気紛れな夜と朝の温もりに孕んだ、5月の狂想曲



 偶々通りかかったマサが手伝ってくれたおかげで、なんとか翔を落ち着けて一息を吐いた頃、ふと見渡したメンバーの中に、さっきまでいただろう姿が見えなくてぱちっと瞬きをした。

「あれ?あの子は?」
「え?」

 問いかけながら、きょろきょろと辺りを見渡す。けどそこに翔や七海と並んでも十センチ近くは小さな背丈は見えず、そういえば、と皆も周りを見渡して首を傾げていた。
 どこにいったんでしょうか、とひどく残念そうに那月が眉を下げている。本当にどこにいったんだろう?さっきまでそこに立っていたはずなのに。首を捻れば、一人なんのことか分からない様子でいたマサが、あぁ、と何か思い出したかのように声を出した。

「聖川様?」
「探しているのは、これぐらいの背丈の女生徒か?」

 そういって、自分の胸元よりもやや低い位置に手を持ってきて問いかけるマサに、そうそうそれぐらい、と渋谷が頷く。翔の目線よりもより下に位置する手に、本当に小さいよなぁ、と彼女の姿を思い浮かべた。小学生だと言われても通じるんじゃないだろうか。那月に抱き上げられてぐったりとしていた様子は構われすぎた小動物のような印象を受けて、大丈夫なのだろうか、と心配が脳裏を過ぎる。
 何もなければいいけど・・・。そんな心配をしている俺を他所に、マサはそれならば、と口を開いた。

「伝言を預かっている」
「え?なんでマサが?」
「丁度お前達が騒いでいる時に声をかけられてな。確か、本の貸し出しがまだ終わってないから、先に失礼する、と言っていたか。何も言わずに行くことを酷く気にしていたな」

 謝っていたぞ、とそういうマサに、那月と七海がそんな!と声をあげた。というか、本の貸し出しが終わってないって・・・そういえば、彼女、やけに分厚いハードカバーの本と薄い雑誌を持ってったっけ。那月も図書館で会って連れてきたって・・・んん?

「ちょっと待てよ。おい那月。本の貸し出しが終わってなかったって、まさかお前、貸し出しさせないままここまで連れてきたのか?」
「んー・・・本棚の上の方に欲しい本があったみたいで、取れなくて背伸びしてる姿が可愛かったんですよぉ。それでそのまま思わず連れてきちゃいました」

 そういえばカウンターに寄っていませんでしたねぇ、とのほほんと花を飛ばしながら言う那月に、それはまずいでしょ、と渋谷が呆れた様子で肩を落とした。いや、うん、それはさすがに・・。
 そっか、なら帰っちゃうのも無理はないよね・・・本のことも気になるだろうし・・しかもあの状況じゃ声もかけにくかっただろうし・・・。暴走する翔と噛み合わない那月、それと落ち込む七海とそれを慰める渋谷。俺は翔を止めるのに一杯一杯でそれどころじゃなかったから、彼女が声をかけないまま去ったのはある意味自然なことだと思える。誰かに言付けるだけでも、随分と気を回す子なんだな、と感心していると、七海がしょんぼりと項垂れた。

「そんな・・・私、まだお礼もちゃんと言えてないのに・・・」
「・・・何かあったのか?」

 落ち込む七海に、マサが気遣わしげに眉を寄せながら疑問符を浮かべる。渋谷がまた会えるって!と励ます横で、そういえばマサは知らないんだった、と気がついて実は、と落ち込む七海の代わりに口を開いた。

「マサが伝言預かった子、七海の恩人なんだよ」
「恩人?・・・お前と神宮寺以外の恩人とは・・・もしかして」

 小さく首を傾げ、訝しげな顔をしたあと、思い当たったかのようにマサが目を軽く見開く。それにこくりと頷くと、そうか・・・とマサはぽつりと呟くと項垂れる七海に申し訳なさそうに眉を下げた。

「そういう事情だったとは・・・引き止めておけばよかったな」
「いえ・・聖川様は知りませんでしたし、私も、早くお礼を言っておけばよかったんです。折角会えたのに、会えたことに喜んでいてそこまで気が回らなくて・・・」

