気紛れな夜と朝の温もりに孕んだ、5月の狂想曲



 事件というものは本当に突然、降って湧いたかのように我が身に降りかかるものだ。回避する暇すら与えてくれない無慈悲な洗礼。いやまぁ、事件というほど大仰な代物ではないのだろうが、擦れ違いざまに突然腕捕まれたら誰でもびびると思う。
 すわ変質者か!?学園内でとかなんて大胆な!とか、まぁそんな思考が働く前に条件反射的に腕を振り払い相手の顎を思わず強打しそうになったが、見えた格好が学園指定のブレザーだったので寸前で動きを止める。こう見えて人体への攻撃方法はそれなりに熟知してる方なので、殴ったら割りと洒落にならないことだとは自覚しているのだ。前世があれだったもので、ね。しかし、そんな人の裏事情などお構いなく、突然人の腕を掴んだ不審者は、鮮やかな赤い虹彩を煌かせてくりくりとした目を見開くとやっぱり!と声を弾ませた。
 パアァ、とまるで向日葵のように明るい笑顔が整った顔一杯に広がる。その顔立ちと目、そして髪の強烈な赤い色彩に、あれこの人は、と一致する人物の名前を導き出した瞬間、彼は両手で私の手を包むように握った。何事?

「よかった、やっぱりこの学園の生徒だったんだね!」
「は?」
「探しても見つからなかったから、もしかして違うんじゃないかとか、学校辞めちゃったんじゃないかとか心配してて!」
「はぁ」

 いきなり何を言い出すのやら?人の手を捕獲したままわけのわからないことを話し出すイケメン・・・クラスメイト曰くAクラスのプリンスさまの一人、一十木君の前後の繋がらない内容に怪訝に顔を顰める。さりげなく掴まれた手を引き抜こうとしてみるも、存外しっかりと掴まれていて引き抜けないことに密やかな落胆を零した。無理矢理引き剥がすのも、こうもニコニコ人好きのする笑みを浮かべられていてはやりにくい・・・というか、あの、メッチャ注目されてるんですけど。
 プリンスさま、と一部とはいえ呼ばれるぐらい人気のある彼だ。元々芸能専門学校だけあって、生徒のレベルが高い学園内においてでさえ「プリンス」と呼ばれるその美貌と実力。はっきり言おう。必要でない限り私が好んで近づきたいとは思わないカテゴリの人間だ。遠目にキャーキャー言ってる方がしっくりくる。
 そんな人間と傍目そんなに接触があるようにも見えない生徒が、こんな廊下のど真ん中で義務的でもないやり取りをしていたら注目も集めるだろう。
 いや、普通の雑談程度ならば別にそこまで奇異ではなかったと思う。ただ、前提がいけない。突然一十木君は人の腕を無理矢理掴んで動きを制限し、今もまるで逃がさないとばかりに手を握ったまま「ずっと探してたんだ」みたいなことを言い出したのだ。
 ・・・彼がプリンスであろうとなかろうと、何事だと視線を集めるのは当然のことなのかもしれない。とりあえず、この最高に居心地の悪い空間から逃げたくて、私は困ったように眉を下げた。

「七海も渋谷もマサも那月も翔もずっと探してたんだよ!あ、皆に見つけたって言わなきゃ・・・そうだ、今から時間ある?!」
「えっと・・・ある、にはある、けど・・」

 今羅列した名前はあれか。イケメン集団の名前か。七海さんはあの可愛い子の名前だったかなぁ、と思いながら、勢い込んで尋ねてきたその気迫に圧されてしどろもどろに答える。・・レコーディングルームを予約した時間まではまだあるから大丈夫っちゃ大丈夫なんだけど、しかしできるなら関わりたくないなぁとか。相変わらず掴まれた手をなんとか外そうと密やかに苦心しているのだが、乱暴にできないとなるとこれが難しい。なんだろう、この有無を言わせぬ感じ・・・図書館の変質者を思い出すんだが。あれも悪意の一欠けらもない笑顔で人の行動を押し留めていたものだ。
 笑顔って武器になるんだなぁ、としみじみ実感していると、私が急な話についていけていないことなど気づきもしないで、一十木君はにこっとそれはまた眩しいぐらい輝く笑顔を浮かべて見せた。

