雨上がりの虹に永遠を願った、6月の間奏曲
「ららら、らら・・ららら・・ら?」
メロディを口ずさみながら、五線譜にシャーペンを走らせる。さわさわと頬を撫でるそよ風が少しだけ前髪を揺らすと目元にかかったので、ちょい、と指先で横にずらすと同時にシャーペンを動かす手を止めた。
顔を上げると、夏の青々しい緑が視界に入り、同時に初夏の暑さがじんわりと体を蝕む。うっすらと首や前髪の生え際に汗が滲む程度には、季節も夏に近づいてきたということなのだろう。眩しいほどの空の青さが目に染みる。
眩しすぎて少し目を細め、後ろに体を傾ける。かさついた樹木の木肌が衣替えした制服の薄いシャツ越しに、背中を刺激した。
体重をかけてもぴくりともしない安定感はさすがだ。畳んだ膝の上に、下敷きと共に重なった書きかけの五線譜がわずかにそよぐ風に煽られてぴらぴらと捲れ上がる。それを指先で飛ばされないように押さえつけながら、青い空とは裏腹に真っ白な雲の動きを追いかけてカチリとシャーペンの先をノックした。
・・・・・・・・ラブソングって難しい。馴染んだそれであるからこそ、自分が表現するとなると中々どうして、やりにくいもんだ。ありきたりになったらそれこそ彼のお眼鏡に適うことはないだろうし。いやまぁ、それならそれでいいっちゃいいんだけど・・・でも作るんだったら、少なくとも認めてほしい、という気持ちはいくら無頓着な私とて多少は持っているものだ。
そういえば歌詞とかは私が考えるんだろうか?神宮寺君が考えるんだろうか?てか私が歌詞考えるとかそれなんて羞恥プレイ。ないな、絶対ない。絶対厨二臭い歌詞になりそうだし。
・・・そうか、歌詞という問題もあったのか。
「・・・まぁ、できてから考えよう」
まずは彼が歌う気になるかどうかが問題のようだし。あーでも、うん。この調子だと無理そうな気もするなぁ。ある程度人物分析とか、中の人的なことを考えるとイメージもしやすいんだけど、でも実際に歌うのは中の人ではないし、れっきとした「神宮寺レン」が歌うのだ。生身の人間が歌うのだから、ただのイメージや中の人的な意味だけで成り立つわけがない。
「人間、か」
・・・あれだけキャラ立ちしてるのに、人間なのか。こうして生きて、立って、悩んで、呼吸して、体温があって、心臓が動いて、形を伴って。
皮膚があって髪があって目があって鼻があって口があって柔らかくて堅くて私と何一つとして変わらない。私の記憶は可笑しいけれど、でも私が生まれた場所はここなので、そこで彼らも同じように生まれてきたのだ。母の胎内から、この世界に。
私はこの世界を知らない。まるで乙女ゲームのようだな、とか、アニメみたいだな、とか、漫画みたいだな、と思う部分はあるけれど、それでも「私」の中に、この世界の記憶はない。二次元であり得るような非常識さも、二次元でこそ許されるような人たちもいるのに。現実であり事実であるという。全く、世の中何かが間違っているのではないか?
「ま、私が一番間違ってるか」
こんなことを考えることが、そもそもの間違いなのだ。僅かな自嘲を浮かべて、気持ちを切り替えるように楽譜に視線を滑らせると、のし、と、楽譜の上に黒い毛玉が乗り込んできた。きょとん、と目を丸くすれば、ターコイズの円らな瞳と視線が合う。にゃーお、と、高い鳴き声が鼓膜を震わせた。
「にゃんこ?」
膝にかかる重みと、構えとばかりにゴロゴロと喉を鳴らして体に頭を押し付けてくるにゃんこに、本物かと思いながら珍しいこともあるもんだ、と顎を擽った。
「なに、お前昼間はこの辺でぶらぶらしてるの?」
「にゃーお」
「そう。あんまり危ないところには行くんじゃないよ。あと教師には気をつけなね。下手したら保健所行きも有り得るから」
「にゃ?!」
「まぁ、早々滅多にそんなことにはならないだろうけど」
大抵は見逃してもらえるもんだろう。この学園の広さは半端ないんだし、一々野良猫一匹に保健所に連絡するとは思えない。基本放置に決まっている。
少し慌てたように尻尾を膨らませたにゃんこに、くすくすと笑いながらそのピンと立った耳を指先で擽る。さて。
「にゃんこ、私今作業中だから膝から退こうねー」
「にゃーん・・・」
脇の下に手を突っ込み、ぐいっと持ち上げるとだらーんと下半身が垂れ下がる。もともと猫の背骨は曲がっていて、その分伸ばすと本来の状態からかなりの長さに胴体が伸びるわけだが、この気の抜けた恰好、たまらない。
あまりの愛らしさにでれっと表情を崩しながら、最早曲などどうでもいいんじゃないか?と悪魔の囁きが私に話しかけてくる。にゃんこと戯れてしまえよ。可愛い猫だぜ?癒されるだろ?さらさらつやつやのふわふわだろ?肉きゅうぷにぷにしたいだろ?あぁけれどこっちだってやらければならないことが!
