気紛れな夜と朝の温もりに孕んだ、5月の狂想曲
抜き打ちテストの時間はそれぞれで定められていて、指定時間になれば各自教室に向かい試験を受けるという形になっている。ペーパーテストならいざ知らず、実技試験なのでそういう形式になるのは仕方ないのだが、順番はいつも適当に籤とか教師からのランダム指定だったりするので、いきなり初っ端にあたったり最後まで残されたりと、実に心臓に悪い形式なのだ。
しかも今回はほぼ全員がクラスを越えたペアを組んでいるものだから、試験管もばらばらなのである。自分の担任が担当試験管を勤めるとは限らない、ということらしい。
実に嫌なシステムだ。担任ならばもう何度か発表も目の前でしてきているしアドバイスの仕方も評価の仕方も慣れたものだが、そこに全くよく知りもしない他クラスの担任から評価やらなんやらをされると思うと・・・・あ、胃が痛い。
憂鬱な気分でお腹の上にそっと手を押し当てる。実際に胃痛を覚えているわけではないが、いっそ腹痛にでもなってボイコットしたいぐらいにはテストを受けたくない気持ちで一杯だ。基本的にチキン且つ自分に圧倒的に自信がないので、実技系のテストはマジで逃げ出したいぐらい受けたくないのだ。始まれば腹も括れるというものだが、始まるまでの時間が非常に憂鬱である。・・てか作曲コースは曲作ったら終わりなんだから、別に一緒に現場にいかなくてもよくね?と思うのだが、機材の操作やらなんやらもあるので、行かないわけにはいかないのだ。
しかも今回はなにやらいつものテストとは勝手が違う、というかパートナーの諸々の事情があるのでどうも一筋縄ではいかないような気がしている。
昨日の時点で結構追い詰められていたようではあったが、さて。今日はどうだろうか。そんなことをつらつらと考えていると、ざわり、と教室の空気が揺れた。
なんかこの感じ最近富に感じるなぁ、と思いつつ空気の揺れの発生源に目を向ければ、あれまぁなんとも場違いな人物が、鉄面皮のまま教室の入り口に立っていた。
何故だろう。Bクラスとてアイドルコースの人間は大勢いるので、顔面の偏差値はそれなりに高いはずである。一般的に可愛いカッコイイと言われるような人間は揃っているはずなのに、教室の入り口前で無表情ながら嫌そうな気配を漂わせている人物はそれと一線を画しているような気がするのは。顔面レベルの高さもさることながら、立ち姿とか雰囲気とか、オーラが何か違うというのだろうか・・・。
ぴしりと伸びた背筋とか、すらりとした手足とか・・・あぁ、体のバランスがいいのかなぁ。全体的に、綺麗に整っているのだ、顔も体も。それを周囲も感じているのか、ざわつき、女子の中には黄色い声を密やかにあげている子もいるぐらいなのに、当の本人はそんなこと知りません気にしません鬱陶しい、と言わんばかりに我関せずで入り口前で教室の中を見渡している。誰かに声かければいいのに、と思いつつも彼がここにいる理由など一つしか見当たらず、私はよいせ、と声を出しながら椅子からたった。
生憎と普段ならば真っ先に興奮して黄色い声をあげているだろう友人は試験中だ。現在教室にはいないので、この世にも珍しいSクラスの生徒・・・しかも友人曰くプリンスさま?のご来訪を見れなかったのは後で知ればさぞかし悔しがるに違いない。
なんとなく愚痴を聞かされる光景が思い浮かんで、いささかうんざりもしたが仕方ない。タイミングというものはどこにでも転がっているものだ。
しかしこんな注目集めている中に自ら進んでいくのは中々に気が引ける。何故わざわざ教室にきたんだ一ノ瀬君。嫌だなぁ、と思いながらも折角ここまで足を運んでくれたのに無視するわけにもいかず、仕方なく机の間を縫って入り口まで近づいた。
近くの席で固まっている女生徒の視線が実に怖いです。
「一ノ瀬君、どうしたの?まだ試験まで時間あるけど・・」
「最後の音の確認がしたいと思ったので。それに、どうせレコーディングルームに行くのならばバラバラに行くよりも一緒に行ったほうがいいでしょう」
「あぁ。そっか。でもなら昨日の内に言ってくれれば集合場所ぐらい決めたのに」
わざわざ教室まで来なくても、と眉を潜めれば、彼はちらりと周囲に目を走らせてからしょうがないでしょう、と溜息を吐いた。
「携帯を持っていない君が悪いんです。そもそも何故持っていないんですか」
「うーん。今までそんなに必要性を感じなかったからかな?」
「感じなかったんですか」
なかったね。便利だなってだけであって、なくては困る、というほど困るものではない。
