雨上がりの虹に永遠を願った、6月の間奏曲



 不本意といえば不本意だが、再び訪れた楽器教室は相変わらず人っ子一人いやしなかった。早乙女学園はその規模からか、数多の教室に資料室、楽器も多種多様に揃っているので、人が訪れなくなって久しい教室があったとしてもなんら不思議ではないが、なんて勿体ない、とも思う。使われないのならばどこかに寄付でもすりゃいいのに。保存状態はいいし、多少の調整は必要かもしれないが、十二分に使えるだろう数々の楽器は、碌々扱われないまま眠っているのはなんとも物寂しいものだ。
 少し埃っぽい教室の、並んだ打楽器の間を抜けて窓まで近づき、閉じられた遮光カーテンを開け放つとむっとした独特のカーテン生地と埃の混ざった臭いが鼻孔を霞める。けほり、と僅かに急き込んでから開いたカーテンから差し込む日差しに、きらきらと埃が反射して輝くのが見えた。・・・掃除、しばらくしてないのかな。
 まぁ、これだけ広いのならば行き届かない場所があっても不思議ではない。暇つぶしに掃除をするのもいいかもな、と思いながら、窓の鍵をあけてカラカラと横に引いた。
 大きな窓が開くと爽やかな外の空気が入り込んで、あのむっとした暑さと湿気、それから埃の臭いを風と一緒に運んで行った。
 窓の下は鬱蒼とした木々が生い茂り、どうやらこの学園の森?らしきものが広がっているようだ。大都会の真ん中で何故こんな広大且つ別世界のように多くの緑が生い茂っているのか・・・。いや、都会といえどたくさんの緑があることは知っているが、それにしたって森と呼べる規模のそれは早々ないだろう。
 ・・・忍術学園の裏山を思い出すな。懐かしい木々の香りを胸一杯に吸い込み、妙な安心感を覚えながら電気をつけずとも明るくなった教室をぐるりと見渡した。
 神宮寺君がいつくるのかは知らない。一応放課後、とは伝言をお願いしたが、放課後の何時、という時間指定まではしていなかった。
 抜かったな、とは思うが、普通の人なら時間指定がないのならば放課後と聞けばHRが終わればすぐに来るものだろう。まぁ、彼にその定義が当てはまるかは知らないが。そもそも来るかどうかすらあやふやなのだから、結局時間を伝えていたところで無駄なのかもしれない。
 光を反射する楽器を眺めながら、窓枠に背中を預けてしばらくぼんやりとしていたが、それこそが時間の無駄だな、と渋々と窓から背中を話す。
 鞄は持ってきているから本もあるし、出た課題をすませるのもいい。あぁでも、そうだな。折角だし、色んな音を試すのもいいかな。
 どれか次の曲に・・この場合神宮寺君の、か?に使える楽器もあるかもしれないし。そう考えながら、ぐるりと教室内を見渡した。
 まだ私は彼のことは何も知らない。いや、大方目に見える範囲だけでいうなら女ったらしので気障でぶっちゃけ普通そんな台詞吐かねえよってことを恥ずかしげもなく羅列する恥ずかしいお金持ち、ってところか。
 ふむ。そこから彼に似合いそうなものを考えるなら、曲の系統ならラテン系かな。ヒノエとか弁慶さんも似たようなタイプではあるが、あれは時代背景が過去の日本なので、和が主流だった。
 いやまぁキャラによってはロック調だったり色々あるんだけど、それでも基本のテイストに和が入るのは仕方ないだろう。
 さておき、加えてそこに神宮寺君のあの声と性格を加味するのならば確実に愛の歌っぽい。ラブソングか・・・苦手な分野だな。てかあの声と性質でラブソングとか最早鉄板だな鉄板。無駄に吐息とか囁きとか入るのかなやっべ聞きたいような聞きたくないような・・・。関わりないところなら聞きたいんだけどなぁ。
 とりあえずラブソング系で曲、加えてラテン系、となると楽器のチョイスもそれなりに絞れる、かな。
 まぁ声があれなんだし、別にラテンにこだわらずともしっとり系のラブソングでもなんでもいけそう。でもとりあえずラブソングっぽい。あれは青春系の歌は歌わないだろう確実に。
 大抵音楽ソフトでやっちゃうので生の楽器の音は早々使わないのだが、ここにこれだけあるなら生の音なんかいれても楽しそうだよねぇ。
 いやまぁ私に弾けるのかと問われれば無理ですとしか言えないんだけど。私が弾けるのなんてピアノぐらいだし、と思いながら楽器の間を練り歩く。
 トランペット、チューバ、ホルンに、トロンボーン、サックス。そこから更に複数種類に分かれていくつもあって、これだけ種類を揃えていることも圧巻だ。
 打楽器だって、幼稚園児から使うようなカスタネットから木琴、ティンパニだのドラムだのシンバルだの銅鑼だのボンゴだの・・・もはや名称すらあやふやなものまであるのには驚きを通り越して好奇心しか涌かない。
 ホント。よくまぁこれだけ揃えたものだ。しげしげとドラムのスティックを持ってカーンとシンバルを鳴らしてその高い音に耳を傾ける。アクセントにはいいよね、こういうの。どの音を使ってみようか、と指の間でくるくるとスティックを回すと、不意に洋風な楽器の輪からはみ出て、一か所にまとまる楽器に視線が吸い寄せられた。あ、と小さな吐息が零れたのは無意識だ。

