雨上がりの虹に永遠を願った、6月の間奏曲



「にゃあ」

 目覚まし時計の音が鳴る前に、そんな可愛らしい鳴き声が朝を告げる。
 ゆっくりと瞼を開ければ、ターコイズの双眸と目が合い相好を崩した。布団の中から手を伸ばして黒にゃんこの頭を撫でてベッドのスプリングを軋ませながら起き上がると、ふとカーテンの引かれた窓を見やり手をかける。
 シャッと音をたててカーテンを引けば、空はどんよりぐずついていて、厚い灰色の雲が空一面を覆っていた。あぁ、今日は雨だな、とひたひたと忍び寄る雨の気配にまだ少し重たい瞼をぱちりと瞬いて、洗濯物が外に干せない嘆きに溜息を吐いた。





 朝の想像通り、学校で授業を受ける頃にはぐずついていた空はとうとうその我慢を越えたかのように、しとしとと雨粒を落として泣き始めた。
 この梅雨の時期、どうしようもないことだとはいえ、湿気も倍増するし蒸し暑いし何より洗濯物の問題が切実すぎて、やはりあまり好ましくはない。
 雨自体は嫌いではないのだけれど、付属してくるものがやっぱりなぁ。まぁ、自然の行為に対して愚痴を零してもどうしようもないので、洗濯物は室内干しで我慢する。乾燥機も共同のものがあるっていえばあるんだけど、寮暮らしのせいか活用する人が多くて(時期的なものも重なって)、あんまり近づきたくないし。
 まぁ、一人分の洗濯物だし、ルームメイトもいない分一部屋丸々使わせてもらってるので実はそんなに問題でもないんだけど。あぁでも、やっぱり青空の下で洗濯物は干したいものだ。そう思いながら、放課後の遊びに誘う友人たちに断りをいれて、鞄に教科書、筆記具、ルーズリーフ、そして今日これからもっとも必要になるであろうCDケースを詰め込み、席を立つ。
 そこでまだ少し教室に残っておしゃべりを楽しむのだろう友人たちに一声かけてから、鞄をひっつかんで教室を出た。ざわざわと放課後独特の解放感でざわめく廊下や教室を見回し、思わずため息が零れそうになるのは何も雨ばかりのせいではない。むしろ雨なんて関係なくて、これから起こるテストに対しての憂鬱な溜息だ。・・・こんなにも周囲は解放感で溢れているのに、私は今から過度な緊張に晒されなければならないのか。なにこの差。
 ここ五日ほどは放課後、あるいは昼休憩と時間を拘束されていただけに、周囲との差に嘆きたくなったが、小さく吐息を吐いて前を向いた。
 救いなのは、決してこれが私の進退に関わるような案件ではない、ということだろうか。時間の拘束をいえば彼も同じ条件だし、何より今回のテストは彼の進退を決めるもの。憂鬱なのは私ではなく、むしろ神宮寺君であると言えよう。
 彼がそれほどのプレッシャーを感じているのかどうかまでは知らないが、まぁいくら図太くても多少は不安を覚えて夜も眠れないぐらいにはなっていて欲しいものだ。
 そう考えればこれから赴くレコーディング室への道のりも足取りは軽く・・・いや嘘です結構緊張しいなんで、私に責任がなくても結構びくびくしてます。
 ドキドキする心臓を持て余しながら、だんだんと人気の薄れていく廊下をずんずんと歩いていく。Sクラスに寄らないのは、彼との行動を見咎められる危険を考慮して、だ。いや別に一緒が嫌なわけじゃないけど諸々付随してきそうなことが、ね?あとはまぁ、やっぱりこういう問題はあまり明るみに出すべきじゃないだろうなぁと思うし。ここまでひっそりこっそり水面下で動いてきたのに最後の最後で浮上するとかやってらんないじゃん?とりあえず放課後になったら各自で向かおうぜ!って昨日話しておいたから神宮寺君も勝手に向かってくれていることだろう。まさかこの期に及んでボイコットなどという「てめぇいい加減にしろや?」的な行動はしないだろうし。そんなことをしたら怒りなど吹き飛んで諦めと失望しか出てこないだろう。