天使と悪魔の囁きにうぅ、と内心で葛藤していると、にゃんこがでれーんと胴体を伸ばしたまま、にゃん?と小首を傾げるのでそのまま抱きしめてやりたい衝動にかられる。
あぁ可愛い可愛い可愛い可愛い・・・!ちょ、休憩!休憩挟んでもよくない?!あんまり進んでないけど!でもこの可愛さを無視するとかそんなこと私には・・・!
「クップルー?」
猫を抱き上げたままこのまま癒しタイム入っちゃう!?と悪魔の囁きに屈しかけた刹那、可愛らしい女の子の誰かを呼ぶ声がして、はっと意識が現実に引き戻される。同時に、抱き上げたにゃんこも耳をぴくっと動かして、何やらそわそわしだした。暴れることはないけれども、ちょっと落ち着かないんで再度膝の上に下すと、座った状態のまま尻尾を先ほどよりも激しくぱたぱたと動かす。
・・・ふむ?その様子に首を傾げると、先程よりもより鮮明に、少女の声が聞こえて自然と顔をあげて先を見やった。視線の先には、サーモンピンクの髪を揺らして、女の子が何かを探してきょろきょろと辺りを見回している姿があった。
・・・なんだかあれ以来、目立つ面子とよく遭遇するな・・・。彼女自体はさほど目立つようなタイプには見えないが、顔そのものの造作は整っているし、確かテストではほぼ上位にいると聞いている。やはり自分とはどこか住む世界が違いそうだな、と思いながらも、するりと猫の背中を撫でた。
「七海さん、何してるの?」
「えっ!」
一つのことしか目に入っていない様子で、こちらの存在に気づきもしていなかった彼女に声をかける。まぁ彼女からはちょっと死角になるような位置にいるし、にゃんこが膝に乗ったままだから座った状態から動けていないのだが、少し声を張り上げれば十分届く距離で、何かを必死に探している様子は声をかけずにはいられない。問いかければ、ひどく大げさにびくん、と肩を跳ねて七海さんはこちらを振り返った。金色の瞳が丸く大きくなると、七海さんはびっくりした様子で声を張り上げた。
「さん!?」
「こんにちは」
「こ、こんにちは・・・っ」
そこまでびっくりしなくても、と思いながらも、どこかおどおどとした態度で、頬を軽く染めて挨拶を返す七海さんに、警戒されてる?と首を傾げる。
いや、警戒される理由はないよねー?手を組んでもじもじをしている七海さんの様子は、どこか恥ずかしそうでもあるので、人見知りなのかもしれない、と考え直す。周りには一十木君たちもいないし、緊張しちゃうのかな。されるような人間ではないのだけれども、と思いつつ再度彼女に話しかける。
「何か探し物?」
「え、あ、い、いえ!そんな、なんでもないんです・・・!」
何か探しているなら手伝おうか、というぐらいの軽い気持ちで尋ねたのだが、帰ってきたのは想定外の否定の言葉だった。あれ?明らかに何か探してる様子だったのにな?ぎくり、と肩を揺らして思いっきり視線を泳がせながらあわあわとなんでもないんです!と言い募る様子に、人には言えない何かなんだろうか、と察して私はそっか、と軽い返事を返した。・・・干渉されたくないんなら無理に突っ込むものじゃないよね。それに、そんなに七海さんと仲がいいわけじゃないし。一十木君たちの距離感が半端ないほど近いというか、近づいてくるというか・・・とにかくうっかりしそうになるが、正直言えばこのなんともいえないぐらいの距離感が本来私たちのあるべき距離感だ。
七海さんが正しい、と思いながらまぁそれでも一応、とばかりに笑みを浮かべた。
「まぁ、困ったことがあったら言ってね。手伝うぐらいはできるから」
「あ、ありがとうございま・・・・クップル?!」
私が明らかに誤魔化してます、という七海さんの態度に突っ込むこともなく流したからか、あからさまにほっとした様子で胸を撫で下ろした七海さんは、しかし次の瞬間、またしても大きく目を見開いた。・・・うん?
