雨上がりの虹に永遠を願った、6月の間奏曲



 次の授業のためのルーズリーフを取り出すと、その中身がもう残り少ないことが目についてそういえば、とくるりと思考を巡らした。昨晩、そろそろなくなるから買いに行かなくちゃなぁ、とかそういえば五線譜も少なくなってたよなぁ、とか今日って確かポイント五倍デーだったよねぇ、とか。(購買部なのに何故ポイントがあるのかって?それは学園長に聞いてくれ)そんな取りとめのない思考で、私はルーズリーフを机の上に投げ出し、教科書の準備をすませると財布を手に取った。

「あれ?何か買いにいくの?」
「ちょっとねー」
「じゃぁついでにお昼も頼んでいい?」
「あ、私も私も」

 席を立った私を目敏く見つけたクラスメイトが、便乗するかのように名乗り出るのに抵抗なく了承すると、ざっと目的の商品名を言われて脳みそにインプットする。でも忘れてもあれだから忘れないうちにメモも取って、教室から出て行った。
 以前は地図がなければ行き先も不安だったというのに、今じゃ覚えた道順はどこからでも購買部に行くのに困ることはない。
 とはいっても、行き慣れない場所はやはり不安が残るのだが、所詮町中ではなく学園内なので、今のところ困ったことにはなっていない。遭難するわけでもあるまいし。学校の中なのだから、そんな大袈裟なことになるわけがないのだ。・・・ない、よね?
 学園の規模と学園長の所業を考えると、なんだかありそうでなさそうな、非常に曖昧なラインだと気がつき、私は生徒も行きかう廊下だというのに、むぅ、と思わず顔を顰めた。





 人の噂もなんとやら。あの試験からこっち、騒がしい期間も過ぎると私の周りはいつものような穏やかで平凡な日々を取り戻している。いや、あの直後は酷かった。何が酷かったって、この学校今はもうあんまりしないだろうテストの成績を貼りだすとかいう鬼畜の所業を行っているのだ。そこで出た私の成績どうだったと思う?トップ10入りだよ有り得ない。
 ちなみに1位はAクラスの七海さん?という子だった。七海さんって子に縁があるなぁ、と思いつつその名前からいくらか下がった位置に、けれど遠くない位置にある自分の名前に驚愕の眼差しを送ったことは記憶に新しい。クラスメイトもあんぐりと口を開けていたよ先生なんてことを・・・!
 それからはもう本当に、色々と、まぁ、あれだった。通常Bクラスでも平均点よりちょっと上?ぐらいで決して上位ではなかった私がここにきてトップグループにいきなり介入したことは晴天の霹靂であったのだろう。何をしたどうした何があったと問い詰められーの、エリートクラスからは刺すような視線もらいーので、胃がキリキリしたものだ。
 そもそもBクラスの生徒がほぼSとAクラスが占める上位陣に名を連ねるだけでちょっと目立つのだ。それがBのトップでもない人間がとなれば、まぁ、クラス内に限らず他クラスからもちょっとした視線を貰うことは仕方ないというものだろう。あ、ちなみに一ノ瀬君は安定の1位だったそうですさすがSクラストップ!あれだけぐだぐだ悩んでいた癖に1位とかもう本当・・・まぁ、日向先生の評価もよかったので、当然の結果だったのかもしれない。
 しかし私の順位は解せぬ。何一つとして評価を頂けなかったのに(あ、でも北原先生からの視線は超痛かった!ドライアイになりますよってぐらい見られて怖かった!言いたいことがあるなら何か言って!)
 まぁ、その質問攻めもエリートクラスからの「なんでお前が!」という視線も、のらりくらりと「全部一ノ瀬君のおかげだよ☆」ということを始終貫き通して事を収めましたけどね。
 ふふ・・・そりゃぁSクラストップと組んだんだから、それなりに相乗効果というものもあるでしょうよ。まぁ、そうだとしても出来すぎだとは思うが、不正なんかはしていない。
 というか、日向先生相手に不正とか。どうやってしろと。というかあのテスト内容でどう不正しろと。ペーパーテストじゃないんだからできないだろ。教師を買収でもしたというのか。あの日向先生含め他教師相手に?むしろこの学園で不正とか。あの学園長の目が誤魔化せると?無理無理。やろうとしてもできないよ。言えば「それもそうか」と納得して貰えたので、その件に対しての疑いは晴れたが、全く、先生もなんて評価をしてくれたんだ。
 恐らく、高得点を頂いて悪態を吐くなど私ぐらいだろうが、素直に喜べないのはなんだろうか。もう性格とかいう前に性根の問題だろうか。多分今まで培ってきたナニかのせいだ。
 それでも、人の噂など新しい噂に消えていくものだ。しかも私は基本凡人。なんの特徴も無い人間が、一時のテストだけで長期間話題に上がることは早々ない。幸いにもあれ以後一ノ瀬君との接触もないので(クラスの違いはやはり大きいということだ)私の存在が薄くなることは当然のことと言えよう。
 そんな取り戻した平穏の中、サオトメイトで友人に頼まれたお昼と自分の必要な文具をレジカウンターにおいて会計を済ませると、すでに顔馴染みとなっているレジのおばさんが、ひらひらと手招きをした。

