雨上がりの虹に永遠を願った、6月の間奏曲
「ねぇ。あんたプリンスさまたちと何かあったの?」
「・・・さぁ?」
声を潜めて問われるが、私の中にそれに対する明確な答えはない。確かに接触をしたことはあるが、探し回られるようなものではなかったはずだしなぁ?
むしろ私が聞きたいぐらいだ、と私は前の席で後ろこそ振り向かないものの、そわそわと全身でこちらを意識している様子のイケメンおよび美少女に、溜息を吐かずにはいられなかった。
・・・だから、見つかりたくなかったんだよなぁ。
※
授業が終わり、独特の緊張感から解放された教室内は俄かにざわめきを取り戻す。
他人の雑談や、椅子と床が擦れあうガタガタという音に、靴底が床を叩いて何重にも重なって響く音。生活に根差した雑音は決して不快なものではなくただ日常というものを演出していて、ひたすらに穏やかだ。流れる人並みが教室の出入り口から吐き出されるように出ていく中で、その流れをぼんやりと視界の端に捉えながら、私は零れそうな溜息をぐっと噛み殺して戸惑ったようにこちらを見る友人達にひらりと手を振った。
「先戻ってていいよ」
「え、でも・・・」
「二限が始まる前には戻るから」
私と私の前にたたずむ人影を見比べて躊躇いを見せる友人に、そう言い聞かせながら微笑みを浮かべる。昼休みでも放課後でもないこの休み時間は決して長くはない。
相手にとっても同じなのだからそう時間をかけることもないだろう。けど万が一があった場合、友人まで遅刻させるのは忍びなかった。しかも次の授業は通常科目という、この色物な授業の後にはただ退屈としか言いようがない、しかし学生にしてみればそれこそが本分ともいえる授業だ。その中で小テストも今日はあるというし、早めに戻らせておくのが一番いい。
それでも渋る友人を(それが私のためなのか単純にイケメン万歳!精神なのかはわからないが)もう一人の友人が溜息一つで腕を引っ張って連れて行く。
「遅刻しないようにね」
「気を付ける」
まぁ、私ではなく彼らが、ではあると思うが。去り際に残した言葉に軽く答えて、その背中を見送った後に改めて正面に向き直った。信号機のように並ぶ赤青黄。顔は勿論言うまでもなく整っている。そこらのアイドルやクラスメイトからみても十分に美形というほかない顔をマジマジと眺めて、すぐに視線を落とした。残念ながら、イケメンには慣れているし、それなりに高い位置になる顔を見上げ続けるのは疲れる。とはいってもそんなめちゃくちゃ高い、というほど高いわけではないのだが・・・あぁでも、金髪のふわふわした人の背丈は一般的にみても高い部類か。しかし、個人的にはイケメンよりも美少女のご尊顔を注視していたい。
・・・まぁ、こっちも私よりも十センチ以上は高い位置に顔があるが、男よりも威圧感はないし疲れるほどの高さでもない。何より華がある。髪の色もあってか、薔薇のように鮮やかな美女と、百合のようにしとやかな美少女を近くで凝視できるのはなぜか心が浮き立つものだ。教室を出る生徒からいささかの奇異の視線を向けられながらも、正面に並ぶ「Aクラスのプリンスさま」及び「女神さま」を一通り見回すと、ぎゅっと筆記具を抱きなおした。
「それで、どのようなご用件でしょうか?」
口火を切ったのは私だ。時間制限もあることだし、教室に戻る時間を含めても早々に終わらせてしまいたい。要件だけ聞いてとっとと帰りたいなぁ、と思いながら問いかければ、渋谷さんが七海さんを肘で小突いた。
「ほら、春歌」
「ぁ、うぅ・・・」
・・・用があるのは七海さんなのか?渋谷さんに催促されるものの、何故か頬を染めて口ごもる七海さんにきょとりと小首を傾げて彼女を見つめる。目が合えば、更に頬の赤味を増して彼女はうろうろと視線を彷徨わせた。・・・場所が場所で性別が性別なら、まるで告白前のワンシーンのようだ。しかし躊躇う姿も可愛らしいなぁ。いっそ和みそうなぐらいに愛らしい様子に頬が緩みそうになるが、しかし延々とこんなこと続けられたら私遅刻するんですけど。ていうか彼らも遅刻するだろう。長くなるようなら帰ってもいいかなぁ、とちらりと考えると、それを敏感に感じ取ったのか知らないが、聖川君が場を取り持つように口を開いた。
「そういえば、まだ名前を聞いていなかったな」
「え?」
「あ、そうだね!俺、一十木音也。よろしく!」
「聖川真斗だ」