「・・・和楽器」

 ぽつりと、シンバルの残響が残る教室に、私の呟きが紛れ込んでいく。遊ぶようにくるくると回していたスティックを元に戻すと、吸い寄せられるように静かに並ぶそこにふらふらと近寄った。
 太鼓、はさすがに極端に大きいものはないが、鼓程度ならば置いてある。それから鈴に、三味線、琴まであるのは何事か。笛があるのは勿論のことだとして。
 木管楽器ならばフルートやリコーダー、クラリネットもあるのだが、ここにあるのはもしかしたら学生時代よく使用していたアルトリコーダーよりも馴染み深くなったかもしれない、竹で作られた笛だ。竜笛、ともいう。
 そろり、と指先を伸ばして竜笛に触れる。つるりとした竹の感触と、巻きつけられた籐のざらざらとした感触をゆっくりと辿り、そっと握りこんだ。
 ひんやりとした感触が掌から伝わり、口の部分に指を触れて、手前まで引き寄せる。細い筒状のそれを握りしめて、その胴体を撫でるように指先を這わせた。

「懐かしい、な」

 高く伸びる笛の音が、今も耳の奥で鼓膜を震わせているかのように蘇る。少しの侘しさを乗せたその音色の、数多の色が思い出されては懐かしさに瞳を細めた。少しぼやけた記憶の音は、所々曖昧に濁って全てがすべて鮮明に思い出されるわけではないけれど、それでも胸に過ぎるそれまでが曖昧にぼやけるわけではない。笛を奏でるあの人の、その悲しげな横顔を覚えている。音色に込められた哀切を知ってる。後悔と決意と、懺悔に揺れた優しい眼差しを覚えている。
 あぁ、懐かしくて、少し寂しくて、なんて、切ない。不意に泣きたくなるほどの侘しさが押し寄せて、くっと唇を噛んだ。
 強く握りしめた手が血の気を失い白くなったけれど、眼の奥からこみ上げるそれに耐えるだけで精一杯で、笛を胸元に押し付けて深く息を吐いた。
 あぁ、と声にならない吐息が零れる。・・・・いつまで経っても、慣れることはないのだな。不意を突かれると、どうしても、思い出してしまう。感じ入ってしまう。そうしていたって、どうにもならないっていうのに。