「クップル?」
「え、あ、あの、その、さんの、膝の上にいる猫・・・」
「え?あぁ、この子?」
そういえばさっきもそんな名前を呼んでいたような、と思いながら首を傾げれば、七海さんはおずおずと私の膝を指差した。その指の先を辿れば、いつの間にか人の膝の上で丸くなっているお猫様がいらっしゃる。・・・なるほど。
「この子、七海さんの猫?」
「え!?えっと・・・その、学園でその子とあって、ご飯とかはあげていたりするんですけど、でもあの、飼ってるっていうか、あのその、ごめんなさい!」
「え?ん?・・・何が?」
ひどく慌てた様子で、終いには頭まで下げた七海さんにポカンと口をあけて呆ける。・・え?あれ?私いつ彼女を責めた?
これ、知らない人間がみたらまるで私が彼女を苛めているようだ、と思いつつ、どうか誰もこの現場を見ていませんように、と祈っておく。あらぬ誤解を招くのだけは勘弁願いたい。
きょとん、としている私に、七海さんは再び何度もどもりながら友ちゃんは悪くないんです!とかなんとか言って・・・・あぁ。
「や、別に半野良の状態だろうし、いいんじゃない?」
おろおろと、どうしよう・・!という考えが透けて見える七海さんに、そんなに焦ることだろうか?と思いながら相槌を打つと、彼女はへっ?と動きを止める。
いや、だって、確かに寮はペット禁制だけれども、にゃんこのこの様子はただ餌を貰いに各部屋に寄ってる、みたいな感じだし。飼っている、とは一概には言えない状態ではなかろうか。多分条件でいえば私も七海さんもおんなじようなものだし。そんなに慌てなくてもいいだろう、とそんな中でも割と我関せずなお猫様の背中を撫でつけた。リラックスしたようにゆらゆらと尻尾を揺らす猫を七海さんはじっと見つめて、どこか気の抜けた様子で肩から力を抜いた。
「先生に、言わないんですか・・・?」
「え?なんで?だって私も似たようなものだし」
「似た・・・?そういえば、クップル、さんによく懐いてるんですね」
「私も結構ご飯とかあげてるから。一緒の布団で寝ることもあるし」
「え?さんも?あ、でも、そういえば・・・ここのところ夜とか、ご飯食べないことが多くなってた・・・」
「あー最近よくご飯たかりにくるんだよね。まぁ別にそんなに手間でもないからいいんだけど。そっか、お前人慣れしてると思ったら七海さんとこの子だったんだね」
そしてクップルという名前だったんだね。うん。・・・しかしなんか違和感は覚えるな?今までにゃんこで通してたからかな?そう思いつつクップル、と呼びかければ、にゃんこは顔をあげてにゃぁん、と甘えた声を出した。・・そうだね、今までにゃんこで通してたからね。すりすりと掌に頭を押し付けてくるにゃんこに、もっと撫でろという催促か?と思いながら顎下を擽る。細めた瞳が可愛らしい。
しかし、だ。飼い主がきたのならば返さなければなるまいて。きっと真面目に作曲をしなさい、という何かからのお達しなのだろう。
膝の上で丸くなるクップルに少し心苦しく思いながらも、ひょい、と持ち上げてびっくりしたように目を開いたその顔を覗き込む、小さく微笑んでから七海さんに差し出した。
「はい、七海さん」
「え?」
「探してたんでしょ?私まだちょっとやることあるし、返すね」
「作曲中だったんですか?」
両脇に手を差し込んでだらんと伸びたクップルを七海さんは受け取り、胸に抱き上げると、興味深そうに私の膝の上でちょっとくしゃくしゃになった楽譜に視線を落とした。好奇心が抑えきれないようにきらきらとした眼差しに、そんな顔されるほどのものではないんだが、と思いつつも苦笑を浮かべてひらりとそれを差し出した。
「見る?作りかけだし、大したものじゃないけど」
「え!?い、いいんですか?」
「できるならアドバイスとかくれると嬉しいな。私にはちょっと難しくて」
「わ、私でできることなら・・・!」
