雨上がりの虹に永遠を願った、6月の間奏曲
「Sクラスの人と組んだだけで成績が上がるなんて、羨ましいよねぇ。こっちは努力してるってのに」
これみよがしな皮肉が聞こえて、振り向くべきか振り向かないべきか、なんて考えながら筆箱にシャーペンを入れていると、ガタリ、と椅子を引く音がして顔をあげた。
目線をあげれば、綺麗に整えて柳眉を描く眉をきつく寄せて、不愉快を隠そうともしていない剣呑な顔の友人が立ち上がろうとしていて、咄嗟に机についていた手を握って動きを制限する。
腕を捕まれた感覚に気づいた友人が、ばっと勢い良く振り向いて険しい顔を向けた。止めるな、と視線で睨まれたが、私は軽く肩を竦めて口角を持ち上げる。
「気にしてないよ」
「でも!」
「気にするほどのことじゃないよ」
半分事実みたいなものだし。まぁ、まるで私が努力していなかったみたいな言い方ですけど?でもまぁ、それは多分私の発言にも問題があったのだ。自分は何もしていない、一ノ瀬君のおかげだから、と言い捲くっていたので、そういわれても身から出た錆のようなもので、つまり反論する余地はない。それに、言い返すのも面倒、というか余計ないざこざは無用、というか、友人にまで面倒事に巻き込みたくないというか。
まぁ座りなさいな、と友人を宥めると、くすくすという笑い声が聞こえた。ちらりと向こうを見れば少し離れた席で派手目な女子生徒がこちらを見ながら笑っていて、嘲笑しているのだろうなぁ、となんとなく察した。ここでいっちょ満面の笑みでも向けてやろうか、と思わないでもなかったが、それこそ無駄ないざこざだと思うので、気づかないフリで友人に向き直る。
彼女は止められたことが不服なのか、可愛い顔をむすっと不機嫌に損ねていて、その様子があどけないベイビーフェイスと重なって一層実年齢よりも下に見えた。
あぁ、可愛いなぁ、と思わず和んでいるとぎろり、とアイメイクに縁取られた目がこちらを睨む。
「なんでにやにや笑ってるの」
「え?可愛いなぁって思って」
「そうじゃないでしょ!」
あぁもうこの天然!とばしっと机を白い手が叩く。いや、天然ではないよ?なんで友人が不機嫌なのかとか苛苛してるのかとか、そういうことはわかってるし。ただあえて触れようともしていないだけで、更に言えば話を摩り替えられたら万々歳ってだけで。確信犯?みたいな?
むしろ私、友人に恵まれてるなぁ、と幸せを噛み締めているというか。案外、昔から対人運は悪くは無いんだよね。ただ、うん。個性的な面々が多いだけで、それがちょっと個人的には喜ばしくなかっただけで。あれかなぁ、欲張りなのかなぁ、やっぱり。そう思考を明後日に飛ばしていると、落ち着け、と横から友人の頭部を叩く華麗な手の動きが見えて、おや、と眉を動かした。
「おかえり。パートナーとの話終わったん?」
「ただいま。一応ね。で、あんたはまーた嫌味言われてたわけ?」
パートナーに呼び出されて帰って来た友人にひらりと手を振れば、高い位置でポニーテールにした髪を、その名の通りに揺らしながら、がたがたと近くの椅子を引いて座る。半眼になった目で私とむっつりと膨れている友人を見る目は多少の呆れと心配、それからやっぱりちょっとした不快感を覗かせていて、あぁここにもこんなにいい子が、と微笑ましく思う。
けれどここで笑えば前方でじりじりと睨んでいる相手から渇を頂きそうだったので、ぐっと堪えて苦笑に変えた。
「んー。まぁ、半分は自分で蒔いた種だし?実害はないからいいかなって」
「あるでしょ実害!嫌味言われてるんだよ?!ふつーはもっと落ち込むっていうか気分的に害があるでしょっ」
「無害じゃないよね、確かに」
ばしばしと感情を訴えるように声を荒げて主張する友人に、同意するかのように頷かれるとこちらも困る。まぁ、いい気はしないが、所詮言葉だけだ。しかも自分にとってさして重要でもなければ、クラスメイトであれ交流の少ない間柄。これが友人同士だったりどうしても関わらなければならない仕事仲間であるのならば確かに憂鬱だが、案外学生というのはそこら辺は希薄であったりするのである。気にしなければ、実はそんなに気にならない。
