雨上がりの虹に永遠を願った、6月の間奏曲



 基本的に、練習のやりこみには防音設備の整った練習室、レコーディング室、ピアノ教室、あるいはダンスフロアなどが主な練習場所になってくるわけだが、ぶっちゃけ元々この学校のお金のかけ方が半端ないせいかそれとも学園長が色々あれなせいか、大体の教室は防音設備が整っていたりする。
 まぁ、そりゃそういうのがない教室もあるけど、そういうのは基本的に音を流すような用途に使われない家庭科室だとか図書室、美術室、資料室などなど、まぁ細かくあげればキリがない。ともかくも、基本的に音を掻き鳴らす場合にはそれ相応の設備のある教室を選ぶのが常識だ。普通に音楽垂れ流してたらいくら専門学校とはいえ迷惑になるからね。
 だがしかし、この学園の敷地は広大だ。この都会のど真ん中でこれだけ広大な敷地面積を誇る学校などほぼ有りえないといってもいいだろう。学園長は世界の億万長者百選とかそんなのに選ばれるどころかTOP3に入るぐらいの資産は持っていそうだし。これはただの個人的イメージだが、さておき。敷地面積も然ることながら、後者そのものも広く、正直どこからどこまで、何がどこにあるか、把握しきれていないのがほとんだ。最低、よく利用する場所ぐらいしか把握しないのが人間でもあるし。あとは気まぐれに、いや考えがあるのかもしれないが、多分半分ぐらいは思いつきで増築されてそうな場所もあるから、恐らくこの学校の全貌を把握しきることは難しいだろう。この楽器教室でさえ、知っている人間は教師生徒含め恐らく一握りに違いない。・・・まぁ、だからこそ、本来ならば予約を入れたりしなければ使用できない練習室の変わりに、この教室を使用しているのだが。
 人の出入りが少なく、ちょっと校舎から外れていて、尚且つ楽器の保管室でもあるせいか、閉め切ってしまえば防音もそれなり。うむ。密やかな行動を心がけているこちらとしては願ってもない好条件である。
 ついでにいえば飲食可能なので余計にありがたい。脇に水の入ったペットボトルと開封されたポッキー(つぶつぶいちご味)を一緒に並べて、楽譜片手にポッキーを咥えてシャーペンをくるくると回す。行儀は悪いが、まぁいいじゃないか、どうせ見咎める人間など目の前で強制発声練習をさせている神宮寺君くらいなのだから。





 神宮寺君は、やはりさすがSクラスの生徒というべきか。なるほど周囲がこぞって引き止めたがるわけですな、と納得するぐらいにはそりゃもうイイ声でした。知ってたけどね!諏○部さんはイイ声だよガチで!!一ノ瀬君とはまた違う艶のある低音での歌声は腰が思わず痺れるほどに色っぽい。何より、一ノ瀬君と違うのは彼の方がより感情表現豊かに歌い上げるところだろうか。なるほど、聞き比べてみれば確かに一ノ瀬君の歌い方は基本に乗っ取りすぎて堅いものだったのだろう。いやでもやっぱり彼の心の有る無しはよくわからないんだけど。さておき、柔軟性に優れた神宮寺君は、ある意味で一ノ瀬君とは逆に位置するような歌い方なんだろうな、と思う。どちらかというと、自分のオリジナリティを出して歌い方をアレンジしちゃうところがあるし。
 まぁどっちにしろ私にはやはりレベルの差しか感じないのですがマジ私でいいの?これ。そう目の前の残酷な現実に直面して早々に投げ出しそうになりつつも、約束だし、というわけで根性で踏みとどまっているわけで。
 これだから実力に開きがありまくるのは嫌なんだ、と思いつつ、声だしの終わった神宮寺君にペットボトルを投げ渡して、ポキン、とポッキーを折った。うまうま。

「んー。やっぱりさぁ、神宮寺君、まだ声にブレがあるんだよね」
「ブレ?」

 ごくごく、とペットボトルを傾け、喉を逸らして中の水を飲んだ神宮寺君を一瞥し、半分になったポッキーをまた齧る。パキン、と小気味よい音がして、細長い棒クッキーはまたしても半分になった。

