雨上がりの虹に永遠を願った、6月の間奏曲
私は今、大変面倒な事実に直面している。いや当初から面倒事に巻き込まれてるじゃないかという事実は転がっているが、とりあえず面倒な事態であることには間違いない。
学校の窓枠に肘をつき、階下を眺めながら溜息を零した。恐らく今の自分の眉間にはきつい皺が一本、しっかりと刻まれていることだろう。ちなみに丁度直射日光を浴びる位置になっていることもしかめっ面になっている理由の一つである。
あぁ寝不足の私にこの燦々と輝く日光は少々目に毒だ。すっげぇ目がチカチカする。本音を言えば今すぐ顔をひっこめて日陰に戻りたいところだが、眼下に広がる光景故に、どうしたものかなぁ、と眺め続けている次第なのだ。
その光景――二階の窓から見える先には、女子を侍らせ、おっと失礼。女生徒と戯れている絶賛反抗期中の問題の人物――いや本当に問題しかないよね――神宮寺君がいた。日光が直接当たっているからか知らないが、めっちゃきらきらしてる。元々あやつの髪色がオレンジがかった茶髪をしているせいもあるのかもしれないが、余計にキラキラしているように見えて、思わず目頭を押さえるように軽く親指と人差し指で揉みこんだ。駄目だ。マジ寝不足の目にあのキラキラエフェクトはきっついもんがある。にこやかに複数人の女生徒と交流している神宮寺君の欠かされることのない微笑に、あれはあれでアイドル向きな性格だよな、とぼんやりと眺めながら一つの評価を下した。
女の子限定にしろ、二階にいても聞こえるような女生徒の声に、笑みを絶やさず付き合えて話を盛り上げているのだから、コミュ力は高いのだろう。
そもそもあのきらきらしいスマイルの大安売りは、人前に出ることを当然としている人間のそれだ。うん。財閥の人間にしてもあれだけ完璧な笑みを浮かべていられるのだから、彼は人前に出るべくして出る人間なのだろう。歌唱力に関しては知らん。聞いたことないし。まぁ、学園が惜しむぐらいだから高いのだろうことは見越して、私ははあぁ、と溜息をついて窓枠から腕を投げ出してもたれかかった。
「・・・どうやって曲を渡したもんかなぁ」
問題というのはそれだ。出来上がったのはいいが、神宮寺君と接触する機会がないとはこれ如何に。前提として、私が神宮寺君と大きく関わっている、ということを表沙汰にしたくない、ということがある時点で接触の機会が大幅に削られていることが障害といえるだろう。ならば妥協したら?と言われるかもしれないが・・・むしろあのハーレムの中に飛び込む勇気がない。
わざわざ一人のところを狙って、というのも・・・クラスが違うので中々難しんだよね。同じクラスならば多少行動パターンも掴めるだろうに、違うクラスなもので授業後に動いてもすでに彼は人ごみの中。あるいはさっさとどこかに消えてしまっているので捕まえることが難しい。こっちだって授業があるんだから、ストーカーのごとく付け回すこともできないし。
「あとの手段は人に頼むかポストに突っ込むか・・・」
まぁ頼む相手は限られているんだが、素直に受け取ってくれるだろうか。最近の彼は教師も頭を抱えるほどだというし。それを言うならポストに突っ込んだところで聞いてくれる保証もないわけで。・・・てーか、究極直に渡しても聞く気がなければ聞かないんだよねー。でもそれ言っちゃ何も始まらないんだよねー。だから結局どうやって渡すかが問題で。あぁ、堂々巡り。
「日向先生に頼もうかなー」
てかそれが一番手っ取り早い気がしてきた。てかそれが一番確実だよね?ね?こういう時ぐらい教師を有効活用せんでどうするよ!散々面倒事に巻き込まれてきたのだ。あのハーレムに突入するぐらい、なんてことはないはずだ。例えそれでけんもほろろに扱われても、そりゃもう教師としてね!頑張ってもらいたいしね!