世の中もっとえげつないことする人間はいるものなのである。
「害のあるなしは私が決めるよ。あぁでも、二人には嫌な思いさせてるねぇ」
これで実力的手段も講じられればこちらもちょっとは抵抗せねばならないが、口だけならばその内飽きてくるだろう。どうせ後にも先にもあれほどの評価はこれっきりだろうし、そうなれば私という存在は埋もれていくのが世の理というもの。それでもそのしばらくの間、友人たちには不愉快な思いをさせるのかもしれない、と思えば申し訳なさが先立つ。
眉を下げれば、柳眉をピクリと動かして、友人はつやつやの唇を開いた。
「それは、どういう意味で言ってんの?」
「うん?私が嫌味言われることに対して。やっぱ友達がそういう目にあってるの、見てるのはいい気がしないよね」
「・・・・・は、わかってないようでわかってるのが偶に腹立つ」
それは私のせいで二人まで嫌味の対象に入ってるとかとばっちり云々とか、そういうことに対してでしょうかね?まぁ、それも入ってるよ。ただ、きっと大部分は他人を思ってのことなんだろうなってのは、この数ヶ月の付き合いで大方察せられるものさね。
つんと唇を尖らせてこれ天然じゃないよ、天然なんて可愛いものじゃないよ、と言い合っている友人同士に、ふふ、と笑みを零す。
「まぁ、個人的な悩みはそんな周囲の嫌味じゃなくて偶にすごいガン見してくる先生と、あの成績のせいで組みましょうって言ってくれる子がいないことかなー」
「こっちよりそっちか。あぁ、でも確かに、なんかすごい物言いたげに見てくるよね、北原先生」
「パートナーもねぇ。あの成績じゃぁ確かに気後れするわね」
「まぐれなのにねー」
本人至って平凡ですよ!あんな成績あれ一回こっきりで普段はもっととっつきやすい成績ですよ!だからカモン誰か!
嫌味を言ってくる人間は一部だし、周囲はまぁそれなりにもう普段の様子を取り戻している。クラス内で特別孤立しているわけではないのだ。友人がこうして隣にいることも理由だろうし、周りもそんな他人のことに感けている暇があるならば実力をつけることを優先させようとする子も多いし。勿論、人に嫌味を言ってケタケタ笑うような人間もそれなりにはいるけれど。
男子からも女子からも、やっかみがないとは言わない。あの順位はそれなりに今までの私のリズムを崩したが、それでもそれに順応していけるだけの人生経験は積んできた。
総じて、問題はないということなのだがいかんせんいきなり上位に出た名前のせいで私がどえらい優秀なんじゃないかと、私を知らない人が惑わされてパートナー希望出しても断られるっていう・・・えぇ実に虚しい境遇です。友人二人はすでにパートナーいるし。かといってAとかSとかは問題外なので、全く困ったものだ。
実際問題、周囲のどうこうよりも成績やら授業に響くこちらの方が個人的に大問題すぎてどうしたものかと頭を悩ませているのだ。たった一回のテストで全てを把握されたように振舞われても、困るんだが・・・。
「まぐれまぐれ言わない。そりゃ、最初はが一ノ瀬君と組んだことは驚いたしぶっちゃけ無謀じゃん、とは思ったけど」
「はっきりいうね」
「でも、あの成績は一ノ瀬君だけの実力じゃないでしょ。が頑張ったからでしょ。でなきゃあんな成績とれるわけないじゃん」
「そうだよ。先生たちだって、まさか一ノ瀬君の歌だけを評価したわけじゃないんだから。の曲を正当に評価して、あの結果なの!それを一ノ瀬君一ノ瀬君と・・・Sクラスがなんぼのものだってーのよ!」
そういって、最後の部分はやたら大きな声で、ついでにくすくす笑ってた派手目なグループを睨みつけながら言った彼女に、視線が集中する。おおいここで今喧嘩売るの!?
