気紛れな夜と朝の温もりに孕んだ、5月の狂想曲
幾人かの生徒と擦れ違いながら、指定された教室の前に立つ。見上げた扉の横には早乙女学園の校章を象ったプレートがあり、そこには「第一レコーディングルーム」の文字がしっかりとある。それを確認してから、少しずれた本を抱えなおし、緩く作った握りこぶしで控えめにコンコン、と扉をノックした。
それから一拍ほどの間をあけて扉の向こうから「どうぞー」と軽い返事が聞こえて、ん?と僅かに首を傾げた。・・・今の声は月宮先生では?あれ?呼び出したの日向先生じゃなかったっけ、と思いながらもドアノブに手をかけて隙間をあけながら失礼します、と声をかけて扉を大きく開く。そこで見えたのはレコーディング機材の前に立つ煌びやかな面子・・・あれ、やっぱり月宮先生がいる。ど派手なピンクの巻き毛がやはり一番に目に飛び込んできて瞬きをしながら、レコーディングルームに体を滑り込ませると、戸惑いを浮かべてきゅっと本を抱く腕に力を篭めた。視線を月宮先生の横に滑らせれば、何か用紙を握り締めて美形だが強面の顔を緩めることもなく厳しい顔つきをしている日向先生が立っていた。
その様子がどことなく緊張感漂うというか、まぁ、ぶっちゃけ怖いので内心で私何か怒られるようなことしたっけ?!と焦りを覚える。えーっと、日々慎ましやかに目立たず騒がず平凡に過ごしていたと自負しておりますが!ていうか、SクラスとAクラスの担任に目をつけられるようなとんでもないことやらかした記憶はありませんよ?自分の担任ならいざ知らず、なぜ別クラスの担任に?と思いながら、おろおろとしていれば、月宮先生がお隣の日向先生とは全く正反対の反応を見せた。まぁ、つまり、パァ、ととても明るく花のような笑顔を見せたのだ。
「ちゃん。待ってたわよー」
「えっと・・・月宮先生?」
「林檎ちゃん!もうっ。ちゃんはすぐ呼び方戻すんだから」
えぇー横の人の空気とか一切読まない感じですか月宮先生。拗ねたようにぷん、と腰に手をあてて顎を逸らす月宮先生にそんな態度、あなた以外にそうそう似合いませんよね、と思いながらはぁ、と気のない返事を返す。いや、先生に林檎ちゃんとか呼ぶほど親しくなるつもりがないといいますか・・・。てかそんな関わることもないと思うから別にいっかなーとか。言い訳は色々とあったが、それら全てを飲み込んで微妙な表情を浮かべると、月宮先生の横で日向先生がぺしり、と持っていた用紙で月宮先生の頭を叩いた。
「お前は生徒を困らせんな」
「なぁによー。可愛い生徒と仲良くしたいってだけじゃない」
「強要することでもないだろうが。あー・・。こいつのことは気にするな」
そういって、むっとしたように眉を吊り上げる月宮先生を適当にあしらいつつ、先ほどまでの強張った雰囲気を払拭させて日向先生はこちらに向き直った。・・よかった。先生、カッコイイんだけど結構強面というか目つきがそんなによろしくないから雰囲気を強張らせてるとやっぱり怖いものがあるんだよね。まぁ・・もっと怖いものを知っているので平気といえば平気なのだが、普通に怖い雰囲気持っている人と対峙はしたくないというか。
とりあえず、緩んだ空気に知らず力の入っていた肩から力を抜いて、そろそろと入り口近くで止まっていた足を奥に進めた。
・・あ、そういえば今日向先生が持っている紙、なんかの楽譜だ。並ぶ五線譜と音階に視線をちらと向けてから、改めて並ぶ二人をみると・・こう、凸凹な感じで見比べて奇妙な気持ちになる。ふわふわでキラキラで花も恥らうような美少女と、精悍な顔つきだけど眼光鋭くがっしりとした体格の男。見比べると酷くミスマッチだ。
恋人同士のように見えなくもないけど、雰囲気はそんなものではないし、そもそも美少女は男なのだから恋人同士と言われても微妙な気分になるだろう。血迷いそうな人もいそうだけど・・・まぁそんなことは置いといて。
二人を見比べながら、そもそも何故二人が揃って私を待ち構えているのか、と首を傾げた。
「あの・・・?」
「あぁ、ちょっと待ってくれ。もう一人ここに来る予定なんだ」
「もう一人?」
え?誰が?というかこれはなんなの?そこの説明は一切なしなの?何一つ説明をされないまま待てと?それは酷いな。私全く状況が掴めてないんだけど。
疑問を浮かべて眉を潜め、問いかけるように日向先生から月宮先生に視線を向ければ、月宮先生はきょとんと目を丸くしてから、何か察したのかにこりと笑った。くるりと相変わらず綺麗に上向いた睫毛が長いですね。
「ちゃんってば、忘れちゃってる?ほら、課題のことよ」
「課題・・・あぁ、曲のことですか。えっと、お二人からアドバイスが頂けるんですか?」
あれ?でももう一人くるって言ってたな。ということは三人から?・・・そんな大事にされても困るんだが。というかそこまで酷いと。いやまぁうん。酷かったんだろうけど!