よし、先生探そう、ともたれかかっていた窓枠から背筋を伸ばした刹那、ぞくり、と背筋に悪寒が走った。
「何か困っているようデスネ、Miss.」
「ひ、ぃっ」
ぬう、耳元で囁く低い声。ぞわりと走る背筋の悪寒と共に上がりそうだった悲鳴を懸命に奥歯で噛み殺すと、非常に不自然な形で音が漏れたが、大音量で響かせる、という失態だけは犯さずにすんでほっとする。ここで悲鳴でもあげようものなら下にいる連中に気づかれるからね。変に注目はされたくない、と思いながら、ドキドキと跳ねる心臓を持て余しつつ、私はじとり、と恨めし気な目で横をみた。
「学園長、なにしてるんですか!」
「Oh、困ってる生徒に声をかけただけデース」
「声のかけ方が問題なんですよ!気配まで消して、あぁもう!一体何の用なんですか?」
どこの学校に背後から忍び寄って顔の横で声をかけてくる学園長がいるってんだ!ここにいるって?結果論だろそれは!とりあえず離れろ、という意思表示を込めてしっしっ、と手で払うと、学園長は笑いながら華麗なステップで後ろに下がった。この巨体でなんでこんな身軽なんだ、この人・・・。
「Miss.の悩み、ワタシがビビっとまるっとすっきり解決してあげちゃいマース!」
「はぁ?」
「これで、Youの思いの丈をMr.ジングウジに伝えるのデース!!」
寝不足気味の頭では突然の学園長のフリにも適切な反応を返せない。恐らく、もうちょっと意識がしっかりしていれば、遠慮します、の一言も言えたのであろう。まぁ、言えたところで聞いてもらえる可能性は低そうだが、それなりに意思表示もできたはずだ。だからそう、つまりこれは、寝不足気味な脳内で起こった異常反応なのである。あるいは普段抑制されている何かの箍がちょっとばかり外れたとかそんな感じで。
そんな密やかな脳内ハイテンションで、学園長がす・・・っと差し出してきたブツを一瞥して、私は割と晴れやかな笑顔を浮かべて見せたのだった。
※
学園の屋上からは広く学園の敷地が見渡せる。無論今いる場所よりも高い建物の向こう側は見通すことはできないが、後者に囲まれた中庭程度ならば遮るものなど何もなく、綺麗に見渡すことができた。広々とした中庭を眼下に見据えながら、そこで何やら集まっているカラフルな頭をした集団を見下ろした。
赤青黄色、って信号機か。てか見たことあるぞあれ。そもそも、今生の私の視力は悪くないので、肉眼でも普通に眼下にいる彼らの様子は見えているのだ。
とりあえずなんぞあの踊り。いきなり中庭で踊りだす三人組に何故そこで踊りだすんだ、とポカンとしたのは悪くないはずである。あとその踊り微妙。アイドルコースには確かにダンス授業もあっただろうが、それにしたっていきなり中庭で踊りだすことはないだろうと思う。ただの変な人だ。いやまぁ、三人とも綺麗に動きは揃ってるけどね?うん。動きにキレはあるんだけど・・・・あれは振付の問題か・・・?
誰だあれ考えたの。ミュージック付きならまた別なんだろうか・・・ともかくも、上からみていて非常に微妙な気持ちになったのは間違いない。イケメンでも許されないことはあるよね。あ、あのサーモンピンクのボブは麗しの七海嬢じゃないか?
なにやら興奮したような面持ちで和気藹々と話し始めた(ように見える)集団を観察し続けていると、ようやく目的の人物が中庭に現れた。丁度私の死角になる方向から登場したようなので、あの目立つ信号カラーの一群に近づいてからその姿は確認っできたのだが、とりあえず姿が見えたのでよしとする。学園長の情報は確かだなぁ。まぁ、聖川君のいるところ神宮寺君有り、逆もまた然り、ってところだろうか。多分姿を見つけると突っかからずにはいられない病にかかっているのだ。実に青臭い。
さておき、その姿を認めて、七海さんに話しかけている様子の神宮寺君を視界にしっかりと収めながら、私は学園長に手渡されたブツを構え直し、そのピンと張った弦に矢をつがえた。そう、学園長に渡されたブツとは、己の背丈よりもはるかに大きな和弓だったのだ!つまりYou、彼の
ちゃんと弓懸け(ゆがけ)とか胸当まで用意されているのだから、周到なものだ。そしてそれのつけ方も弓の引き方も構え方も知っている自分に苦笑が浮かぶ。昔取った杵柄というか、なんというか。・・・もっとも、彼のように美しく射ることもそこまでの正確さもないけれど。扇の的中て半端ないです。あれ、実際自分で弓を使うことになって初めて難易度の高さを思い知ったよ。いや、それまでは確かにすごいなぁと思ってたよ?普通無理だよできねぇよ、とは思ってたけど、より実感したというかいやもうマジすげぇあの子。忍術学園で弓の使い方も学んで実際何度も射ることはしたけれど、いやもう本当、あのセンスには脱帽もんです。
普通に立ってるだけの的だけでも中々中てるのは難しいのに、それが海の上、扇という小さい目標、波に揺られてゆらゆらと動く最中、ばっちり射止めるなんで業、私にはできそうもない。止まってる的相手なら、まぁおおよそ中てることぐらいはできるけど・・・それでも真ん中はほぼ無理だしなぁ。
そんなことを考えながら、キリキリと弦を引き絞って、狙いを定める。矢にはCDケースの入った袋を括り付け、多少重みが加わり不安定だが、そういったことも訓練されていたので別段修正するのに手間はかからなかった。
ふと思えばなんでわざわざ矢文でする必要があるんだとかそれ一切合財無駄な労力じゃね?と、わかるものなのだが、まぁあれだ。うん。当時の私にその判断力はなかったということだ。なんていうか、面白そう、とか、神宮寺君の度肝を抜いてやりたいとか、いい加減色々鬱憤溜まってんだよゴラァ、とか、色々あったんだろう。
あぁ、勿論鏃の部分は吸盤状になっていて、殺傷力は無きに等しい。人体にあたれば結構な衝撃を伴うので中てるわけにはいかないが、まぁ、怪我をすることはないはずである。でも危ないからいい子の皆は絶対にやっちゃいけないよ!やることはないだろうけどね!それにしてもこの距離、果たして狙い通りの位置に中てられるだろうか。別に私、弓が得意なわけでもなかったしなぁ。的を外すことはあんまりなくても、かといって狙った場所に正確に、というほど的確な射ができた試しもない。
・・・・まぁ、なんとかなるだろ。今日は風もないし、相手もさっきのダンスみたいに動き回ってるわけでもない。話し込んでいるようだから、今の内にいけば人に中てることもなく威嚇射撃ぐらいはできるはずである。うん。多分。中てたらすまん。怪我はないと思うけどさぁ・・・いやはや。
「南無三」
ビュン!!