「今まで練習してなかったのが祟ったね。もうちょい腹筋鍛えないと。声だしもあんまりしてこなかったでしょ?」
「まぁ、歌う気はなかったからね」
「だろうね。とりあえず練習の最初の時間は基礎練に費やすよ。練習終わった後も自己練習としてやって欲しいけど・・・やる気は?」
「やれというのなら、という言い方はレディは嫌いか。あんまり汗臭いのは好きじゃないんだけど、真面目にやると約束したからね。わかったよ、レディ」
「よろしい。てか、今までの態度行動込みで今回のテストは見られるんだろうから、評価は厳しいだろうし、あと数日でどれだけ煮詰められるか・・・」

 ぶっちゃけ神宮寺君がいくらレベル高くても、基礎が甘いことに変わりはないし、今まで課題やテストその他通常授業などなどをボイコットしてきた事実は変わらない。加えてここまで漕ぎ着けるのにも結構な時間を要してきた。ちょっとやそっとの完成度では、それらを覆すのは難しいだろう、というのが個人的な見解である。
 それら今までのマイナスポイントを補って余りある物って・・・それなんて無理難題。眉間に皺を寄せて、ぐっと厳しい顔を作る。最終テストまで五日。寮の郵便物に「果たし状」と書かれた手紙が届いてから知らされた日程なのでその時間の無さには頭を抱えたものだ。あれ神宮寺君とこにも同じものが届いたのだろうか。彼の場合女性関係で果たし状送られてても可笑しくはなさそうだけど。・・・まぁ、今までの交渉時間を考えると、これだけでも破格の猶予を頂いたんだとはわかるのだが。てか手紙の表書きが果たし状ってどうなん。いやある意味間違いでは・・・ないような気はしなくもないが・・・いやでも違うだろう。首を緩く横に振って、溜息を零す。
 最近の学園長は時代劇にでも凝っているのだろうか。矢文とかさせられたし。え?ノリノリだっただろって?・・・若気の至り!
 遠い過去に想いを馳せていると、ぽん、と頭の上に重みが加わる。かくん、と少し顎を下げて、私は胡乱な目で上を見上げた。

「・・・なに?」
「そんなに不安そうな顔をしなくても大丈夫だよ、レディ。君の曲と俺の歌があれば、テストぐらいなんてことはないさ」
「いや、基本君の今までの行いで頭抱えているんですけど。てかすごい自信だね?」

 頭頂部にほんのりと冷たい温度が伝わるので、乗っているのはどうやらペットボトルらしい。顔をあげれば、その動きに合わせたようにペットボトルが退けられて、神宮寺君の飄々とした笑みが視界に入る。
 その自信はどこから来るんだ。私の見解では基本絶望的な要素しかないんですけど。いや、私には別になにもないんだけどね?でもやっぱりパートナー組んだ相手がダメでした!とか後味悪いよ?うん。・・・やっぱ組まない方がよかったよなぁ、精神的に。無駄に自信満々に微笑む神宮寺君に、暗澹とした気持ちで恨めし気に目を細めると、彼は苦笑を浮かべてさらり、と髪を撫で梳いた。

「色々吹っ切れたからかな?それに、今は頭で考えるよりも行動を起こす。その方が建設的だろう?前向きに考えなきゃ」
「・・・まさか神宮寺君に諭されるとは。ま、それもそうだね。それじゃぁ始めようか・・っと。その前に、歌詞はできたの?」

 なんだこいついきなり成長したな。やっぱり悩みに悩みまくったことが成長に繋がったのか。一皮剥けやがって。ちょっと前までの青臭い要素が消え、今は何かしらの余裕ができたのか落ち着いた雰囲気でこちらを穏やかに見下ろしてくる神宮寺君に目を細め、肩を竦めた。・・・まぁ、成長することはいいことなんだから、喜べばいいんだろう。私が喜んでも意味はないと思うけど。喜べ、神宮司一家。そして円城寺さん。君のお坊ちゃまは大変大きく成長なされましたよ!
 そんな内輪の問題はさておき、この学校では歌詞を考えるのは基本歌い手、アイドルコースの生徒と決まっているので、意識を切りかえるように話を本題に持っていくと、神宮寺君は多少微妙な顔をしながらあぁ、と頷いた。