「ダメだな、本当」

 自嘲を零して、胸に抱きこんだそれを放すと、そっと歌口に唇を寄せた。
 ・・・久しぶりだからなぁ。吹けるかな。かつて、忍術学園の授業の一環として習ったそれと、それよりも前に、わずかな好奇心で教えてもらったことを思い出しながら、不安とともに空気を送り込む。ふぅー、と、ただ管を息が通るだけの気の抜けた音だけが聞こえて、ありゃ、と眉を潜めた。だーよねー。もう何年振りっていうか、この世界に生まれてから一度も触れてないから、約十五年ぶり?うん。そりゃ感覚も忘れるっての。
 一旦歌口から口を放して、ふっと遠い目をした。・・・まぁ、どちらかというと学園では横笛よりも琴や舞がくのいち教室の基本科目だったから、さほど触れてなかったというのもあるのだが。一応行儀見習いだったしな、私。
 それでも忍者として最低限はできるようにと一通りのことはくのたまも忍たまも学ばされるのだ。忍びの仕事として諜報・潜入があるために、あらゆるものになりすますため技術の伝承は行われているのだ。・・・今考えればどえらいハイスペックな人間を作り出してるよな、あの学校。なんでもできるといっても過言ではないのだし。いやまぁ、得意不得意はあるんだけど。
 過去を思い出しながら、諦めずに幾度か息を送り込むと、やがてぴぃー、と高めの音が響いた。・・・ん。この感じか。音の出た感覚を掴むように幾度かそれを繰り返し、まともに音色が続くようになったところで記憶から曲を引っ張り出してぎこちなく指を動かした。敦盛さんのあれはちょっと朧すぎる部分があるし、私が奏でるには、今はまだ、少し、苦しい。いつか、それすらも容易く吹き奏でる日がくるだろうか。
 物思いに耽りそうになるのを、ゆるく首を振って追い出し、ひとまず学園時代に習ったそれを思い出しながら音程を刻む。
 まぁ、曲とはいっても今時のそれではなく、言うならば雅楽のそれであるのだが。流暢とは言い難いぎこちない演奏ではあるが、それでも形にはなんとかなっている、と思う多分。・・・彦ちゃんたちが弾いて私が舞うって形が基本だったからなぁ。琴とかの方が得意かもしれない。それでも、指は相変わらず七つの穴を塞いでは開けてを繰り返す。
 彦ちゃんたちは元気だろうか。九郎さんたちはどうしているだろうか。
 元気でいるといいな。長生きしているといいな。楽しく、笑っていればいいな。私が、あの世界にいることができなかった分まで、ずっと、長く。
 細く、掠れる音が、途切れる。どこか不自然に、途切れた音色からゆっくりと顔をあげて、後ろを振り返った。

「来てくれたんだね、神宮寺君」
「・・・気が付いていたのかい?」

 壁にもたれかかり、こちらをじっと見ていたのだろう彼が、わずかに目を見開いて驚きを表す。笛に夢中になっていたとでも思っていたのだろうか。雑念で一杯だったし、結構あっちこっちに意識を飛ばしてたんだけどな。
 くす、と小さく笑ってから、竜笛の口元をハンカチで拭うと、元あった場所に戻して体ごと神宮寺君に向き直る。彼は何か物言いたげに目を眇め、壁にもたれかけていた体を起こすと、ズボンのポケットに手をいれて、長い脚を見せびらかすようにしなやかに距離を詰めてきた。

「今のは雅楽の曲かな。レディにそんな特技があったとは驚いたよ」
「昔取った杵柄ってやつですかね。自慢できるほどの腕じゃないですけど」

 昔にもちょっとほどがあるかもしれないが、そんなこと目の前の彼が知る由もないので、気にしない。あれを見せるぐらいならまだ琴の方が自信があるよ。肩を竦めると、神宮寺君はふっと口角を持ち上げて流し目を向けてきた。

「レディは謙虚だね。そんな奥ゆかしいところも好ましいけれど、もっとレディとお近づきになりたいな。・・・あの笛の音に思う相手ぐらいに、ね」

 はいきたサービストーーーク。隙あらば挟んでくるな、と思いながらどうしてあれが誰かを思った音だとわかるのだろう、と疑問を瞳に浮かべる。微笑みを浮かべている神宮寺君を見つめて、この人もわけのわからんぐらい鋭いというか感受性が豊かというか・・・天性のものがあるんだろうな。私には理解できない領域なのだろう、とにこり、とそれとわかるぐらいの作り笑いを浮かべた。

「そうなるには大分時間がかかりますねぇ。それよりも本題なんだけど、今回の曲はどういった感じにしましょうか?」
「・・・曲なんかよりも、君とのことを話したいな。仲良くなるには、時間がいるんだろう?」

 あーいえばこーいう。ざっくりと切り捨てたにも関わらず、果敢にも攻めてくる彼に眉を潜める。蠱惑的に笑む神宮寺君は、さらりと長めの髪をかきあげて耳にかけ、囁くように甘ったるい声を響かせる。