過去、文明機器すら存在しない時代を生きてきたので、余計に携帯がなくては!という感覚が薄れていったものだ。あれば便利なのに、と思っていたはずなのに、いざ手に入れることが可能な時代に来て別になくても、と思うのはどんな天邪鬼精神なのか。
あと金銭的面で渋っていたのもあるが、まぁそこまで言う必要はないので、呆れた顔をした一ノ瀬君に苦笑を浮かべ、ちょっと待ってて、と声をかけて踵を返した。
歩けば注がれる周囲の好奇の視線を故意に無視しながら、机の中を漁り楽譜とCDケースを取り出す。そうして小走りに一ノ瀬君の元まで戻ると、連れたって教室から離れた。
注がれる好奇の視線が次第に薄れていく。人通りさえ減ったところで、私はほう、と息を吐いた。
「・・さすがに、一ノ瀬君が来ると目立つね」
彼がHAYATOに似ていることもそうだろうし、Sクラスの生徒だということもそうだろうし、HAYATO抜きにして美形なのも、目を放せない雰囲気があるのも全部ひっくるめて、多分彼は人目を集めてしまうのだろう。私がSクラスに迎えに行けばよかったかな、と思いながらファイルを持ち直すと、一ノ瀬君は眉を潜めてふいと顔を逸らした。
「HAYATOに似ているからでしょう」
「まぁほぼ同じ顔だからしょうがないね」
現役アイドルと似てたらそりゃぁ勿論目を引くだろう。むしろ同じ顔といってもいいが、表情の差だけで受ける印象は変わってくるので全く同じ、ではないのだろう多分。よく知りはしないが、同意を示せば一ノ瀬君は迷惑な話です、と溜息を吐く。・・・お兄さんは別に悪くは無いのだろうが、やはり弟としたら色々と思うところがあるんだろうなぁ。
自分が何かやらかしたわけでもないのに、勝手に集まる注目。ひそひそと話しをされて、声をかけられたと思えば自分ではなく他人に間違われる。そりゃ鬱陶しいという他無い。
それはもう同じ顔、双子の運命として諦めるしかないのだが、所詮他人事なので一ノ瀬君がどこまで不愉快な思いをしているのかは私にはわからない。ただ想像しただけでもげんなりはするので、誰も悪くはないだけに苦笑しか返せなかった。まぁしかし。
「でも、一ノ瀬君だから目を放せない部分もあったと思うよ」
「私だから?」
「雰囲気とかね。顔は同じでも浮かべる表情は違うし。一ノ瀬君、すごく綺麗に立つから、こう、目を引いちゃうんだよ。姿勢が綺麗な人って、目を引くでしょ?」
「そうですね・・・なんとなくわかります」
こてりと首を傾げて横を見上げると、一ノ瀬君は少し考えるように目を伏せて、肯定の頷きを返した。だよねだよね。目を引くよね。
何故だろうか。ただ背筋が伸びているだけでとても目を引かれるのは。ただ立っているだけなのに、ニコリともしていないのに。ただそこにいるだけで目を奪われるという現象。
幾度か私も体験したことがある。それは愚直なまでに真っ直ぐに進むあの人とか、弓を引く凛としたあの人とか。ただ、背筋を伸ばして、そこにいるだけなのに。たったそれだけで、人は目を奪われずにはいられないのだろう。綺麗とは、外見だけを指すのではないのだと、否応でも知れるというものだ。
「姿勢が綺麗だと言われたのは初めてですよ」
「そう?結構言われてるかと思った。目につくと思うんだけどなぁ。伸びた背筋が一ノ瀬君らしくて」
「私らしい、ですか」
「一ノ瀬君の雰囲気に猫背は似合わないからねぇ。多分ね、たくさんの人がいても一ノ瀬君の背中は結構すぐに目につくと思うよ」
伸びた背筋はそれだけで印象的だから。ふっと目を細めて、目印にはよさそう、となんとなく考える。背も高いし、美形だし、なんかオーラあるし・・・うん。人ごみの中でもなんとか見つけられそうだ。ただその場合、彼が別の何か囲まれていそうな気もしているが。
・・まぁ、一ノ瀬君とどこかに出かけることなんてないだろうから、あくまで想像のことだして。目印にいいね、と茶化すように言うと、一ノ瀬君はむっと顔を顰め、しかし次の瞬間にはにやりと口元をゆがめた。
「そういう君は、人ごみの中にいたら見つけられそうもありませんね」
「ズバッと言うな!もうちょっとオブラートに包んでよ事実だけど!!」
「そこ肯定するんですか」
「否定してもどうにもならんからね。実際問題見つけにくいだろうし。背丈がねぇ・・・もうちょっと欲しいんだけどねぇ」
いやはや、成長期がきたとしても微々たるものだろうし、むしろもう来ない気がしているのでこの高さはほぼ固定状態だろう。一度高い視点を自らの力で見てみたいものだが、なんだか幾度世界を回っても目線が固定されてるんだけどなにこの理不尽さ。
ふっと遠い目をして黄昏てみると、一ノ瀬君は肩を竦めた。背の高い人間にはわからないだろうが、小さいって結構大変なんだからね!慣れてるけど!!
