雨上がりの虹に永遠を願った、6月の間奏曲



 目の前に両手を合わせて、顔の前まで持ち上げた友人がいる。綺麗に描かれた眉尻が下がると、ごめん!と勢いよく謝られてきょとりと瞬いた。

「今日お昼一緒に食べられないの!」
「え?なんで?」

 いきなりだなおい。極普通に疑問に思って問いかければ、友人はうっと言葉に詰まり、うろうろと視線を泳がせて合わせた両手をずらすと人差し指同士を合わせてうりうりと弄った。

「そ、それはぁ・・・」
「この前、廊下に飾ってある花瓶落として割ったのよ。で、今日はその罰として資料室の掃除やることになったの」
「それは・・弁償でないだけマシだというべきかご愁傷様というべきか・・・」

 てかなにやってて花瓶なんて割ったのさ、といささかの呆れを混ぜて問いかけると、おしゃべりに夢中で前方不注意の結果、らしい。フォローのしようもない。この学園の調度品はどれも高そうなものばかりだから、金銭が関与しないのが幸いか。学生だからと大目に見てもらえているのか、それとも物にそれほどの執着がないのか。なんにせよ、こんな見るからに高そうなものしか置いてませんよ!とばかりの学校なのだから、そういうことには注意を払わなくてはならない。

「でも、なんでわざわざ昼休み?ご飯食べる時間もないの?」
「今日の放課後は練習があるの!だから、できるだけ時間は取られたくないっていうか・・・レコーディングルームの予約だってあるし。今は時間が惜しい!」
「なるほど。そっちは?」
「パートナーと打ち合わせがね。だから私も今日一緒に食べれないんだ。ごめんね?」
「そっか。わかったよ」

 二人とも、そういう事情ならば仕方ない。というか事情もなく断りをいれるはずもないのだが、なんにせよどちらも時間が惜しいようなので早々に分かれることにする。あ、でもお昼の時間がいくら惜しいとはいえ、ご飯抜きは厳しいだろう。お弁当袋を漁り、ラップに包んだおにぎりを取り出す。

「はいこれ。掃除しながらでもいいから食べといた方がいいよ」
「・・・!、マジおかん!!ありがとう大好き愛してる!」

 そういっておにぎりを抱えて抱きつく友人を受け止め、その背中をぽんぽんと叩いた。・・・それにしても、まいったな。計画が崩れたぞ。内心でそんな心配をしていると、おにぎりを羨ましそうに見ていたもう一人がちろりと上目にこちらを見た。

「それ中身は?」
「シャケとおかかとエビマヨ。あと昆布と梅干とツナマヨと肉巻おにぎりとかあるけど、いる?」
「もらう」

 即答ですな。問いかけに一瞬の躊躇いもない友人に、とりあえずおにぎりを選んでもらって渡しながら、ほくほくとした顔でおにぎりを持つ友人に口角を緩めた。そしていい加減離れたまえよ。時間が惜しいんでしょうが。
 そんなひと悶着のあと、意気揚々とクラスを出て行った友人を笑顔で見送った後、自分の手元を見下ろして溜息を吐いた。

「・・・どうしよう、これ」

 友人と共に食べる算段で、昨夜作りすぎたものをお弁当にして持ってきたというのに、消費する相手がいないんじゃどうしようもなかった。





 一人で消費するには大量にあるお弁当を抱えて、賑やかな教室を出るとどこに行こうか、と少しばかり思考を巡らせる。てくてくと歩きながら考えれば、自然と足は人気のない方へと向かっていた。食堂で食べるのもいいが、あまりごった返す人波は好きじゃない。教室ぐらいの騒々しさが丁度いいのだが、一人で食べるのはなんだか寂しくて、ならばどうせならほとんど人気がないようなところでゆっくりと食べるのもいいだろう、とどんどんと人の流れに逆らいながら歩くと、辿り着いたのは中庭だった。・・よく来るな、ここ。けれど相変わらず噴水と緑、それと木陰の下の白いベンチばかりがあるだけの静かな中庭は何故か落ち着く。清らかな、とでもいえばいいのか。清涼な空気は心地よく体内を満たし、すぅ、と深く息をすると背後から怪訝な声がかけられた。