「あ、見つけたわ、ちゃーーん!」
「月宮先生?どうかしたんですか?」

 この言い知れない緊張から目を逸らすようにつらつらと取り留めのないことを考えていた思考をぶつ切りにするように、人気の薄れたはずの廊下から、嫌でも目を引く存在感が大手を振り振り、こちらに駆け寄ってくる。
 今日の髪型は頭の高い位置で二つに結わえてツインテールだ。白いレースのリボンで根本を縛って動きに合わせてツインテールがふわふわと跳ねている。
 ミントとオフホワイトの配色切り替えのチュニックワンピに、白いサンダルを合わせた月宮先生は今日もおしゃれさんだ。すらりと細くて白い足がスカートから伸びて、きゅっと引き絞られた細い足首に、無駄な肉はないのに柔らかそうで丸みを帯びたふくらはぎの魅惑に思わず視線が吸い寄せられる。月宮先生マジ美脚。友人たちが「なりたい足No.1」と謳うだけはあるな。本当、美脚モデルでいけるんじゃね?と思いながら、ごく自然を装い足から視線を外して目の前まで駆け寄ってきた月宮先生を見上げた。可憐な容姿に見合わずそれなりに高身長な月宮先生はヒールのある靴も履きこなすので、余計に目線が上がるばかりだ。

「今日これから例のテストでしょ?どんな様子か気になって」
「どんな、と言われても・・・あんまり普段と変わらないですよ?」

 通常のテストの時みたいに緊張しつつなんとかなるかー精神でやってるだけですけど。肝が太いわけじゃない。単純にそれ以外表現のしようがないだけだ。
 そもそも、一番緊張するべきなのは神宮寺君であって私ではないので・・あぁ、そうか、神宮寺君の様子か。とはいってもなぁ。

「今日は神宮寺君とはまだ会ってないですし、彼の様子まではさすがにわかりませんよ」
「あら、そうなの?そういえば、ちゃんあんまりレン君と一緒にいるところみなかったわね」
「基本的に放課後ぐらいしか時間合わせてないですからね。今回のテストも各自で向かおうって言ってるんで」
「なんで?一緒に行けばいいじゃない」
「クラス違いますし、ほら、事が事なんであんまり目立つようなことは避けたいな、と」

 まぁ、半分以上はあの歩くセクシーゾーンの横に並んで姦しい女子に睨まれたくないという私情があるが、半分以下はちゃんと口に出した理由も含めているので嘘じゃない。月宮先生は、確かにデリケートな問題だものね、と納得してくれたので問題はないだろう。立ち話に時間を取られてることに気が付いて、まずいかな、とちらりと思ったが一応、時間には余裕をみて行動しているのでまだ大丈夫だろう、と思い直す。・・そういえば、月宮先生は今回のテストは見物しないのだろうか?今回のこれは非公式なテストだから、立会人としているんじゃないか、ぐらいの予想はしていたのだが。無論、課題テストなど公式な部分では、それぞれの担当というものがあるので気軽に立会などできないのはわかっている。まぁ、月宮先生のことだからちゃっかりいても違和感ないよな、ぐらいの考えなのだが。

「先生、これから用事があるんですか?」
「そうなの。これから仕事でねー。あぁ、もう!それさえなかったらレン君とちゃんの曲聞きに行くのにぃ!」
「それは、まぁ。お疲れ様です」
「龍也ばっかり生で音を聞くなんてずるいったらないわ。絶対、今回の曲はいい曲のはずなのに!」
「神宮寺君の歌は確かに見物ですからねえ」

 さすが諏○部さんである。まぁ私としてはギャラリーが少ない方が恥ずかしさも薄れるので、月宮先生には悪いがほっとしている。お仕事は頑張ってくれ。
 うんうん、と頷きつつ笑みを浮かべると、んもぅ、と少し拗ねた調子で月宮先生が唇を尖らせて、むにゅ、と両頬を抓んできた。痛くはないが、ふにふにと引っ張られるほっぺたに目を丸くして瞬きをしきりに繰り返す。