「まぁ、まだ伸びる余地はありますよ。多分」
「最後はいらないですよ。そこありますよで終わりましょうよ」
「それはすみません」
しれっと言いやがったなこいつ。悪いと思ってない謝罪はそこはかとなく苛っとくるものがあったが、しれっとした一ノ瀬君を見ていると噛み付くのもなんだか無駄な気がしたので、私は溜息を吐いて少しだけ唇を尖らせた。・・・何時の間にこの子はこんなにも砕けたのかしら。こんな軽口言い合えるような仲だったっけ?と思いながらもまぁ悪いことじゃないのでスルーすると、不意に横から声をかけられた。
「おや、イッチーじゃないか」
「・・・レン」
・・・・・・・・・・・この声は。呼びかけられ、足を止めた一ノ瀬君に合わせて私も足を止める。そうすると、前の方から着崩すにもほどがある、というほど制服を着崩した男子生徒が、何か掴みどころのない笑みを浮かべてカツカツと靴の音を響かせた。
「イッチーがそんな顔をしているなんて珍しいね。しかもレディがお相手なんて・・ふふ、イッチーも隅に置けないねぇ」
レディて。ともすれば失笑が零れそうだったが、これよりもある意味で酷い・・・姫君やら天女やらまぁ色々と歯の浮くような台詞は聞いてきたので、今更レディ呼びの一つや二つで動揺することもない。ただないわぁ、とは思うけど。うん。・・・恥ずかしいと思わないからこんな台詞や言い回しができるのだろうけれど、前々から思っていたし内心でツッコミまくってはいたんだけど。・・・自分で自分が痛いなぁ、とか思わないのだろうか・・・。
いや、似合ってるよ?声とか雰囲気とか、顔だって勿論綺麗に整っているしカッコイイし。美形だからこそ許される行いだよね。まぁ、うん。・・・本人がそれでいいなら、別段被害があるわけでもないし、いいんだけどね・・・。
そんなことを考えながら、目元にかかる前髪がいささか邪魔そうな印象を受けつつも、男性的色気を纏わせて、整った顔に楽しげな含み笑いを浮かべた男がつい、と向けた流し目にうん?と首を捻る。一つの仕草も計算されつくしていかに女子受けするか、どれだけ自分をかっこよく見せられるか把握しきったような完璧なタイミングと流し目だ。
微笑みの形も自分の顔のよさを自覚していますと言わんばかりの自信に溢れていて、男からみたら「うざ!!」と言われて、女子からは「カッコイイ!」と「キモイ!」が半々ぐらいに分かれそうな極端なタイプ。まぁ、どうもこの学校は前者に女性が傾きガチな気もしているが、個人的にその仕草は慣れたものなので、特に反応はしなかった。しいていうなら懐かしいなぁ、と目を細めたぐらいだろうか。・・・思い出すわぁ、某朱雀コンビを。
確か、神宮寺君だったかな。このたらし属性の男子の名前は。食堂とかでひと悶着起こしていたときもあったし、偶に見かけると女子の取り巻きに囲まれていたときもあったし、何より声があの人だし。印象にはよく残ってる、と思いながらしげしげと眺めれば、恐らく彼の思った反応と違ったのだろう。おや?とばかりに少しだけ眉を潜めて、神宮寺君は面白そうに口元を緩めた。・・・あ、ヤバイ。顔には出さないように努めたが、これは反応を間違えたかもしれない、と内心戦々恐々としていると、すっと大きな影が一歩前に進み出た。
「彼女は今回の課題のペアですよ。それよりも、レン。どうしてあなたがここにいるんですか?今あなたは試験中のはずでしょう」
「あぁ、それね。試験よりも大切な用事があってね。そちらを優先させたまでさ」
「・・また、ですか。いい加減に試験ぐらい真面目に受けたらどうですか?これ以上くだらないことばかりしていると、退学になりますよ」
「くだらないとは随分な言いようだな。俺にとっても試験なんかよりもよっぽど有意義なだけだよ。まぁそんなつまらないことよりも、レディのことを教えてくれないかい?」
いや、結構重要なことだと思いますよ?退学の二文字になにその重い話題、と一ノ瀬君の後ろで聞いていた私は、突然一ノ瀬君の体から顔を覗かせて蟲惑的な笑みを浮かべた神宮寺君に、そっと距離を取りながらはぁ、と生返事を返した。
一ノ瀬君の眉間の皺が常に見るものよりも深くなった気がしたが、当の本人が気にした風でもないので、あまり効果はないだろう。というか、神宮寺君と一ノ瀬君が存外親しそうなことに微妙に驚きが隠せないです。全く噛み合わないというか、近づくこともなさそうな人種同士だと思うのに、何気に仲いいのかこの二人。・・・こう見えて結構噛みあってるのか・・?