「一応ね。基本的にはこれでいくつもりだけど・・・」
「みーせーてー」
「・・・どうぞ」

 いやそんな渋々渡されても。当然の権利じゃね?てか神宮寺君がどんな歌詞を書いたかとか気になるんだよね。曲のテーマもあるし。紙切れ一枚を手渡され、心なしかうきうきと手元に引き寄せれば、神宮寺君は少し困ったように眉を下げて、小さく吐息を零した。

「俺はラブソングを、って言ったはずなんだけどね・・」
「え?すごい熱烈なラブソングのつもりで作ったけど私」

 えぇ、個人的にはこれ以上ないほどのラブソングですけど?きょとん、とした顔を作り小首を傾げれば、神宮寺君の口角がひくり、と戦慄く。それから半目になった神宮寺君は、苦いものを吐き出すような口ぶりでぼやいた。

「家族愛はラブソングとは言えないよ、レディ」
「愛は愛でしょ。てか、家族愛ほど熱烈な愛はないと思うけどね」

 恋人同士だって、突き詰めては家族になりたいって思いに行くわけだし。何より、今の彼にはこれ以上に告げるべき愛はないはずだ。家族への限りない愛だなんて、それこそ歌にでもしなければ碌々伝えられないに違いない。素面で言うには恥ずかしいだろうし、プライドもあるだろう。だけど歌にしてしまえば、それは不特定多数の誰かへの言葉になる。多くの人に、と思えば、誰か、でなくたって、その誰か、にも届くのだ。歌こそ、彼が思いを伝えるに相応しい手段はない。手紙なんてそれこそ柄じゃないだろうし。これが私なりの精一杯の配慮でありラブソングであり、彼に相応しいと思った曲なのだから。だから、少しばかり苦々しそうな神宮寺君に、私は少しばかりの不安を覗かせて顔を覗き込んだ。やっぱり曲はダメだったか?

「気に入らない?」
「とんでもない。素晴らしい曲だよ。本当に、・・・まるで、曲そのものが、叫び声をあげているみたいだ。切なくて、悲しくて、それでも、伝えたい思いがあるって、言っているみたいに・・・愛しさで溢れてる」

 私の不安そうな顔をみてか、神宮寺君はちょっと目を見開き、それから首を横に振って、少し大げさなトーンで否定を口にした。笑って、だけど怯えたように楽譜を見下ろして。

「でも正直、この歌を歌うのは怖いかな。これを歌えば、何も隠せない気がして。よりにもよって、曲のテーマにこれを選ぶなんて、本当にレディは俺に対して厳しいね」
「選んだのは神宮寺君でしょ。でも、そっか。叫んでる、か」

 本当に、彼らの感性の鋭さには舌を巻く。神宮寺君の歌詞が書かれた用紙を見下ろし、私は口元を歪めて、黒いインクの文字の羅列を追いかけた。彼の歌詞もまた、愛を綴っていた。それは誰に、とは書いていない。彼女、とか、君、とか、そんな風には書いていなかった。しいていうなら、あなた、と。他人行儀のような、それでも隠し切れない親しみがあるような、そんな言葉がある。こちらの曲のテーマを組んで、彼が歌詞を書いてきたことは明白だ。歌詞の一部を指で辿って、ふっと笑みを零した。怖いと言いながら、それでも彼はきっと、その奥に隠してきた思いを、そのたった一部分だけとはいえ、表に出してきたのだろう、それは、歌うことを決めたのと同じぐらいの、勇気をもって。

「うん。いい歌詞だね」
「・・・ありがとう」

 あんまりマジマジと見ても恥ずかしいだろうから、多少目尻を染めて気まずそうな顔をしている神宮寺君に歌詞を返し、椅子を軋ませて立ち上がる。返した歌詞を受け取り、ポケットに折りたたんで突っ込んだ神宮寺君は、立ち上がった私を追いかけるように視線を動かして、ほう、と吐息を零した。