「つ、月宮せんせい?」
「わかってないわねぇ、ちゃん。私が楽しみにしてるのは、ちゃんとレン君の曲なの!どっちが欠けても、いい歌にはならないんだから」
「はぁ・・・」
ちゃんは自己評価が低過ぎよ。もうちょっと私たちの目を信じなさい!」

 言いながらもむにむにと頬を弄る手を止めない月宮先生に、頬を弄る意味はなんぞ?と内心で首を傾げつつ曖昧な返事を返す。いや、まぁ、一応認められているんだろうなとは理解してるんですよ?神宮寺君が歌うって決めたぐらいだし、それなりに出来た曲なのだろうとはわかっているのだ。ただ、・・・過剰評価な気がしなくもない、というだけで。私があまり理解していないことを察したのだろう。月宮先生は目を吊り上げて、この子は~~、と言いながら高速で頬をぷにぷにと弄り始めた。うん。ちょっと待て?

「先生、単純に遊んでるだけでしょう!?」
「いやん。だってちゃんのほっぺた、つるつるすべすべぷっにぷになんだもの。お手入れなにやってるの?羨ましい」
「普通に洗顔と化粧水と乳液つけてるだけですけど。若さは永遠の武器ですよね」
「っく、それ言われると太刀打ちできないわ・・・!化粧してないのも理由かもしれないわね。でもそろそろお化粧ぐらい覚えておいた方がいいわよー?」
「あぁ、そこら辺は一応知ってますから大丈夫ですよ。周りも周りですし」
「そうねぇ・・・て、やば。そろそろ行かなくっちゃ」

 でも化粧などあまり求められない学生の内はすっぴんで行きたい。お化粧めんど、げふん。すっぴんでいられる期間なんてそんなものなのだから、最低限のお手入れだけにしておきたいものだ。ようやく頬を解放した月宮先生は、そう言いながら、最後にウインクをパチン、を一つ投げ渡して、日よけの長手袋を嵌めた手をひらりと振った。

「じゃぁ頑張ってね、ちゃん。龍也をぎゃふんと言わせちゃって!」
「頑張るのは神宮寺君ですけどねー。月宮先生もお仕事頑張ってください」
「ありがと!」

 そういって花を散らしつつ颯爽と立ち去って行った月宮先生を見送り、まるで嵐のようだった、とそんな感想を抱きながら私も改めてレコーディング室へと向かう。えぇ。ちょっとばかり早足になったのはちょっと時間厳しいかもなーという焦りからですよ!開始十分前には到着しておきたい日本人魂。
 そんな内心の焦りとともに小走りで辿り着いたレコーディング室の前で一度足を止めて、深く呼吸をする。大きく肩を上下させ、ドキドキと高鳴る心臓を押さえつけるようにぎゅっと目を閉じてから、ノックをしてワンテンポ遅れて、ゆっくりと厚みのあるドアを開けた。

「失礼します、遅くなってすみませ」
「あぁー!ちゃんっ」

 刹那、目の前が陰ったと思ったら、私の体は何者かによって正面から拘束された。は、と短く息を吐いて目がまん丸く見開くのが自分でもわかる。
 ぎゅう、と抱きしめられて、一瞬抵抗も忘れてポカンと口を開けて呆けてしまった。

「ちょ、おいこら那月!お前いきなりなにやってんだ!!」
「四ノ宮、以前とした約束を忘れたのか?」

 完全に抱き込まれているせいで全く周りの様子が見えず、しかして正面・・・この場合、突然私を抱きしめてきた相手の背面から聞こえる声に、おおよその状態を察して体中に込めていた力をだらりと抜いた。・・・なんで、君らがここにいるんだよ・・・。なんだか頭痛がする思いでがっくりと胸板にもたれかかるようにして項垂れ、ぎゅうぎゅうと抱きしめる人物・・四ノ宮君の腕をぺしりと叩いた。

