雨上がりの虹に永遠を願った、6月の間奏曲



 ガコン、と音をたてて落ちてきたカフェオレを自動販売機の取り出し口に手を突っ込んで取り出すと、あ、と声が聞こえたので缶を握り締めたまま後ろを振り返る。
 そして視界に入ってきた姿にあ、とこちらも声をあげて、小さく口角を持ち上げた。

「こんにちは、一ノ瀬君」
「こんにちは。久しぶりですね」

 財布を片手に自販機の前まできた一ノ瀬君は、そういって小さく口元を緩めた。私はそうだろうか、と少し考えてそうかもしれない、と納得する。テストの日以降、彼とは会ってもいないし話してもいないのだから、久しぶりというのは正しい表現だ。まぁクラス違うし。他に接点もないし。当然といえば当然である。
 財布を片手に持っているということは何か飲み物を買いにきたのだろう彼に、自販機の小銭投入口の前から体をずらしてスペースをあけると、彼はありがとうございます、と言って財布からいくつかの小銭を取り出してカチャンカチャンと隙間に押し込んだ。
 パッと購入可能の明かりがついたボタンから、お茶のボタンを押した一ノ瀬君は相変わらず健康志向というかなんというか・・・そういえばこの人お昼とかちゃんと食べてるのかな、以前のお昼事情を思い出してちらりと心配をしたが、口に出すことはせずになんとなく彼がお茶を取り出し口から拾い上げるところまでを見守ってしまった。

「そういえば、この前HAYATOをちょっと見かけたよ」

 このまま立ち去ろうかと思ったのだが、それもどうなんだ、と思い直して何か話題を、と探した結果、ついこの前のおはやっほーニュースのことを思い出して話題を振ってみる。振った後で、がこん、と手元のお茶を落とした一ノ瀬君の強張った横顔を見て、あ、これ地雷だった、と気がついた。
 ころころと落ちて転がるお茶の缶をじっと見つめる一ノ瀬君のただならぬ様子に口を噤んでいると、彼は何事もなかったかのようにしゃがみこんでお茶を拾い上げる。

「そうですか」
「あ、うん」

 うわぁ、声が硬いよ一ノ瀬君。感情を削ぎ落としたかのような強張った声に、話題のチョイス間違えたと痛切に感じつつ言葉を濁すかのように短く頷くと、彼はこちらを振り向いてじっと見下ろしてきた。

「どうでしたか、HAYATOは」
「どうって・・・」

 おや、続けるんだ?そのまま話題を強制終了かけるのかと思いきや、意外にも続けてきた一ノ瀬君に目を僅かばかり丸くしながら、マラソンしながらだったしなぁ、と思いながらあの時のことを思い返す。

「・・・北原先生相手に常にあのテンションはすごいなぁと思った」
「あのテンション・・・」
「いや、うちんとこの担任表情に乏しいし淡々としてるでしょ?絡みづらそうなのに、ちっともその様子を見せないのがすごいなぁって。プロだねぇ」
「それぐらいできて当然でしょう。プロなんですから」
「そうだけどね。でも、わかっててもできない人間だっているんだから、微塵にも感じさせないのはすごいことだよ」

 あーいうことができるようにならないといけないというのならば、アイドルというか、芸能人というか、テレビに出る人間は本当にアドリブやら対応力が問われる過酷な仕事だなぁ。
 臨機応変って、すごい難しいし。呼吸するぐらい簡単にできればいいのにね。
 素直に尊敬に値する、と評価すれば、一ノ瀬君はなんとも言えない苦そうな顔で、そうですか、と声のトーンを落とした。・・・いくら好きではないとはいえ、一応身内が褒められてんだからちょっとぐらい喜べばいいのでは・・?そこまで嫌なのか。どこまで嫌いなんだ一ノ瀬君。ここまでくるとHAYATOちょっと可哀想なんだけど。