ばちぃ、と彼女と女子グループの間に火花が散ったことにうわ、と顔を顰めて私は友人の手をぺしぺしと叩いた。
「こらこら。喧嘩売らない」
「売ったんじゃないもん。買ったんだもん」
「じゃぁ買わない。女子は怖いんだからね。何かあったらどうするの」
「私は悪には屈しない!」
「正義の味方かあんたは。でもああいうのはマジ関わらないほうがいいって。陰湿よ?女子ってのは」
「そうそう。今はそうでも、精神的にきつくなったらお終いだからね。何事も無いならそれが一番だよ」
「二人とも大人すぎる・・・!」
でも納得できなーい!と机に突っ伏す彼女の頭を撫でながら、まぁ私も納得できないけど、と流し目を今だにこっちを睨むグループに向ける彼女にこっちもかい、と思いつつ目を細める。優しい友人が持てて、幸せものだなぁ、私は。
ほっこりと暖かな気持ちで和んでいると、机に突っ伏す友人の背後から、のし、と大きな影が友人に圧し掛かった。ぐえ、という潰れたカエルのような声と同時に、黒縁眼鏡の男子生徒がくいっと眼鏡を指先で押し上げた。
「まーたなに暴走してんだよお前は。さん達困らせんじゃないっての」
「困らせてなんか、ってか重い!」
上に乗るなぁ!と男子生徒の下で文句を連ねる友人に、上に乗ったままの男子生徒・・・友人のパートナーさんは、より体を沈めた。あぁ、体重かけたんだな、と察しながらまぁじゃれあいみたいなものだし、と生温く見守れば黒縁眼鏡の向こう側の視線と目があう。
咄嗟にへらりと笑えば相手も笑い返して、人懐っこく声をかけてきた。
「また例のテストでなんか言われてんの?」
「ちょっとね。最初よりは大分マシだけど」
「まぁでもあれは確かにちょっとびびるわ。さん今まで目立ったことしてなかったし」
「、目立たず騒がず浮きすぎずって感じだもんねえ」
「え、私このまま?!」
嘘でしょ!という声は何故か華麗にスルーされている。いや、私はさすがに一声止めるべきかと思ったのだが、いやに輝く笑顔の男子生徒には何か逆らいがたいものを感じる。ごめん友人よ。ちょっと我慢して。
「でもさぁ、それってそれほどさんが作った曲がよかったってことだろ?俺、気になってるんだよねぇ。同じ作曲家コースとしてはさ」
「ライバル現る!って感じ?」
「んーでもそれ言ったらここにいる全員ライバルだからなぁ。でも、本当一度聞いてみたいよ。どんな曲なのか」
そういわれて、探るような目線に好奇心が窺い知れる。曲を作る人間としてはやっぱり気になるものなんだなぁ、と思いながら機会があれば、と無難に返しておいた。
未だにあの曲の評価の正当性を認めきれていない自分が、これです、と他人に聞かせるのは何か憚られる。まぁしかし、その返答は予想の範囲内だったのか、そっか、と軽く返してくれたのはありがたかった。まぁ、基本的にあまり作曲家コースの生徒は他者に自分の曲を晒すことは少ない。無論パートナーを探すためにいくらか公開することはあっても、基本的には内々で済ませることが多いのだ。気持ちのいい話ではないが、盗作の心配がないわけではないからね。そんなことはしない、と断言できるほどに、人間は強くはないのだ。無論絶対しない人間だっている。でも、してしまう人間もいる。過去にも、いくらかあったらしいとは噂にも聞いたことがあるし。それは自分だけの問題ではなく結果的にパートナーの身にも降りかかることだ。そうなると、多少の警戒は必要になってくると思う。
彼が言うように、ここにいる者は同じ学校の生徒であり友人であり、ライバルなのだから、蹴落とす機会を虎視眈々と狙っているのだろう。その手段がどうであれ。
そんな思考はさておき、けろりとした顔でそういえばさぁ、と今だ友人の上に圧し掛かったままの彼はこてりと小首を傾げた。
「次の授業って通常科目じゃん?俺当たりそうなんだけど、問5の問題教えてくんね?」
「いいよ。合ってる保障はないけど」
「やってることが重要なんよ」
じゃぁやれや。という台詞は男子生徒の下敷きになっている友人から零れたのだが、それに更ににっこりと笑ってぐりぐりと肘を友人の頭に押し付ける男子生徒は性格が中々きついと思った。痛い痛い痛い!と泣き叫ぶ友人はさすがに哀れで、取り出した教科書を見せつけながら、友人を解放したら渡そう、と交渉してみた。
「あぁそんな!こいつを苛めることが俺の楽しみなのに!」
「そんなもの楽しみにすんなぁ!」
「反応は面白そうだけどねぇ・・・」
「ひどい!」
「それより時間的問題もあるから開放してあげようよ」
教科書は私も使うんだからね?じゃれあいを眺めつつ正論をぶつけると、それもそうだとあっさりと友人の上から退いた彼は、私の教科書を受け取るとさんきゅ、と言って自分の席に戻っていく。その後ろ姿を見送れば、机との顔面キスから開放された友人は、あの鬼!悪魔!鬼畜!とぶちぶちと文句を言いながら肘をごりごりと押し付けられた頭を撫でて半分涙目になっていた。・・・苛めがいがあるんだろうね、きっと。そして地味に痛かったよね。
よしよし、頭を撫でてやりながら、何時の間にか薄れていた敵意の視線に、うまいこと逸らしたなぁ、と思う。あのタイプ、策士タイプとみた。まぁさすがに、物語みたいにものすごいことをやらかしちゃうことはないだろうけど、機転はきくタイプだろうなぁ。
今だパートナーを罵る友人を眺めつつ、これはあれか、友人が退学にならないことを祈ろう。と、私はそっと手を組んだ。
普通の学校なら、もっと素直に応援できるんだけどねぇ。