意外だな、と思いつつ二人を見比べると、視線に気がついた神宮寺君はにっこりと笑みを浮かべてすっと手を伸ばしてきた。
「俺は神宮寺レン。愛らしいレディの名前を教えてくれないか?」
するり。結わえた髪の一房を手に取り、腰を屈めて口元に持っていきながら、適度に視線を合わせた神宮寺君に、ここは素直にうわぁ、と引いた。ちょ、近い近い。人のパーソナルスペースにそう簡単に踏み込むもんじゃないよしかも体格いい方なんだからちょっと威圧的だよもうちょっと日本人の奥ゆかしさというものを持とうよあとやっぱり行動が似てるね!
つらつらと思考を巡らしながら、掬い取られた髪を取りも戻すようにさりげなく髪を弄ることで神宮寺君の手から落とし、ついでに体を後ろに下げて適切な距離を再度取ってから、神宮寺君に視線を合わせた。・・・名乗られたら名乗り返すしかないじゃないか。ちっ。
「Bクラスのです」
「Bクラス?・・へぇ、どういう経緯でイッチーと組むことになったんだい?」
「それは・・・」
「レンには関係のないことですよ」
私が距離をとったことに気づいただろうに、特に距離を詰めてくることも無くその場で曲げていた腰を戻した神宮寺君の目に愉快そうな輝きが見えて、気づかれないように眉を潜めた。・・・まぁ、この程度の反応で目をつけられるほどワンパターンな人間ばかりではないと思うので、そうそうちょっかいはかけられないと思うのだが・・・。しかしなんか首筋がぞわぞわする、と思いつつなんとも言えないでいると、やっぱり眉間の皺を深くしていた一ノ瀬君が、神宮寺君の探るような言葉を突き放すようにバッサリと切り捨てて、ぐいと私と神宮寺君の間に割って入った。
「私たちはこれから試験がありますので。君も、試験を受ける気がないのなら我々の邪魔だけはしないでください」
「おやおや。しょうがないね、レディとのお話は次回の楽しみに取っておくよ」
パチン、とウインクを一ノ瀬君ではなく私に向けて飛ばした神宮寺君は、またね、レディ。なんていいながらひらりと手を振って背中を向けた。また、なんてないといいなぁ、と思いながら悠然と去っていく彼の背中を眺めていると、横で一ノ瀬君が大きな溜息を吐いた。
そういえばこれから何処行くんだろうなぁ。まぁ女の子のところっぽいよなぁ。そんなことを考えていた私は、その大きな溜息に神宮寺君の背中から視線を外し一ノ瀬君を見上げた。
一ノ瀬君は寄った眉間の皺を解すように親指と人差し指で揉みこんでいて、何やら一気に疲れた様子を醸し出していた。・・まぁ、疲れるよね、色んな意味で。
気遣わしげな視線を向けると、みられていることに気がついたのか一ノ瀬君はふと目線を下に向けて、なんともいえない仏頂面を浮かべて見せた。
「レンはああいう性格なんです。本気に取らない方が身の為ですよ」
「あれを本気で取る人間はよっぽど純粋な子か彼を本気で好きな子ぐらいだと思うけど。それよりも、大丈夫?一ノ瀬君。疲れがどっと出た顔してるよ」
「えぇ、平気です。・・・・いきましょう、レンのせいで余計な時間を使ってしまいました」
そういって、表情を消して先に歩き出した一ノ瀬君の後に慌ててついていきながら、ちらり、と先ほどの会話を思い出した。
退学とは、なんとも穏やかじゃないな。しかし、自分には関係のないことだ、と。緩く首をふることでそれを追い出し、私は今目の前に迫っている「テスト」という難問に、意識を向けた。
正直、他人のごたごたの前にすぐ目の前まで迫っている我が身のごたごたの方が、何倍も、何十倍も、大切なのである。