「・・・さん?」
「え?」

 振り返れば、そこには見知った男子生徒がコンビニ袋片手に立っていて、私はなんかよく会うなぁ、と思いながらこてりと首を傾げた。

「一ノ瀬君。こんにちは」
「こんにちは。・・・こんなところで何をしているんですか?」
「お昼を食べにきただけだよ。一ノ瀬君は・・・・てか、一ノ瀬君も?」
「えぇ。ここは静かなので」
「あー確かに。なんでか知らないけど少ないよね、ここ」

 いい所だと思うのに、なんでか人気の少ない中庭は一つの穴場スポットだ。簡単に人目に止まりそうなものなのに、なんでこういつも人がいないんだろうなぁ?不思議に思いつつも、別にそれが都合が悪いというよりも良いことなので、特に気にもせずにベンチを指差した。

「一緒に食べる?てか食べてもいい?」
「構いませんよ。ここは私一人のものではありませんから」

 そりゃそうだ。でも静かという理由でここを選んだ彼ならば、人が近くにいることは不快ではないかな、と思ったのだが、そこまで狭量ではないらしい。
 とりあえず並ぶと相変わらず背丈の差が激しいことを痛感しつつもベンチに座れば、彼はコンビニ袋から買ってきたものを取り出した。・・・今日はサンドイッチか。しかし見事にサラダ系ばっかりなんだが、そこに別のものを挟む気はなかったのかな。それともそんなに野菜が好きなのか?

「相変わらず量がないというか、健全な男子高生とは思えない質素さだね」
「余計なお世話です。そういう君は・・・今日は妙に多くありませんか?」

 思わず半目で呟けば、一ノ瀬君は不愉快そうに眉を寄せてサンドイッチの封を切った。ピリピリと破れるビニールの包装紙を見ながら、自分のお弁当を取り出すと一ノ瀬君が怪訝そうに語尾を上げた。

「んー・・・まぁ、ちょっと、昨日作りすぎちゃって。どうせだから友達に消費してもらおうと思ったんだけどね。今日は用事があるから一緒に食べれないって言われちゃってさ」
「そうなんですか」

 いやもー予定外だよ、ホントに。こんな量一人で食べきれるわけないのにね。作りすぎた原因?鬱憤晴らしですが何か?
 溜息を零して、普段自分が食べる量の倍はあるお弁当を見下ろして、まぁ食べきれなければ普通に夕飯に回すだけなんだが、と考えてはたと思い至った。・・・横にこれぐらい平らげてくれそうな男子生徒いるじゃん?思いつけば、もそもそとサンドイッチを口に運ぶ一ノ瀬君をちらりと見上げる。
 視線に気が付いた一ノ瀬君は怪訝そうに眉を顰め、もそり、とサンドイッチを頬張ると何回かの咀嚼のあと、こてりと首を傾げた。

「何か?」
「あー・・・えっと、一ノ瀬君、食べる?」
「いえ、私は・・・」
「カロリーとかなら多分大丈夫だよ。私の友人アイドルコースでね、一応そういうの気にしてるらしいからできるだけ低カロリーのもので大体揃えてみたんだよね」

 もやしとか蒸した豚肉とか春雨とか白身魚とか茸とか・・・どっちかというと野菜中心で今回揃えてみたし。あとはおにぎりで主食のカバーといったところか。まぁ、安売りしてた食品がこれだったってのが大本だけどね!
 おにぎりなんかはある程度友人に譲ったので今手元にあるといえばシンプルな塩結びとか混ぜ込みご飯のおにぎりとかだけど。量はあるけどカロリーは控えめ、って感じで女の子にも優しいお弁当にしてみました!
 ぱかり、とお弁当の蓋をあけて一ノ瀬君との間のスペースにお弁当を広げていくと、上から一ノ瀬君の視線を感じる。じぃ、と食い入るような、といってはあれだが、いくらか興味をそそられたかのような視線に口角を持ち上げた。