なんともいえない顔をすれば、月宮先生はきゃらきゃらと笑い声をあげて手をパタパタと振った。
「違うわよー。あぁ、まぁちょっとは助言するかもしれないけど・・・ふふ。ちょっと待っててね?」
「はぁ・・・」
え、違うの?アドバイスくれないの?そしてやっぱり待つの?さっきから疑問しか出てこない状況に、やっぱり疑問を浮かべながら、とりあえず待つしかないのか、と私は色々と聞きたいことをぐっと飲み込んで小さく息を吐いた。つまり、二人ともその「もう一人」が来るまで詳しいことを話す気はない、ということですね。・・・なんだかなー。ものすごい居辛いんですけど。あとなんか面倒そうな気配がムンムンなんですけど。
ややこしいことにならなければいいんだが、と思いながら腕の中の本に目を落す。
・・・どうせ待つならこれを読みたいけど、教師が二人もいる中でそんなことをする度胸はない。結局非常に居た堪れない状態で視線をやや下にさげながらじっと佇んでいると、ふとぽつり、と日向先生が口を開いた。
「この曲のテーマは、「喪失」だったな」
「え?」
下げていた視線を動かし、日向先生を見る。楽譜に視線を落としている日向先生の顔を見ながら、あれもしかしてその楽譜私の?と今更ながらに思い当たりつつ、そうですけど、と訝しく思いながら答えた。
「でも、それは今回の課題のテーマですよね」
「あぁ、そうだな。・・・。お前、この曲をどんな気持ちで書いたんだ?」
「どんな、って」
すっと、楽譜から顔をあげて、日向先生がじっとこちらを見る。まるで誤魔化しの一つも許さないような、本音の一つも見落とすまいとするような、探るような視線。どうしてそんな目で見られるのかわからずに、また質問の意図もいまいち掴めないまま、私は無言で日向先生の目を見返した。
「・・・大切なものをなくした気持ち、ですよ」
それ以外に、何を篭めるというのだろう。すっと、瞼を伏せて日向先生から目を外す。突き刺さるような視線は相変わらず感じていたが、それ以外に返せる言葉はなかった。
喪失とは、つまりそういうことだろう。それ以外に言い表す言葉など、持っていない。
失くしたのだ。大切なものを。大事なものを、失くしてしまって、悲しくて、やるせなくて、苦しくて・・・・ぽっかりと開いた空洞の存在。
ただ、しいていうならば、私の中にはそんな空洞がポッカリと口をあけているというだけで。ただ、それだけのことだ。
「・・・お前は、何を」
日向先生が更に尋ねる。その続きは恐らく「何を失くしたんだ?」なのだろう。だが、どこか必死ささえ感じる声音で搾り出すように聞こえた声は、コンコン、とレコーディングルームに響いたノック音で途切れてしまった。ノックの音を切れ目に、顔をあげれば日向先生はなんともいえない、どこか苦しそうな迷う目を見せていて、私はそれを見て、不自然にならない程度に顔を逸らして後ろを振り返った。・・・彼が何を思って、そんならしくない表情を見せたかなど、わざわざ追求する気はなかったし、それに気づかれたと思われたくもないだろう。そういうのは、もっと別の人間がするものだ。少なくとも、私じゃ、ない。言い聞かせるように、なかったことにする。その意図に、二人が気づくかどうかは知らないが。
酷く奇妙な空気が辺りに広がる中、それらを塗り替えるように月宮先生が私のときと同様に「どうぞー!」と声を張り上げた。そうすると、やはり少しの間を置いて、ドアノブががちゃりと回り、扉の形に添って光の切れ目が入る。それが徐々に大きくなると、その切れ目からすらりと高い人影がするりと入り込んできた。・・・男子、か?