「色々、色々言いたいことはあるけど、四ノ宮君」
「はい。なんですか?」
「約束を破るような人とは仲良くできないよ、私」
「あう。・・・ごめんなさい・・・」

 少しばかり目に力を籠めて強い口調で言い切ると、四ノ宮君は途端しょぼん、と眉を下げてそろそろと腕をひっこめた。心なしかあほ毛もしょげ返っているような気がしたが気のせいだろう。壁、いやむしろ檻か。とりあえず落ち込む四ノ宮君に怒ってないよ、アピールでぽんぽん、と肩・・・は届かないので腕を叩いてから、私は解放された視界にレコーディング室の全貌を捉えて、眉を潜めた。
 ・・・おいおい、これは一体どういう状況だ?レコーディング室に居並ぶカラフルな配色。どれこれも顔面レベルの高いこと高いこと。ここだけ局地的に美形率が上がっているような、そんな錯覚に陥る。・・・本来、いるはずのない顔ぶればかりがそこになって、眉間に寄った皺は中々解せそうになかった。

「神宮寺君、説明プリーズ」
「観客は多い方が燃えるだろう?」
「日向先生、訳お願いします」
「・・・神宮寺を心配して来ただけだ。それより、随分と遅かったな?」
「途中で月宮先生に捕まりまして。・・ということは、彼らも見学していくんですか?」

 それはちょっと嫌だなー、と思いながら説明になっていない神宮寺君をさっくり切り捨てると、ちょっと切なそうな視線を向けられた。ふざける方が悪い、ということでこれっぽっちも罪悪感など持っていないが、鞄を機材の前に下しつつ、ぐるり、と周りを見渡せば、七海さんが金色の目を丸くしながら、驚いたように目を瞬かせていた。

さんが、神宮寺さんのパートナーなんですか!?」
「え?あぁ、うん。まぁ」
「聞いてないよ、俺たち!」
「言ってないからね」

 そして聞かれてもないからね。詰め寄る一十木君にさらりと言うと、なんで言ってくれないの!と地団駄を踏まれた。そういわれても、正直ここ最近君らとまともに接触してないというか。遠目にみたことはあっても、あんまり関わってはいなかったような?

「それでも何か一言ぐらい言いなさいよ、こっちがわぁわぁ言ってたの知ってたでしょ?」
「うーん。あんまり公にすることでもないかなーって思って。結局神宮寺君の問題なわけだし」
「でも、やっぱりちゃんもレン君のことが心配だったんですね!嬉しいです、僕らと同じ気持ちで」

 そういってにこにこ笑う四ノ宮君に、いや、別に心配だったわけでは、ともごもごと口の中で反論をする。完全に罠に嵌められてこの立ち位置についてしまっただけで、関わらずに済むのなら完全にスルーしていたのだ。
 なのでそう善意100%のように言われると居た堪れないというか。そろー、と四ノ宮君から視線を逸らしつつ言葉を濁すと、その横で一人、話についていけてないかのようにこちらをじっと凝視している一対の青い目とかちあった。
 反射的に会釈をすると、相手も虚を突かれたように大きな目をパチリと瞬いて、頭を下げ返す。・・・・誰?この人。

「・・あぁ、レディはおちびちゃんを知らなかったのかな」

 わいわいと彼らに囲まれる私を見ていた神宮寺君が、ふと視線を外して見知らぬ存在に首を傾げた私に目ざとく気が付いたのか、そういってさりげなく肩を抱いて一十木君たちから放しつつ、帽子を被った、この中では比較的低身長の男の子に掌を向けた。

「俺と同じSクラスの生徒だよ。おちびちゃん、自己紹介ぐらい自分でできるね?」
「馬鹿にしてんのか!?・・俺は来栖翔様だ!将来、芸能界を背負って立つ男だからな、覚えとけ!」
「Bクラスのです」