「気に入ったのあったらレシピとか教えるけど。自炊するならこういうのたくさん知ってた方がいいんじゃないかな?」
「・・・・仕方ありませんね。そこまで言うなら頂きます」
「どうぞ召し上がれ」

 やっぱり健全な男子高生にサンドイッチだけというのは如何にアイドル候補とはいえ厳しいものがあったんだろうな。思うよりもあっさりと落ちた一ノ瀬君ににこにこと笑みを浮かべながらお弁当に箸を伸ばすのを見届け、自分も箸を伸ばす。まぁこれで残ってもそんなにたくさんは残らないだろうから、十分でしょー。

「これは?」
「おから餃子。お肉の代わりにおからともやしいれてんの。ひじきとかいれても美味しいよ」
「なるほど」

 ほぅ、と感心しながらぱくぱくと口に運ぶ一ノ瀬君は、少食なのかと思いきやそうでもなかった。まぁこの体格と身長で少食とか言われても、なぁ・・・。
 説得力に欠けるというか、なんというか。てかそれなりに食べるんなら、やっぱりお昼にサンドイッチだけとかそういうのはいかがなものかと思うよ。いや、もしかして私が極端な例を見すぎなだけ?実はちゃんと食べてるの?・・・まぁ、深く突っ込むこともないか、と思いながら水筒のコップにお茶をそそぐ。

「はい」
「あぁ、ありがとうございま、す?」

 焼きそば風もやしを食べていた一ノ瀬君にお茶を注いだコップを手渡すと、受け取りながら一ノ瀬君が少し動きを止める。ん?どうかした?

「いえ、・・・頂きます」
「どうぞー」

 一瞬の躊躇いのあと、コップに口をつけた一ノ瀬君を不思議そうに見やりつつ、ひじきのオムレツをもぐもぐと咀嚼する。あー今日のご飯はオムレツにしようかなー。添え物にトマトスープつけてー。ならにゃんこにもトマトスープだな。冷凍したベースがあるから、あれ解凍してー。つらつらと考えながらごくりとオムレツを飲み込むと、お茶を啜った一ノ瀬君がふぅ、と一息吐いた。

「そういえば」
「ん?」
「レンのパートナーになったそうですね」
「・・・ん?」

 ・・・え、いきなりなんだ?不意打ちに目を丸くして一ノ瀬君を見上げれば、お茶を片手におから餃子(気に入ったらしい)を頬張った一ノ瀬君は、もぐもぐとしっかりと咀嚼をしてからごくりとその白い喉を上下させた。

「レンから聞いたんですよ。君がレンと組むとは予想外でしたが」
「あぁ・・そっか。一ノ瀬君、神宮寺君と仲良かったっけ」
「別に、仲がいいというほどではありません」

 え。そこ否定しちゃうの?神宮寺君可哀そうじゃね?すました調子でさらりと本人が聞いたら落ち込みそうなことを言ってのけちゃう一ノ瀬君に、せめて本人の前では言いませんように、と思いながら情報ソースが本人からなら仕方ないか、と水筒からコップにお茶を注ぎながらふぅ、と溜息を吐く。

「パートナーといっても、臨時もいいところというか・・・神宮寺君の問題に巻き込まれただけというか・・・」
「レンが退学するという話ですか?」
「あぁ、そうそうそれそれ。・・って、それも知ってるの?」
「まぁ、噂というものは出回るものですからね。しかもレンはあの通り目立ちますので、隠していたとしてもどうしても表に出るものですよ」

 本人もあまり隠す気はなさそうですし、と言いながらお茶を飲む一ノ瀬君に、思わず顔を顰める。・・やっぱり、ばれるのは時間の問題ということか・・・。いやでも、できるなら水面下の内に終わらせたいしな・・・。