そういって、一十木君は友人に見せつけたあの輝くばかりの笑顔ですっと手を差し出した。さすがに名乗らずとも知ってます、など言えるはずもなく、好感度100%の笑顔で差し出された手を、誰が無視できようか。この流れだと名乗らないといけないんだろうなぁ、と思いながら、私も愛想笑いを浮かべて一十木君の手に手を重ねた。
「です」
「かぁ。ね、名前で呼んでもいい?俺も音也でいいからさ!」
「別にいいですけど・・・」
まぁ呼ばないと思うけど。てか一気に距離を近づけてきやがったな、こいつ。人懐っこい態度で懐に飛び込む一十木君に、これは人に愛されるキャラなんだろうなぁ、とか捻くれた人間には鬱陶しいタイプなんだろうなぁ、とか思いながらも距離感を図るようにさりげなく握られた手を放す。笑顔で苦も無く人の領域に入りやすい性格なんだろうな。不快な方向ではなく、親しみをこめてくるから友人も多そうだ。第一印象で全てが決まるというのなら、彼は人生の大半を得して生きれる人間だろう。まぁ顔がいい人間は総じて得だと思うけど。
聖川君は手をこそ出さなかったが、美麗な顔に小さな微笑みを浮かべてくるので、堅そうな雰囲気がそれだけでふわりと柔らかみを帯びた。まるで春の日差しに雪が解けるような、そんな印象を受けてこれもこれで相手の警戒心を解しそうな笑みだと感想を抱く。
友人は聖川君ファンなので、この笑みにはきっと黄色い悲鳴をあげることだろうなぁ。そんなことを考えていると、まだ何か口ごもる七海さんに一つ溜息を吐いて、渋谷さんがすっと前に出てにっと口角を持ち上げた。あぁ、美女はどんな笑顔も素晴らしい!
「あたしは渋谷友千香。あたしもって呼んでいい?」
「どうぞ!」
「・・・あれ?俺の時と反応違わない・・・?」
あー・・・・・・。ぼそり、と聞こえた声に思わず視線を逸らす。いや、イケメンと美女ならぜひとも美女とお近づきになりたいというか、女の子大好きというか、うん。人間本能には勝てないんだよ。思わず隠し切れなかった本音がちょっとばかり表に出たが、誤魔化すように先ほどから故意に視界から除外していた斜め横からの異常な、というか異様な、というか・・・七海さんとはまた違った様子で頬を染めてきらきらとした目を向けてくる人物をちらりと見ると、ガン見されていたのか、ばっちり目と目が合った。瞬間、これでもか!というぐらい彼の顔が輝きを増し、そのきらきらしい笑顔に思わずびくっと肩が跳ねたのは最早条件反射というものだ。
しかしそんなちょっと失礼とも取れそうな反応だというのに、彼はますます頬を染めて恍惚とした表情を浮かべる。ぶっちゃけ、超怖い。なにあの人。
「可愛い・・・っ!」
「落ち着け、四ノ宮。前回のことを忘れたのか?」
びくびくと全身で警戒を示す私に、例の金髪眼鏡男子は何か極まったようにわきわきと動く手をばっと広げたが、そこですかさず聖川君が彼の前に腕を突き出してその動きを制限した。
今にも飛び掛かってきそうだった彼は、聖川君に動きを止められ、尚且つ宥めるように窘められて、しょぼんと眉を下げた。まるで大型犬が怒られてしょげかえるように、あげられた腕がしぶしぶ下される姿は何とも言えない。だがしかし、聖川君グッジョブ。内心で親指を立てながら、ほっと安堵に胸を撫で下ろした。
恐らく、止められなければ彼は再び私を拘束するつもりだったに違いない。さすがに暴走まではしないだろうが、それにしたって大して親しくもない人間、しかも男相手に力づくで拘束されるのは避けたい事柄だ。あと体格差半端ない。下手したらあの世を垣間見ることになりそうだし。できるならもうちょっと生きてからそれはみたいかなぁって。
あの日のことを思い出して若干顔を青ざめさせていると、眼鏡男子は残念そうな顔をすぐに笑顔に変えて、すっとその大きな手をこちらに差しのべた。
「四ノ宮那月といいます。仲良くしてくださいね、ちゃん」
「はぁ・・・どうも」
もはや名前呼びの承諾すら取らんのか。いや別にこだわりはしないけど・・・。
ほわほわとシュークリームみたいな笑顔は愛らしいのに、何かこう、人の危機感を煽る彼にしり込みしながら差し出された手を握り返す。それにさらに感動したように手もちっちゃいですね!と笑顔で言われた時にはどう返せばいいのかわからなかった。いきなり手がちっちゃいって言われても・・・。てかもって。もって。いや、そりゃ手以外もいろいろ小さいですけどね?