「レディ、一つ、聞いてもいいかい?」
「うん?」
「・・・レディも、誰かに、伝えたいことがあるの?」

 何か、思うところがあったのだろうか。少し言い難そうに問いかけてきた神宮寺君は、何か少し、踏み込みかねているような躊躇いを見せて、私を見つめていた。
 嗚呼、本当に、彼らの感受性の高さが、時にひどく、恐ろしい。彼の青い瞳を振り返りながら見返して、私はカラリ、とした笑みを浮かべた。

「なんだ、神宮寺君、私の経歴ぐらい円城寺さんから聞いてるんじゃないの?」
「いや、それは・・・え?ジョージ?なんでジョージが?」
「うん?あれ、言ってなかったのかな、円城寺さん・・・あー・・・じゃぁこれオフレコで」
「待ってレディ。まさかジョージと会ったことがあるのかい?」
「さぁ神宮寺君、時は金なりだ。雑談はこの辺にして練習始めるよー」
「ちょ、レディ。わかりやすい誤魔化しはやめようよ!」

 ジョージが何をしたんだい?!と慌てた様子で詰め寄ってくる神宮寺君に、さて、別に何もされてないよ?と言葉を濁しながらくすくすと笑い声を零した。

「ただ、ちょっと過保護だなぁって思っただけで」
「・・・ジョージ・・・!」

 ぎりぃ、と拳に握ってわなわなと震わせる様子に、まぁ、こっ恥ずかしいよねぇ、と思いながらにんまりと目を細める。愛されっ子は大変だね?神宮寺君。

「ま、仕返しに目一杯愛情を籠めて歌ってあげなよ。・・・ここにはいない人に向けてもね」
「・・・っ」

 息を呑む彼から視線を逸らす。君の家族事情ぐらい把握してるさ。両親がいないことも、家族と不仲であるのだろうことも。会話の節々から感じられたし、家族構成なんかはネットで簡単に拾える。だから別に、珍しいことでもなんでもない。なんでもないけど、だけどそれがひどく重荷になるのなら。
 声が嗄れるほどに叫べばいい。届かなくても届くように歌えばいい。少なくとも、生きている人には届くだろう。激しいまでの愛は、きっと胸を貫くだろう。それができるだけの力を、彼は持っているのだから。彼の歌には、胸を震わせるほどの熱い心が籠っているのだから。その声も歌も心も全て。
 叫べばいいのだ。面と向かって言えないのであれば、歌に込めて届ければいいのだ。その手助けに私の曲がなるのならば、大いに利用してくれて構わない。
 それで、一つの愛が報われるのなら、一つの不器用な愛の形が、少しでもその歪さを正せるのなら。それならば、そんなに嬉しいことってきっとない。
 たった一つの歌で、何かを変えられるのなら、それはきっと、作り手にとって、この上ないほどの誉れになるのだから。

「届けてね、神宮寺君。絶対だよ」

 どうかお願い。届けられない人の分まで、誰かの中に、響くように。
 吐息に混ぜた懇願を、彼は正確に聞き取れたのだろうか。背中を向けた私には、彼の表情を伺う術はなかったのだけれど、ただ、神宮寺君の声だけは、届いたから。

「レディの家族にも、届けてみせるよ」
「・・・ありがとう」

 力強い彼の答えに、振り返ることができなかったのは、きっと、世界を越えてまで届くことはないだろうと諦めたからに違いなかった。
 死んだ人に届けるためのラブソング。生きている人に届けたいラブソング。
 だけど、死んだ人間から、どうやって生きている人に届ければいいのか、なんて。きっと誰にも、わからない。きっと誰にも、届けられない。

『だいすき』、『あいしてる』、『ごめんなさい』、『ありがとう』――。

 どんなに声を嗄らしても、どれだけ曲に想いを込めたとしても。
 たったこれだけのラブソングさえも、私は生涯、届けられない。