「遅れてすみません」
「大丈夫だ。こいつもついさっき着たばかりだからな」
そいった日向先生はもうさっきまので態度を消していつも通り不遜なそれになっていて、頭を軽く下げている青年に声をかけている。彼はそれにそうですか、とどこか素っ気無く冷たいなぁ、とも取られそうな調子で返事を返し、下げていた頭を上げるとこの場にいる人間を見渡すように視線を巡らして、私のところまで辿り着くと動きをピタリと止めて目を大きく見開いた。
「あなたは・・っ」
「はい?」
驚いたように、まるで幽霊でも見たような目で息を詰めた青年にきょとりと瞬いて首を傾げる。なんでそんな驚いて・・・ん?・・・この人、どこかで見たような・・・?
アイドル志望なのか知らないが、やたらと整った・・・ある意味で正統派イケメン!みたいな顔立ちの青年の顔にどこか見覚えがあるようなないような、と思いつつくっと眉間に皺を寄せる。・・・どこで見たっけ?テレビの向こう側のような・・・もっと間近でみたことがあるような・・・。驚いた顔のまま呆然と硬直している青年を、これ幸いにとじろじろと眺め回しながら記憶を巻き戻そうと意識が沈み始めたとき、なぁにー?と月宮先生の声が思考の糸を引き千切った。
「イチ君とちゃんってば、知り合い?」
「・・・っいえ。知り合いというほどのものでは・・・」
小首を傾げつつ、私と彼を見比べる月宮先生が興味津々、という顔にようやく意識が戻ってきたのか、青年は瞬きを数度繰り返して表情を改めるときゅっと唇を引き締めた。
むっつりと、何か不機嫌そうなと表現できそうな顔をする青年にそれが標準装備なのかねぇ?と思いつつ、好奇心のちらつく月宮先生がえー?とどこか楽しそうに目を細めてにぃんまりと口を三日月に持ち上げる。
「その割には反応がねぇ・・・ちゃんは?」
「え?・・あー・・・・どうでしょうね?」
見覚えがある気はするのだが、どこでだったかとか誰なのかとかはサッパリ。あっちがダメならこっちで、みたいな月宮先生の望んだ返答ではなかったのだろう。あたしには教えられないってぇのー?と不満そうな声を出す先生に曖昧な笑みを浮かべる。教えられないというか、覚えてないというか。・・・とりあえず笑って誤魔化しながら、無言で隣に立った彼に視線を合わせた。
「初めまして。Bクラスのです」
「・・・Sクラスの一ノ瀬トキヤです」
あ、今なんかすごい複雑そうな顔をしたよこの人。初めまして、というのに違和感を覚えたのだろうか。ふむ・・・どこで会ったかなぁ。見覚えがある気はするのだが、どこで、とか誰、とかいう明確なことは中々思い浮かばない。しかもSクラスとか・・・縁のないところだな。
ということはクラス関係ではないことは確かだ。しかしそれ以外?こんなイケメンと会った事あったかなぁ。そうは思うが、相手はどうやら私を知っているようなので、多分どこかで会ったのは間違いないのだろう。ただ私の記憶としてはあやふやなだけで。
とりあえず、ここはあまり深く突っ込まず流しておこう。思い出せるときは思い出せるだろうし、思い出せないときはどうしたって思い出せないものだ。そう自分を納得させて、とりあえずこの件は保留にかけることにする。それに、そんなことよりもここに呼ばれた理由の方が気になるし。何か物言いたげにしている彼には申し訳ないが、さっと視線を外して日向先生と月宮先生を見た。
「あの、先生。とりあえずこれで、詳しい話はして頂けるんですよね?」
「あぁ。まぁな」
「・・・どういった用件でしょうか」
待ち人がSクラスの生徒、というところにひどく場違いな気がしつつも(しかも目の前の教師はSクラスとAクラスの担任だし)話を促せば、意味深に日向先生は頷く。
一ノ瀬君も用件は聞いてなかったのか、視線を外した私から渋々目を放すと、目の前の日向先生をみて静かに問いかけた。いい声してんなぁ、この人。
「用件ってのはな、お前等二人で、パートナーを組んでみないか?ってことなんだが」
「はい?」
「は?」
突拍子もない日向先生の提案に、計らずとも私と一ノ瀬君の声が綺麗に重なる。多分表情も似たような顔してんじゃないかなぁ、いや相手がイケメンなので結構違うかもしれない、とか考えていると、月宮先生が息ピッタリね!と楽しそうに手を叩いた。