「レディは奥ゆかしいからね。時間をかけて、ゆっくりと、打ち解けてくれると嬉しいな」
「奥ゆかしいの使い方を間違ってる気がするけど・・・」

 これは邪見に扱ってるっていう気がするんだが、まぁ、本人が前向きにとらえているならあえて口出しすまい。微妙な表情を作りつつ、完全に話をはぐらかすというかそもそも曲について話し合う気が一切ない口ぶりに、マジやる気がないんだな、と肩から力を抜いた。・・・なるほど。パートナーが困るわけだ。

「・・・まぁいいか」
「ん?」
「なんでも。まぁじゃぁ折角ですし、なんか話しますか」
「え?」

 やる気がないなら仕方ない。むしろここにきただけでも奇跡と思うぐらいにしておこう。そう受け止めて、こちらもあっさりと本題を投げ捨てると、彼は意表を突かれたようにポカンと間の抜けた顔をした。きょとりと丸くなった目がなんだか無防備で、こんな顔もできるんだなぁ、と思いながらきょろりと教室を見回す。
 ・・・椅子と長机があるな。あれ引っ張り出そう。

「神宮寺君、あれ出すの手伝って」
「・・・あ、あぁ」
「あーちょっと楽器どけた方がいいのかな。この辺りにスペース作るから、神宮寺君はそこの長机と椅子持ってきてね」
「わかったよ」

 彼が思考を普段に戻す前に、矢継ぎ早に指示を出して有無を言わせずに働かせる。こういうタイプには、相手のペースに巻き込まれる前にこちらのペースに巻き込むことが大事なのだ。案外こういうタイプって自分のペースを乱されるとなぁなぁで流されることが多いからな。勿論、落ち着けばそれなりにまた復活するだろうけど、とりあえず現状自分のペースを保てればいい。殊更マイペースを装っている節はあるが、まぁそれぐらいやんないとこの手のタイプの相手は難しいし。本当、面倒な人間だな。
 そんなことを考えながらガタゴトと音をたてて楽器をどけてわずかなスペースを作り、神宮寺君が持ってきた机と椅子を並べてセッティングを完了する。
 そして椅子を引いて腰かけると、つられたように神宮寺君も椅子に座った。うん。流されてる流されてる。そういうところは案外年相応、と思いながら、鞄をどかりと机の上に置いて、かぱりと蓋をあけた。

「そういえば神宮寺君って、勉強できる方?」
「うん?そうだね、それなりにはできる方だとは思うよ?」
「Sクラスだもんねー。やっぱそっちの方も優秀なんだ?」
「人によるね。おチビちゃんなんかは毎回筆記テストではひぃひぃ言ってるよ」
「おチビちゃん?神宮寺君の友達?」
「まぁ、友達、かな。見ていて飽きない子ではあるよ」
「へー」

 きっと容姿がいいんだろうな、その子も。おチビちゃんというからには背丈が通常の男子よりも低めなんだろうなぁ、と朧げなイメージをしながら、鞄の中から筆記用具とファイル、それから教科書を取り出して机の上に並べていく。
 その様子を椅子に斜めに座るようにして体を横にし、机に肘を立てて頬杖をつきながら眺めていた神宮寺君は、眉をぴくっと動かした。

「それは?」
「今日出た課題。どうせだから進めようかと思って。神宮寺君とこは何も出てないの?」
「さぁねぇ。興味ないから」
「そう。じゃぁ神宮寺君、わからないところがあったら聞くから助言よろしく」
「え?本気でそれをやるのかい?」
「やるよ。丁度目の前に相談できそうな人いるんだし。充てにしてるから」
「・・・それよりも、もっと楽しいことをしようとは思わない?」
「後で泣き見るの自分なんで遠慮しとく。終わったら考えとくよ」
「それはそれは、じゃぁ早く終わるように手伝わないとね」
「うん。よろしくー」

 よし。助っ人確保。北原先生時々鬼みたいに難しい課題出すからなぁ。穴埋め形式にしても、一々本出して調べないとわからないようなディープなもんまで出すから面倒くさいこと面倒くさいこと。それに加えて通常五教科の課題も出てくるし、泣きたいわ!って時もあったな・・・。バイトに時間取られて課題終わるのに日付変更線超えるのなんてザラにあるし。その上で作曲やらなんやらと重なるともううわああああ!!ってなる。カチカチ、とシャーペンをノックして芯を出すと、教科書を開きつつプリントに取り掛かった。