「あー・・・だから、ね。一ノ瀬君は、得してるよね」
「得?」

 あまりにもHAYATOが哀れに思えて、とっさにフォローするようにぽろりと口が滑った。
 一ノ瀬君は、暗い顔から疑問に顔色を変えて、首を傾げてこちらに問いかけるように視線向けた。それを受け止めつつ、さて、どういったものか、と私は自分で振っておきながら後始末どうしよう、と内心でひどくうろたえる。考えなしに物を言うものではないな、マジで。

「うーん・・・そう、だね。だって、一ノ瀬君はここにいる誰よりも、多分一番アイドルがどういうのか知ってるんだと思うんだよね」

 瞬間、びくりと彼の肩が跳ねた気がしたが、まぁ気のせいだろう。一ノ瀬君は目を丸くして私を見つめるので、その目を見返しながら笑みを浮かべる。

「目指すものを、ちゃんと知ることができるってのはすごい強みだよね。HAYATOから学べるところもあるだろうし、HAYATOから知ることもできる。そういうのって、すごい貴重だと思うから。HAYATOがいなければ知らないことなんだから、一ノ瀬君はその点すごい得だと思う」
「・・・HAYATOから得るもの、ですか」
「うん。それを生かすか殺すかは一ノ瀬君次第だけど。気に食わないところもあるかもしれないけど、でもちゃんといいところもあるよ。そういうのは、やっぱり感謝していかないと」

 まぁ好き嫌いはどうしようもないんだろうけども。それでも、ちょっとぐらいすごい兄を持ったなとか、ありがたいことだなとか、思えれば少しは楽になるんじゃないかと思うし。うん。
 別にHAYATOとは全く関係なんてないのだから、彼を擁護する必要はないと思うのだが、家族仲が良好であるに越したことは無いだろう。

「あれからも、得るものがあるんですね」
「うん?」
「いえ。そうですね、HAYATOは、何も、悪いことばかりではないんですよね」
「だと思うけど」

 そんな悪影響はなかろう、別に。え。なに本当にHAYATO関係でいい思い出ないの一ノ瀬君?本当、この双子大丈夫なんだろうか、と心配を混ぜて見てみれば、一ノ瀬君は深く考えるように瞼を伏せてじっと自分の手元を見つめていた。
 その何か思案深げな様子に、首を捻りつつ掌の温度が移り温く感じてきたカフェオレの缶に、そろそろ教室に戻ろうかな、と一ノ瀬君のやや俯きがちな目に焦点を合わせるとぬっと彼の背後から飛び出した腕がぐいっと彼の首に回った。

「イーッチー。レディを前にして考え込むなんて、なってないんじゃないかい?」
「っレン!?なにをするんですかっ」

 俯いていた彼の顔の角度を正すようにぐっと力をこめる腕・・基腕の持ち主である神宮寺君は、目を見開いて首に回った腕を外そうと四苦八苦している一ノ瀬君を尻目に、彼の後ろからにこやかな笑顔で空いている片手をひらりと横に振った。

「やぁ、また会ったね。レディ」
「こんにちは」

 うーむ。一ノ瀬君も中々背が高いのだが、神宮寺君はその一ノ瀬君よりもまだいくらか高いんだなぁ。大きすぎる、二人とも。見上げ続けるのは疲れるなぁ、と思いながらも声をかけられたからには無視をするわけにもいかず、無難に挨拶を返すと神宮寺君はふふ、と笑みを零した。垂れ目勝ちな目と薄い唇がやんわりと弧を描く様は、未成年とは思えぬ色気を醸し出している。それにしても、一ノ瀬君の苛苛した顔が最高潮に達しているのだが、それは無視したままですか?