「・・それ、今どれぐらい出回ってる?」
「そうですね。今のところは私含めSクラスの数人程度ですよ。その中でも確証を持っているのは私ぐらいでしょうか」
「そっかぁ。出回ってるのは神宮寺君のことだけ?」
「えぇ、まぁ」
「ならまだいいか・・・。一ノ瀬君、悪いんだけど、神宮寺君に会ったら私のことはあまり口にしないように言っておいてくれる?」
「ふむ。・・・構いませんが、理由を聞いても?」

 聞かなくても大方察しはついていそうだが、こちらを真っ直ぐに見つめる一ノ瀬君に理由を話すのは、まぁ当然のことか。お願いしてる立場だし。とはいってもそんな大層な理由ではないのだが。

「単純に、面倒事は回避したいだけだよ。神宮寺君は、なんていうか・・・女性関係のトラブルが目に見えるというか・・・できるなら穏やかな学園生活を送りたいし。ただでさえ課題でもないのにややこしいことに巻き込まれたからね」

 すでにいくらか遠ざかっている気がしないでもないが、学園内いじめとか女子の粘着質なあれこれとかそんな胃が痛くなるような現象は起こしたくない。
 例え彼にパートナーがいるという話がわかったとしても、それが誰か特定できなければ被害は抑えられるだろうし。まぁ、まさかそんなわかりやすくいじめ問題に発展するとか、考えすぎかもしれないが何がきっかけでそうなるかなんてことは予想がつかない。本当に、些細なことで、いじめというものが発生するというのならば、今回はわかりやすく「そうなるかもしれない」原因があるので、できるだけ回避策を練っておくことは間違いじゃないだろう。自分の身の安全、ひいては周囲の安寧のためにも。
 苦笑気味に答えれば、一ノ瀬君はわずかに目を細め、あぁ、と少し掠れ気味の声を零した。

「レンの周りは騒々しいですからね。わかりました、一応言っておきますよ」
「ありがとう」
「いえ、お昼も頂きましたのでこれぐらいは。それにしても、あなたも大変ですね。レン相手にまともに曲ができるかどうか」
「え、なにそれ。神宮寺君そんなに問題があるの?」
「歌に関して言えば、実力はある方ですよ。それは私が保証します」
「ほほぅ」

 一ノ瀬君の保証つきとか、それレベルがトップクラスということではないかね?いやそりゃ日向先生や早乙女学園長が救済処置をとるぐらいだからよっぽど惜しい才能なんだろうとは嫌でも察せられるが、それにしたって本当に、なんでそんな実力違いを私にぶつけてくるかなあの人たちは!
 あぁもう私にどうしろっていうのさ・・と項垂れたくなりながら、一ノ瀬君を上目に見やって、それで?と先を促す。ある程度の事前情報は仕入れていても損にはなるまい。

「ですが、まぁあの通りやる気はないので、練習がどうというよりも、まともに取り合ってもらえるかどうかというのが問題ですね。今回のことも、テストをまともに受けないせいで退学かどうかという話になっているようですので」
「不良、というわけじゃないんだろうしね。そういう素行の悪さじゃないものなぁ」

 まぁ生活態度はだらしなさそうだけど。悪いことしてる、っていうよりも、のらりくらりと避けている、って感じなのかなー。てか練習しないのか。そうか・・・面倒くさいな、それ。

「彼のパートナーはいつも悲惨なことになっていましたね。毎回練習に出ずに女生徒と遊びほうけていましたから」
「あーリアルに思い浮かぶわー」

 わかるよ、あの調子で女の子侍らせてあははうふふと戯れてるんだろ?やぁレディとか今日も綺麗だね、とか可愛いね、とか言ってきゃあきゃあ言われてるんだろ?簡単に思い浮かぶねその光景!
 パチン、とウインク付きで両腕に女生徒を絡ませている神宮寺君の姿を思い浮かべ、乾いた笑みを浮かべる。
 そんなある意味でどうしようもない人間相手に私に何をしろというのかね?
 殺しきれない溜息を吐くと、一ノ瀬君はちら、とこちらを見て、ですが、と口を開いた。