「レディは」
「んー?」
「レディは、俺のことが苦手なんじゃなかったのかな」
「まぁあんまり得意なタイプではないね」
「ストレートだね。じゃぁ、なんでこんなことしてるの?レディならさっさと出て行くぐらいすると思ってたんだけど」

 それとも、誘ってる?なんて。プリントに視線を落とした私の頬から顎のラインに手を添えて、くっと力を込めた神宮寺君に合わせて顔をあげると、にっこりと笑う顔に、探るような視線を感じる。図りかねているのか?
 彼としてはこちらが積極的に抵抗、基曲について話を進めようとすると考えていたのだろう。それか、しないにしても今までの対応から考えてさっさととんずらすると考えていたのには違いはない。
 それはそれで彼にとって好都合だったのだろうな。どうにも神宮寺君は課題などやる気はないようだし。関わりすらしたくない、とすら考えているのかもしれない。・・・まぁ、私としては半ば嵌められたとはいえ、やるといったからには自分の分の「すべきこと」ぐらいはしなければ、と思っているだけなのだが。

「・・・本音を言うなら、不本意でもなんでもパートナーを組むことになったんだから、それなりに知っていく努力はしないとな、と思っただけで、他意はあんまり」
「ふぅん?イッチーから聞いたよ。俺のパートナーになったことは他言無用にしてほしいそうじゃないか。それで、そんなことを言うんだ?」
「あぁ、だって周囲に知られると面倒でしょ?騒がれるのも女子に絡まれるのも遠慮したいし。でもそれは人目につかなければいいだけで、ここなら早々誰もこないでしょ」
「レディ、人気のないところで男と二人っきりだなんて、余計危険だとは思わないのかい?」
「それは人によるでしょう」
「その言い分で行くと、俺はレディの中で信用されているのかな?」
「そうだね。神宮寺君は女の子に優しいから」

 同時に、多分あんまり興味もないだろうし。遊びで手を出すにしても、多分彼は相手が自分に好意を少なからず抱いていることを見て手を出すはずだ。全くそんな気のない相手に対して無理を強いるようなことをする人種とは思えない。
 それがキャラ的な先入観と言われてしまえば言葉に詰まるが、こんな話を切り出す時点で九割方当たってると思っている。
 加えて言えば、彼に手を出されるほどの興味も執着も、抱かれているとは思えないし。
 皆までは言わず、頬を撫でる神宮寺君の手を払って再びプリントに視線を落とす。進むような全く進まないような・・・あ、ここの括弧はこれか。

「まいったな・・・そこまで言われちゃ、手を出すわけにはいかないね」
「出されちゃ困りますよ、っと。・・・神宮寺君、これわかる?」
「ん?・・・あぁ、これはね」

 さらりと言えば、苦笑を浮かべて前髪をかきあげた神宮寺君に、行き詰った問題を示して教えを乞う。彼はくしゃりをかきあげた手を放すと、少し首を傾げて顔を寄せてきた。・・・・・・首筋から鎖骨どころか胸板の際どいところまで見そうですけど、まぁ本人が見せびらかすようにしているので気にすることはないだろう。でもどうせ見るなら男の谷間ではなく女の子の谷間が見たい。・・・親父か、私は。内心で一人突っ込みをしつつ、教えられるままに括弧を埋めていく。うん。やっぱり頭もいいんだな、神宮寺君。 

「そういえば、レディは他に何か楽器が弾けるの?」
「ん?あー・・・和楽器は多分一通り。あとはピアノぐらい」
「へぇ、和楽器。ぜひとも一度聞いてみたいね。笛はさっき聴いたけど・・別の楽器も。今日みたいに、二人っきりで」
「機会があればね。神宮寺君は何か楽器できるの?」
「俺?そうだね・・・サックスなんかは得意だよ」
「サックス?・・・じゃぁジャズとか好きなの?」
「そうだね。割と」
「ジャズならしっとり系だよねぇ。落ち着いた大人の曲って感じ。ラブソングとか好きそう」
「嫌いじゃないな。それに、どうせ歌うなら情熱的な愛の歌じゃなきゃ面白くないだろう?」
「はは。神宮寺君って、案外期待を裏切らないね」