 しかも途中から他所事に気を取られていましたし、と眉を下げてどこか寂しそうに微笑む七海に、こちらもなんだか悲しくなって眉を下げてしまった。翔はどこか罰が悪そうに、帽子のツバを引き下げて顔を隠した。その他所事の原因は自分たちなのだとわかるから、居た堪れないのだろう。彼女は、あの時、楽譜が読めなくてクラスからも少し浮き始めていた七海を、助けてくれた子だ。本人に、そんなつもりはなかったようには見えたけど・・それでも、彼女の言葉で七海が救われた気持ちになったのは確かなことだ。
 落ち込む七海を元気付けたかったけど、そうする前に生き生きと図書館に通い出した彼女は、それはもう吃驚するぐらい良い曲を作ってくれて・・・救われたのだと、言っていた。
 迷って、落ち込んで、泣いているだけの自分に、細いけど確かな道を示してくれたのだ、と嬉しそうに、誇らしげに。語ってくれた、七海の恩人。それだけの感謝をしている人物に、ようやく会えたのに、結局一番伝えたいことを言えないまま、こんな風に別れてしまってはそれは確かに落ち込みもするだろう。
 影を落す七海に気遣わしげな視線が向かう中、俺は殊更明るい調子で大丈夫だよ!と声を張り上げた。

「こうやって会えたんだし、きっとまた会えるよ!それに名前だって・・・・・・・・・・・あれ?」

 知ってるんだからきっと見つけられる、と言いたかったのに、ふとそういえば名前を聞いたっけ?と言葉を止めて首を傾げた。不自然に途切れた言葉に周囲も首を傾げ、そういえば、と渋谷が視線を泳がせる。

「・・・誰か、あの子の名前聞いてた?」
「・・俺は、それどころじゃなかったぞ」
「私も・・・聞いてないです・・・」
「お、俺も聞いてないや、そういえば」

 勿論、伝言を預かっただけのマサが彼女の名前を知っているはずもなく。いやーな沈黙が辺りに横たわったが、はっと翔が顔をあげて、後ろを振り返った。
 その様子につられて視線を向ければ、突然視線が集まった那月がきょとん、と目を丸くして小首を傾げた。

「那月!お前なら知ってるだろ」
「え?」
「だから、あいつの名前。図書館で知り合ったんだろ?名前とか・・クラスとか!」

 ちなみに翔とも俺達とも面識はないのだから、彼女のクラスはそれ以外となるのはわかっている。けれども、正確な情報があるならそれに越したことはなく、図書館で会って連れてきたという那月に、期待の視線が集まった。そうだよね、那月なら何か知ってるかも!
 那月は俺達の視線を受けて少し考えるように視線を宙にさ迷わせた後、あ、と声をあげた。

「なんだ?どうした?」
「・・・すみません翔ちゃん、ハルちゃん。僕も、彼女の名前知らないんです・・・」
「え?」
「どういうことだ?四ノ宮。彼女はお前がここまで連れてきたのだろう?」

 しょぼん、と申し訳なさそうに眉を下げた那月に、翔の目が丸くなりマサが眉間に皺を寄せる。俺も那月の言葉に首を傾げて、どういうことなのだろう、と疑問を浮かべた。図書館で知り合って、方法はどうあれここまで連れてきたのは那月だ。明らかに彼女は歓迎している様子ではなかったが(ものすごくぐったりしてたし)、それでもこの中で一番接触する時間が長かったのも話す時間が長かったのも那月のはず。なのに名前を知らないって、どういうこと?首を捻れば、それまで黙っていた渋谷が、考えるように顎にあてていた手をするりと放して、まさか、と呟いた。

「那月、あんた、話も碌にしないまま、ここまで拉致してきたんじゃないでしょうね?」
「えっ!?」

 そんな、まさかいくらちっちゃいものに目がない那月だって・・・・・・・・・・・やるかもしれないけど、でもそんな初対面でいきなりは!友ちゃんまさかそんな、と否定を口にしようとした七海だったけど、那月が更にしょぼんと影を落としたので、絶句したように言葉を途切れさせた。那月、まさか・・・。

「本当にやったのか?四ノ宮」
「・・・あんまりにもフランソワーズに似ていて、理性が飛んじゃってたみたいで・・・」
「な、おま、馬鹿か!それじゃ間違いなく変質者じゃねぇか!」
「すみません・・・」
「俺達に謝っても・・あぁ、でもどうしよう。これじゃ、どこの誰かわからないままだよね・・」