キリキリと引き絞っていた矢羽の先から、指先を離す。瞬間、風を切る鋭い音が耳の横で唸りをあげ、拘束から解放された弓矢は多少の放物線を描いて、けれど真っ直ぐに空中を走った。伸びるようにぐんぐんと進む矢が黒い線となり、矢を放った体勢のまま、ビィィィン、としなり震え続ける弦の振動を感じながらその行方を追いかけ続ければ、それはやがて狙い通り・・・といけばいいが、やはりやや外れた場所に落ちた。
本来は七海さんと神宮寺君の間ぐらいを狙っていたはずなのだが、いささか飛距離と方向性がずれていたのか、落ちた先は神宮寺君の前ではなく横である。
なんだか割とギリギリな感じで落ちたように見えたが、この位置からでは正確な場所がわからず、結局横に落ちたとしかわからない。
だす!と上から落ちてきた弓に、一瞬周囲の時が止まったのが目に見えてわかった。ピタリ、と一切の動きを止める姿は壮観だ。いやー時が止まる光景をこんなにも傍目からみたのは初めてだわぁ!
一切の動きを止めて、凍りついたように動かない彼らに、思わずくく、と含み切れない笑みが漏れ出る。日頃驚かされる立ち位置にいる分、きっと人を振り回す側にいるのだろうあのカラフル集団の度肝を抜かすことができたのは中々に爽快だ。
くすくすと笑いつつ、神宮寺君の真横に落ちた吸盤付きの弓矢に視線が集まる最中、私はさっさと弓を下して奥に下がった。いや、見つかったらヤバいし。色々と。
混乱している間に逃亡を図るのが正しい対処法だろう。とりあえず彼らから見えないだろう位置に引っ込み、弓懸けを外して胸当も取る。少しの解放感にふぅ、と吐息を零して、しゃがみこむと予め教えられた通りに、屋上の床の一部をどんどん、と叩いていった。使い終わったあとの弓矢一式はそこに落としておいてくださいね、とのことらしい。学園の床は収納スペースですか。床下収納ですか。便利ですね学園長。
えーと、確かこの辺で・・・・お?どんどん、と叩き続けると、やがてカコ、と音がして床の一部が外れる音がする。その音を目ざとく聞きつけて、ぐっと力を籠めれば床が沈み、シーソーの要領で反対側が持ち上がった。あったあった。学園長の言った通りだね。
ぽっかりと隙間のあいたそこに、和弓、弓懸け、胸当、と順に落として最後に床を閉じれば、再びカコ、という音がする。念のためにもう一回そこを強く叩いてみたが、今度は何かが外れる音もしなかったので、ちゃんと閉じられたことがわかった。うむ。証拠隠滅完了である。あの人の身長の倍はあろうかという弓もそれに付随する道具もなくなった屋上は何の変哲もないただの屋上となり、さっきまでここで私が神宮寺君目がけて射撃を行ったなど誰も想像できるはずもないだろう。ふはははは。見たか財閥御曹司。振り回すことはお前の専売特許ではないんだぞ!こんな方法で曲を送りつけられるなんて想像もしてないだろうざまぁみろ!
普段やらないことをした興奮とスリルに、アドレナリンが大量分泌をされたかのようにどくどくと鼓動を打つ心臓が心地よい。滅多にない体験をやり遂げた後の解放感に僅かばかり浸り、ほう、と吐息を零すと座り込んでいた床から立ち上がり、ばさばさ、とスカートについた砂を払い落として、私は僅かに吹き始めた風にスカートを膨らませた。
「さぁて、帰ろうっと」
心地良い疲労感と達成感に包まれながら、私は屋上を後にした。
例え中庭で突如として吸盤付きの矢に襲われた彼らが大パニックを起こしてわぁわぁと叫んでいても、その後現れた日向先生が社長の野郎、と学園長に濡れ衣を着せていても(いや、促したのは彼なのであながち的外れでもないか)、やり遂げた私は一切知ることがなかったのである。
その後、矢の先につけられていたCDの存在に気が付いた神宮寺君がどうしたかも、同様に、その場から去った私には知る由もなかった。