「ちょっとちょっと、ちゃん」
「なんですか?」

 きょろきょろと今私以外にカウンターに並んでいる生徒がいないことを確認して、すっと顔を寄せたおばさんに釣られるようにして私も身を寄せる。
 小首を傾げると、おばさんはニコニコ目尻の皺を深めてから、レジの下か何かを取り出した。

「ほらこれ!さおとメロンパンの新作。取っておいたよ!」
「わぁ、いつもいつもありがとうございます!」

 じゃっじゃーん!と差し出されたさおとメロンパンは、確かベーカリーコーナーででかでかと「新作!いちごミルク味!」とポップと共に宣伝されていたそれだった。薄っすらとピンク色をしたふっくらとしたメロンパンの、香ばしい香りが鼻腔を擽る。
 付け加えて言うならば、さおとメロンパンの新作はどうやらランダムに出されているらしく、時期も時間も決められていないし数も少ない。更にいくら人気があったとしても継続して出されることはなく、通常のメロンパンのように常時店頭に出されることは無いのだという。
 つまり、その場限りの限定商品。それを食すことが出来るのは極めて稀で、通常のメロンパンでさえ希少価値があるというのに、限定メロンパンはもーっと希少価値が高いのだ。
 ・・・いや、これ聞いたのはクラスメイト情報で、まさかそんな貴重なパンだとは露ほどにも知らなかったのですけどね。だって行けば大抵メロンパンはあったし、新作とかもこうして取り置きしてくれることがほとんどで・・・まぁつまり、周囲が言うほど苦労してないんだよね、これが。
 皆もレジのおばさんと仲良くなるといいと思うよ。結構融通してくれるから。さておき、取り置きしてくれたメロンパンは勿論遠慮なく受け取り、代金を支払ってから意気揚々を腕に抱え込んだ。

「本当にいつもありがとうございます。また今度何か作って持ってきますね」
「こちらこそいつもありがとうね。ちゃんの作ったものはうちの子達からも評判いいのよ~」

 むしろよすぎて困っちゃうぐらい、とニコニコ笑顔で言うレジのおばさんに、それは何よりです、と世間話をいくらか交わすと、お昼の時間もあることだし、と適当に切り上げてレジを後にした。
 こうしてご近所付き合いならぬ学園内お付き合いをしながら、ほくほくとビニール袋を揺らして購買部から出よう横切ると、ベーカリーコーナーで一点を見つめたまま微動だにしない生徒を見つけてふと目が引かれた。高い背丈にさらさらの青い髪。斜め後ろから見えた横顔は、横顔だけだというのに通った鼻筋やら長い睫毛やらで随分と整った顔なのだと思わせる。・・・あぁ、聖川君か。財閥の御曹司も購買なんてくるんだなぁ、というのは偏見というものだろうか。しかし、今や日本の二大財閥とかいう大層な肩書きを持つ御曹司に、いくら学校の購買には見えないとはいえ、それでも一応購買と名のつくそれがどこか似合わないようにも思える。うむ。漫画やらのみすぎかな。今日日、コンビニなど利用しない方が少ないのだろうし、今はただ?の学生なんだし、そりゃ購買ぐらい利用するか、と納得をしてその後ろを通り過ぎる。その時、何をそんなに立ち止まって凝視しているのかとちらりと見た場所には、大きな「新作!いちごミルク味!」のポップがあり、あぁメロンパンをみていたのか、と密かに頷いた。いや、聖川君が何を買おうとしているのか、ちょっと興味があったとかそんな。でもあまりにも熱心に見つめているから何を悩んでいるのかと思えば・・・すでに一つとして残っていないメロンパンコーナーを凝視するのはどうなのかな。
 お昼を買いにきたのならば、すでにないものには見切りをつけて別のものを買えばいいものを、と、取り置きしてもらっていた私が言うのもなんだが(言っておくが、しておいて、といったわけではない)思いつつ、呆然と立ったままの聖川君をさらっと流すと、購買部から外に出た。
 そのとき、ぼそりと「メロンパンがない・・・だと・・・」という、え?何をそこまで?というような呟きが聞こえたが、一回だけ後ろを振り返るだけ振り返って、物凄く肩を落とす聖川君、という光景を目に焼き付けてから、さっさと購買を後にした。
 物凄く哀愁が漂っていたというかそんなにショックなの?というほど意気消沈している様子が憐憫を誘うものの、どこか面白さを隠せない。というか、すごく面白い。たかがメロンパンであの反応。どんだけ好きなんメロンパン。そして何よりあの聖川君が、というところにまた笑いが。あの、というほど詳しいわけでもないが、まぁなんだ。友人がファンなのでそれなりに話題に出るときはあるんだよ。
 無論、わざわざレジのおばさんが取り置いてくれたメロンパンを、いくらその姿がおもしろ、基、可哀想だとはいえ譲る気は毛頭なく。というか大して知り合いでもないのにいきなりやらかすほど親切心も勇気も持ち合わせてはいないので、私はこのことを話のネタにするべく、足早に教室を目指した。

「聞いて聞いて!購買で聖川君見かけたんだけど、なんかすごい面白かった!」
「聖川様が面白いってどゆこと!?」
「まぁ座れ座れ。ゆっくりと聞こうじゃないか」

 食いつく友人にしめしめ、と思いつつ、買ってきたものを合わせたテーブルに広げながら、私は早速先ほどのことを話し始めた。
 いつぞやが嘘のような、実に平穏な、一日だ。