「こんなところでまた会うなんてね。まぁ、イッチーがいるのは想定外だけど・・二人は仲がいいのかな?」
「悪くはないと思いますよ」

 普通に会話する分には。ただ久しぶりに今日会えただけで。含みありげに目を細める神宮寺君に裏表なく答えてやれば、そこに邪推するものなんて微塵にもないことが感じられたのか、彼はふぅん、と少し呟いてから、ぱっと一ノ瀬君から体を放した。
 いきなり開放された彼は面食らった顔をしながらも素早く神宮寺君から距離を取り、ギロリ、と切れ長の目で彼を睨んだ。

「・・・いきなり何をするんですか、君は」
「レディを放って考え込んでいるようだったからね。ちょーっとお仕置き、かな?レディを退屈させるなんて、なってないにもほどがあるぜ?」
「別に、放っておいたわけではありません。余計なお世話です」
「それはそれは。ねぇ、レディ。こーんな奴よりも、どうだい?前に言ったように、今から二人で話でもしないか?」

 あぁ、友達同士の軽口の応酬。仲いいんだなぁ、とぼんやりと眺めていれば、唐突に神宮寺君が顔を近づけてくるので、近づくとほぼ同じ程度の速さで後ろに下がり一定の距離を取る。いきなり間合いに入られるとちょっと、ねぇ?
 さておき、私は神宮寺君の整った顔を見上げながら、そういえば前そんなことを去り際に言っていたような、と思い返しながら笑みを浮かべる。

「すみません。これからまだ用事があるんで」
「そうか、それは残念だな。じゃぁ、レディのいい時間はいつだい?合わせるよ」
「レン」

 うわめんどくせぇ、と顔には出さずとも内心で思っていれば、一ノ瀬君が眉間に深く一本の皺を刻んで低い声を出す。普通なら多少びびりそうなものなのだが、神宮寺君は流し目を送ってふふん、と鼻で笑った。

「なんだい、イッチー?」
「彼女が迷惑がっています」
「おや、そうなのかな?」

 え、そこでこっちに振る?庇ってくれた一ノ瀬君にほっとしたのも束の間、首を傾げながら問われて私はこいつ、と目を細めた。・・・いい具合に日本人の習性利用してやがんな。
 ここではっきりと迷惑です、などという日本人は少ないだろう。オブラートに包んで当たり障りないか、言外に悟れという、つまり空気読みのスキルを発動させるように仕向けるのが一般的だ。だがしかし、このあえて空気を読まないやり方をされると、やんわりとした言い方は結果的に相手の思う壺にしかならない。日本人の思いやりを逆手に取った、なんたる手段・・・!とりあえず。

「迷惑ではないですけど、今はそんな気になりませんねぇ。だから遠慮しておきます」

 つまり最初から行く気など毛頭ない。あと迷惑ではないけど面倒くさい。にこ、と笑みを浮かべてはっきりと断れば、意外そうに丸くなる目が二つ。一ノ瀬君も驚いているのはどういうことだおい。いや当然か。私見た目的には以下省略。
 とりあえずカフェオレが最早ただの温いコーヒー牛乳になりかねないので、そろそろこのイケメン地獄から逃げ出そう、とうろり、と視線を泳がせた。周囲の女子の視線痛くなってきたし。じゃぁこれで、と言いかけると、遠くから「おーい!」という声が聞こえて、視線が一斉に動いた。

「レン、トキヤー!」

 おや、二人の知り合いか。でかい二人が壁となって誰が声をかけてきたのかはわからないが、丁度いいタイミングだ。二人の意識がそちらに向かったのを幸いに、私はカフェオレを握り締めてじゃぁ、と口を開いた。

「私もう戻るね。ばいばい、一ノ瀬君。神宮寺君」
「あ、はい」
「またね、レディ」

 ひらり、と手を振って踵を返す。またと言いながらも機会は早々ないだろう。一ノ瀬君でさえ久しぶりといえるぐらいにしか会っていないのだ。接点なんぞほんと友人の知り合い?程度の相手とまた会ったとして、どうなるというのか。温くなってきたカフェオレを握ったまま、ざわめきの残る廊下を教室目指してカツカツと歩いた。