「決まり!行こうっ」
「ちょっと?!」

 何も決まってねぇよってか自己判断はやめようよ?!人の意見とか意思とかもっと重要視するべきだというかむしろ説明を!説明をプリーズ!というか本当人の話きかねぇな?!
 抗議する暇すら与えられず、ぐいっと手を掴まれていたことが不運か、そのまま引っ張られて廊下を走る羽目になった私は前方の広い背中を強制的に見つめる羽目になり、目を白黒させながら足を動かした。
 これは最早強引に腕を振り払っても許されるのではないか・・・!?あの時ほどではないが、それでも男子と手を繋いで廊下を走る、なんて行動が注目を集めないわけがない。
 どこに向かっているかも不明だが・・・いやまぁ名前が出た人物たちのところなのだろうが、それがどこなのかはわらからないので結局引っ張られるまま従うしかなくて。
 リーチの差とかもともとの走力だとかの差を考慮しているのかは定かではないが、長時間走る羽目になったら死ぬぞ私。ていうか、これ、明日とか確実にクラスメイトに問い詰められる気がする。というか噂になってそうで怖い。・・・私の平穏な学園生活が・・・!
 明日の生活に忍び寄る不穏さに一人青褪めているが、目の前で青春よろしく人を引っ張っている一十木君は気づきもしないだろう。当然だ。彼は私の前にいるのだから、後ろを振り返らない限り私の顔色など知る術はない。とりあえずこれは腕振り払って即行逃げるべきだろうか、いやいっそ彼の用事を済ませてしまった方が今後の接触は減るだろうか。
 逃げたら逃げたで面倒そうなフラグが立ちそうだし、かといってこのままついていってもなんだかんだ面倒なことになりそうな・・・あれ結局どっち選んでも巻き込まれる感じなの?
 思い至る結論になぜかほろりときそうだったが、考えすぎかもしれない、と自分を慰める。
 ほら、そんな都合よく人気者と過度な接触がたびたび起こるはずもないって。フラグとかそんなゲームやら少女漫画でもあるまいし、現実でそうそう立たないって。うん。用事が終わればきっとまた元の日常に戻るよクラスだって違うんだし。考えれば考えるほど、クラスが違うということは結構大きな強みだと思った。だってまず接する時間が少ない。挨拶をかわすにもクラスが違うというだけで顔を合わせる時間はほぼないに等しいだろうし、授業中なんて合同授業で組むクラスすら違うのだから、鉢合わせる可能性なんて無いも同然だ。(AはSクラスと組むことがほとんどだ)・・・・・ならばこれさえすめばまたなんてことはない日々に戻ることだろう。
 そう思うとこの手を繋いで廊下を走る、なんて教師に見つかれば怒られそう且つ人の注目を集めるそれも一過性のものだと我慢できる。しかし視線は痛いので、顔を隠したいとは思ったが走っている状態でそんなことをしようもなら、転ぶことは免れないだろう。
 そうしたら必然的に手を繋いでいる相手にも迷惑をかける羽目になるので、私は零れそうな溜息を少し乱れた呼吸に混ぜて外に吐き出し、仕方なく一十木君の背中を見つめることに専念した。
 それにしても一十木君は中々足が速い。もつれそうになる、とまではいかないが、自分のペースでいけない分きついものがある。ピンと伸びた腕の先の暖かな体温が、走っているせいかより一層熱を帯びて熱く感じるぐらいだ。顔は見えないが、今の彼の頬は真っ赤なんじゃないかなぁ、と乱れる赤い髪を見つめた。無論女子と手を繋いでドッキドキ!なんて甘酸っぱいものではなく、単純に走ってるしなんかやたらと興奮してたから気持ちが高揚してんじゃないかってことなんだけど。てかあれだな。この学校には人の話をきかない人間が多いな。
 まぁ代表的なのがトップにいるので最早校風なのかもしれないけど。・・・そんな校風嫌だ・・・。自分で考えておきながら思わず顔を顰めると、あー!と声が聞こえて、手を掴んでいた一十木君の手がびくりと震えた。

「オト君いいところにー!」
「え、うわっ。リンちゃん!?」
「おっと」

 急に一十木君が止まるので、その背中にぶつかりそうになったが寸前で足を止めてなんとか踏みとどまる。いきなり止まるのは普通に危ないよ?!まぁぶつかったところで被害はこの体格差だ、私にしかなさそうだが、だからこそ余計に迷惑である。
 鼻を打たずにすんだことにほっとしながら、この急ブレーキは何事だ?とひょこりと一十木君の後ろから少し体をずらせば、月宮先生が一十木君の片腕を掴んでいる光景が目に入る。無論、私の手を掴んでいる手とは反対の、だが。