「君ならば、あるいはレンを本気にさせることができるかもしれませんね」
「え。待って一ノ瀬君までそんなこというの!?」

 とんだ買い被りだよ!?私の曲は平凡だって担任のお墨付きなんだからね!?一回こっきりのまぐれにそんな過大評価はごめんだよ!てか本当、その過度な期待はやめてほしい。うんざりしたように、肩を落として首を横に振れば、一ノ瀬君はくすっと控えめに笑みを零した。

「そうですね。他の曲を聞いてみましたが、全くもって期待外れでした」
「うわぁ、それはそれで傷つくわぁ」

 いや事実ですから反論のしようもないですけどね。でも直球で言い過ぎだと思う、と思わず愚痴のようにぼやけば、一ノ瀬君はショックなのは私の方です、とかなんとかいうし。知るかよ!と言いたくなったが、ぐっと我慢した。てかどこで聞いた私の曲。・・・日向先生辺りから出回ったのか?プライベートだぞ!
 じとりとした目で一ノ瀬君を見れば、彼は逆に溜息を吐く始末。だからなんで私が!そんな態度を!取られなければならんのだ?!

「あれほど落差があるとは思いませんでした。逆に驚いていますよ、どうしたらあれだけ曲に差ができるんですか?」
「知りませんよ。てか違いすらわかりませんよ」

 どれも同じようにしか私には聞こえませんが?北原先生も言っていたが、本当に、理解できないのだ。何が違うっての、マジで。むしろその感性を分けてほしいぐらいだ、と思いながら溜息を吐くと、一ノ瀬君は細めた目で私を見下ろし、そこが問題なんでしょうかね・・とぼそりと呟いた。何が?

「いえ、これは・・・そう、君自身の問題なのでしょう。ともかく、それでも、あの曲を作ったのは君です。私に歌えないとまで言わせた曲を、君は紛れもなく作ったんです。そこだけは、しっかりと認識しておいてくださいね」
「え。はぁ、はい」

 至極真面目な顔で、言い含めるように告げる一ノ瀬君に、虚を突かれたように間の抜けた返答をする。その気の抜けた態度に、一ノ瀬君は聞いているんですか、と眉を吊り上げた。聞いてるけど、だからどうしたって感じなんですごめんなさい。
 私が曖昧に笑みを浮かべてその場を濁すと、一ノ瀬君は眉間にくっと皺を寄せて、呆れたように溜息を吐いた。

「君は、作曲家になる気があるんですか?そんなことではこれから先やっていけませんよ」
「うーん。そう、だねぇ。うん。真面目には、やってるんだけどねぇ」

 ぶっちゃけ、作曲家になる気はないので耳に痛いというかいろいろすまんというか・・・・とりあえず曖昧に、曖昧に、言葉を濁して苦笑を浮かべる。いや本当に真面目に目指している人には大変申し訳ないとは思う。こんな私が本当にこの学校に入りたがっていた人を蹴落としてここにいることはチクチクと胸を刺す。けれども、それもまた運であり、実力というものなのだろう。
 人生ままならないことばかりさ、と言い訳のように内心で並び立てて、今にもお説教が続きそうな一ノ瀬君を制するようにそれよりも、と口を開いた。

「お弁当、食べちゃってよ。時間も時間だしさ」
「はぁ・・・。そうですね、残すのは勿体ないですからね」

 そういって、止まっていた箸を再び動かした一ノ瀬君にほっと安堵の息を吐いてお茶を啜った。ほうじ茶うまし。緑茶も好きだけど。

「あぁそうそう一ノ瀬君。おから餃子のレシピ教えるから、ちょっと神宮寺君に伝言頼んでもいいかな?」
「・・・何故その料理なんですか」
「え?気に入ってるんでしょ?」