 うん。予想通りだな。けらけらと笑いながら、ぱらぱらと教科書を捲って答えを探す。そうかそうか。サックスが得意でジャズ系の歌も好み、更に予想にたがわずラブソングご所望、と。一度吹いているところをみたいような気もするが、さすがにじゃぁ吹いて、といってしてくれるほど彼も気安くはないだろう。
 ふむふむ、と内心でメモを取りながら、彼の声の聴きつつ書き込んだ部分に消しゴムをかけて、再び書き込む。

「・・・よし。できた」
「案外早く終わったね」
「神宮寺君のおかげだよ。ありがとう」
「レディの役に立てるのなら本望さ」

 パチン、とウインクを飛ばされて半笑いになりつつ、ここまで芸術的にウインクを決められる男もおるまいて、口元を歪める。いやヒノエとか上手かったけど。
 とりあえずできたプリントはファイルに仕舞い、机の上を手早く片付けて時計の文字盤を確認する。・・・そろそろ帰るか。

「じゃぁ神宮寺君、今日は助かったよ」
「あれ?もう帰るのかい?」
「夕飯の準備があるから」

 そして部屋にはお腹を空かせたにゃんこも待っているだろうから、早く帰ってご飯作ってあげないと。鞄を床に置き、椅子を元あった場所にもどそうと持ち上げると、するりと神宮寺君はごく自然な動作で椅子を奪い取った。

「レディに重いものを持たせるわけにはいかないからね」
「椅子ぐらい持てるよ?」
「こういうときは、男に頼るものさ」

 そういって、さっさと椅子と机を片付けてしまった神宮寺君に、さすがフェミニスト、というかプレイボーイ、と思いながら振り向いてこちらに笑みを向ける彼にこちらも微笑みを返して、すちゃ、と片手をあげる。

「じゃぁこれで。曲についてはまた今度にしよう」
「・・・あぁ、それ、まだやる気なんだ。てっきりレディも乗り気じゃないと思ってたんだけどな」

 今日は雑談に費やしたからか、神宮寺君の中ではこの件はどうやらなかったもののように扱われたらしいが、一応、交換条件まで突きつけられた身としては最低限のことはさせて頂きますよ?僅かに眉を寄せ、どこか皮肉気に口角を歪めた神宮寺君の、そのどこか突き放すような青い双眸は綺麗な色をしている分だけ酷薄さが際立つ。イケメンは真顔になると怖いよな、本当。

「曲は作るよ。神宮寺君に釣りあうようなそれかはわからないけどね」
「ふぅん・・・まぁ、楽しみにしてるよ。君が俺のハートを熱くさせてくれる曲を作るのを、さ」
「あはは、難易度高いね」

 それは暗に自分が認めるような曲じゃなきゃ歌わないぞってことですかな?うふふ、何様だお前。神宮寺様か。そうは思うものの、実際そういえるだけの実力を彼は持っているのだろうから、私は苦笑を浮かべた。教師が惜しんで一ノ瀬君でさえ認める実力、だものなぁ。全く、学園長も日向先生も、私には荷が重いものばかり要求してきて困ったもんだ。

「努力はしてみるよ」

 ただ努力に結果が伴うかは甚だ不明です。内心の不安というか懸念というかをぐっと押し込めて、教室の出入り口に立つ。送るよ、と神宮寺君が言ったけれど、そこを目撃されたら何のためにこんな人気のない教室を選んだのかわからないので、丁寧にお断りをしてさっさと教室を離れた。
 人気のない廊下を歩きながら、今日得た情報を頭の中で反芻する。ふむ。・・・とりあえず、曲にサックスは取り入れるべきだろうか・・・。
 歌う感じのイメージは掴みやすいな。あの声の持ち主の曲は何度も聞いたことがあるし。まぁ性格云々や声の高さに差はあるけれど、質は同じなのだからイメージはしやすい。彼の歌を聞かずとも、大雑把にはなんとかなるだろう。
 ある意味反則技ともとれるが、使えるものは有効的に使わなくては。

「それにしても、愛の歌、ねぇ」

 ・・・・ああいうタイプは、一番それから縁遠そうなんだけどな。予想通りとはいえ、恐らく思い描くようにはいかないだろう、と思いながら、溜息を零した。・・しばらく睡眠時間を削ることになりそうなことが、ただひたすらに、憂鬱だった。