そういって、芝生に座った七海さんはその膝にクップルを乗せて、恐る恐る、まるで壊れ物を扱うかのように差し出した楽譜を受け取り、じっと食い入るように音階を追いかける。その一瞬で、先ほどまでのおどおどとした様子も、子供のような好奇心も消えて、真剣な一人の作曲家のような顔をするものだから、あぁ、この子は根っからの作曲家なんだな、とその顔を見つめて思った。
私とは、やっぱり住む世界が違う。表情一つでここまで思わせるのだから、彼女の作る曲が素晴らしいと言われるのもなんとなくわかる。
不意に、なんで私ここにいるんだろうな、という思考が頭の片隅を過ぎった。
・・いや、理由をあげるのならば簡単だ。父の「遺言」でこの学園に「合格」したからだ。それ以上も、以下もない。そこに、私の意思はあまりなかったのだろう。それでも一応、決めたのは自分なのだから、多少の興味はあったのだろうけれど。でもそれじゃぁ、彼女と住む世界が違うのは当たり前だ。彼女はきっと、作曲家に「なりたい」から、この学園に「入った」のだ。惰性で入った私とは違う。それに殊更劣等感を覚えるわけではないけれど、場違いだな、と思う気持ちは強く覚えたが、まぁ考えすぎても落ち込むだけだし、と肩から力を抜くと、見終わったのか楽譜から顔をあげた七海さんと目が合った。
反射的に笑みを浮かべて、どうだった?と問いかける。
「情熱的で、だけど少し切ないような・・・大人の恋の歌ですね」
「おー。そんな風に感じたんだ?」
「はい。とても素敵です。でも・・・なんだか、少し」
「少し?」
・・・そんな作りかけの曲でそれだけ感じられるこの子マジすごい。てか大人の恋て。いやイメージ確かにそれだけど、なんだか改めて言われると恥ずかしい、と思いつつ先を促すように相槌を打つと、少しだけ言いよどんでから、七海さんは眉を少しばかり下げた。
「作りこみ過ぎているような、形だけを追いかけているような・・・そんな気がします」
「ふぅん・・・形だけ、か」
「あ、ご、ごめんなさい!生意気なこといって・・!」
「いやいや。とんでもない。他人の意見って貴重だからさ。ありがたいことだよ」
それに、なんとなく言いたい意味もわかるというか。イメージ先行だからなぁ。とにかく神宮寺君なら色気出せや!みたいな感じでやったから、中身が伴っていないというか、上辺だけひっつめた感じは確かに否めない。
確かにイメージは大切だけれど、そればかりに偏るのは悪い傾向だな。注意しておこう。首を竦めておどおどとこちらを見る七海さんに、怒ってないから、と笑いかけた。
「正直行き詰ってたんだ。私、ラブソングとか苦手だし、今回は、まぁ、ちょっと色々あって。とりあえずイメージだけで作ってみたものだから、外からの意見は本当に助かるよ。ありがとう」
「そんな、お礼なんてとんでもないです。大したことも言えないですし・・」
「そんなことないよ。参考になった。とりあえず、もうちょっと相手のこと知らないとなってことはわかったから」
「誰か歌う方が?」
「あー・・うん、まぁ。一応。でもまぁ、歌ってくれるかは相手次第なんだけど」
・・・相手が神宮寺君とは言わないでおこう。どこから情報が流出するかわからないし。七海さんは言いふらすようには見えないけど、何かの拍子にぽろっと零しちゃいそうなんだよなぁ。一ノ瀬君はそこのところも安心できるんだけど、彼女は、うん。天然そうで嘘とかつけなさそうだし。吐いてもすぐばれそう。私が言えた事じゃないが。
言葉を濁してみるが、七海さんは特に不審にも思わず、そうなんですか、と納得を見せて再度楽譜に視線を落とした。
「さんの、その人へのイメージはこんな風なんですね・・」
「いや、多分一般的にみてもそんな感じ。・・まぁ、ある意味でその曲が一番ぴったりかもしれないけど」