「次の授業で使う教材が届いたから、運ぶの手伝って!」
「えぇっ。それ今じゃないとだめ?」
「明日の朝一で使うから今日中にすませちゃいたいのよ。ほらほら早く!」
「わわわっ。リンちゃんちょっと待って俺用事が・・・!」

 あー・・・。ぐいぐいとその細身の体のどこにそんな力が?とばかりに一十木君の腕に腕を絡ませぐいぐいと引っ張る月宮先生の様子に、これは逃げられないな、と私は一十木君のうろたえる様子を眺めながら肩から力を抜いた。彼が月宮先生に意識を向けている間にそっと手を外したことも幸いか、抵抗も虚しくずるずると引っ張られる姿はなんだかそれだけで哀愁を感じる。ドナドナみたい、ということはさておいて、腕をがっちりホールドされて引っ張られるというのは随分と動きにくそうだった。よたよたと歩く一十木君を見送れば、彼は苦心しながらもこちらを振り返った。うん?

「す、すぐ終わらせるからそこで待ってて!」
「あらオト君誰かと一緒だったの?」
「だからリンちゃん俺用事があるって・・・あ~~~っ!!」

 うん、人の話を聞かないのはやっぱり校風なのかな。月宮先生も負けず劣らず強引だ。連れ去られるようにしてずるずると廊下の曲がり角を曲がった一十木君をなんとなく見送りながら、私はぽつんと取り残された廊下でさて、と頬に手を添えた。

「・・・待っててと言われてもなぁ」

 腕時計をみれば、予約の時間までまだあるものの、あの様子じゃその余裕のある時間内に無事に仕事が終わるようにも見えない。というか一人ぽつねんとこんなところで待ってるとか、居た堪れない。できるなら関わりたくないとすら思っているので、いなくなってもよさそうな気はするが、待っててといわれた手前即行いなくなるのもどうだろうか。
 かといってこの微妙に注目を集めた状態で突っ立ったままというのは・・・うん。遠慮したい。ちらちらを向けられる視線を意識しないようにしながらも、まいったなぁ、と眉を下げた。
 いっそ時間間際なら気にもせずに去れるのに、中途半端に余る時間を持て余している。はてさて、どうしたものか。

「うん?そんなところで突っ立ってどうしたんだ
「日向先生」

 とりあえず通行の邪魔にならないように壁際に寄り、背中を預けて待つ、という行為をひとまず実行していると、曲がり角を曲がった向こうから現れた日向先生に、私はまぁちょっと、と曖昧に言葉を濁した。

「そうか・・なぁ。お前時間あるか?」
「ありますけど。あ、でもレコーディングルームの予約取ってるんで、あまり長時間は・・・・」
「いや、そんなかからねぇよ。ちょっと話したいことが、な。まぁここじゃなんだ、職員室に行くか」

 やっと何かまともな会話が成り立った気がする。そう思いつつも、促す日向先生に一瞬躊躇いを覚えた。一十木君は待っててといったが・・・・まぁ、うん。

「わかりました」

 教師の言葉には逆らえないよね!正直、注目集めた後で一人待つという作業に憂鬱な気分になっていたので、先生の申し出はありがたかった。こくりと頷いて、先を行く一十木君よりもどこかがっしりとした印象を受ける日向先生の背広姿を眺めながら、私はこの居た堪れない空間からの脱出を図る。
 一十木君、すまん。しかし用事があるなら今度からはもっと穏便な方法で頼む。というか、もしかして彼らが探していたという女子生徒は私だったのだろうか・・・?そんなことを考えながらも、そこまでして探されるような理由はとんと思いつかない。首を傾げつつ、リーチの違う日向先生に小走りについていった。途中、気がついた先生が悪い、といってペースを落としてくれたので、なんだかちょっとときめいた。気遣いのできる男子は素晴らしいと思う。
 だからとりあえず、暴走気味な男子はちょっと日向先生見習え、と切実に思った。一十木君然り、この前の眼鏡男子然り。いや本当、人の話をもっと聞くべきだよ彼ら。