「・・・ピアノを弾くときにはちょっと不便ですけどね」
「でも、ちっちゃくてとっても可愛いです」
「ありがとうございます・・・?」
やたらちっちゃいことにこだわるな?ニコニコと笑みを浮かべて一向に手を放そうとしない彼から、半ば強引に手を抜き取って(なぜ残念そう?!)心なしか距離を取ると、小さな溜息を吐いて渋谷さんが顔を近づけてきた。
「那月はね、ちっちゃいものが大好きなミニコンなのよ」
「はぁ、そうなんですか・・・」
「そ。ま、悪気はないから大目に見てあげて?この前のことも反省してたみたいだし」
この前、というとあの拉致事件のことだろう。そうか、反省しているのか。・・・・・反省、しているのだろうか・・・。あまりそういう風には見えないが、彼は彼なりにした、ということなのだと思うことにして、とりあえず聖川君にはそのまま四ノ宮君を止めていてもらいたい、と念じてから七海さんに向き直った。七海さんはあうあうと言葉にならない言葉でぐるぐると目を回していて、何をそんなに緊張することがあるのやら?と疑問を覚えながら少し考え込むと、すっと手を彼女の前に差し出した。その手を見て、七海さんはきょとんとした顔を浮かべる。
「です。えーと、よろしく?」
「え、あ、な、七海春歌です!よ、よろしくおねがいしま、しゅ!」
噛んだ。なにこの子超可愛い。最後の最後で舌が回りきらずに舌足らずになったそれに、うっかりきゅんとときめいた。顔真っ赤にして噛むとかなにそれ可愛い。美少女可愛い。超ときめいた可愛い。噛んだことに先ほどとは違う意味で顔を赤くさせてあうあうと半分涙目になって慌てる七海さんにすごい頭をなで繰り回したい衝動に駆られたが、ぐっと我慢して手を握ると軽く上下に振る。周囲がすごく微笑ましそうに見ている姿さえもなんかもう癒しですご馳走様。あーやばい、こんな子とお近づきになれるのならばこのバリバリ面倒そうなフラグもばっちこいかもしれない。いやでも面倒は嫌だな。しかし美少女美味しい。
ぐるぐると相反する感情と鬩ぎあいながら、恥ずかしがって顔を隠す七海さんを舐めるように観察して、ぱっと手を放す。この可愛い子をいつまでも見ていたい気はするのだが、現実はそう甘くない。授業の時間は迫っているのだ。可哀そうだが、あまり長く付き合ってあげることもできず、私は少しばかり眉尻を下げて小首を傾げた。
「七海さん。急かすようで悪いんだけど、用件って何かな?そろそろ教室に戻らないといけないんだけど・・・」
「あ、す、すみません!あの、その、あの時はありがとうございました!」
ちらり、と教室の壁掛け時計に目をやりながら困ったように言えば、七海さんははっとして顔を軽く青ざめさせてから、慌てたように勢いよく頭を下げた。
ばさっと、サーモンピンクのショートボブの髪が動作につられて大きく揺れ動く。・・・はて。あの時?なんのことだろう?いまいち言われている内容がピンとこずに、七海さんの下げられた頭を見つめながら首を捻ると、見かねたのか知らないが、一十木君が口を開いた。
「俺からもお礼を言わせてよ。七海を元気づけてくれてありがとう!」
「はぁ」
うん。なんのフォローにもなってなかった。元気づける?なんのことだ?ますますわからん、と思いながら曖昧に言葉を濁して返事を返すと、さっぱり事情を理解できていない私の様子に、渋谷さんがちょっとちょっと、と二人を止めた。
「春歌、いきなりお礼言われてもこの子わかってないよ?」
「え?え?」
「まぁ、あれから大分経っているからな。ピンと来ないのも無理はないだろう」
「ハルちゃんは、落ち込んでる時にちゃんに励ましてもらったことについてお礼が言いたかったんですよぉ」
「励ます・・・?・・・あ、あぁ!あの時のこと?」
思い出した。そうか、確か前回拉致られたときもそんな話をしたような気はするが、そういえば七海さんとはその前に一回会ったことがあるんだった。色々ややこしいことが重なった上に、かなり前の出来事に記憶も薄れかかっていて、半ば忘れかけていたがそういえばそんなことがあったな、と思いながら私はぱちりと瞬きをした。
「もしかして、それをずっと・・・?」
「はい。あの時、お礼も言えずじまいで・・・もう一度会ったときも、お礼が言えなくて・・・ずっとずっと、お礼が言いたかったんです。あの時は、本当にありがとうございました。あの言葉があったから、あの曲を聞いたから。私は今、こうしてここに立っていられるんだと思います」