作りこみ過ぎとか、形ばっかりとか。神宮寺君、確実に上辺しか周りに見せてないからなぁ。いやまぁ、友人には多分違う面も見せているだろうし、完全に猫被ってるわけではないんだろうけど、まぁでも、普通の人が曝け出すようには、自分を出してはないだろうし。そんなの、誰にでも言えることだが(早々本音など曝け出せるはずがない)彼の場合、それが結構露骨だと思うんだよねぇ。
甘い言葉と態度で、絶対に踏み込んでくるなっていってるあの感じ。実にわかりやすい。かといってわざわざ踏み込んでやるほど優しくもないけれど。
「ぴったり、ですか?」
「そーいう感じなんだよ。多分。無理してるわけじゃないんだろうけどね」
あれはあれで最早彼を構成する一つだ。たとえ内面を曝け出したところで、あれは変わるまい。七海さんの手から楽譜をひらりと抜き取り、しかし指摘されたからには改善はせねばなるまい、と五線譜の上の黒いオタマジャクシに視線を落とした。ということは彼ともうちょっと接触しろということなのか・・・。
どうせ周りに聞いても大した情報はなさそうだしなぁ。かといって、踏み込み過ぎると地雷踏みそうだしなぁ。こういうとき、しんべヱ君のあの誰にも警戒心を抱かせないうえに突っ込んだところで不快にも思われない順忍の才能が羨ましく思う。あれは本当対人関係において素晴らしい才能だと思うよ。
将来お父上の後を継いでも安心だと思うね。いい息子さんを持ったものだ、福富の旦那様は。
そんな未来、ちょっと見てみたかったな、と少しばかり遠い目をしてから、七海さんを振り返った。
「七海さんなら、この曲を完成させるならどうする?」
「私ですか?」
「うん。あくまで参考に、ね」
「そうですね・・・。歌う方がいるのなら、やっぱりその人の意見を聞くべきだと思います。曲は一人ではできません。二人で作っていくものですから」
「そうだよねぇ」
しかしそれが無理な場合は、どうする?と、いう質問は意地悪だろうか。一瞬言いかけて、また口を閉じる。そんなこと聞かれたところで、返答は難しいだろう。でもまぁ、やっぱり接触するしかないんだなぁ。諦めてこれを出すか、もうちょっと粘るか。割と深刻な問題だ、と考え込むように眉間に皺を寄せると、七海さんは気遣わしげな視線を向けて、次の瞬間にあ、と小さな声を零した。
「クップル?どこにいくの?」
「うん?どうかした?七海さん」
「クップルが、急に・・・」
そういって、七海さんは僅かに腰をあげて戸惑った様子で茂みの方を見ていて、あぁ、どこか行ったんだな、と察するとひらひらと手を振った。
「大丈夫。またご飯時にでもなれば出てくるだろうから」
「そう、ですね。クップル、また晩御飯はさんのところで食べるんでしょうか?」
「さぁ?そこは猫の気まぐれとしか言えないなぁ」
まさか今日行くからね!と猫が連絡よこすわけにもいかないだろうし。・・いや、できちゃいそうな気もしなくもないんだが、まぁ、できないだろう。常識的に考えて。ぺたん、と再度腰を芝生の上に下した七海さんに、とりあえず相手に聞く前に他に改善点はないか話詰めてみようかな、と僅かに身を乗り出すと、おや、と聞きなれた声が横から聞こえて、私はぴた、と動きを止めた。
「可愛らしいレディが二人、こんなところでなにしているんだい?」
どういうタイミングだ、これ。絶妙というべきか、それとも間の悪い、というべきか。判断に困りながらも、驚いた様子で声がした方向に振り向く七海さんに合わせて視線を走らせれば、そこにいたのは紛れもない私の悩みの種で、なんだかなぁ、と渋くなる顔を止められない。
薄らと笑みを浮かべて悠然とこちらに歩み寄ってくる神宮寺君に、お前こそこんなところでなにしてたんだよ、と問いかけるのは、別に悪いことじゃないよね、と楽譜を膝に押し付けた。
・・・・なんていうか、本当に、なんともいえないタイミングで顔出しやがったな、こいつ。
張り付いたような微笑みに、気付かれないようにそっと目を細めた。