いや、今のこれは誰でも息ピッタリになると思うんですけど・・・。それはともかく。
「パートナー・・・ですか?私と、一ノ瀬君が?」
言外に、BクラスとSクラスが?というものを篭めてますよ誰か察して。改めて言う必要もないかと思うが、Sクラスはこの早乙女学園において、特に優秀な成績を収めた人間が入るクラスである。この競争率が200倍とかいう化け物学校の、成績優秀者だ。全部言わなくてもわかると思うが、つまり実力がトップクラスの人間ばかりがいるわけで、AクラスならまだしもBとかCとかいうクラスの人間が組むには、いささか実力に差がありすぎるわけで。
勿論、個々の能力をクラスだけで選別できるとは思わない。入学当初から成長もしているだろうし、一概に実力が天と地ほどの差がある、などと言えはしない。けれども、それは他人のことであるからして、そこに自分が当てはまるのかと言われると、Noと答えるのが普通だろう。
少なくとも私は、Sクラスの人間が満足いくような曲を作れるとは思わないし、彼の才能を生かせるとも思えない。要するに、無理ですできませんやれません勘弁してください、ということですよ。確かに上の実力の人間と組むことで成長は見込めるかもしれないが、それにしたってハードル高すぎだろうこの学校本当無茶振りが好きだな。
「一ノ瀬、お前まだパートナーを見つけてないだろう。それで、。お前は先日パートナーからペア解消を言い渡された。いないもの同士、丁度いいじゃねぇか」
「そんな簡単な問題でもないと思うんですけど・・・」
相手がいないから丁度いいね!っていうレベルの問題じゃないよこれは。軽い調子で言う日向先生にいくらかの呆れを見せつつ、私は顔を引き攣らせながらちらり、と一ノ瀬君を見上げた。・・・あー・・・眉間に皺が寄ってますよー。めっちゃ不本意そうですよー。そりゃそうだよね、Bクラスの生徒だもんね!Sクラスの生徒はやっぱり成績優秀者ばかりがいるせいか、プライドの方もそれなりにある方で、実力が明らかに劣るだろう相手と組むのは気が進まないのだろう。別にこれで卒業オーディションとか挑むわけでもないのだが、それでもより良い成績を残したいと思うのは誰しも考えるわけで、そうなるとただの課題でもパートナーってのは重要になってくるわけで・・・うん。断ろう。これは互いの為にもならない選択だ!
「あの、先生やっぱりそれは」
「何故、私と彼女を?パートナーがいない者同士とはいいますが、それは他にもいるかと思いますが」
言外に自分達以外でもいいんじゃないか、と問いかける一ノ瀬君。台詞を途中で遮られた私は大人しく口を噤みながら、そうだよねぇ、とこくこくと頷いた。・・・というか、少なくともわざわざ先生がしゃしゃり出てどうだ?なんて進めるような相手同士ではないと思う。
というか、何故先生が・・それも二人も揃って私と彼でパートナーを組むように進めてくるんだろう?確かに、月宮先生は先日、曲のこともパートナーのことも、ちょっと待ってくれとは言っていた。先生なりに何か考えがあってのことなのだろう、とあえて深くは考えなかったが・・・。いや、妙な予感はしていましたけどね。先生の様子がただごとじゃなかったし。
つまり、これがその「妙な予感」か、と思いながら、だからといってなぁ、と一ノ瀬君と見詰め合う日向先生を見た。そんな中で、日向先生は一ノ瀬君を見下ろしながら、手に持っていた楽譜(私の、だよね?)をひらりと揺らして、射抜くような目で口を開いた。
「例の曲の作曲者が、こいつだとしても、か?」
「っ!!」
え?なに?そのフリ。妙に芝居くさい、というかもったいぶった言い方に、私としては何いってんのこの人、みたいな怪訝な感情も、一ノ瀬君にとっては違ったらしい。
大きく目を見開いた一ノ瀬君が、信じられないものを見るかのように勢い良くこちらを振り返った。あまりにも力強くこちらを凝視してくるので、私はひえっとばかりに肩を跳ねさせて彼から一歩後退る。え、なんですか?驚いたまま一ノ瀬君を見上げれば、彼はきゅっと眉を寄せてどこか辛そうな表情を浮かべると、ぐっと体の横で揺れる手を握り締めて引き絞るように声を出した。本当に、苦しそうに。