 明らかに他よりも食べるペース早かったよ、それ。いや他も割かし気に入ってくれたみたいだけど、一番箸が伸びてたっぽいけど。むっつりとした顔でこちらを見下ろす一ノ瀬君にきょとりと瞬くと、く、と声を漏らして一ノ瀬君は顔を逸らした。

「・・・それで、何を伝えればいいんですか?」
「あぁ、うん。今日の放課後、例の楽器教室で待ってますって。練習云々の前に色々打ち合わせしないとどうにもならないからねぇ」

 顔を背けたまま、渋々と口を開いた一ノ瀬君に、何故視線を合わせない、と思いつつ内容を伝える。自分で言えよ、って話だけれども、ほらあれだ。できる限り接触はしたくないといいますかなんといいますか。人目に触れたくないといいますか。
 運よくここに伝言任せられそうな人がいるわけだし、使っても罰は当たらないよね!ほら、ギブアンドテイクは成り立ってると思うし!そう内心で並び立てて、ちらりと一ノ瀬君を見る。無理かな、ダメかな、と少しの心配を混ぜると、彼は仕方がなさそうに溜息を吐いた。

「伝えるだけですよ。レンが足を向けるとは限りませんから」
「ありがとう!」

 パァ、と顔を明るくさせて、それだけで十分だよ!と声を弾ませる。来るか来ないかは神宮寺君次第だし、そこまで一ノ瀬君に面倒をみて貰う必要はないだろう。来なかったとしても、ぶっちゃけ私にデメリットはないしな。
 だってこれ、私の課題じゃないし。神宮寺君の課題だし。
 あ、でも時間の無駄というデメリットはあるのか・・・。まぁ時間を潰せるものはたくさんあるんだし・・・それにいろんな楽器の音を鳴らして新しい音を探すのも楽しいかもしれない。それはひいては作曲にもきっと役立つだろうし、うん。別に来なくても問題はマジでないな。

「あ、デザートに豆腐のチーズケーキもあるからあげるねー」
「本当にいろいろ作ってきていますね・・・。料理が好きなんですか?」
「嫌いじゃないけどね。まぁ、趣味といったら趣味かも。いくつかあげるから、放課後にでも友達と食べてよ」
「ありがとうございます」

 ラップに包んだそれごと袋に保冷剤をいれたまま手渡すと、一ノ瀬君は大きな掌でそれを受け止めて、そっと形を崩さないようにサンドイッチが入っていたビニール袋にチーズケーキをいれる。そんな丁寧に扱わなくても多少のことでは形は崩れないと思うが。まぁでも、やわこいものだから丁寧に扱うのは間違いじゃないか。
 そして一ノ瀬君のおかげで粗方片付いたお弁当を片付け(なんだかんだよく食べたな)、メモ帳にさらさらとレシピと材料を簡単に記載して、一ノ瀬君に手渡す。そんなに難しくはないし、味付けはそれぞれ好みでしてもらえればいいから、簡単なレシピで十分だろう。そうしてベンチから立ち上がると、立ち上がった私を追いかけるように視線を動かした一ノ瀬君を振り返り、にこ、と笑みを浮かべた。

「じゃ、神宮寺君への伝言よろしく」
「わかりました」

 それだけを念押しして、さっと背中を向ける。一ノ瀬君は本を取り出していたから、しばらくはここで読書でもするつもりなんだろうな。そう思いながら、提げたお弁当バックをぶらぶらと揺らして、廊下を歩く。
 ・・・さて。神宮寺君と、どう話し合いをしたものかなぁ。扱いが面倒なんだよな、と思いながら、そもそも来るか来ないか、そこからが問題なのだ、と思い出して、首を捻った。

「・・・前途多難だな」
 まぁ、すべては彼自身にかかっているので、私にはどうしようもないことではあるが。これが私の課題でないことを喜ぶべきか、やっぱり厄介ごとには違いないと嘆くべきか・・・とりあえず前向きに考えるべきだろう、と小さな溜息を零した。