のネイルが施された細くて長い指が楽譜を挟んでいるファイルを私の手から掻っ攫う。案外手が早いというか強引だな月宮先生!
 慌てて取り返そうと伸ばした手はひょい、と先生が一歩距離を取ることで容易く空中を掻くように空振りしてしまい、あぁ・・・と嘆くような嘆息が口から零れ出た。
 ちょ、ホントそれ見せるのには覚悟ってものが・・・!

「どれどれー?」
「うぅ・・・」

 そんな人の葛藤などさも知りません、とでもいうように情け容赦なくファイルから楽譜を心なしか楽しそうに取り出す月宮先生の背中に悪魔の羽をみた。うぅ、結構想像でも似合ってるのがなんだか悔しい・・・っ。天使みたいな顔して小悪魔か!とっても似合うな!じゃなくて。なんだか楽譜に目を通す月宮先生を見ていられなくて、顔を俯かせてスカートをぐりぐりと弄る。あーなんかもー相談するんじゃなかったー。楽譜見せるとか!曲見られるとか!羞恥プレイも甚だしいわ!!身悶えしそうな羞恥とどんな評価になるかという不安感できゅっと唇を噛み締めると、ちゃん。と名前を呼ばれて私は恐る恐る顔をあげた。

「はい・・・」
「これ、ちょっと預かってもいいかしら?」
「はい?」

 食い入るように楽譜を見つめる、いや、睨みつける?月宮先生の、想像していなかった台詞に語尾をあげて首を傾げる。え、なんで?ダメだし予想だったんですけど、何故預かり?

「曲ももう作ってあるのよね?デモテープは?」
「ファイルと一緒に・・・」
「あぁ、これね」

 人の疑問など関係ないとばかりに、厳しい顔つきで楽譜を睨んでいた月宮先生は、問われるまま答えたそれに反応してファイルの不自然なふくらみに目を留めて、中からデモテープ、といってもCDなのだが、を取り出してすぅ、と目を細めた。ちょ、先生。目が怖いぐらい真剣なんですけど・・・。え。なに、どうしたの先生。いつもの明るく元気で可愛らしい先生はどこいった。完全に顔つきが男になっていますよ?
 先ほどとはガラリと変わった雰囲気にたじろいでいると、月宮先生は楽譜を睨みながら、ぼそりと何事か呟いた。

「・・・一芸に秀でた音楽、か」
「え?」
「ふふ、大丈夫よーちゃん。絶対悪いようにはしないから!だから、ちょーっとこれ預かるわね」
「それは・・・別にいいんですけど・・・えっと、あの、アドバイスは?」
「それもまた後でね。でも、そうね・・・ねぇ、ちゃん。パートナーの子は、この曲じゃ歌えないって言ったのよね?」
「え。あ、はい。そうですけど・・・」

 正確に言うと、歌えるような曲じゃないとかなんとか言ってた気がする。ぼそっと呟いた言葉はうまく聞こえなかったが、ついでいつものように明るい調子でにこ、と笑みを浮かべた月宮先生にほっと胸を撫で下ろしつつ、上目遣いに問いかける。
 なんだったんだろうか、あの怖いぐらい真剣な顔は。真剣というか、強張っていたというか・・・ともかくも、常ではあまり見ない顔なのには違いない。とはいっても私はそんなに月宮先生を見かけることはないのだが・・・イメージ上、あんまりあんな顔はしなさそうに感じるので、違和感が拭えなかった。しかも人の曲みてあの顔だし。これはどう解釈したらいいんだ。そう思いつつ、質問をさらっと流され逆に質問を返されると、私はなんなんだ、と思いながらしどろもどろに答えを返す。先生はそう・・・と何かに納得したような顔で、少しばかり瞼を伏せると丁寧に楽譜をファイルに仕舞いこみ、小脇に抱えてパッと顔をあげた。
 その時にはもうすでに彼は「月宮林檎」の顔をしていて、相変わらず愛くるしい笑顔を浮かべてぽん、と私の肩に手を置いた。

「そんな不安そうな顔しないの。大丈夫、曲についてもパートナーについても、なんとかするわ。だから、ちゃんはちょっとパートナー探し、待っててもらえる?」
「え、でも、早く見つけないと時間が」
「いいから!そんなに時間はかけないわ。少しでいいの、待ってて。ね?」
「・・・はあ」

 肩に置かれた手にぐっと力を篭められて、痛くはないけど笑顔を消した月宮先生の顔に気圧されるように気の抜けた返事でこくりと頷いた。
 なんでそんな必死なんだ・・・。え、そこまでお膳立てしないと色々ヤバイレベルなの?それで待ってるとか大丈夫なのそれ?あぁでも先生が待ってろっていうし・・・てかいいのか?そこまで先生の手を煩わせていていいのか?ポンポンと浮かぶ疑問やら戸惑いに、視線を揺らすと、月宮先生はにこり、と微笑んでそっと私の頭を一撫でしてから、じゃぁね、と軽やかな足取りで踵を返した。レギンスに包まれたしなやかなふくらはぎに思わず視線をやりつつ、小脇に抱えられたファイルと月宮先生の後姿をベンチに腰掛けたまま見送り、私はパチパチと瞬きを繰り返した。えーっと。

「・・・・どういう展開?」

 とりあえず、待つしかない、のかな?いまいち、月宮先生の行動の意味も早い展開にもついていけず困惑を表に出しながら、カリ、と頬を掻いた。
 ・・・まぁ、なんだ。うん。

「妙なことにならなければいいんだけど・・・」

 しかし、月宮先生の様子が様子だったので、嫌な予感がして仕方がない。なんだろう、抜き打ちテストとかいう前に、別のことですごく不安になってきちゃったんですけど。
 ぶるり、と背筋に震えが走り、思わず両肩を抱くように腕を交差させ、私は月宮先生が去っていった方角を見つめながら、はぁ、と重たい溜息を吐き出した。