「・・・だと、するならば。余計に、私では・・・っ」
「一ノ瀬」
「・・・っ」
「俺は、今のお前こそ、この歌を歌うべきだと考えている。この曲を聴いてわかったはずだ。技術だけでは完成しない歌もあるんだと」
「それ、は」
「一つ、言っておけば・・・これは何もお前に限ったことじゃない。こと、この曲に関してはな。・・・世界中の誰にも、この曲を「完全」に歌える人間なんざ、いやしねぇよ」
そう言い切った日向先生に、一ノ瀬君はくっと唇を噛み締めて沈黙した。その迷っている様子の一ノ瀬君を、日向先生は静かに見つめていて・・・・・・・・・正直、二人のシリアスなテンションについていけないです何この舞台劇。
まるで観客にでもなったかのような・・・いや、多分大切なところなんだとはわかるんだよ?とっても真面目なシーンというかやり取りなんだってことは。一ノ瀬君の葛藤とかそれを見守る日向先生とか、多分今彼にとって大きな岐路?に立っているような、それぐらい大切なやり取りなんだってことは、雰囲気とか態度とかで私にも伝わる。だからこうして空気読んで観客Aに徹しているわけですが・・・てか、その話題の中心の曲って、私の曲のことなんですかね?なんかすごい大袈裟というか「え?それ誰の曲の話?」みたいな壮大さになってますけど。
当事者の一人のはずなのに、やっぱりどこか置いてけぼり感が否めないのだが、これはあれか・・・私の内心の温度差から生じているズレなのか。よくわからないが、二人とも私がパートナーを却下するという選択肢最初から排除してね?あれ?私に選ぶ権利はないの?いや選んでる余裕はないと思うけど、せめてCクラスの人とかから選んじゃダメですか?
色々と物申したいけれど、空気を読めばそんなこと口に出せるはずもなく。私はどうしたらいいんだろう?と困惑を浮かべながら、同じく空気に徹していた月宮先生をちらりと窺った。
すると、やはりこちらも真面目な顔をして一ノ瀬君と日向先生を見ていたが、私の視線に気がつくと首を傾げ・・・あぁ、とでもいうように一つ頷いた。
「二人とも、ちょっといい?確かに、イチ君の気持ちも大切だけど・・ちゃんの意思だって聞かなきゃ、パートナーとして成り立たないわ」
「月宮先生・・・」
このタイミングで私の心情と吐露しろとな?微妙にアイコンタクトの意味が通じてない!と思いながら顔を引き攣らせれば、はっと気がついたかのように二人の視線が私に向かう。
ひう、と喉の奥が狭まったように声が引っ繰り返りそうになったが、そこはぐっと我慢して向けられた六つの目にこのまま逃げ出したい、と切に思った。
今の流れで私発言するの?すごい真面目なところだったよ?これで私が断ったらどうなるわけ。今さっきの二人の会話全部無駄じゃね?一ノ瀬君の葛藤とか迷いとか無駄じゃね?あれ、ここは空気を読めということですか。私の希望諸々無視して空気を読めと!えぇー。
「・・・・わ、私としましては課題発表までの時間もないことですしそんな選り好みなどしていられるような余裕もないと思いますけどでもやっぱりこれには相手の意思が必要といいますか実力的な問題も絡んでくるかと思いますのでその一ノ瀬君にはもっと素晴らしい相手がいるんじゃないかとか私じゃ力足らずじゃないかなとか色々と思うわけでそのだからつまり私なんかじゃ勿体無いと思うんですよ!」
=パートナー組むのやめませんか、ということなんですけどね!遠回しというか、割とはっきり実力的に釣り合わないからやめましょう!と一息に言ってみた。えぇ、私がぶっちゃけ組みたくない、という本音は隠し隠し誤魔化しつつも、察してくれ!と目に力を篭める。
BとSですよ?常識的に考えてつりあわないにも程があるでしょうに!お願いだから私にこれ以上無茶させんといてー!
「実力的な問題でいえば、確かにお前と一ノ瀬には開きがあるだろう」
「で、ですよね!」
私の言い分を聞いてくれた日向先生に、俄然勢いこんで同意するが、日向先生はだが、と言葉を続けた。へ?