そういって、微笑みを浮かべてもう一度頭を下げた七海さんは胸のつかえが取れたように晴れやかな顔をしていて、可愛らしい顔に一層の花の添えてはにかんだ。
美少女の笑顔プライスレス。思わず見惚れるぐらいに綺麗な微笑みに目を奪われつつも、それもう何か月前のことだよ、とその律儀さに驚いた。いや、もはや律儀とかいう問題でもないような。そこまですごいことをしたつもりはないんだが、と思いつつもそれを否定することはずっとこの時を待っていたのだろう彼女に申し訳ない気がして、驚きつつもふっと笑みを浮かべた。
「七海さんが元気になってくれたなら、それだけでいいよ」
いや本当、大したことひとっつもしてないと思うんだけど、何がそんなに琴線に触れたのやら?それでも確か前にそれを言えば全力否定を貰ったので、ここは素直に謝礼を受け入れて明るい顔になった彼女を見つめる。金色の双眸を瞬かせた七海さんは、薄らと頬を染めてはにかんだ。うん。可愛い!このまま和むのもやぶさかではないと思うが、ちらりと見た時計の秒針はなかなか厳しい位置にある。・・まぁ、用件も済んだことだし、これ以上いる必要もないだろうし、彼らの目的も果たせたしということで。
「・・じゃぁ、私はこれで」
「え?」
「もう次の授業始まるから。七海さんたちもそろそろ戻った方がいいよ」
美少女は好きだ。可愛い女の子も綺麗なお姉さんもかっこいいお姉さまも大好きだ。だがしかし、生憎と今は放課後でもなければお昼休みでもなく、また私と彼らは同じクラスの生徒でもない。ずっと話をしているわけにもいかず、もともとあまり接触はしたくないなぁ、と思っていた面子でもあるので、案外あっさりと手を振るときょとりを丸くなった目が向けられた。けれども、それにかまっている暇はない。この教室からBクラスに戻る時間も換算すると、うん。ギリギリかなぁ。それはAクラスも同じことだろうし、うだうだしてると遅刻になってしまう。
「じゃあね」
「あ、さん・・・っ」
多少、名残惜しい、という気持ちはある。それはイケメンに対するものではなく可愛らしい女の子に対する名残惜しさではあったが、しかしそれは判断を鈍らせるほどに強い感情ではなかった。さらりと暇乞いをして踵を返せば、むしろ逆に名残惜しげな声で呼び止められる。一旦足を止めて振り返ると、七海さんは何か言いたげに唇を戦慄かせていた。
「・・・遅刻しちゃうよ?ダメだよ、アイドルも作曲家も遅刻は厳禁だからね」
仕事に遅刻は厳禁だ。物言いたげなそれが、私の望む方向とは異なる可能性が高い。あえて言葉を発する前に重ねるように言葉を紡ぐことでそれとない牽制を果たし、にこり、と教室の出入り口の縁に手をかけ、笑みを残してその場を去る。待って、という声が聞こえた気がしたが、待つ時間はなかった。一緒に戻ればいいんじゃないか、という声もちらりと脳裏に過ったが、Aクラスは次の授業は別の教室だったように思う。教室から出ていくAクラスのほかの生徒が次も移動教室だよーとかなんとか言っていたのが聞こえていたし。うむ。一緒に行動という選択肢はないな。
小走りでかけた廊下で、教室に時間ギリギリで飛び込めばやはり注目を集める。なにせ次の時間に小テストが控えているとなれば、クラス中とはいわないものの、多少なりとも教科書なりノートなりを広げて集中している子もいるわけで。その中で教室に遅れて入れば、そりゃいくらかは注目も集まるものだろう。けれどそれを気にしていたらやっていけない。早々に自分の席につくと、ガタガタ、と椅子を揺らして友人が教科書片手ににじり寄ってきた。
「、なんだったのよ。プリンスさま達の用件!」
「あープリンスさまっていうか、七海さんが用があったみたい」
「七海さんが?なんで?何したの、」
「悪いことは何もしてないよ。結構前なんだけど、七海さんと話したことがあるんだよね。内容は大したことじゃないんだけど・・まぁ、そういう感じ?」
「ふぅん?」
「えーでも羨ましいなぁ。聖川様とお話ししたんでしょー?」
「あーしたねー。まぁでも挨拶程度だし」
「でも羨ましい!」
私も聖川様とお話ししたい!と拳を握る友人に、できるものなら変わってあげたかったよ、と小さな溜息を吐いて教科書を引っ張り出した。
・・・まぁでも、本当に、これで彼らの用件は終わったはずである。ようやく肩の荷が下りた、とこきりと肩を鳴らして、ばらばらと教科書のページを捲る。
ところどころ引かれたラインマーカーの蛍光色を見ながら、チャイムの音が教室に鳴り響くのに耳を傾けた。