 そういえば、ここにきた時の那月はやけに興奮していて、周りの目も・・まぁ普段から気にしてないような節があるけど、より気にしてないようだった。見つけた衝動そのままに連れてきたのだとしたら、あの子も相当パニックを起こしていてのではないだろうか。
 その割りに落ち着いていたような気もしたが、混乱も極めると冷静になるという。そういう状態でなかったとは言い切れないので、ともかく、・・・印象はあまりよくないかもしれない、と落ち込む那月を説教をする翔とマサに俺はあちゃぁ、と頭を掻いた。
 どうしよう、これじゃ結局何もわからないままだ・・。七海が絶望的な顔をする中、渋谷は呆れを通り越していっそ哀れむような目を那月に向けつつ、溜息を吐いてしょうがないわね、と腰に両手をあてた。

「こうなったら手当たり次第探すしかないわ」
「手当たり次第って・・・友ちゃん?」
「幸い、Aクラスじゃないのは確認済みだし、翔だって知らないんでしょ?」
「あ、あぁ。Sクラスでも見たことない顔だったしな」
「・・なるほど。ならとりあえずその二つは除外して、残りはBかCクラスということか」
「それでも二つもあるんだよね。見つかるかな?」
「見つけるのよ。一応ここにいる全員、あの子の顔や容姿は覚えてるんだし、春歌の情報だけじゃなくて自分の目でみてもわかるようにはなったんだから、今までよりも格段に目には入るはずよ」
「そうだな。七海の情報だけでは特定しづらいが、容姿がわかっただけでも捜索の幅は広がる」

 そういって、あたしもあの子の曲に興味あるし、もっとちゃんと話してみたいもの、とにぃ、と口角を好戦的に吊り上げる渋谷に、七海がじぃんと感動したように目を潤ませた。うん、男の俺から見ても今の渋谷は男らしくてカッコイイと思ったよ。
 本人に言えば殴られそうだからいわないが、それでも渋谷は文句なしにカッコイイと思う。あ、勿論すごく美人だし女の子なんだって思うけど、こう、中身というか性格がカッコイイよね、渋谷は。しかし、そうやって冷静に分析をする二人に、俺もなんだかあの子を見つけられそうな気がして、思わず口角があがった。それに、俺だって、七海を励ましたっていう曲が気になるし、そんな曲を作ったのだろうあの子と、もっと話してみたい!

「そうだよね、きっと見つけられるよ。頑張って見つけて、今度こそお礼を言おうね、七海!」
「一十木君・・・はい!」
「なんで音也まで礼を言うんだよ?」
「だって、あの子のおかげで七海が元気になってくれたわけだし、それであの曲ができたんだから、やっぱりお礼を言わないと」

 そうでなければ、あの曲と出会うことすらなかったかもしれない。うん。やっぱり、俺も彼女にお礼を言いたい。会って、話して、できたら友達にだってなりたいと思う。
 首を傾げた翔ににっこりと笑いながら、早く見つけられたらいいな、と頬を染めてにこにこと笑う七海と目を合わせた。

「とりあえず那月、お前はもうちょっと節度を持って行動しろ!」
「今回ばかりは来栖の言うとおりだ。初対面の相手に取る行動じゃない。ましてや相手は女性なのだから、もっと気をつけなければ」
「はい・・・今度はもっと落ち着いてぎゅーってしますね」
「いや、そもそも抱きつくのが問題・・・まぁ、無理な話よね・・・」

 渋谷の最早諦めに近い諦観に溜息が零れるのを聞きながら、確かに、那月じゃなぁ、と苦笑を浮かべる。と、そこで、ピンポンパンポーン、と放送の合図が鳴り響いた。

『Bクラス。至急第一レコーディングルームまでこい。繰り返すぞ。Bクラス。至急第一レコーディングルームまでこい』

 あ、龍也先生だ。・・龍也先生がBクラスの子を呼び出すなんて、何があったんだろう?
 翔が龍也先生の声に反応する中、俺達はそれよりもいかにして彼女を探し出すか、その方法について話し合い始めた。やっぱり、クラスを順繰りに覗くのが一番確実だと思うんだよね。