 ハイテンションな自己紹介だな。そして芸能界を背負って立つとか言われても正直反応に困るというか。そのテンションへの合わせ方を掴みかね、無難に自己紹介をこちらも返すと、恐らく、多少なりとも私が引いたことを察したのだろう。来栖君は気まずそうに帽子のつばを下げて、顔を隠した。ごめん、ノリ悪くて。

「そうそう、翔。七海の恩人の!あの後授業で会ってさ、友達になったんだよっ」
「は?」

 一瞬流れた気まずい空気を物ともせず、というか気づいていないのか、一十木君が顔を逸らした来栖君に、いきなりそうカミングアウトをかまして、彼の目を丸くさせた。え、その話題なんでここで出すの?

「友達?は?・・ていうか、見つけてたのかよ!?」
「うん?来栖には言っていなかったか?ちょっと前に授業で再会していたんだが・・・」
「翔ちゃんみたいにちっちゃくって可愛い子とお友達になったんです、って僕言いましたよー?」
「それで七海の恩人とイコールで繋がるかーーー!つか俺みたいにってなんだ!?那月!お前情報はもっと正確に伝えろよ!今まで探してた俺はなんなんだ!」

 そういって、だんだんと足踏みをして憤りを表す来栖君に、あ、彼、ツッコミ属性!と思わず顔を輝かせた。よかった、この集団圧倒的ツッコミ(常識)不足だと思っていたから、こういう人材がいるのなら精神的に助かる!むしろ全て丸投げにしたい、と思いながら日向先生が恩人ってなんだ?とばかりに首を傾げているのを見つけてまずい、と慌てて会話に割って入った。

「はいはいはいはい皆落ち着いて。今そんなことで騒いでいる場合じゃないから」

 パンパン、と掌を打ち鳴らして注意をこちらに向けつつ、日向先生の詮索を牽制し、本題に引き戻す。実際問題、私がどうの七海さんがどうのという場面じゃないのだ、今は。真面目に真剣に深刻に、神宮寺君の今後に関わる大切な場面なのだから、いつまでも仲良こよしのお遊び感覚でいて貰っちゃ困る。
 むしろこのまま脱線し続けるようならテストの邪魔ということで追い出すこともやぶさかではない。というか追い出したい。できることならあまり人目に触れていたくない。・・しかし、だ。

「一応確認するけど、神宮寺君はこのまま彼らがいても構わないの?」
「俺は構わないよ。観客がいた方がやる気も出るしね。何より、レディ達の応援を無碍にはできないよ」
「あー神宮寺君って、人に見られてる方が燃えるタイプっぽいもんねぇ。・・・日向先生、このままテストをしてもよろしいでしょうか?」
「本人が問題ないってんなら構わねぇが、はいいのか?」

 一応、お前も当事者なんだから、と言われて、そうだなぁ、と視線を泳がせる。恐らく、私が拒否すれば神宮寺君も否とは言わないだろうと思う。そうすれば、日向先生がいくら彼らが願ったところでさっくりとここから放り出すだろうことは想像に容易い。固唾をのんでこちらを見つめる懇願めいた視線からあえて顔を逸らしつつ、ここは一縷の希望に縋ってみるか、と肩を竦めた。

「いいですよ。神宮寺君を受からせるなら、彼らの存在は不可欠なんでしょう」
「そうか。よかったな、お前ら。お許しが出たぞ」
「やったぁ!ありがとう、!」
「一緒に神宮寺さんを応援しましょうね、さんっ」

 いや、応援は君らに任せるよ。とは、嬉しそうにガッツポーズを決める彼らには言い難く、そうだねー、なんて適当な返事をして濁らせる。
 とりあえず、さっさと始めてしまいたいので、神宮寺君に群がり頑張れよ、なんてエールを送っている彼らは早々に離れてくれまいか。

「神宮寺さん」
「仔羊ちゃん」
「私、神宮寺さんの声が好きです。神宮寺さんの声は、情熱的で、優しくて、セクシーで・・・神宮寺さんなら、きっとたくさんの人を幸せにできる歌が歌えるはずです。神宮寺さんの歌を、たくさんの人に聞いてもらいたい。そう、思うんです。だからきっと、このテストだって、神宮寺さんな乗り越えられるって、信じてます」