「この曲に関しては、その立場はむしろ逆だ」
「・・・・・は?」
「お前が嫌じゃないんなら、俺達としては是が非でも一ノ瀬と組ませたいと思っている」
「そうねぇ。・・・ちゃんには悪いけど、これはどちらかというとちゃんの為というよりも、イチ君のための提案だもの」
ねぇ、と沈黙する一ノ瀬君に流し目を送る月宮先生に、言葉を失くす。一ノ瀬君は眉を僅かに潜めたが、それでも何か反論をすることもなく、考えるように瞼を伏せた。・・・一ノ瀬君のため?え?ちょ、意味がわからないんですけど。
「何か勘違いしてるようだが、お前が作ったこの曲は、正直いって文句のつけようがないぐらい良い物だ。勿論、技術的なことは抜きにして、の話だが・・・だからこそ、問題のある曲だとも言えるけどな」
「・・・それは過大評価というものでは?」
日向先生の評価に、なんともいえない複雑な気持ちになりながら顔を顰める。だって、その曲は。
「それは、パートナーに歌えないと言われた曲です」
歌えるような曲じゃないと。はっきりと、言われたのだ。否定された曲をいくら褒められても、すんなりと納得ができるほど私は楽観的にはなれない。いい曲だというのならば、何故彼女はそれを歌えないなどと言ったのだ。いい曲ならば、歌ってくれるはずじゃないのか。
そうすれば、こんなややこしいことにだってならずにすんだのに。事の原因である曲を、そう簡単に認めることはできずに顔を顰めれば、今まで黙っていた一ノ瀬君が唐突に口を開いた。
「・・それは、その曲に篭められたものがあまりにも深すぎたからでしょう」
「え?」
「普通の人では到底表しきれない何かを、その曲からは感じました。篭められた思い、感情、・・・心。それら全てを表すには、・・・あまりにも、その曲は重過ぎる」
だから、歌えなかった。そう言い切り、きゅっと唇を噛んだ一ノ瀬君は、一つ深呼吸をすると、ぐっと顎を引いて私を真っ直ぐに見た。その目には、まだ迷いや躊躇いがあったけれど、それを振り払ってでも進もうとする、強い何かを感じて。その気迫に圧されるように息を呑むと、一ノ瀬君は私の目の前まで歩み寄り、じっとその強い目で見下ろしてきた。
見つめ返す目は、夜空に良く似た、藍色の双眸。目を丸くしながら、近づいた彼を見上げれば、一ノ瀬君は静かに口を開いた。
「さん。あなたの曲を、私に歌わせてください」
「・・・・・・・え」
「私でも、いえ、私では、恐らくその歌を完全に歌うことはできない。それでも、・・・その曲を、歌わせて欲しいんです」
ひどく、真摯な眼差しで。どこか、縋るように。まるでこれが最後のチャンスなのだとでもいうように。請う彼に、どうして嫌だと言えるだろうか。何がそんなに彼を駆り立てるのか、どうしてそこまで私の曲に縋るのか。彼がいう「重すぎる」の意味も何も、全然、作った本人でありながらわかっていないのに。私は、少しの躊躇いと戸惑いを浮かべて視線を先生に向ける。月宮先生も日向先生も、ただ沈黙していて、その顔からは何も読み取れなかった。
つまり、全部自分で判断しなさいと。いやそうだろうけど、そうだろうけど!
眉を寄せ、再び一ノ瀬君を見る。一ノ瀬君は変わらずに真っ直ぐに私を見ていて、あぁ、いやでも、不安そう、か?奥で揺れる瞳の弱さに、なんだか置いていかれそうな子供の不安を感じて。そういえば、多分彼、年下なんだよねぇ。中身の話ではありますけど。
あぁ、そっか。年下かぁ・・・・・・・・・・・・・・はぁ。
「・・私なんかでよければ」
「!」
負けた。いや、最初から選択肢などなかったようにも思いつつ、小さな溜息と共に苦笑を浮かべて見せれば、一ノ瀬君は目を軽く見開いたあと、ひどく安堵したかのように眉を下げた。言葉にするなら、へにゃん、という言葉が似合いそうな・・・あぁ、なんかもう。
「よろしくね、一ノ瀬君」
「はい」
・・とりあえず、マジで私が彼と組んで大丈夫なんだろうか、という不安は脇に退けておこう。うん。差し出した手に、一回り以上は大きい彼の手が重なりながら、とりあえず一度歌を聴いてみないことにはなぁ、と思考を飛ばした。
・・・ところで、私と一ノ瀬君は一体どこで会ったことがあるんだろうね?これって、聞いてもいいのかな・・・。よかったよかった、と喜ぶ教師二人を尻目に、一人そんなことを悶々を考えていた。