 七海さんが、上気した頬を晒しながら、真剣に、まるで告白でもするかのように情熱的に、神宮寺君を上目使いに見上げる。うむ。人が人なら完全に誤解を招く有様だが、彼女は始終彼の声と歌への素晴らしさを語っているだけであって、そこに一切の他意がない辺り、まじもんの音楽馬鹿と言えるだろう。
 しかし素面であそこまで言えるとは、実に恐れ入る。聞いているこっちがむず痒くなる、と腕を摩れば、神宮寺君は顔を甘く緩ませて、そっと七海さんに手を伸ばした。さらさらと頬にかかる髪を掬い上げると、壊れ物を扱うような繊細さで、そっと耳にかけてあげた。

「ありがとう、仔羊ちゃん。君の期待に、応えてみせるよ」

 とびっきり甘くセクシーに。囁くように七海さんに言って見せる彼は、どこか少しばかり照れているようなはにかみも混ざっているように見えた。さすがに面と向かって褒められまくると恥ずかしいのか。そりゃそうだよな。
 納得しつつはよブースに行け、と促す前に、神宮寺君の前に、聖川君が立った。・・・というよりも、七海さんが避けたその後ろから丁度出てきた聖川君と神宮寺君の目があった、というべきなのだろう。瞬間、盛り上がっていた空気が一気に冷めたような張りつめた緊張感が流れて、空気を読んで一十木君たちも口を閉ざした。
 相変わらず、犬猿の仲の二人である。幾度となくこの空気に晒された今となっては、最早動じるのも馬鹿らしいので(結局お互いないものねだりだしなぁ)眺め・・・見守っていれば、神宮寺君が先ほどとは一転し、ふっと口角を釣り上げた。皮肉気な笑みが丹精な顔の上で絶妙な上から目線で描き出される。

「お前まで来るとは意外だったな、聖川」
「一十木達がどうしてもいうからきただけだ。でなければわざわざ貴様の所になど顔を出さん」
「こっちも、お前の顔なんて好き好んで見たいわけじゃないが・・・まぁ、いいさ。格の違いを見せてやるよ」
「言ってくれるな。今まで碌な練習もしてこなかった人間が。いいだろう、貴様の実力とやら、見てやろうではないか、神宮寺」

 バチバチィ、と目には見えない火花が散った気がする。至極真面目な顔つきで神宮寺君を見据える聖川君に、神宮寺君はくすり、と笑みを浮かべて踵を返した。
 背中を向ける彼がブースに向かうのを見て、私も機材の前に立ってケースからCDを取り出す。

「レディ」
「うん?」

 機材にセットするタイミングで、ぼそりと小さな声でブースに向かっていた神宮寺君が立ち止まり声をかけてくる。取り出したCDを穴に指を差し込んで手に持ったまま振り返れば、彼は私をじっと見下ろしていて、やがてひどく華やかに、自信に満ちた笑みを浮かべてみせた。

「最高のパフォーマンスで、魅せてあげるよ。「君」が、惜しむぐらいにね」

 それは、宣戦布告だったのか。聖川君に叩きつけた挑戦状とはまた異なり、私に向かって言い放った神宮寺君はこちらの返答を聞きもせずに、ブースの扉に手をかけて中に入ってしまった。一瞬、呆気にとられた私はその姿を茫然と見送り、彼がマイクの前に立ったところでようやく我を取り戻す。慌ててCDをセットしながら、後ろの方で日向先生と並んで歌が始まるのを固唾を呑んで見守っている彼らを尻目に、ふむ、と頷いた。

「・・・結構気にしてたんだね、神宮寺君」

 まぁ、じゃぁ、楽しみにして見ていてあげましょうか。君の「本気」というやつを。ふふん、と鼻を鳴らして、こちらを挑戦的に見つめる神宮寺君に習って、私は、再生ボタンに、指を押し付けた。